吉田豪 アナウンサー志生野温夫と全日本女子プロレスを語る

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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、全日本女子プロレスの実況などでおなじみのアナウンサー、志生野温夫さんについて話していました。

吉田豪さんの志生野温夫 さんインタビュー、すげー面白い!

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(安東弘樹)このコーナーでは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていきます。でね、今日豪さんに紹介してもらうのが、フリーアナウンサーの志生野温夫さん!

(玉袋筋太郎)出たー! びっくり日本新記録!

(吉田豪)鳥人間コンテスト!

(玉袋筋太郎)鳥人間コンテストがすごいんだから、あれ。裏話は(笑)。おもしれー話があるんだよ。

(吉田豪)事故が大量に起きますから(笑)。ああいうのは。

(玉袋筋太郎)そうよ、そう(笑)。

(安東弘樹)僕の感覚で言うと、本当に小さい頃からずーっと見ていた、聞いていたというイメージの志生野さんなんですけども。

(吉田豪)(笑)。言えないことを文字で言わない!

(玉袋筋太郎)(笑)。いま豪ちゃんとね、筆談してるんだけどね。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)そうなんだってさ。

(吉田豪)昔のテレビはね、デタラメです! 本当に。

(玉袋筋太郎)そう! デタラメだ!

(安東弘樹)ということなんですね。あの、絶対に言えないやつですので。

(玉袋筋太郎)でも俺、志生野さん、先週ちょうど中野のブルちゃん。ブル中野さんのお店の6周年で飲みに行ってたら、フッと入ってきて。元気だったねー!

(吉田豪)そうなんですよ。ご高齢ですけどね、相変わらずダンディな感じで。

(玉袋筋太郎)ダンディですよ。

(安東弘樹)僕らのイメージのまんまというね。

(吉田豪)人当たりもソフトな感じなんですけど、発言はすごいですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)発言はすごいんだよ! もう、やっぱりいいよ。あそこまで到達した人だから。そんなことはないと思う。OK!っていう。

人当たりはソフト、発言はすごい

(安東弘樹)それを全部聞いた上で、志生野温夫さんのあらすじとその筋をご紹介します。1932年大分県生まれ。56年、國學院大學を卒業した後、日本テレビに入社。スポーツアナウンサーとして力道山がいた日本プロレスの実況。王、長嶋の全盛期の野球中継。日本初のプロゴルフトーナメントの生中継。数多くのスポーツ番組の実況を担当。「○○であります」調の実況で人気を博すと、72年にフリーアナウンサーに転身。その後は女子プロレス中継やびっくり日本新記録、鳥人間コンテストなどスポーツ番組にとどまらず、バラエティー番組に進出し活躍。84才になったいまも現役アナウンサー。リングサイドの歴史の証人、志生野温夫さんです。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材による志生野温夫さんのその筋は、その1。力道山とゴルフの筋。その2。プロレスを知らずに放送していたから……の筋。その3。女子プロは怖い世界ではありましたねの筋。その4。常に怖い思い。放送中にいちばん気を使ったのは……の筋。その5。クラッシュギャルズ誕生の筋。その6。「志生野さん、新しい技よ」「そんなのわかるか!」の筋。その7。ピストル、三禁、25才定年制。松永兄弟の筋。今日は7本です。

(吉田豪)はい。

(安東弘樹)さあ、志生野さんは2014年にこのね、その筋の話にご出演。

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。だから志生野さんはフリーになって、で、びっくり日本新記録とか鳥人間コンテストとか。なんかあっちゃ大変だっていうところに使われたって言っていたよね。

(吉田豪)そうなんですよね。フリーっていうのは便利屋なんですよね。

(玉袋筋太郎)便利屋だっつーんだから(笑)。

(吉田豪)問題が起きそうなところ、局アナがやるわけにはいかないもので使われたのが志生野さんだったんですね。

(安東弘樹)ああー。対応に困るというか、いろいろと。

(吉田豪)厄介な案件。

(玉袋筋太郎)それを志生野さんがやると。

(吉田豪)女子プロもそういうことだったらしいですね。当時はまだちょっと黒い感じもあったりとかで。

(安東弘樹)黒い感じ……。

(玉袋筋太郎)そりゃあ面白いよね。志生野さんはね!

(安東弘樹)でもね、さすが84才。力道山とゴルフって、歴史の教科書みたいなレベルじゃないですか?

