オードリー若林 阪神が優勝した2003年の動画を見て思い出した野球に逃げていた当時の自分を語る

オードリー若林 阪神が優勝した2003年の動画を見て思い出した野球に逃げていた当時の自分を語る オードリーのオールナイトニッポン

オードリー若林さんが2023年9月9日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で「アレ」を目前に控えた阪神タイガースについてトーク。リーグ優勝した2003年のシーズンの動画を見ていて思い出した、お笑いでうまく行かないので野球に逃げていた当時の自分について話していました。

(若林正恭)プロ野球ね、阪神強いじゃない?

(春日俊彰)強いね! もうマジックが出て。アレでしょう?

(若林正恭)でもまだ阪神ファンはね、あの2文字を口にしないね。まだ「アレ」って言ってるね。

(春日俊彰)アレね。でも、もうそろそろいいんじゃない?

(若林正恭)まだ言っちゃダメ!

(春日俊彰)だってもうマジック1桁でしょう?

(若林正恭)まだ言っちゃダメです。

(春日俊彰)もうだって、するでしょう?

(若林正恭)まだ言っちゃダメ。

(春日俊彰)いつ? した時に初めて言うってこと?

(若林正恭)そう。した後で言う。

(春日俊彰)ああ、した時もまだ言わないんだ?

(若林正恭)そう。直前まで「アレ」です。それでね、最近さ、野球の話も多いけど。阪神がね、1985年から日本一になってない。でもリーグ優勝したこととか、クライマックスシリーズで……ペナントレースでは1位じゃなかったんだけど、日本シリーズに行ったとかはあるんですよ。でね、2003と2005に、リーグ優勝はしてるのね。1985年の後で。で、なんか今になって、マジックがついてアレをちょっと意識したりすると、2003の優勝。「どんな感じだったのかな?」みたいな。俺、言ってもにわかだから。7月ぐらいに「今年、まだ強いよ?」みたいな。阪神ファン友達、知り合いが「まだ強いよ」って言ってきたりするのよ。で、だから見始めて。「ロードで調子、落とさないかな?」とか。なんか、こういう人って結構多いと思うんだけど。阪神ファンは。

(春日俊彰)だから、あれでしょう? 例年の阪神の流れというか。やっぱり夏ね、甲子園で高校野球がやっている時期に……。

(若林正恭)そういうイメージ、あるでしょう?

(春日俊彰)死のロードに出て、おかしくなっちゃって、みたいな。

(若林正恭)本当にそれで調子が悪くなるのをみんな、歴史上見てきていたりするから。警戒心が強いっていうか。で、熱心な方はね、もうずっと何年も応援していて。もちろんそうなんだけど。俺なんか、にわかだから。7月ぐらいで「まだ強いよ」って聞いて見始めるぐらいの感じで。だから2003の時って、どんな感じのペナントレースだったんだろう?って。で、ネットの動画で見ていたの。パッて「2003 阪神」って調べて見始めたら、なんか全部見たことある映像なのよ。

(春日俊彰)へー。どういうこと?

(若林正恭)「あれ? 俺、このヒット、このホームラン、この試合、この感じ……星野監督で。めっちゃ記憶あるな!」って思って。で、時代で言うと赤星さんとかと金本さん、檜山さん、井川さん、今岡さんとか。ショートが藤本さんとか。「アリアスのこの感じ、めっちゃ見てたな!」って思って。俺、それでね、なんか思い出したんだけど。俺、2003年、あまりにもお笑いで結果が出ないから。俺、野球に逃げていたんだよね。

(春日俊彰)ああ、なるへそ! よく見てたんだね。実際に。

野球に逃げていた2003年

(若林正恭)それで俺、2003年、草野球のチームに入ってたのよ。

(春日俊彰)えっ、そんな時、あった?

(若林正恭)春日にもしゃべってないのかな?

(春日俊彰)知らないよ。どこのチーム? 芸人のチーム?

(若林正恭)春日、知らないかな? 俺さ、山手線のさ路線図で野球のスイングを説明するっていうネタがあってさ。

(春日俊彰)ああ、あのピンのね。

(若林正恭)あのさ、俺の紺のユニフォーム、見たことないよね? あれがドン・キングスっていう……。

(春日俊彰)ああーっ、なんか持っていたね!

(若林正恭)持っていたでしょう?

(春日俊彰)あれ、なんだっけ?

(若林正恭)あれ、俺はドン・キングスっていう草野球チームに入ってたんだよ。

(春日俊彰)それ、どこのチームなの? 芸人のチーム?

