安住紳一郎 大学受験への複雑な思いを語る

安住紳一郎「そんな彼(彼女)がいまの夫(妻)です」メッセージを語る 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんがTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』の中で大学受験についてトーク。孤独な浪人生時代の間違った勉強法や、推薦で大学に入学した人々への思いなどを話していました。

(安住紳一郎)さて、センター試験も始まりましたし、これから中学校、高校。受験シーズン本番という感じでしょうか。受験生はもとより、受験生がいるという家族の方は気が気でない毎日だと思いますが。風邪をひいてもなんですしね。いろいろ、あまりプレッシャーをかけてもいけないし。力を存分に発揮してもらうためにと。ちょっと受験生を家族に持ったことがないので、どういう雰囲気かわかりませんが、かなり気をつかうようですね。

(中澤有美子)そうですよね(笑)。はい。なんか、本人以上に・・・まあ、本人がいちばん辛いんだけど、周りもこんなに辛かったんだな、なんて思ったりしますね。

(安住紳一郎)そうですね。昨日からセンター試験始まりまして。大学入試センター試験ですか。56万人の方が挑戦しているということで。昨日が1日目で今日が2日目。今日は数学と理科の科目が行われるということですが。もう、毎年この時期になりますと、受験シーズンになりますと、なんとなく受験生に声をかけるというようなことが放送上、あるわけなんですけども。

(中澤有美子)はい。

(安住紳一郎)私も受験生時代が長く、そして暗かったために、テレビやラジオから『受験生、がんばってください』というような安易な形でアナウンサーなどが話しかけますと、少しイライラッとした思い出がありますので。私は、安易に声がかけられないっていう。むしろ、言葉を飲んでしまう傾向があるんですが。

(中澤有美子)『軽く言ってくれるな』ですよね。

(安住紳一郎)そうですね。土曜日の夜、私、テレビ番組もやっているんですけども。昨日もちょっと、韓国や中国の受験生事情を紹介したVTRの後に、『日本の受験生のみなさんも今日からセンター試験ですし・・・』なんて言って、一言いおうかな?と思ったんですけど。『ですし・・・』って言った後、もう言葉が何も続かなくなっちゃって。なんか、有耶無耶になってしまって。

(中澤有美子)(笑)。見てました。早口で聞き取れない何かをおっしゃった(笑)。

(安住紳一郎)で、なんか下向いて横向いて、ゴニョゴニョゴニョゴニョ言っていたんですが。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)いけませんね。いけません。

(中澤有美子)ねえ。思いがこみ上げちゃって(笑)。

(安住紳一郎)思いがこみ上げてしまって。なにをやっているんだ?って話なんですけども。あれは本当にいけませんね。まあでも、ただ言い訳したいのは、安易な言葉をかけるよりも、かける言葉が見つからないという、ちょっとそっちの方がね、私の心の中での作業量は多いんです。

(中澤有美子)そうですか。

受験生に安易な言葉をかけられない

(安住紳一郎)ええ。この時期、もう本当に・・・私は本当に、他の同僚にも言ってるんですが、『受験シーズンに受験生に安易な言葉をかけないでおくれよ』って言って。

(中澤有美子)ああ、よく言ってるんですか?

(安住紳一郎)言ってるんですよ。『センシティブだから・・・』なんて言って。さらにもう、40をすぎましたけども、この時期になると受験生の気持ちになんか、少し、誰にもたのまれていないのに寄り添ってしまう時がありまして。

(中澤有美子)はあ。

(安住紳一郎)まあ、中二病を引きずりながら間もなく更年期という、このおじさんの気持なんですけども。

(中澤有美子)そうですね(笑)。結構、忘れちゃう人が多い中で、ずっとね。

(安住紳一郎)まだね、そうなんですね。よく、思春期をずーっと大人になっても引きずっている人を中学校二年生がそのまま大人になったようだ、なんていう表現から『中二病』って言ったりしますけども。私なんかは本当に代表的な中二病なんですけど。中二病を引きずったまま、間もなく更年期で。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)もう、情緒不安定はなはだしいという。