(吉田豪)まあ今回、BUBKAでインタビューしてきたんですけど。志生野さん、力道山時代から日本プロレスの実況をやったと言いながらも、力道山の試合をやっていないんですよね。日本テレビができて3年目に入社して……なんで。まだ新人アナだったんで。だから金曜日になると街頭テレビの設置場所をマイクの前で紹介したりとか。あとは若手の試合をやるファイトメン・アワーっていう番組が後からできて。それの実況をやっていたんですよね。

(玉袋筋太郎)おおー。

(吉田豪)で、偶然力道山がいたんで、「力道山さん。ちょっと横で選手の紹介をしてくださいよ」って言って一緒にやったことはあるっていう。ただ、力道山とゴルフをやったことがあるというのがいちばんの思い出ですよね。

(玉袋筋太郎)すごいよなー。

(吉田豪)若い頃からゴルフの番組の実況をやっていたんで。だから、「志生野はゴルフをわかっている」っていうんで、「力道山がゴルフをやるから、誰か相手をしてくれ。志生野、お前がいい」って言われて。でも、ゴルフを実況したことはあっても、やったことはないらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「でも、いいんだ」っていうことでもって無理やり行かされて。で、力道山はやっぱりわがままだから、ちょっと前がふさがったりするとニューボールを取り出して。山の方とか他のところにビャーッと打ったりする。当時初任給が9500円ぐらいの時代にゴルフボールが1個360円したのをバンバンバンバン打って……みたいな。

(安東弘樹)そこも豪傑だったんですね。

(玉袋筋太郎)そうだろうな。で、志生野さん、野球もやっていてね。それで日テレを辞める時にたしか佐々木信也さんとなんかモメて辞めたんだよね。

(吉田豪)はいはい。らしいですね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。

(安東弘樹)湘南高校の佐々木信也さん。そうですか。

(吉田豪)ちなみに、ゴルフと言えばいい話があって。当時、フリーになってからやっぱりゴルフの中継をやらせてもらったらしいんですけど。どういうゴルフの中継か?っていうと、全部黒い方面主催のトーナメントだったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

フリーアナウンサーの役割

(吉田豪)「なんで今回、僕なんですか?」って聞いたら、そういう人が主催者だからと。で、優勝賞金が1000万とか出るから、大物たちがみんな来る。オイシイから。でも、「いいよ、任せとけ!」っていうね。「そんなのは局のアナウンサーには放送させられないということで、僕がやっていたんですよ」っていうね。

(玉袋筋太郎)クロゴルフ! プロゴルフならぬ、クロゴルフ!

(吉田豪)それが普通にテレビで中継されていた時代っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そこにこの、襟足を伸ばした人とかが来てるわけだからね!

(吉田豪)昭和ですね。で、女子プロも「なんで局のアナウンサーにやらせないの?」って聞いたら、「こういうものはフリーのアナじゃないと」って言われたっていうね。そういう時代。

(安東弘樹)そういう時代なんですね。

(玉袋筋太郎)飄々とやったんだろうな。志生野さんのことだから。

(安東弘樹)そうでしょうね。淡々と、飄々と。

(玉袋筋太郎)そして、その2ですね。プロレスを知らずに放送していたからの筋ですよ。

(吉田豪)そうなんですよ。プロレスがどういうものか、わかっていなかったと。まあ、特にいまのプロレスを見る感覚とは全然違って。当時はプロレスを見て、人が死んだりしていたじゃないですか。お年寄りがショック死したりとか。

(玉袋筋太郎)そうだよね。ブラッシーの試合とか。

(吉田豪)そうです。「そういう見方はみんなしていたし、僕らもそう思っていた。楽しむところじゃなくて、本当に真剣勝負で死ぬか生きるかって思って。そういうのを知らずに放送していた」と。これはたぶん日本プロレス時代ですね。で、「女子プロをやる時はわかっていたんですか?」って聞いたら、プロレス担当じゃなくなった頃に、後輩の徳光和夫さんなんかが馬場さんにかわいがられていたから。ジャイアント馬場さんが麻雀好きなので、「志生野さん、ちょっと馬場さんが麻雀をやりたいって言うから、来てください」って言われて。よく馬場さんと麻雀をやっていたらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おおっ。

(吉田豪)で、「もうプロレス担当じゃないから、直接プロレスのことをなんでも聞いたりできるんで。プロレスっていうものはこういうものなんだなっていうのはわかっていた」って聞いて。馬場さんにプロレスを教わった、人、いないですよ!

