ヤマザキマリ「ヴィオラ母さん」山崎量子追悼コンサートを語る

ヤマザキマリ「ヴィオラ母さん」山崎量子追悼コンサートを語る 安住紳一郎の日曜天国

山崎量子さんが2023年6月18日放送のTBSラジオ『日曜天国』に出演。著書『ヴィオラ母さん』にも描いた母・山崎量子さんが89歳で亡くなり、その追悼コンサートを開催したことを話していました。

(安住紳一郎)さて、ヤマザキマリが描いた人たち。おしまいは母・リョウコ。

(ヤマザキマリ)ああ、母・リョウコね。『ヴィオラ母さん』という本を書きましたけど。そのヴィオラ母さんが去年の末に亡くなっちゃいましてですね。89歳で。

(安住紳一郎)そうですか。

(ヤマザキマリ)でもね、亡くなったんですけど不思議と、なんていうのかな? 喪失感とか悲しみというよりも「いやー、ご苦労さんでした!」っていう感じの、前向きな気持ちにしかならないんですよ。不思議な話。

(安住紳一郎)ああ、ヤマザキマリさんが?

(ヤマザキマリ)もう本当に、3人分ぐらい生きてきてるから。なんていうのかな? 体がなくなったところでね、もう濃すぎて。ありとあらゆることが。なにかやっていても、母の声がどこからともなく聞こえきて。「バカバカしい。そんなの、やめなさい!」とか、そういう声が聞こえてきてしまうというかね。だから、全然いいんですけど。その点は。

(安住紳一郎)いやー、もう私たちもね、ヤマザキマリさんのお母さん、リョウコさんに勇気づけられた……あの話も本当大好きで。これからずっとね。何回かお話を聞きたいなって思いますよね。

(ヤマザキマリ)でもやっぱり、死んでからもいろいろある人でね。亡くなった時にちょうど旦那がイタリアから来てたんですよ。来ていたタイミングで亡くなったの。それで「じゃあ、すぐに葬儀しなきゃ」ってことになって。うち、母親はカトリックですから。カトリックの神父さんを呼んで、いろいろ段取りを組んでやった時に、実はコロナに感染して亡くなってしまったので。もう段取り的には火葬とかも、私たちは近寄れない状態でどんどんやっちゃって。それでお骨になったもので簡単な家族葬だったんですけど。

それを見て、うちの旦那が「なにをやってるんだ! リョウコはカトリックなんだから、土葬じゃなきゃダメだよ!」って言うんですよ。で、私は「ええっ? この人と結婚して25年になるけど、まだいろんなことを知らないんだな」って思って。「いや、日本はね、土葬はダメなんだよ」「ダメじゃなくて、カトリックなんだから!」「ちょっと待って? あなた、まさか……復活すると思ってる?」「思ってないよ!」「じゃあ、いいじゃない。別に」ってなって。

(安住紳一郎)カトリックは、あれですよね。復活する時のその入れ物がないとダメなんで……っていうことで。だからその亡骸をね、土葬しておくんですよね?

(ヤマザキマリ)そうなんですよ。だけどイタリアの場合は、やっぱり基本的には土葬っていうシステムで。火葬になりたい方たちは生前に自分の意思を告げておかなきゃいけないっていうのがあったんですよ。前までは。でもコロナで、それがなくなったんですよ。要するに、事前に申告しておかなくても亡くなったら火葬になるっていうことも許されたんですけども。でも、まだそれについて行けてない人たちが山のようにいて。イタリアに電話してましたもん。「お母さん! なんとね、リョウコは土葬じゃないんだって!」なんて。そんな大騒ぎなことになるんですか……みたいなね。

(安住紳一郎)文化が違うと、考え方も違いますね。

(ヤマザキマリ)そうですね。だから私がたとえば、アマゾンのヤノマミ族と結婚して。「亡くなった人はシロアリに食べさせられますよ」みたいなね。そういうような衝撃だったみたいなんですよ。彼にとっては。まだまだね、地球は本当にグローバリズムといっても、わかりきってないんですよ。価値観が共有できてないなと思いましたけど。

(安住紳一郎)でもマリさんのお母さんのリョウコさんはね、札幌交響楽団の創立メンバーで。「創立メンバーを募集している」って聞いたら、お勤め先を辞めて。お嬢さんなのに。

