坂口博信 スクウェア入社と最初のゲーム制作を語る

堀井雄二・坂口博信・鳥嶋和彦『ウィザードリィ』の衝撃を語る TOKYO M.A.A.D SPIN

坂口博信さんが2023年12月25日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中で大学時代にアルバイトとしてスクウェアに入社した経緯や、そこでの最初のゲーム制作などについて話していました。

(鳥嶋和彦)で、そこからスクウェアに入るわけ? 学生で?

(坂口博信)ああ、そうですね。それで2年ぐらいApple IIで遊んで。なんか、「アドベンチャーゲームぐらいだったら作れそうだな」っていう感じがあって。で、当時ナムコとか、そういう一流のところでは通用しないだろうと思っていたんです。自分の腕は。まあ、プログラムもまだ……。

(堀井雄二)大学生からいきなり就職なの?

(坂口博信)2年の終わりの頃、アルバイトですね。

(堀井雄二)ああ、アルバイト。

(鳥嶋和彦)僕は聞いたところだと……違っていたら訂正してね。宮本さんっていうオーナーが日吉にパソコンショップを作ったんだよね? で、慶応とかの学生がアルバイトで来くるから、そいつらをピックアップしてゲームを作らせようっていうので、日吉に作って。で、そこにアルバイト応募をしたんだよね?

日吉のパソコンショップにアルバイトとして入る

(坂口博信)そうですね。まあ結局、慶応とは駅の反対側にあって、慶応生はほぼ来なかったんですけど。僕と田中弘道っていうのと、その時に横国に行っていたんですけども。その2人で、聞いたこともなかったんで。「ここだったら通用するべ?」っつって。で、時給1500円って書いてあったので「よしっ!」って行ったら……。

(鳥嶋和彦)1500円って、いいよね?

(坂口博信)でも実際には「お前は750円だ」って言われて。「嘘つき!」っていうところからスタートしました。「詐欺!」とか言って。そこからですね(笑)。でも、楽しかったですね。もうプロジェクトが一応、走っていて。鳥人間コンテストって、あるじゃないですか。あれをゲーム化しようっていうプロジェクトで。それで最初、プログラマーで入って。当時はNECの8801。それでスクロールルーチンを作ったりしてやっていたんですけども。ある時、誰もいなくて。「どうした?」って言ったら「社長がどうも、鳥人間コンテストっていう商標というか、著作権的なことを何もやってなくて。クレームが入って解散になりました」「はあ?」っていう(笑)。

(鳥嶋和彦)テレビ局に話をしていなかったんだ。

(坂口博信)何も話をしていなくて。意味がわからないっていう。それが、すいません。スクウェアの最初のプロジェクトでございます(笑)。

(鳥嶋和彦)宮本さん、いい加減な人だなー。

(坂口博信)それで仕方なく自分で立ち上げたのが1作目で。PCで。アドベンチャーゲームですね。『ザ・デストラップ』っていうんですけども。

(堀井雄二)その時はスクウェアって何人いたの?

(坂口博信)当時はその田中弘道も合わせて3人でスタートですかね。で、絵描きを美大から2人、募集したのかな? 1人はその後、田中弘道の奥さんになったりするんですけど。まあ、出会いなんてそんなもんですよね。で、マンションの部屋を借りてもらって。楽しかったんで。当時、自分の自宅にお風呂がないような生活だったんで。開発室に行けばシャワーがある、みたいな。もう快適この上ない。

(鳥嶋和彦)会社に行くモチベーションがそういうところにあるんだね。

(坂口博信)もうずっと泊まっていたような。

(堀井雄二)年齢的にはハタチぐらい?

(坂口博信)そうですね。20そこそこですね。21とかですね。

(鳥嶋和彦)坂口さん、僕らのちょうど10個下だから、僕らが30ぐらいっていうことはファミコン神拳をやっていた頃だ。

(坂口博信)ああ、そうですね。堀井さんもゲーム作りはまだ、その頃はしていない?

(堀井雄二)いや、27で……81年か? その時にエニックスプログラムコンテストに出しているんで。アドベンチャーを作って。『ポートピア』を作って。パソコン版を。

(坂口博信)あれが81年?

(堀井雄二)それぐらいかな?

(鳥嶋和彦)じゃあ、ほぼ同じ時期にそれぞれPCゲームを作ったってことだね。まだファミコン前だからね。

(堀井雄二)僕はPC-6001で作ったんだよね。

(坂口博信)じゃあ、やっぱり前ですね。僕なんかのたぶん1、2年前ぐらいですね。

(鳥嶋和彦)『デストラップ』は売れました?

(坂口博信)いやいや、もうやりたい放題で。ディスク3枚組で9800円っていう。

(堀井雄二)いい値段だね。

(鳥嶋和彦)高っ!