(玉袋筋太郎)いないな(笑)。

(吉田豪)なかなか。

(安東弘樹)しかも、こういうものだっていうことを教えてもらったわけですよね?

(吉田豪)麻雀しながら(笑)。

(玉袋筋太郎)しながらだよ(笑)。すっごい。よく聞いちゃったよね。それはね。

(吉田豪)まあ、外の人だからですよね。で、後輩の清水一郎アナっていう人がいて。その人が本格的にプロレスが好きで。で、よく言われたらしいんですよ。「志生野さん、プロレスっていうのはプロスポーツの原点。プロ野球なんかとは違うんだ。いかにお客さんを楽しませるか? 究極のプロスポーツで、お客さんをがっかりさせない。これがわからないようじゃプロスポーツをしゃべる資格がない」なんて言われて、酒飲みながら怒られて。で、その頃はまた志生野さんも志生野さんで。「いや、清水。プロレスなんか八百長だよ」って言っちゃっていたらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)そしたら、「志生野さん、それは違うんだ」ってさんざん言われて。ちょうどその時に王さんが60周年の時に巨人軍の監督をやって優勝できなかったと。「ほら、見ろ! 志生野さん、みんなが期待して、でも王さんで優勝できない。これがプロ野球の限界だ!」とかね。「『プロレスはかならず絶対に優勝してファンを満足させる!』みたいなことを言われているうちに、だんだん僕も変わってきた」というね。

(安東弘樹)もうプロフェッショナルスポーツ、エンターテインメントとは何たるものか? という。そういうことですね。

(玉袋筋太郎)まあ、考えてみたらさ、そういう風に思って見ていたIWGPの第1回でね、猪木が負けちゃうとかさ。ああいったこともあるんだよな。

(吉田豪)舌を出して失神して。

(玉袋筋太郎)そうなんだよ! そういうことも裏切るのも猪木。なんで志生野さんから猪木の話になっちゃったんだろうな? すいません!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いやー、だけどやっぱり女子プロだよね! もう本当に。

女子プロレスの恐ろしい世界

(吉田豪)女子プロは本当にただのショーじゃないっていうのが、選手から話を聞けば聞くほどわかる恐ろしい世界で。

(玉袋筋太郎)恐ろしい世界だよ!

(吉田豪)それが、その3ですね。

(玉袋筋太郎)女子プロは怖い世界ではありましたねの筋。

(吉田豪)そうなんですよ。ビューティ・ペアでブームが来て、ワーッと若い選手が入ってきた。あの時に入ってきた若い子はたぶんプロレスのそういう演出みたいな部分はみんな知らないで入ってきて。最初は全女も本当の新人が必死にフォールを取りに行くのが売りで、それをやらせていた。いわゆる”押さえ込み試合”っていって、全女は本当に特殊なんですよね。よくいろんな選手に話を聞いてもわかるんですけど、たぶん全世界で全女しかないと思うんですよ。賭けが成立するプロレスっていう。

(玉袋筋太郎)ああーっ!(笑)。

(安東弘樹)ああ、ある意味。逆の意味ね。賭けが成立する。

(吉田豪)団体内で賭けやっていたらしいんですよね。全女のスタッフの人たちがどっちが勝つか? で賭けをやっていたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)普通はコレかコレなんだけどね、そうじゃないんだから。

(吉田豪)それが成立するようなプロレスをやっていた特殊な団体で。で、それをやっているうちにだんだん選手もプロレスっていうのがわかってくると。で、「俺みたいなもんですよ。うんと練習して体を鍛えて大きい技を受けたりしてお客さんを満足させるプロスポーツなんだと選手も自覚して、盛り上がる試合をできるようになっていく。ただ、女の子っていうのは男と違ってどこか度胸がいいっていうか。受け身がまだできもしない時に、いきなりパイルドライバーとかバックドロップをやって、何人も亡くなっているんですよ。当時の女子プロの新人は。男子プロレスと違って、女子プロは怖い世界ではありましたね」っていう。