(中澤有美子)切れ目なしですね(笑)。

(安住紳一郎)切れ目なしです。大変ですよね。なんですかね?女々しいという風に思われがちなんですけども。私はあまり受験生時代にいい思い出がなく。失敗も1年しましたので。いまだに、自分の中で総括ができてないっていうか。そういう部分があるんでしょうね。振り返るとやっぱり2時間ぐらい、『うーん、ああん、うーん・・・』って言ってしまうんですよね。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)なんでしょうか?ちょっと他の世代にはない独特の感じなのかもしれませんが。

(中澤有美子)ああー、世代。

(安住紳一郎)世代もあるのかな?と思いますけどね。

(中澤有美子)人数多かったですよね。

(安住紳一郎)そうですね。今年は53万人の方が挑戦しているそうですが。今年の18才の人口は115万とか120万ですから、受験生が53万人なので、浪人生もいると思いますが、だいたい半分ぐらいの方がセンター試験に挑戦しているということですよね。

(中澤有美子)そうなんですね。

(安住紳一郎)多いですよね。いまは18才のみなさんが大学や短期大学に進学する割合はどれぐらいだと思いますか?新聞などを読んでらっしゃる方はお分かりだと思いますが。いまの大学・短大への進学率。

(中澤有美子)ええーっ?それは、40%ぐらいですか?

(安住紳一郎)そうですね。いま、58%。専門学校や専修学校、高等専門学校の4年生を含めると76%の人が上の学校に進んで勉強を続けるというみなさんですね。4人に3人が上の学校まで勉強するという時代ですね。私は昭和48年生まれ。中澤さんが紹介した50年。ですからもう、ずいぶん時間がたちましたが、私たちが18才の時は大学・短大の進学率は35%ぐらいでしたので、ずいぶんとまた、当時とは状況が違うということですね。

(中澤有美子)そうなんですね。

(安住紳一郎)私の父母、親の世代はちょうど団塊の世代ということで、まあ父は戦中生まれですが。母は昭和22年。母たちの世代ですと、大学の進学率はまだ10%ぐらいですからね。そう考えますと、やはり進学率というか、みなさん本当に長い時間かけて勉強をする時代になったということがわかるわけですが。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)一方その、進学率と一緒に私が注目している数字っていうのも毎年出るんですけども。お分かりになりますか?進学率と同じグラフに出てくるデータなんですけど。『収容力』っていう数字なんですよね。最近は95%ぐらいなんですけど。

(中澤有美子)はあ。

(安住紳一郎)普通に『ホールに収容できるか?』みたいなのの『収容力』なんですけど。志願者に対しての学校の入学者の割合ですね。95%。なので、いまの人たちはほとんど志望したら、志願者数の95%の人は、どこかの学校に入れるという。

(中澤有美子)どこかには入れる。ええ。

(安住紳一郎)そうですね。当然、人数は減ってますからね。で、学校が潰れるというような時代になってきますので、そういうことですね。95%くらいなはずですね。で、繰り返しになりますが、私・・・私の話ばっかりでごめんなさい。長い時間かけて恨みつらみを言うだけですから。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)別に、何も社会を斬ろうとか、そういうことは全くありませんよ。ただ、私の恨みつらみを言うだけですから。19才の頃の恨みを、関東の人に聞いてもらうだけですよ。

(中澤有美子)(笑)。じゃあ、そのつもりで。はい。

(安住紳一郎)そうですよ。私は繰り返しになりますけども、団塊世代を親に持つ、団塊ジュニアと呼ばれる、ものすごく人数が多い世代ですよね。なんてったって、210万人を同級生に持っているという、ものすごいスーパー同級生長者なわけですよ。どうですか?

(中澤有美子)(笑)。いいね。そう思うと、いいですね(笑)。同級生長者。

(安住紳一郎)いませんよ?そんな人は。いま、1年間に赤ちゃんが生まれるのは100万人ないですからね。いまの若いみなさんたちは同級生が100万人そこそこですよ。今年だってね、18才のみなさんは118万人ぐらいですよね?私たち、1973年、昭和48年生まれは同級生が210万人持ってますので。どうですか?

