町山智浩『TOKYOタクシー』を語る

町山智浩『TOKYOタクシー』を語る こねくと

町山智浩さんが2025年11月25日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『TOKYOタクシー』について話していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日、紹介する映画は『ブルーボーイ事件』と実はすごく同じ頃の話なんですよ。1960年代の話なんですけど。先週からもうすでに公開されている松竹映画で『TOKYOタクシー』を紹介します。これ、もう日本ですごい宣伝されていて、劇場にもお客さん、入ってるみたいですけどね。木村拓哉さん扮するですね、50過ぎのタクシー運転手が85歳の倍賞千恵子さんを東京から葉山の老人ホームにずっと乗せていくという話で。まあ2人でずっとタクシーに乗ってる間、倍賞千恵子さんが「もう東京を離れるから、思い出の土地をちょっと回ってちょうだい。寄り道してちょうだい」と言って。で、2人でそこを回っていくうちに彼女の人生が語られていくという映画ですね。

これですね、僕は見て大変な映画だなと思ったんです。これはすごいなと。で、何がすごいかというとこれ、監督は山田洋次さんなんですね。山田洋次さん、『男はつらいよ』シリーズで皆さん、ご存知なんですが。なんとこれ、91作目ですね。山田洋次監督、94歳ですよ。ものすごい本数ですよ。毎年2本以上、撮ってることになりますね。しかも、この映画は倍賞千恵子さんと一緒にやってますけれども。倍賞千恵子さんの初主演映画を監督したのも山田洋次さんで。それが1963年の映画なんですが。その時、山田さんにとってもそれは監督第2作目なんですよ。つまり、山田洋次さんと倍賞千恵子さんの映画人生が始まった時の映画とこの映画『TOKYOタクシー』は対になってるんですよ。

だからブックエンドになってるんですよ。で、そのブックエンドに挟まれているのは戦後の日本なんですね。で、自分もずっとそういうのを見てきて。しかも東京で生まれ育ったんで出てくるもの出てくるものがまあすさまじく懐かしいんですけど。これはすごい、彼らの映画人生を通して日本そのものを語ってるんですね。東京を語ってるし。で、それをちょっと僕はジジイだから。古いことなら何でも知ってるのでちょっと解説させてほしいんですけどね。

これ、まずね、倍賞千恵子さんの家に迎えに行くわけですよ。木村拓哉さんがタクシーでね。その家の住所が「葛飾柴又」ですよ。寅さんのとらやがあったところですね。「帝釈天で産湯をつかり」ってね、葛飾柴又といえば寅さんなんですけども。そこから始まることで山田洋次監督は「これは自分の映画についての映画なんだぞ」って言い切っちゃってるんですね。で、もうそこからそういう世界が始まっていくんですけど。しかもその倍賞千恵子さんの演じる役が「すみれ」というんですね。これは寅さんのさくらさんとつながってくる花の名前ですよね。

で、そこから、柴又から「まず最初に言問橋に寄って」って言われるんですね。浅草の隅田川にかかっている橋ですけど。そこに行ってまず彼女、倍賞千恵子さんがするのは戦災犠牲者の追悼碑に祈りを捧げるんですよ。で、実は隅田川の特にその浅草から東側に渡った地域、いわゆる墨東と言われるところですけど。押上とかね。そこは東京大空襲で最も大量の死者を出したところなんですよ。徹底的に焼夷弾で焼かれて。で、うちのおふくろが日本橋の蛎殻町の魚屋の娘だったんですけど。当時。蛎殻町もかなりやられたんですけど、うちのじいちゃんの魚屋は焼けなかったんです。偶然。だから戦前からの魚屋の建物は僕は子供の頃にも残っていて、覚えてるんですけど。まあ、でもそこからずっと先は全部やられてね。