(玉袋筋太郎)そういう話だよな。志生野さんから聞いたよ。俺も、それは。やっぱり怖い世界だよね。まあ、少女たちは夢を持って、憧れて来るんだけど、その中がね。

(吉田豪)お互いにわざと嫉妬させて、その感情をリング上でぶつける。しかも両サイドを嘘ついて煽ったりしながらっていう。

(玉袋筋太郎)それが松永兄弟ですよ! 後から出てくるね。

(吉田豪)そうなんですよ。あくまでリアルな戦いをリング上でできるのがっていう。

(安東弘樹)ブルさんも言ってましたもんね。

(玉袋筋太郎)言ってた! さあ、その4に行きますか。

(安東弘樹)常に怖い思い。放送中に気を使ったのは……。

(吉田豪)「選手同士も感情的になってモメやすいし、団体も利用していた。クラッシュギャルズもやっぱり最後の長与千種とダンプ松本の試合なんかもそうで。徹底的にやる。だから放送していていちばん気を使ったのは、誰か死ぬんじゃないか?っていうことですよね。流血はいいんですよ。しょうがないから。フジテレビも嫌がったんだけど。流血は放送できないから。だけど、誰かが首の骨を折ったり。たくさんあったじゃないですか。宇野久子とか」って。これ、北斗晶ですね。

(玉袋筋太郎)北斗晶だよ。

(吉田豪)たしかに、そうなんですよ。まだ全然新人の時にすごい危険な技を仕掛けられて首を折っちゃって。僕もダンプさんから話を聞いたんですけど、最終的にはエスカレートしていって、包丁を持ち込もうとして止められたっていう。

(玉袋筋太郎)ダメだよ、包丁は!

(安東弘樹)それはプロレスじゃないです、もう。

(吉田豪)プロレスじゃないし、そんなのをテレビで中継できるわけないじゃないですかっていう。

(玉袋筋太郎)それを実現したのが上田馬之助の馬カラスだよね。

(吉田豪)ありましたね。

(玉袋筋太郎)馬カラスが出刃包丁を持ってリングに入っていたっていう。「包丁はダメだろう!」っていう(笑)。

(吉田豪)「廃人になる一歩手前まで行くような事故が続出していたから。でも、長与千種は一歩も引かずにそういうのを押し進めた。僕はすでに50代になっているから、『若い子がこんなのやっちゃいけない』っていうんで、常に怖い思いで放送をして」。

(安東弘樹)そういう、本当に怖い思いでやっていたんですね。

(玉袋筋太郎)親心だろうね。そういう気持ちがあるんだね。

(吉田豪)長与さんとは何度もぶつかってきたっていうね。

(玉袋筋太郎)これなんだよ。クラッシュギャルズ誕生の筋。

(安東弘樹)あのビューティ・ペアが辞めた後か。

(吉田豪)そうなんですよ。ビューティ・ペアが辞めて、フジテレビとしても本当に人気がドーンと落ちたんで、もう1回ブームを作ろうとした。これまたフジテレビっていうのも特殊で、フジの運動部じゃなくて、芸能部が中継をやっていたんですよね。だから、歌わなきゃ放送できないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(吉田豪)だから、次々と誰を歌わそうってなっていて。ビューティ・ペアが解散した後も、いろんな人。ミミ萩原さんとかを歌わせたんだけども、どうもパッとしないということで、クラッシュギャルズを作ったという流れなんですけど。まあ、そういう時期にちょうどタイミングよく全日本のタイトルをかけて飛鳥と千種のシングルマッチがあったんですね。で、長与さんは当時、自分の思うようなプロレスができなくて引退するかどうか?っていう時にこういうチャンスが与えられて。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(吉田豪)タイトルマッチを後楽園ホールでやって。その時に長与さんが飛鳥に「決められた通りの試合はやめよう」と。ここから本当に志生野さんの発言ですけども。「飛鳥が勝つっていうのは千種も納得していたと思うんです。同じ負けるにしても、決まった通りのアレはやめよう。今日の試合は私は何でもやるから、飛鳥も何でもやっていい」と。

(玉袋筋太郎)それでブレイクだよ!

(吉田豪)「ギリギリの試合をやった結果。当たりの強いすごい試合をやって。それで、ファンをひきつけて千種に注目が集まって。後楽園ホールでハッピを着て千種を応援するファンが来るようになって。それを松永兄弟とかフジテレビは見逃さなくてクラッシュギャルズを作って、『炎の聖書(バイブル)』が大ヒット」という。

(玉袋筋太郎)いやー、クラッシュはすごいね。やっぱりね。そりゃあ飛鳥の方がレスターとしてはね、最初はリードしていたもんね。

(吉田豪)スターでしたからね。

(玉袋筋太郎)スターだからさ。それをひっくり返す長与千種!