(若林正恭)それが、高校の友達のね、春日も知っているやつなんだけども。その地元の草野球のチームなんだよ。で、俺、そいつが俺が野球好きなのも知っていて。野球をできるのも知っていて。なんか、チームを作りたての時かなんかに……その人、中野の新井薬師とか、あっちの方の地元のやつで。そこの地元の人たちのチームなんだけど。その時に、なんか誘われたのよ。草野球チームに。

(春日俊彰)なるへそ。来ないかと。やらないかと。

(若林正恭)そうそう。で、俺、入ったのね。そしたら、それが軟式のチームなんだけど。哲学堂のグランドとか、あとは大宮八幡の近くの和田堀公園の野球場とかで草野球の試合とか、よく行ってたのよ。たぶん毎週、行ってたの。ドン・キングス。

(春日俊彰)へー。試合に出てたの?

(若林正恭)試合に出ていて。で、俺、イメージないと思うけど。草野球の中だったら、まあまあ野球できんのよ。それでセカンドで、結構打つから俺、一番バッターになったの。そのチームの。そしたら毎日滑って……もちろん、あの頃は誰からも必要とされてないわけじゃない?

(春日俊彰)まあ、2003年だったらね。そうね。

(若林正恭)で、野球チームとか入ったら、なんか「若林くん、ナイスバッティング!」とかさ、言ってくれるから。

(春日俊彰)なるへそ。戦力だもんね。

(若林正恭)そうそう。なんか、年上の人が多くて。24、5とかだから。だから、必要とされることがすごい嬉しかったんだよね。

(春日俊彰)なるへそ。そこに居場所があったんだね。そこにはいてよかったんだね。

(若林正恭)で、俺はそのチームの三振してない記録の保持者だったからね(笑)。ちゃんとフォアボールで塁に出る一番バッターで(笑)。

(春日俊彰)出塁率が高かったんだね(笑)。いいよ。そりゃ重宝するよ。

(若林正恭)「おお、よく見たよ!」とか、すごい褒めてくれるから。なんか「俺、必要とされてる!」っていうのが嬉しかったの。それをすごい、その2003の阪神を見て「俺、これ知ってるぞ!」と思った時に……その時、まだテレビでも野球を結構やってたし。スポーツニュースもめっちゃ見てて。だから俺、野球に逃げてたんだよ。お笑いがうまくいかなくて。で、バイト代は全部野球用具か、バッティングセンター。毎日、バットとか振ってたんだよ。それで。で、グローブを買ったり、リストバンドを買ったりしてて。で、その野球のユニフォームも着て、日曜日はよく試合に原付で行って。一番バッターをずっと打っていて。それで野球を……阪神も毎日見ていて。阪神が強くてっていう時代ね。

(春日俊彰)ああ、じゃあ楽しいね。

(若林正恭)楽しいの。野球が。それで、ゲームボーイアドバンスでパワプロが……で、その時の対戦相手とかも動画を見てたら全員、知っているんだよ。「ああ、全員知っている。なんだ、これは?」って思ったら、ゲームボーイアドバンスってあったじゃん? たしか、アドバンスだった。あの時代。で、パワプロがアドバンスで出たのかな? ちょっと覚えてないんだけど。で、俺はパワプロをずっとやっていたのよ。

(春日俊彰)へー。そんなのあったかな? 知らなかったかもしれないな。私は。

(若林正恭)春日には言ってないんだろうな。たぶん。だって「俺、草野球に逃げているんだよ」とは言わないもん。たぶん。シレッと野球に逃げてたから。それでなんか、枕に顎を乗せて、ずっとゲームボーイアドバンスのパワプロをやってたら、上の歯の前歯で下唇を枕でずっと圧迫してて。で、パワプロをやりすぎて、なんか下唇の内側にできものみたいなのができたの。めっちゃでかいやつ(笑)。

(春日俊彰)へー。その原因がそれなんだ。

(若林正恭)めっちゃでかいやつ。それでなんかね、「あと5日、治らなかったら病院に行こう」みたいなのをね、なんかノートに書いた記憶があるわ。日記に。めっちゃでっかいできものができて。その時は、下唇を前歯で刺激していたからだとは思ってなくて。その時、俺はゲームボーイの野球に逃げてるから。お笑いから逃げてるから。それで病院に行ったら、「なんか圧迫してませんか? 血腫みたいなのができています」みたいに言われて。それで俺、オペしたんだよ。