(中澤有美子)(笑)。ああ、いい感じしてきた。

(安住紳一郎)素晴らしいですよね。うん。73年党を作ったら、衆議院議員が3人ぐらい通りますから!シャッ!シャッ!シャッ!っていうね。すごいでしょう?

(中澤有美子)ああ、考えようですね。

(安住紳一郎)あの、昭和22年の元祖団塊のみなさんでも265ぐらいですから。やっぱりその210っていう力にものすごく力がありますよね。210万人も同級生がいるんですから(笑)。恐ろしいよね?

(中澤有美子)本当、そう。

(安住紳一郎)なので、当然収容力が下がるんだよね。見事にそこが下がっているんですよね。年度にすると92年とか93年になるんですけど。私たちの時の収容力は58%ですからね。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)100人志望して学校に入れる人が58人しかいなかったんですよね。42人はもれなくどこの学校にも入れません!っていう。

(中澤有美子)そうだったんだー!

(安住紳一郎)ねえ。

(中澤有美子)はい。いま、改めて。はい。

(安住紳一郎)そうですよね。収容力。いや、別にどの世代を生きた人たちが大変だったっていう話ではないんですけど。まあ、そういう時代だったんですよね。なので、3人に1人はどこにも入れないということなので、当然、次の年とか次の次の年には、入学者の内訳は当該年度卒業生、いわゆる通称現役生が65%。過年度卒業生、通称浪人が35%。3人に1人がストレートで入ってきてない。そして、私もそうなんですが。

(中澤有美子)はい。

(安住紳一郎)そういう時代だったんですが、当然、今度収容力がどんどん上がってきてますから、いま、浪人生の割合はどれぐらいだと思いますか?新入生、新一年生が入ってきて。現役生と浪人生。ねえ。ちょっと時間をかけて入ってくる人もいますけども。

(中澤有美子)ええーっ?減ってるんだ。きっと減ってるんですね。

(安住紳一郎)そうですね。どんどんどんどん減ってまして、いまは新しく学校に一年生が入ってきて。そしてストレートで入ってきてる人と、受験を二年かけて入ってきてる人の割合ですけども、浪人生の割合はいま、12%。

(中澤有美子)ほー!

(安住紳一郎)8人に1人なんですね。浪人生はね。なので私もこのデータがどんどんどんどん変わってきているのに気づかずにですね、『ラジオの前の浪人生諸君』なんて言っていたんですけど、浪人生なんてもうほとんどいないんですよ!世の中には。

(中澤有美子)(笑)。そうだったのかー!

(安住紳一郎)で、医学部とか歯学部とか、どうしても入りたい!っていうことで何年もかけてやる人たちがいらっしゃいますから。どちらかと言うと、比較的ね、ミドルとかライトな文系の学生で浪人生っていうのはもっともっとたぶん少ないと思いますね。うん。なのでもうすでに、『浪人生』っていう言葉がどんどんどんどん死語に近くなっていて。『なにを言ってるんだ、あの人たちは?』みたいな。しかも、浪人生たちが語る受験生の頃の話っていうのは、長く、そして重く、そして他人にとっては迷惑な話が多いですよね?

(中澤有美子)(爆笑)。どうしよう?

(安住紳一郎)どうしたらいいんだ?ということで、私も今年を最後ぐらいにしたいと思いますけども。『あーあ・・・』っていう感じですね。

(中澤有美子)そうか、わかってもらえないのかー。はー。

浪人生時代の思い出

(安住紳一郎)うん。いまだに私などは、本当にわずか1年とか1年半ぐらいの出来事ですけども。もうあの時のことを思い出し、そして誰かに話す時は、もう少し、もうちょっと何か・・・唇が震えちゃいますからね。