(吉田豪)雑草として育てられた人が化けちゃったっていう。

(玉袋筋太郎)なあ! これはたまらねえ。

(吉田豪)そして、その6ですね。

(玉袋筋太郎)かならず技の名前を言えないっていう。

(吉田豪)そうなんですよ。当時、もう有名でしたからね。志生野さんが技を知らないっていうのは。当時本当、僕らも見ていて思ったじゃないですか。「おおっと、ロープに投げて……ぶつかったー!」っていう(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「ぶつかった!」ってなに?っていう(笑)。すごいプリミティブな実況をするんですよ。だってダンプ松本のことを「おデブちゃん」って言ったりするんですよ。

(玉袋筋太郎)いや、だけどそれもまた志生野さん、言っていたよな。そんなにすぐに技を覚えさせちゃダメだ。言っちゃったらダメだ。少しずつ、自分が「なんだっけ、なんだっけ」っていうのを見ている人が。どんどんどんどんそれが吸収していって、最終的に技の名前を言うみたいな。

(吉田豪)っていうのは言っているんですけど、まあ今回のインタビューでは言っていましたね。「千種が出す技についていけないのはアナウンサーの俺ぐらい」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)開き直っちゃったよ(笑)。

(吉田豪)「あいつは男子のプロレスとかをずっと見ているから、関節技とか男子の新しい技をすぐに使う。俺はどっちかって言うと男子が使っている技は絶対に使っちゃダメよというぐらいで……」。ジャガー横田さんの教えで、志生野さんもそういう考えで。でも、千種さんはその逆だったんで。「……そういうのを使われるから、俺が参っちゃうんですよ。だからしょっちゅうケンカして。『この前、私が使った技は志生野さんの放送とは違う、新しい技よ』って言っても、『バカヤロー! そんなの、わかるか! お前、次々に技を売り物にするな。女子プロってそういうものじゃないだろ?』なんて言い合いになっていた」というね。

(玉袋筋太郎)いい時代ですよ、これ。

(吉田豪)でも、当時はそうやってモメていたのが、「いまの千種のプロレスは大好き」って志生野さん、言っていて。なんでか? と思ったら、「いまはもう体もついていきませんから、昔の技を出してファンを喜ばせるんですよ」っていうね。「だから、いまのお前が好きなんだ!」って言ってるというね。また志生野さんがここからすごい踏み込んだ話をし始めて。「僕ら、力道山の頃に育った古いアナウンサーだから、試合の最後、今日は何で決めるとかを絶対に聞いちゃいけなかったんですよ。力道山にそんなことを聞いたら跳ね飛ばされる。でも、若いアナウンサーたちはいい悪いじゃなくて、控室で選手をインタビューして、平気で聞けるんですよ。会社にも聞くんです。『今日はどっちが勝つんですか?』とか。最後の技とか。『今日、新しい技を使うから見ていて』『なんて言えばいいの?』なんて、そういう取材をしてバチッとやるっていうのがいまの若いアナウンサーたちで。それが恥ずかしいことじゃない。でもね、こっちとしては何もわからないから実況中継をしていても面白い。ちょっと外に立ってスポーツを見るのが基本姿勢だった。でも、後輩の人たちは徹底的に取材して『○○が決まったーっ!』って言える。そういう時代になった」。最初に出た技をいきなり言えるっていう。

(玉袋筋太郎)ジャストミートできるっていうことなんだね! ジャストミート!

(安東弘樹)個人名が書いてありますけどね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)できたんだな、それが。番記者(バンキシャ)ってことですね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)バンキシャですね。私も何年間か一緒の番組をやりましたけども。

(玉袋筋太郎)さあ、そしてその7。ピストル、三禁、25才定年制。松永兄弟。もう、これに尽きるよね。

(吉田豪)はいはいはい。専門用語が次々とね。松永兄弟は全女でピストル、三禁、25才定年制を提唱したっていうね。

(玉袋筋太郎)まあ、厳しいルールだよ、これ。

(吉田豪)ピストルっていうのが、さっき言ったような押さえ込みとかの、いわゆるシュートファイトですね。三禁が……。

(玉袋筋太郎)男、酒、タバコ。

松永兄弟伝説

(吉田豪)そうですね。で、松永兄弟について聞いたんですよね。そしたら、「僕らが接したスポーツ界の人間とは異質だった。独特の語感があって、ジャッキーとマキを戦わせて負けた方が引退っていうね。全盛時代にそういうカードを組んで、武道館で2人をシングルマッチで……」。押さえ込みでやったんですよ、これね。