(春日俊彰)ああ、それはなんか、あったな。あったかもしれない。

(若林正恭)あっただろう? 俺が下唇をオペしたの。

(春日俊彰)それはあったかもしれない。そこはなんとなく、覚えてますな。はいはい。

(若林正恭)で、なんか下唇を器具でビーッと引っ張られて。麻酔して、オペして。で、オペして麻酔だから全然、頭がはっきりしようから。先生がそのメスで開けた瞬間に「おい、1個じゃないな」って言っていたのがめっちゃ怖かったわ。で、下唇をなんか縫って。だからその他のチームもゲームから……テレビでも見てるし。めっちゃ知ってるんだよ。で、俺さ、今日の今日までさ、こんな話をしていないから。逃げてたから、忘れてるんだよな。で、なんかその野球チームが人数も20人ぐらいになってきて。強くなってきたの。で、俺はずっと一番バッターをやっていて。それで哲学堂でさ、試合が終わった後にさ、円陣みたいなのでグラウンドの外で集まるのよ。

そしたら、そのチームを作った上の人たちが「エンジョイとしてやるのか。それとも本当に草野球の大会で優勝を目指してやるのか。どっちなんだ?」みたいになって。その両方の派がいて。喧々諤々やってるんだよ。で、「お前はどうなんだ?」みたいなことを俺を誘ってくれたやつに言われて。「いや、熱いな」と思って。「本当にどうなんだろうな?」と思った。人生。みんな、働いている人で。「楽しくて野球をやっているのに……なんか、よくわかんないな」みたいな。それは実際に口にはしないけど。「うーん」みたいな感じで。

それで結局、マジでやることに決まったんだよね。その、中野区かな? 大会で優勝を目指すってなって。そしたら、毎週日曜日の練習試合だけじゃなくて、木曜に練習として集まるっていうことになったの。仕事で来れない人もいるけど。で、俺はその練習も全部、参加してて。

(春日俊彰)ああ、行って? そこで脱落したんじゃなくて?

草野球の練習にも全部参加する

(若林正恭)もう野球に逃げてるから。何度も言うけど。それで、その哲学堂とかのグラウンドで、木曜のナイターで、ライトが付いている中で練習するんだよ。めっちゃ練習するのよ。それもなんか俺、結構褒められたりするから楽しくて。それで練習が終わったら、ガストとかに行くの。みんなドリンクバーで「どうやったら強くなるか?」みたいな話をするじゃん。草野球って。そこで俺もいっぱしに言ったりしてて。「ブロックサインも取り入れた方がいいんじゃないか?」とか(笑)。

(春日俊彰)本格的だね!(笑)。

(若林正恭)普段、めちゃくちゃ滑っている芸人が……みたいな。で、ガストによく行ったのを覚えていて。ドリンクバーで。みんな、ご飯とか食べたり、お酒とか飲んだりしてやっているんだけども。俺はドリンクバーだけなんだけど。「若林くんも、食べろよ」みたいなさ。なんか、チームが大事にしてくれる感じが嬉しくて。で、なんか打ったのとかも覚えてるのよ。やっぱりちゃんと。なんか、その阪神の2003の動画を見ていたら。で、阪神も強くて楽しかったんだろうね。草野球では。

(春日俊彰)いいシーズンだね。それはね。

(若林正恭)俺に居場所をくれて。で、ゲームをやって。あんまりネタは作らず……みたいな。25だからさ。で、バッティングセンターに行って、みたいな。それでね、思い出したんだけども。その木曜の練習が終わった後ね、大会があって。チームは勝ち進んでいたの。

(春日俊彰)ああ、強かったんだね。

(若林正恭)そしたら、俺を誘ったやつ。高校の同級生がね、「今度の日曜が……」みたいな話になって。それで俺、その時になんかね、変なね、カフェとかでお笑いライブやっていてね。渋谷の。それで、なんか勝ち抜いて決勝トーナメントみたいなのに出ることになったの。コントで。ちっちゃいライブだけど。そんなのが、あったのよ。それで「今度の日曜の試合、行けないんだわ」みたいなことを言ったの。その野球のちゃんとした大会の。そしたら「いつまでそんなこと、やってんだよ!」って怒鳴られたの。哲学堂のグラウンドの外に出て、練習が終わって帰ろうとしてる時に。まさに原付に乗ろうとしてる時に。

(春日俊彰)どういうことよ?

(若林正恭)「どういうこと?」って思うよね?

(春日俊彰)なにに対して? 今、なにで怒られているの?

(若林正恭)俺もびっくりして。「お前、いつまでそんなことやってんだよ!」って。

(春日俊彰)へっ?