(坂口博信)いやー、全然売れないっすよね。それでなんだろう? もう実地でマーケティングの大事さを僕は感じましたね。値付けとか、構成とか。プロモーションも含めて。

(堀井雄二)後付けで「なぜ売れないのか?」を探ってったわけだ。

最初のゲームの失敗でマーケティングの大事さを学ぶ

(坂口博信)はい。で、次のは1枚で、4000円ぐらいで。パッケージも売れるようにちょっとアニメ調にして。それで、売れました。『ウィル デス・トラップII』っていうやつなんですけども。それは、売れました。だから「こうすれば売れるんだ」っていうことを変に勉強してしまったという(笑)。

(鳥嶋和彦)なかなか坂口さんらしいね(笑)。本質が出ているね。

(堀井雄二)『ポートピア』を出した時はまだ、テープだったからね。

(鳥嶋和彦)ディスクじゃなくて。

(堀井雄二)で、「ピーヒャラピーヒャラ」って。テープで。32Kに収めたんだから。1回読むっていうので。

(坂口博信)32KB?

(鳥嶋和彦)そうか。ディスクじゃなかったのか。

(坂口博信)ええと、ドラゴンクエスト1が64KB? 64でしたっけ。

(堀井雄二)ファミコンだからね。

(鳥嶋和彦)スクウェアのファミコンソフトの第1弾って、何だったっけ?

(坂口博信)『テグザー』っていう、当時パソコンで出てたやつの移植で。それは僕は絡んでないんですけど。開発チームを雇う形で出しましたね。僕は関係ないですけども。あんまり出来がよくないです(笑)。

(鳥嶋和彦)自分は関係してないから(笑)。

(坂口博信)俺は関係ないんで(笑)。まあ、ファミコンに参入って、大変だった覚えがあります。もちろん僕は経営じゃないですけど。

(鳥嶋和彦)だからあれ、ROMを作る前渡し金か。

(坂口博信)それもあるし。会社が任天堂さんと契約すること自体が、まずなかなか小さい会社だと参入させてくれなくて。

(鳥嶋和彦)そういえばエニックスの福嶋さんが「任天堂と契約できる!」ってすごい喜んでたもんね。

(坂口博信)ああ、たぶんそういう時代だったと思うんですよね。

(鳥嶋和彦)あと、銀行にお金を借りるとか、どうのこうのって聞かされて。

(堀井雄二)先にお金を渡さなきゃいけないんだよね。ROMを作るのにね。

(坂口博信)おっ、それ、言っちゃうんですね?(笑)。

(鳥嶋和彦)そうそう。いいんじゃない?

(坂口博信)あれ、多額ですもんね。それがないと作れないっていう。いやー、なかなか敷居が高いですよ。

(堀井雄二)でもあの時、結構出すと売れたよね。ファミコンソフトって。

(鳥嶋和彦)売れてたね。で、ちょうどあれなのよ。その頃に「袋とじでコロコロが売れてるから研究してくれ」って副編に言われて。

(坂口博信)ああ、コロコロが袋とじを最初やったんですか?

(鳥嶋和彦)そう。で、ハドソンと『スターフォース』をやっていて。完全タイアップでちゃんとしたコマンド全部、打ち込んでないわけよ。ところどころ、コマンドが隠れてるわけ。で、何号かに渡ってやるっていうんで。で、副編に言われて。「堀井さんとジャンプでやるか?」ってなって。で、コロコロが2色だから、ジャンプは4色。その代わり、ちっちゃくなっちゃうのね。で、ちょうどその頃にエニックスがファミコンを始めるっていうんで。中村さんの『ドアドア』と『ポートピア』をファミコンで出すっていうんで。それで隠しコマンドをそこに入れる。で、その前の1号か、その前の回のあたりに『スターフォース』と『ゼビウス』をすっぱ抜いたのよ。

(堀井雄二)『ゼビウス』の不死身モードをすっぱ抜いたのよ。

(坂口博信)ああ、『ゼビウス』は大きいですよね? 『ゼビウス』はすごかったですよね。

(鳥嶋和彦)これが子供に大反響でさ。で、いきなりアンケートの第3位。上は『ドラゴンボール』ともうひとつくらいしかなくて。

(坂口博信)すごいですね!

(堀井雄二)袋とじ、それだったからね。

(鳥嶋和彦)でさ、3時になると子供が学校から帰って来るから、編集部中の電話がバッと鳴るわけ。で、「コマンドがちゃんと入らない」っていう。

(坂口博信)そっちのクレームが(笑)。

(鳥嶋和彦)で、僕以外は誰もそのゲームの問い合わせに応えられないわけ。で、堀井さんと宮岡くんにアルバイトに来てもらって(笑)。

(堀井雄二)電話番(笑)。

(鳥嶋和彦)「悪いけど、高給の時給を払うから2時間だけ、電話応対しれくれ」って言って(笑)。

(坂口博信)子供が帰って来る時間に合わせて(笑)。

(堀井雄二)子供だからいきなり「できないんですけど!」って。要件を言わないんだよ(笑)。

(鳥嶋和彦)すごく丁寧に。「ゆっくり、ひとつずつコマンドを入れてね」って(笑)。

(坂口博信)じゃあその頃、電話した子はもしかしたら堀井さんにアドバイスをもらっているんだ(笑)。それ、すごいっすね!

(鳥嶋和彦)で、そうこうしていて、その後にドラクエ?

(堀井雄二)『ポートピア』を出した後、ドラクエを出したね。

<書き起こしおわり>

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坂口博信さんが2023年12月25日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局』の中でドラクエ1発売で衝撃を受け、ファイナルファンタジー1の制作を進めた話をしていました。
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