(中澤有美子)(笑)。ほ、本当ですね(笑)。

(安住紳一郎)この状態で、心療内科に連れて行かれたら、もう薬を出されるレベルですよ。

(中澤有美子)こらこら(笑)。

(安住紳一郎)何なんでしょうね?もうちょっと何が言いたいか、よくわかんなくなっているんですけども。ちょっとね、当時は情報社会がまだまだ、インターネットとかない時代だったので。『いま、俺はこんなことをしてるんだけども、同じような気持ちの人、いますか?』みたいなことが、いまだったらYahoo!知恵袋にでも書き込んで、誰かに『わかる!わかる!』という風にね、言ってほしかったんですけどね。

(中澤有美子)ええ、ええ。そうでしたね。

(安住紳一郎)何をしてたんだか?ということなんですよね。

(中澤有美子)そう。孤独感がね。

(安住紳一郎)そうですね。しかも私は、卒業した高校の知り合いのいるところじゃ、ダラダラしてしまって気持ちが作りきれないということで、全く知り合いのいない東京に1人出てきて、まさに孤独に耐え、鬼神のように勉強してやる!と理想を掲げたのはいいんですけども・・・

(中澤有美子)きしん?

(安住紳一郎)鬼神。鬼になってね。

(中澤有美子)おにがみ?

(安住紳一郎)おにがみになってね。鬼神のように勉強してやる!っていう。もうすでに、2月ぐらいにはその気持ちを固めていたので。もう高校の卒業式にも出ない!って決めて。

(中澤有美子)ええーっ!

(安住紳一郎)もうすでに、次の年の受験シーズンに備える!なんて言って。まさにもう、鬼になった気持ちでね、もう誰とも口をきかない!っていう、そういう強い気持ちで浪人生活をスタートさせたものですからね。でも、全くもう、当然人間が弱いですから。理想は理想になってしまって。もうすぐに寂しさに音を上げて、卒業式には急遽参加することにしたんですけども。

(中澤有美子)(爆笑)

(安住紳一郎)『やっぱり卒業式は出たいな』なんて言っちゃって。

(中澤有美子)え、いいと思いますよ(笑)。

(安住紳一郎)いやいや、もうだから、もう全く、ぜんぜん鬼にも何にもなっていない んですよね。全くただの弱い人間のまま、理想だけ掲げちゃったもんだから。大変なわけですよね。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『あーあ・・・』なんて言って、大変でした。いやー、厳しいですね。集中なんか全くできないんですよ。寂しいから。隣でなんか話をしている人たちの会話を盗み聞きしたりして。ええ(笑)。それから、ねえ。いまだったらたぶんいろんな人に話を聞けばいいし。他の人のアドバイスを聞けばいいんだけども。理想を掲げた田舎者なので、全く他人の意見を聞き入れないんですよね。で、自分のやり方が合っていると思って勉強をするんですよね。

(中澤有美子)ええ。

(安住紳一郎)それで、私はよく言ってるんですけど、大人になってはっきりわかったことは、私の受験勉強は間違っていた!っていうことが本当にはっきりわかったんですよね。

(中澤有美子)んん?

間違っていた受験勉強

(安住紳一郎)いま、19才の自分のところに行って、耳元で大きな声で本当にね、『間違っているよ!』っていう風に教えてあげたい気持ちでいっぱいなんですけども。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)みなさん、英語の勉強をされたと思いますけど、英語のノートってどういう風にとりました?

(中澤有美子)うーん・・・なんとなく大事そうなところを書き写す。

(安住紳一郎)そうですよね。それで当然、英語のノートにはアルファベットが多いですよね?むしろもう、アルファベットだけみたいな。で、これがこうなるみたいな。で、日本語で『過去分詞』とか『PP』とか書いたりとか。『CX』って書いたりとかする感じですか?

(中澤有美子)そうですかね。でも、ちゃんと訳すのに日本語も。間違っている時は日本語も書き添えたりしたかな?

(安住紳一郎)日本語の割合はどのぐらいですか?

(中澤有美子)まあ、半々・・・でも、英語の方が多いですかね?

(安住紳一郎)そうですよね。なんと、孤独と戦いながら勉強をしていたが故に、私のノート。これ、19才当時のノートを今日、持ってきたんですけども。

(中澤有美子)うーわ!