(ヤマザキマリ)そう。東京からね。集団就職でみんな、青森から上野に向かって……みたいな時に逆流ですよ。逆走して北海道に行ったんです。1人で。それで「ここで一緒にオーケストラ、作りましょう!」みたいな感じで行って。そこから……要するに母の葬儀っていうのは追悼コンサートにしたんですね。そしたら全国から90人のお弟子さんが集まって。皆さん、もうプロでコンサートマスターになったりとか、海外で活躍しますみたいな方も集まって。それでオーケストラをやるって言うんですよ。90名。普通のオーケストラより多いんですよ。

そしたら、当初予定していたホールが入らないってことになって、大ホール……千歳の文化センターっていう大ホールを借りて。そこでみんなギュウギュウになって。そしたら今度、お客さんも1200人入るホールがほぼほぼ、たくさんの方がもう全国から見えられて。だから母が教えてきた人って一体、何人なんだ?っていう。

(安住紳一郎)いやー、素晴らしいですね! お弟子さん、孫弟子さんたちがみんな……。

お弟子さん、孫弟子さんたちが集結

(ヤマザキマリ)そう。で、その方たちは皆さん、自分たちが演奏する時に必ず、母に対しての一言を言うんだけど、必ずしゃべりながら自分で「フフッ」って笑っちゃうんですよ。みんな。もうなんか、うちの母の話っておかしい話しかないんですよ。「いつも山崎量子先生といえば、あのボロボロのハイエースを前のめりで運転していて。走行距離38万キロ。最後は後ろのバックドアが走行中に外れて終わった。もうこれ以上、走れないっていう段階で終わったというのを聞いて、最後に山崎量子先生に捧げるオーケストラ、この曲です。『威風堂々』!」って。それで終わったんですよ。バーン!って。

(安住紳一郎)おおー、かっこいい!

(ヤマザキマリ)だからまさに、そのハイエースといい、『威風堂々』といい、母はいいんですよ。だから本当にたくさん生きて。こうやって前向きなエネルギーをもらう人の亡くなり方っていうのもあるもんだなっていう感じでね。

(安住紳一郎)音楽家としてね、最高の送られ方ですよね。マリさん、嬉しかったでしょう?

(ヤマザキマリ)いや、私は「泣くまい、泣くまい」って思ってたんだけど。最後にその『威風堂々』が終わった後に、ステージに上げられた時に、もうね、その演奏家たちがみんな、私の顔を「泣くよね? 泣くよね?」って顔で見てるんですよ。みんな、目を赤くして。「今、泣くよね?」って。それを見て私も思わず、「いや、母は本当に幸せ者でした」って挨拶をして降りましたけれども。

(安住紳一郎)千歳のホールいっぱいのお弟子さんたちが集まって、弾いてくれてっていうね。

(ヤマザキマリ)お花もいっぱい集まったんで。どちらかというと追悼コンサートというより、ガラコンサートみたいな。「えっ、今日は誰? 誰のライブ?」みたいな感じになっていて(笑)。だから、よかったと思いますよ。それはそれで。ああいう人生の過ごし方っていうのも、ちょっと参考になればなと思いましたけどね。

(安住紳一郎)北海道のいろんな教え子がいると聞いたら、そのハイエースに乗って。そして飛ばしていって。ヴァイオリン、ヴィオラを教えて。

(ヤマザキマリ)教えて。それでほら、お月謝の代わりに新巻鮭、搾りたての牛乳、サンマ、トウモロコシ、ジャガイモ……ありとあらゆるものを積んで帰ってくるんですよ。「行商できるわよ!」って帰ってきて。「これでしばらく生きれるわよ!」っていうね。お金に無頓着な人だったんで。もう、たとえば稼いだお金で高い楽器とか買っちゃうんですよ。「お母さん、私たち、どうやって生きていくのよ?」「大丈夫よ。そのうち、ジャガイモとか来るから」って。お弟子さんたちからもらってくるわけですね。