で、うちの父方の方の弟。だから僕のおじさんですけど。彼はその頃、三河島にいたんですよ。で、もう大空襲があったから上野の山の上に避難したそうなんですけど。あそこ、高くなっていてね。上野公園のところ。そこからずっとその隅田川の向こう側が見えるわけですよ。「ものすごい火の海だった」って言ってましたね。「この世が終わるんじゃないかと思った」って言ってましたけど。で、そこにまず祈りを捧げるところから始まるっていうのは、つまり「この映画は戦後史の話なんだ」ってことを言ってるんですね。焼け野原になったところから日本が、東京が復興していくっていうことをたどっていきますよっていう物語なんですよ。

で、それを知らないその木村拓哉さんよりも若い世代に教えていきます。語っていきますよという映画なんですよ。で、しかもこの映画の構造がね、ずっとタクシーに乗って2人っきりで話してるんですけど。2人とも前を向いてるから、前からカメラを撮るといつも2人の顔が見えるんですよ。普通の会話映画よりもやりやすく、2人の顔が見えるんです。で、2人でずっと話していくんですけど。過去について。これは実は山田洋次監督が過去に1回やってるんですよ、同じテクニックで。それは1977年の映画で『幸せの黄色いハンカチ』という映画なんですよ。

これはね、武田鉄矢さんと桃井かおりさんがその当時の若者……つまり、その戦後生まれの若者を演じていて。そこに戦中生まれの高倉健さんが同乗して北海道を回るという映画なんですね。で、北海道を回るうちに高倉健さんの過去を語っていくという映画で。まあ高倉健さんは実は殺人で刑務所に行っていたことがわかってくるんですけど。で、彼の非常に厳しい過去がわかって。それで奥さんの倍賞千恵子さんが待っていてくれるだろうか?っていう、いわゆるロードムービーというジャンルなんですね。『幸せの黄色いハンカチ』は。それをもう1回、やっているんですよ。違う世代の人同士が同じ車に乗って、ずっと旅をしながらその人の過去を語っていくってこれ、、同じですよ。

『幸せの黄色いハンカチ』と同じロードムービー

(町山智浩)で、あんまり言うとネタバレになるんで言わないですけど。まあショッキングな展開がその倍賞千恵子さんの過去にあるんですね。で、その辺もすごく高倉健さんの過去の回想シーンと非常によく似ていて。ああ、これはもう山田洋次映画の集大成をこの『TOKYOタクシー』はやっているんだなっていう感じなんですよ。で、言問橋に行った後にこの倍賞千恵子さんを連れた木村拓哉さんのタクシーがどこに行くか?っていうとですね、倍賞千恵子さんが育った町に行くんですよ。ここがね、彼女は食堂か喫茶店……食堂だっけな? 忘れちゃったけどもそこの娘で。その若い頃の倍賞千恵子さんを蒼井優さんが演じてるんですね。

で、鳩の町商店街というところで昔の彼女の育った町のロケをしてるんですけど。そこはね、曳舟という京成線の駅があるんですね。墨田区です。それを知った時に僕は「うわっ!」と声が出たんですよ。映画を見ていて。その曳舟という場所はさっき言った倍賞千恵子さんの主演第1作で、山田洋次さんの監督第2作の映画の『下町の太陽』の舞台なんです。この『下町の太陽』はね、倍賞千恵子さんってもともとは歌手で。最初のデビュー曲がレコード大賞新人賞を取ったんですが。その『下町の太陽』という歌をもとに作られた映画なんですね。

『下町の太陽』

(町山智浩)はい、素晴らしい歌声ですね。倍賞千恵子さん、もともとは歌手なんですよ。たとえば『セーラームーン』っていうアニメがあるじゃないですか。あれの主題歌の『ムーンライト伝説』。あれ、実は倍賞千恵子さんのヒット曲の『さよならはダンスの後に』っていう歌のパクリなんですよ。オマージュというか、わからない。メロディーが同じなのに作曲が違うことになっているんだけどね。それも流しすとよかったですが。それぐらいヒット歌手だったんですね。いきなりレコード大賞新人女王を取ってますからね。