(安住紳一郎)なんと、架空のクラスメイトに話しかける形式を取ってノートをとっているんです!

(中澤有美子)(笑)。はあ!?

(安住紳一郎)英語のノートなのに、散文調なんですよ。

(中澤有美子)えっ?うわっ、あのB5の紙に、ノートではないですね。それ、ピラピラした紙を。

(安住紳一郎)そうなんです。便箋に、架空のクラスメイトを想定して。架空のクラスメイトに英語を教える体裁を取りながら、英語を勉強してるんです。

(中澤有美子)はい。

(安住紳一郎)もう、立派な、病気です。

(中澤有美子)いやいやいや(笑)。すごい!本当だ、小さいきれいな字で、細々と書いてます。

(安住紳一郎)ほとんど日本語なんです。英語のノートなのに。いけませんね。だからちょっと、やっぱり間違っているんですよね。

(中澤有美子)あの、先生になったつもりで?

(安住紳一郎)架空のクラスメイトに話しかける体裁を取っているんですね。うーん。困ってしまいますね。ええ。

(中澤有美子)ちょっと読んでみてください。

(安住紳一郎)いいんですか?ちょっとあの、いま気持ちが弱くなっている人は症状が進む可能性がありますよ?

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)大丈夫ですか?

(中澤有美子)サランラップか何かを(ラジオに)巻きつけて。

(安住紳一郎)そうですよね。いいですか?はい。えー・・・ここがいいでしょうかね。『現在から未来を推量するのも当たり前すぎて問題ありません。それから、こういうのも案外やさしいんです。「私は彼が病気かもしれないと思った。”I thought that he might be ill.” とかいうのも、時の一致で”may”が”might”になっているだけでいい。過去に思っていることだから。「その時、彼は病気であるかもしれないと思った」ということだから、過去から過去を推量する。過去形助動詞+原形でいいんですね』って書いてます(笑)。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)うーん・・・

(中澤有美子)ど、どう言葉をかけようか・・・(笑)。

(安住紳一郎)ですよね?これ、私、受験英語を勉強しているんですよ?びっくりしますよね。うーん・・・

(中澤有美子)先生ですよね。本当に。

(安住紳一郎)そうですね。『で、いいんですよ』とか。

(中澤有美子)先生の、口語口調。はー。

(安住紳一郎)と、いうことでまあ受験勉強の仕方が間違っているということがよくわかるんですけども。

(中澤有美子)でも、それは順々に英語のスコアを稼ぐにはちょっとどうかと思いますけども。あの、基本を理解したり、人に教えたりする時にすごい役立ちますよね?

(安住紳一郎)そうですね。なので、受験勉強としては間違いなんですよね。だからこれは、まあ受験を終えた後でやればいい話だったのに、それをやってるんですよね。なので、本当に19才の自分の耳元で『違うよ!』という風に言ってあげたいなという気持ちがありますね。

(中澤有美子)ああー、そういうことですか。

(安住紳一郎)いや、別にね、なんて言うんですかね?上手く説明できないんですけど。まあ、こういう19才だったんだなと思って、びっくりするなっていうことですよね。

(中澤有美子)はー!でもいまに続く感じ、ありますね。

(安住紳一郎)まあ、そう言っていただけると、本当に19才の私も報われるっていうことなんですけども。そうなんですよね。実は、そうなんですよね。ちょっとね、書き方も今の仕事の字の書き方に似てますしね。

(中澤有美子)似てます。でも、昔の方がやさしい字ですね。

(安住紳一郎)そうです。変わったんです、私も。これが、英語。

(中澤有美子)えっ、これが英語?あっ、出てきた!(笑)。

(安住紳一郎)これが、地理。地理も、架空のクラスメイトに話しかける形式。

(中澤有美子)(爆笑)

(安住紳一郎)手紙。ながーい手紙形式。

(中澤有美子)何枚あるでしょうね?100枚・・・200枚?わーお!

(安住紳一郎)今度は、そうですね。地図という名のイラスト付きの手紙になっちゃってるんですよね。

(中澤有美子)きれいですね!