(玉袋筋太郎)ああ、これ押さえ込みなんだね。

(吉田豪)ピストルで。で、マキを辞めさせた。

(玉袋筋太郎)マキなんか試合中、引退したくねえから何回も返したっていう。返しちゃって、返しちゃって。試合が長引いちゃたんだよ、あれ。

(吉田豪)で、「なんでそんなカードを組んだのか?」って聞いたら、「ギャラが高いから」っていうね(笑)。2人でいると高いから、1人辞めさせた方がいいみたいな。

(玉袋筋太郎)松永兄弟、恐るべし!

(吉田豪)で、それで1人いなくなって、人気が落ちて、テレビの視聴率は苦しかったんだけど、興行的には全然落ち込んでなかったらしいんですね。だから、「いつでもテレビと縁を切っていいんだ」っていう感じで松永兄弟は言っていたと。

(安東弘樹)頼らなくてよかったんだ。

(吉田豪)全然。だから、「あの3人はなんとも言えない魅力を持った経営者だったけど、僕がとてもついて行けるような常識人ではなかった」という。

(玉袋筋太郎)まあ、興行師なのかな? やっぱな。

(吉田豪)完全にそうですね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。

(安東弘樹)生粋のっていう感じですね。

(吉田豪)デタラメな。だから、最終的には潰れちゃうわけですけど、全女がダメになった直前ですね。会社が潰れる前に、なぜか志生野さんがコミッショナーをやっていたんですね。

(安東弘樹)えっ、志生野さんがやっていたんですか?

(吉田豪)そうです。全然ただのアナウンサーっていうか、外の人じゃないんですよ。中の人になっちゃって。潰れる寸前で、「やれる人がいなくなったから」っていうことでたのまれて引き受けた結果、債権者たちが何かあると志生野さんを狙うわけですよ。「志生野を呼べ! コミッショナーだろう?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)植田じゃないんだね。

(吉田豪)デイリーの植田さんじゃなくなって。で、目黒の全女の事務所があったんですけど、それを売り払う前にも債権者なんかがいつも来ていた。でも、松永会長がなにがすごいって、債権者が来ても「もう金はねえんだから、何でも持っていけ!」と。で、ヤクザに「バカヤロー! 殺すぞ!」なんて脅されても、「殺してもらって結構だ! 俺は早く死にてえんだ!」っつって。債権者なんか全然怖くないっていうね。で、ましてや銀行なんか相手にもしないっていうね。いくら銀行に金借りて、銀行が取りに来たって怖くもなんともないという。

(玉袋筋太郎)うーん。

(吉田豪)で、別ルートで聞いたんですけど、銀行の大事な話し合いにミゼットレスラーを同行させたりしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)これがいいねえ! 誰だったんだろうな? リトルなのかな?

(吉田豪)深刻は話し合いに(笑)。

(玉袋筋太郎)いるんだな、そこに。

(吉田豪)ちょこんと座らせておくっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ。まあ、だけどその松永帝国も滅びちゃったわけだもんね。

(吉田豪)そうなんですよね。「ある時から株に興味を持つようになって。会長も俊国さんっていう弟さんとかも興行をちょっといい加減にした。だから、暴走した挙句、ぶっ潰れた。でも、いかにも全女らしい生き方で、あんな人たちじゃなきゃ、ああいう黄金時代は作れなかったし、僕はあの3人が本当に大好きでした」っていうね。

(玉袋筋太郎)素晴らしいんだよ、これ。やっぱり映画化決定だな、これも。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)でも、すごい。最終的には「大好きでした」と?