(若林正恭)そう! 「はい?」ってなって。怖いし。めっちゃ怒っているし。それで、俺としては2つ、取れるんだよね。自分で「草野球なんかやってていいのかな?」って気持ちがありつつ、逃げるじゃん。その、草野球のことなのか。あとは、お笑いに対して「いつまでそんなことやってんだよ?」って言われているのかなって。で、「えっ?」ってなっちゃって。そしたら「いつまでそんなことやってんだよ、お前!」「へっ?」ってなって。「俺さ、うん。25まで我慢しようと思ってたんだよ。いつまでお前、そんなフラフラしてんだよ!」っつって。「へっ?」ってなって。「お前! ちゃんと就職して働いて、草野球に来いよ!」って言われて(笑)。

(春日俊彰)草野球?(笑)。

(若林正恭)「草野球」とは言われてないな。「野球、来いよ! みんな、そうやってんだよ!」って言われたの。

(春日俊彰)なるへそ。ずっと思っていたんだろうね。2までは泳がしてたと(笑)。

(若林正恭)でもなんか、そういう時って、25って今思うと若いけど。もう、お先真っ暗の25なのよ。その時って。わかるでしょう、春日。これ感じ? お先真っ暗25で、何もかもうまくいかないけど野球だけ楽しいみたいな感じで、そんなこと言われたから……「もう、なんだよ……」って思ったの。「ここが楽しくて来ているしか理由がないのに、なんなんだよ、これ。もう……」って思ったの。俺、哲学堂のあそこで。暗い、横のブランコだけあるようなところだよ。原付でとっぷりと暗くなった中で……暗いじゃん? 哲学堂のあの公園って。でさ、「25まで我慢しようとしてたんだよ。俺はさ、殴ってでもやめさせてやりてえよ!」って言われたんだよ。

(春日俊彰)なんでだよ? 誰からその役目を授かったのよ? なんなのよ?(笑)。親だったら、わかるよ。それは、わかるけど。

(若林正恭)でもさ、その「親だったら」っていうのもさ、この話はしたことあるよね? たぶんね。春日、覚えてるわかんないけど。俺さ、たぶんさ、今思うと……実際に親になってわかったんだけど。なんか、一人暮らししてたかな? その時に。それで、親父に呼ばれて……そうそうそう。違うな。一人暮らししてないのか。それも25ぐらいかもしんない。親父が家に部下、連れてきたの。で、「部下を吉祥寺のホテルまで車で送ってくれ」っつって。で、「ああ、わかった」っつって車で送っていった時に、その人もその俺のさっきの友達じゃないけど。「いつまでフラフラするつもりなんだ?」って。「おい、もう……なんなんだよ!」ってなって。

(春日俊彰)それはなに? 若林さん、仲のいい人だったの?

(若林正恭)全然。初めて会う人。

(春日俊彰)フハハハハハハハハッ! なんか、親父さんから聞いてたのかな?

(若林正恭)で、俺はその時は思わなくて。そんなこと、忘れてるじゃん? だけど、親になって吉祥寺になんか、奥さんと行った時に「あっ!」って思って。「あれってたぶん親父が頼んだんだろうな」ってその時に思って。

(春日俊彰)ああ、なるへそ。

(若林正恭)でも、当時は思ってなかったんだよな。

(春日俊彰)ああ、なるほどね。そのパターンはあるかもね。

(若林正恭)で、近鉄のホテルかな? 東急のホテルかな? その前で……そこに泊まってるっていうから。もう1時とか2時とかで。全然降りないんだよ。「いつまで君はフラフラしてるつもりなんだ?」って。でもなんか、25とかじゃん? 「ああっ?」みたいな。「早く降りろよ、お前!」みたいになってんの。長いから。

(春日俊彰)そうだよね。道中だったらまだわかるけど。着いてもまだ、ずっと言われてたんだ(笑)。

(若林正恭)いや、なんか「早く降りろ、お前」とは言わないけど。なんか「あんたと話すことじゃないから」みたいな感じ。

(春日俊彰)まあ、たしかに。言われたのかもね。

(若林正恭)親父に言われたんだな、みたいな。そんなのがあるだよね。で、その高校の友達もなんか、熱いのが好きみたいな。なんか『GTO』とか好きなやつだったから、そういう感じになっちゃってたんだと思う。こんな言い方をしたら『GTO』に悪いな。