(安住紳一郎)きれいとかそういう問題じゃなくて、本当、私これ、社会人になってから思い返して見て、びっくりしたんですよ。

(中澤有美子)これ、やり遂げられないですよ。この小さな字で。

(安住紳一郎)もうね、本っ当にやり方間違ったなと思うんですけど。ちょっといま見ると面白いなっていう。

(中澤有美子)そうですよね。

(安住紳一郎)ですよね。はあー・・・手紙形式ということですよね。ぜひ、受験生のみなさんは真似しないでいただきたいと。そして、この架空のクラスメイトに話しかける形式で勉強を進めてきた結果、マークシート形式のセンター試験は当然、全くできないということになりますね。ええ。全く役に立ちませんからね。

(中澤有美子)そうですか。

(安住紳一郎)ちょうど、92年かな?センター試験、私も受けましたけども。当時、いまはさいたま市ですけども。当時の埼玉県与野市に住んでましたので。会場は浦和市立浦和高校でやりましたけども。会場をお借りして。関東の、私は東京のというか埼玉の高校に入るのが初めてだったので。『ああ、こんなところで東京や埼玉の高校生は勉強をしてるんだな』なんて思って。そんなことをやっていたら、もうあっという間に時間がなくなって。そして、架空のクラスメイトに話しかける形式でノートをとっていたものの、全くそのノートが役に立つこともなく!

(中澤有美子)いやいやいや。でももう、そこまで行ったらこれまでやってきたことを信じて、このやり方でよかったって思ってやるしかないですもんね?

(安住紳一郎)でもほら、センター試験はマークシートを塗りつぶすだけだから。私の話しかける形式の・・・

(中澤有美子)そうか。一問一答的なね、筋力はないからね。

(安住紳一郎)一問一答的な筋力はないですからね。私はむしろ、問われたら、『それはですね・・・』って。マークシートの穴に書きたいぐらいですから。

(中澤有美子)記述式でやればよかったですね(笑)。

(安住紳一郎)『それは・・・』みたいな。キュキュキュ・・・みたいな。全くできないという。

(中澤有美子)面談とかだったらよかったですね。

(安住紳一郎)ねえ。面白いですねー。その時に初めて、『あっ、勉強の仕方、違うぞ!』って気づいたんですね。そっからまあ、急遽、自分のいまの力で入れる学校に出願し直すみたいな作業をしたんですけどもね。ちょうど、センター試験の帰り、『あっ、違ったな』と思って。『これはマズいぞ』と思って。たしか当時、与野市の駅前にレコード屋さんがあって。そこのレコード屋さんでCDを1枚買って。そしてそれを家に帰って聞いて。そしてまた、勉強し直したっていう思い出がありますね。

(中澤有美子)そうですか。

(安住紳一郎)はい。当時は、そのCD屋さん、レコード屋さんの平積みのところにB’zの『IN THE LIFE』っていうね、前の年の11月ぐらいに発売されたCDが平積みになっていまして。1年間、孤独に耐えていたので、全く、当時何が流行っているかも知らなかったのですが。これが平積みされているということで、それを買いまして。家に帰って、CDプレイヤーにかけて聞いて。そしてトラック10。『ALONE』という曲が入ってましてね。みなさんもご存知だと思いますが。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)イントロが始まって20秒ぐらいして、曲が転調して、少し強めの音でドラムが私の心を鼓舞してくれまして。涙がポロリンとこぼれましたね。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)何を言いたいかはわかりませんけども。

(B’z『ALONE』のイントロが流れる)

(安住紳一郎)受験生にかける言葉は、俺は持ってないんだよ・・・心から、全員の健闘を祈っているよ。今日の1曲目は、俺のソウルソングだ。B’zの『ALONE』、元気に会場に向かってくれ!

B’z『ALONE』

(中略)

(安住紳一郎)中澤さんは試験の思い出は?

(中澤有美子)そうですねえ。うーん・・・まあ、嫌なことは忘れるので。結構、安住さんみたいに覚えてないんですよね。

(安住紳一郎)そうですよね。女性の方は比較的ね、『もう次、次』っていう感じになりますもんね。あれですよね?あの・・・何回も確認してますけども、一般受験でらっしゃいますよね?