(吉田豪)いや、本当に大絶賛でしたね。魅力的でっていう。

(玉袋筋太郎)うん。いやだから、あの頃の松永さんももうちょっと話を聞きたかったもんね。

(吉田豪)1回インタビューして、イベントもやったんですけど。亡くなる直前、もう1人で歩けないような時期でも元気でしたからね。言っていることは。デタラメな(笑)。

(玉袋筋太郎)そこにまた、阿部四郎っていうね、レフェリーもいるわけだからね。

(吉田豪)極悪レフェリーね。正確には興行師なんですけど(笑)。興行師を極悪レフェリーとしてリングに上げちゃうっていうのがまずデタラメじゃないですか。

(安東弘樹)すごいですね。

(吉田豪)興行の世界の人っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。極悪レフェリーだから、もう極悪同盟の方にみんな味方するんだよね。

(吉田豪)カウントが速くてね。

(玉袋筋太郎)そう。カウントを速くして。そしたら、コミッショナーが本気で怒ったっていう。

(吉田豪)コミッショナーがプロレスを知らなかったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)知らなかったっていう(笑)。で、阿部さんが給料がもらえなかったっていう(笑)。

(吉田豪)「なんでそんな悪いことをするんだ、お前は!」っていう(笑)。

(安東弘樹)すごい世界だったんですね。本当にね。

(吉田豪)すごいんですよ。で、松永兄弟も興行ではそういう黒い人たちにお世話になっているけど、親分とかヤクザとケンカしたりするらしいんですね。「売上の何%か持って行かれるのは腹が立つ!」って言って(笑)。で、最終的には後楽園ホールでヤクザと壮絶な殴り合いをやったりとかするという(笑)。「ボクシングをやっていたから、平気なんですよね」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。ボクシングをやっていたから。松永兄弟。

(安東弘樹)いろんな意味で打たれ強いんですね。

(玉袋筋太郎)まあ、でも志生野さんは本当に歴史の生き証人でね。本当にやっぱり、びっくり日本新記録から、鳥人間コンテストの話なんて聞くと、またコクがある話がいっぱい出てくるのよ!

(吉田豪)まだまだ話、持っていると思いますよ。

(玉袋筋太郎)持っているよね。絶対に持っている。

(安東弘樹)いやー、一見本当におだやかな、優しそうな感じの方ですけどね。

(吉田豪)「これはちょっと載せてほしくないんだけど……」って言いながら、本当に物騒な話もいろいろ聞いて。

(玉袋筋太郎)その興行先でさ、やっぱりそういう人たちに挨拶しなきゃいけないところにかならず連れて行かれたとかね(笑)。

(吉田豪)はいはいはい。まあフリーアナっていうのはそういう意味なんですね。

(安東弘樹)なるほどね。それを聞くと、フリーアナウンサーって大変だなと思いますけども。

(吉田豪)それと当時の全女っていうのはいろんな芸能人のゲストの方がね。

(玉袋筋太郎)そう。小野ヤスシさんとかさ、鈴木ヒロミツさんとか。

(吉田豪)そういう人たちも一緒に居座ってっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)また濃い名前が出てくる、出てくる。

(玉袋筋太郎)いかにも!っていう感じだよね。クロゴルフにも精通してそうだよね。その人たちね(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)ああ、面白かった。

(安東弘樹)この志生野温夫さんのインタビューは現在発売中のBUBKA4月号にたっぷりと掲載されています。そして、3月14日発売の別冊Quick Japan 3月のライオンと羽海野チカの世界で羽海野チカ先生のインタビューのお仕事もされているという。

(吉田豪)はいはいはい。そうですね。

(安東弘樹)そして、3月29日発売の別冊カドカワであの大谷翔平選手にインタビューをしていると。

(玉袋筋太郎)すげー!

(安東弘樹)またいつもとちょっと違う雰囲気のインタビューですね。これは。

(吉田豪)僕、野球を全然知らないんですけどね(笑)。

(安東弘樹)野球を知らないのに、そもそもこんな、まだハタチちょっとぐらいの若い野球選手を……?

(吉田豪)しかも、大谷選手って無趣味で有名なんですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。どう崩すか? まあ、豪ちゃん、違う方の二刀流は詳しいですけどね。そっちの人はね。

(吉田豪)そっち方面はね、得意分野ですけども。伊達に(新宿)二丁目には住んでいないっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)この野球の二刀流とどう対峙するか?っていうね。

(吉田豪)手探りな感じを味わってください。

(玉袋筋太郎)うん。最高、最高。

(安東弘樹)お知らせはこんな感じですか?

(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)吉田豪さん、次回の登場は4月7日でございます。今日はありがとうございました。

(吉田豪)どうもです!

<書き起こしおわり>

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