(春日俊彰)まあ、熱いというか。そういうね、ドラマ的な。

(若林正恭)で、その哲学堂の話に戻るけど。「えっ?」みたいになっちゃって。「俺はさ、25になってもお前がそんなことやってたら、殴ってでもやめさせようと思ってたんだよ」みたいに言われて。「いやー……」みたいになっちゃって。

(春日俊彰)そうだよね。「そう言われましても……」ってね。

(若林正恭)で、もうその日から1回も行かなくなっちゃって。もう怖くなっちゃって。

(春日俊彰)残念な話だな……。

その日以来、草野球に1回も行かなくなる

(若林正恭)で、その頃に春日が『Qさま!!』に潜水かなんかで出ていたのよ。それでなんか、春日が潜水で出ているのと重なっちゃって、ライブに出れなくて。で、「オードリーで出れねえな」って。俺、コンビでしか考えてなくて。そう思ってたの。そしたら、事務所から電話がかかってきて、「ライブにピンで出ろ」って言われたの。で、「はい」って言うじゃん? それで「めんどくせえな」と思いながら。その時はコンビで売れることを考えてるじゃん? 「こんなの、意味あんのか?」って思うよね。ピンでネタをやるなんて。今、思うとあるんだけど。それでボーッと「どうしようかな?」って思っていたら、その俺のドン・キングスのユニフォームがハンガーにかかってて。「これな、結構高かったな」って。高かったんだよ。バイト代で全部揃えて。

(春日俊彰)ああ、作ったんだね。

(若林正恭)作ったの。で、少年野球と同じ26番なんだよ。で、それを眺めていて。「これ、高かったな。もったいねえな」と思って、あの野球のネタを考えたの。「野球のネタにしよう。これ、衣装もあるし」って。買わなくていいしね。「漫談をやるのに、買わなくていいし」って思って「野球でなんか、ないかな?」みたいな。それを、2003の阪神の動画を見てたらブワーッ!って思い出して。

(春日俊彰)ああ、きっかけというか、スイッチというか。

(若林正恭)思い出して。哲学堂で「お前、就職してよ、仕事も野球も真面目にやれよ!」って言われて(笑)。で、そいつは大会勝ちに行く派だったから。「なんだよ!」って思って。

(春日俊彰)やっぱり野球だけじゃダメなんだ(笑)。仕事と両方、両立させなきゃいけないんだね。

(若林正恭)なんか高校の同級生だから。「お前ならいける」とも思ってくれてないことがめっちゃショックで。すごく心の……俺が安心できる場だったのよ。草野球が。みんな、おじさんたちが優しかったし。そこも俺、奪われてさ。ユニフォームがハンガーにかかっていて。「くっそー!」って思ってネタを書いて。で、もうその日以来、行かなくて。そいつとね、もう連絡を取るのもやめたんだよな。で、その後に連絡が来たかどうかもちょっと覚えてない。それはそうじゃん? 若くて、そんな事を言われたら、なんか気まずくなるから。

(春日俊彰)そうだよね。なかなか難しいよね。

2005年のリーグ優勝シーズンは全然覚えていない

(若林正恭)で、2003の阪神を見て、2005もリーグ優勝していて。その時は岡田監督で。2005の動画を見てみたら、全然記憶にないのよ。2005の頃はもう、なんか青銅さんと『フリートーカージャック』とかやっていて。なんだろう? 俺はラジオに逃げてたからさ(笑)。

(春日俊彰)逃げてはいないよ。立派なお笑いの仕事ではあるでしょう?

(若林正恭)27ぐらいはお笑いを頑張ってたんだろうね。

(春日俊彰)そうでしょう。ラジオは別に草野球みたいなことじゃないから(笑)。一緒ではないですよ。

(若林正恭)いや、でもね、今日インタビュー受けたけど。草野球みたいなもんだよ?(笑)。

(春日俊彰)そんなことないでしょう?(笑)。

(若林正恭)それで、「そいつと連絡を取ったのっていつかな?」ってメールをバーッと調べたら2016年に連絡がきてて。「結婚式をやるから、おめでとうのVをくれない?」っていうのが(笑)w。

(春日俊彰)フハハハハハハハハッ!

<書き起こしおわり>

オードリー若林 阪神・中野拓夢選手のプレーで元気をもらった話
オードリー若林さんが2023年5月27日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で神宮球場で見た阪神タイガース・中野拓夢選手のプレーで元気をもらったことを話していました。
オードリー若林 阪神・中野拓夢選手のファンになった話
オードリー若林さんが2023年4月8日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で阪神タイガースの中野拓夢選手のファンになった話をしていました。
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