(中澤有美子)そうですよ。ええ。

(安住紳一郎)そうですよね。わかります。わかります。

(中澤有美子)推薦とかではないですよ(笑)。

(安住紳一郎)はいはい。あ、本当にこれ私、結構あちこちで評判悪いんですけど、本当の話なのでかならずしてますし。たぶん腹を立てる方もいらっしゃると思いますが。私は、一般受験でとても苦労したので、推薦で学校に入った人。特に指定校推薦で学校に入った人を心の底では絶対に許してません!

(中澤有美子)(笑)

指定校推薦で学校に入った人を心の底では許していない

(安住紳一郎)これはあの、社会人になってからは決して表面上は出してませんけども。出してませんし、そんなのね、推薦で入った人は、『そういう仕組みがあるんだから、それを上手く利用した私たちだって、普段からの平均評定を上げるための努力をしていて。それをしていなかったし、出願していない人間に何を言われる必要があるんだ!?』っていう気持ちになるかもしれませんけども。私は、心の中では絶対に許してないの。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)そして、その人たちにはジャンケンでも負けたくないの。

(中澤有美子)(笑)。再三おっしゃってますよね。

(安住紳一郎)再三言ってますし、評判悪いですよ。評判も悪いし。一緒に仕事をする人には、さり気なく、確認してるの。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『そうですか?えー、結構勉強大変でしたでしょう?』なんて話をして。それで、『ねえ。結構冬になってくると寒いしね。えっ、ご実家は東北の方ですか?ああ、そうですか。ねえ。12月・・・』。だいたい推薦っていうのは9月、10月に決まるでしょう?ですから、『12月とか結構ね、お正月とか、ちょっと孤独だった?』なんて確認をして。

(中澤有美子)探り探り(笑)。

(安住紳一郎)探り探り。で、もうそのへんぐらいから、『なんかちょっと違うぞ?』みたいな。『あれ?もしかして、10月ぐらいにもう決まっていたんですか?えっ?12月、クリスマスは神奈川大学の入試じゃなかったよね?』みたいなことを確認したりして。これ、73年組はわかるんだけども。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『えっ?クリスマス入試じゃなくて?』なんつって。『10月に?ああ、そうですか。平均評定が?ああ、そう。指定校推薦・・・ああ、そうなんだ』って言ってから、もう決まりですよ!

(中澤有美子)ああ、決まっちゃった!(笑)。

(安住紳一郎)手帳に書きますよ。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)そっからは結構、すごいですよ。

(中澤有美子)もうドーン!と。心の壁は。

(安住紳一郎)本当にこれは言うべきことじゃないですけども。

(中澤有美子)超言ってる!超言ってるよ、さっきから!(笑)。

(安住紳一郎)言ってますか?もう本当に、ちょっとした問題になっても構いませんけども。これはいま、がんばっている受験生へのエールとして捉えてほしいんですけども。

(中澤有美子)ああ、そうですね。

(安住紳一郎)私、社会に出てからちゃんと指定校推薦の人間をチクチクチクチクやってるわ。

(中澤有美子)(爆笑)。ちゃんとやってる(笑)。

(安住紳一郎)ちゃんとやってるよー!昨日も1人、推薦で入ったって子がいたから。一般受験で一浪した人間たちで周り取り囲んでやったわよー。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)おかしいってんだよ。学芸大学に推薦で入ったっていう。『えっ?国立に推薦なんてあるの!?』なんて言って。『5人だけ枠があったんだ』って言うから。『おかしくない?そんなの』なんて言って。『えっ?いつ出願して?平均評定は!?』なんて言って。『えっ、それ、学校指定されてるのに、何でそんなことになってんの!?その仕組み、おかしいよ!いまもあるの?いまもあったら俺、ちょっと文句言いに行きたいわ!』なんて言ったりして(笑)。