(安住紳一郎)やっぱり、お母さん、合っていたんでしょうね。

(ヤマザキマリ)もう北海道を満喫していましたね。

(安住紳一郎)私、大好きなリョウコさんの話は、やっぱりインテリだから。必ず家には朝日新聞と北海道新聞と赤旗新聞を……(笑)。

(ヤマザキマリ)それをね、読み比べているんですよ。「ちょっと見て。書いてあることが違うよ。マリ、見なさい。おかしいでしょう、これ?」っていうことを私が小3ぐらいからやっていたんですよ。ずっと私は小3ぐらいから、「新聞あんまり信じちゃいけないな」って思って育っているんですよ。「バカバカしい。こんな……どんなキュウリが取れたかなんて、こんなことを記事にしてどうするのかしら?」なんてね、いつも読みながら文句を言ってるんですよ。だけど、考えてみたらそういう親に育てられたんで。その後、イタリアに行っても難なく馴染めたっていうのはのありますよね。ああやって全てに対して批判精神を発揮するという意味ではね。

(安住紳一郎)それで「贈り物はいらない。贈り物を私にくれるんだとしたら、ちょっと値の張る洋酒、ウイスキーをくれ」って言った話もね。

(ヤマザキマリ)「できればナポレオンをください」っていう(笑)。新しいお弟子さんが来ると、ほら。菓子折りを持ってくるじゃないですか。「菓子折りはもういりません。ナポレオンにしてください」って(笑)。もう、すさまじいですよ(笑)。

(安住紳一郎)いやー、リョウコさんのお話は聞いていて本当に元気になるんですよね。まあ、時代っていうこともあるかもしれませんが。本当に強く生きた時代の女性という感じがしますね。本当にリョウコさんのご冥福をお祈りいたします。

(ヤマザキマリ)ありがとうございます。

(中略)

(安住紳一郎)メールが来ています。北海道の札幌からですね。「4月16日、千歳市でヴィオラ母さんこと山崎量子さんの追悼コンサートが行われるとSNSで知り、私は札響の演奏会によく行くのですが、参加するようになった時期がリョウコさんが退団された後だったので、残念ながら生の演奏を聞いたことがありません。本やマリさんのお話でリョウコさんを知りました。このような全く縁のない人間が伺っていいのかなと思いながらも、一般参加も可能とのことでしたので、千歳市のコンサート会場へ足を運びました。

コンサートは会場がふんわりとあたたかい空気に包まれた、とてもいい演奏会でした。たくさんのお弟子さん、ゆかりのあった方たちの贈る言葉や演奏、プロアマ混合で合奏したラストの『威風堂々』。本当に胸を打たれました。最後にマリさんの挨拶には私も周囲も皆もらい泣きでした。リョウコさんが周囲にたくさんの愛を与え、一生懸命音楽を伝えた大変温かいお人柄であることがひしひしと伝わってきた演奏会でした。あのようなコンサートに参加させていただき、ありがとうございました。マリさんもどうかお元気でお過ごしされますように」ということで。

(ヤマザキマリ)なんとありがたきことを。はい。嬉しいですね。本当に。

(安住紳一郎)いや、お母様がね、いろんなものを投げうって。札響、札幌交響楽団に身を賭したその結果がね、見事に結実しましたね。

(ヤマザキマリ)そうですね。ああやって、もう本当にまんべんなく与えられたものを謳歌してきた人間っていう意味でもね、やっぱりああいうコンサートという形で結実して。皆さんがそれを見てくださったっていうのは私は本当に嬉しいと思うし。

(安住紳一郎)そしてその熱量がね、確実にね、マリさんに伝わってますよね。

全てを決めてしまう母

(ヤマザキマリ)だってうちの母は何でも決めちゃうじゃないですか。イタリアに行ったことだってなんだって、私の意思じゃないんですよ? 「あなた、もうイタリアに行くしかないわよ。もう学校やめなさいよ。もうやるしかないわよ!」っていう、そういう人生だったんで。ちょっと大変でしたけどね。一緒に暮らすという意味ではね。ある意味で。

(安住紳一郎)そうですね(笑)。

(ヤマザキマリ)本当に、あの世で安らかにっていうね(笑)。

(安住紳一郎)今は、いい思い出だけ語ってください(笑)。

(ヤマザキマリ)はい、すいません。はい。これも、いい思い出ですよ。なんだかんだで。

<書き起こしおわり>

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