(中澤有美子)(笑)。困る・・・

(安住紳一郎)困るよね。その人間もね、『なんで私、そんなこと言われなくちゃいけないんだ?』と思っているんだろうけど。ものすごい、いろいろ。学校を卒業してもう10年も20年もたっているんだろうけども。

(中澤有美子)そうですよ(笑)。不正じゃないしね。

(安住紳一郎)もう本当になんか、かわいそうになるぐらい言っちゃったわよ。『ねえ、それってさ、学校に入ってからさ、周りの人に比べて自分は楽をして入ったっていう感覚、なかった?』なんて聞いちゃったりして。

(中澤有美子)ひどい(笑)。

(安住紳一郎)ひどい(笑)。『そこまで言われる必要、ないだろ?』と思いながらも。でも、ほら。ねえ。思い出すと唇が震えちゃうぐらいのトラウマがあるから。もう、いまさらですよ。止められない。止められない。もう。もしかしたら、ちょっとした問題になっているかもしれない。

(中澤有美子)そうですよね(笑)。こんなに言われるとは・・・

(安住紳一郎)こんなに言われるとはね。いけません。いけません。興奮しちゃった。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)おかしい、おかしいなんつって。いまだに受験制度に詳しいですから。私。

(中澤有美子)そうなんですね。ちゃんとアップデートしてますよね?(笑)。

(安住紳一郎)アップデートしますよ。そうなんです。受験の時の、やっぱりあれですよね。悲しい思い出を取り返すには、やっぱり受験でしか取り戻せないんですよね。仕事でのストレスは仕事でしか取り返せないって言いますけどね。そんな、プライベートでね、気持ちを切り替えたって、やっぱり仕事でもう1回成功しないと、気持ちは取り返せないから。そうなんですよ。

(中澤有美子)ああ、そうですか。

血族に気持ちを託す

(安住紳一郎)うん。だから、私の血族のみなさんがきっと取り返してくれると思うんだけども。もう、それ以外に取り返す方法はないね。

(中澤有美子)血族がね。ふーん?

(安住紳一郎)血族がね。いや、だからもう自分に子供ができるかどうかもわからないから、もう姪っ子とか甥っ子とか。ちょっと遠めの又従兄弟たちがやってくれるんじゃないかな?と期待してるんだよね。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)いまからちょっと、そういうことは、お正月に帰省した折などには、いろいろと鼓舞はしてるんだけども。

(中澤有美子)言ってるんだ。そうですか(笑)。

(安住紳一郎)そう。北海道のね、親戚。キッズたちにはね。『君たち、東京に出ると価値観の違う人間たちと競争することになるから、早い段階からいろいろなことを知りなさい』なんて言って。ええ。

(中澤有美子)そうですか。

(安住紳一郎)言ってますよね。そしたら、ポカーンとしてますけどね。

(中澤有美子)そうでしょうね(笑)。

(安住紳一郎)うん。『何があったのかな?』なんつって。そうですよねー。びっくりしちゃったー。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)あの、『ちょっといろいろ間違ったことを言ってるな、この人』っていう気持ちはあると思いますけども。季節だと思って許してください。

(中澤有美子)そうですね。ご容赦を(笑)。

(中略)

(安住紳一郎)さて、今日は私の本当に病んでいた10代の頃の話をしてしまって、本当に申し訳ございませんでした(笑)。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)あの・・・お便りが来てますけども。『その後、こういう仕事をして消化できているので、本当にそれが救いですね』という言葉をいただいて。本当に、それを土産に人生を進んでいきたいって考えてますけども。本当に・・・

(中澤有美子)普通にしゃべれないですね(笑)。

(安住紳一郎)本当に、あの・・・本当にもし、こうなってなかったら、危ない人間になっていたなっていう風なことは自分でも感じているんですけども。そして、『いまね、こうやって仕事をしているんだからいいじゃないか』っていう風に声をかけてくれる人もいるんですけども。会社に入る時の入社試験も、実はさらに輪をかけたドラマがあったんです(笑)。それはまた、今度お話しますね。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)もっと、狂気じみてますよ。

<書き起こしおわり>

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