(町山智浩)で、それが大ヒットしたんでこれを映画にしようということで山田洋次さんが監督として……もう新人監督で2作目でですね、これを脚本を書いて監督することになるんですけども。この映画は曳舟という駅のある辺りが舞台なんですけども。その長屋に住んでいる貧乏なうちの娘さんが倍賞千恵子さんで。これね、『下町の太陽』というタイトルですけど、なんと驚いたことに太陽が出てきません。どうしてかというと、その地域はその頃、工業地帯だったんですよ。ものすごいたくさんの工場があって、煙突が立ちまくっていたんですよ。で、煙がモクモクと出ていて。その頃は公害対策とかしてなかったんで、で、太陽が見えないんです。

でも、それでもそこに住んでいる下町の人たちを明るくさせるのが倍賞千恵子さんなんで彼女が『下町の太陽』だという映画なんですよ。これ、いい映画なんですけどね。はい。ただ、彼女はそんな下町から出たいと思っているんですね。この映画の中では。ちなみにこの町子さんという名前なんですが。倍賞千恵子さんの役は。で、彼女が働いているのは資生堂の石鹸工場です。実はその曳舟っていうところは石鹸工場だらけだったんです。昔は。昔からそうだったみたいなんですけど。結構大昔からね。で、僕はそこで玉ノ井という場所があって。赤線があったところなんですが。そこに玉の肌石鹸という石鹸工場があって、僕はそこで働いたことがあります。高校の時に。それでミツワ石鹸っていう石鹸会社もあったですね。「ワ、ワ、ワ、ワが三つ」っていうコマーシャルが昔あったんですよ。石鹸会社だらけで。カネボウもそこにありました。

似たような業者がいっぱいあって。あと化粧水の会社とかもいっぱいあったんですよ。そこには。その当時、そこに行くとものすごい石鹸と化粧水の匂いだったんですよ。そこでずっと働いてるから「体に石鹸の匂いが染みついていて嫌だわ」って彼女は言ってるんですね。「いい匂いだ」っていうセリフもありますが。ただ、街中がその匂いだから結構すごかったですよ。もう今はないですけど。だからご飯を食べていても石鹸の匂いなんだもん。

まあ、今はないですけど前はそうだったんですね。で、倍賞千恵子さんはそこから出たいと思ってるんですよ。そこから出て、サラリーマンと結婚して、団地に住みたいと思ってるんですね。その頃、公団住宅がたくさん建てられて。団地に住むことがステータスだったんですよ。これ、わかるかな? この感覚。当時、みんな長屋に住んでたんですよ。あのね、要するに台所の流しが昔は石かタイルだったんです。ところが、団地だとステンレスでしかも水道水が出るんです。昔は井戸を共同で使ってたりしてたんですよ。だからそういうところから脱出できるということで団地に憧れているんですが団地はその頃、抽選で20倍とか50倍とかだったんで、まあ憧れだったんですね。

で、これがすごく重要なのはその公団住宅に住むとほとんど家賃はタダみたいなもんなんですよ。だからそこに住むことで家賃を節約して中流階級になれたんですよ。マイホームを持つっていうことが選択肢に入るんです。貯金も貯まるし。しかも当時は賃金が毎年、ガンガン上がっていく時代でした。1960年代ってたった10年間で国民の平均年収が2倍になってますからね。で、その中で団地に住むのを憧れている倍賞千恵子さんの話なんですけれども。彼女は途中、団地に住めるサラリーマンの彼と工場で働いてる工員の彼との間で揺れ動くんですよ。ところが最後に彼女は工員の彼の方を選ぶんですね。で、下町のその工場町で暮らしていくことを倍賞千恵子さんが選ぶというラストなんですけども。

これはその後に寅さんと繋がってくるんですよ。寅さんのさくらっていう倍賞千恵子さんが演じる人はサラリーマンと結婚しようとするんですけど、寅さんに邪魔されてしまって。で、その縁談とかが流れて結局、町工場。印刷所で働いてる博っていう工員と結婚して下町に住み続けることを選ぶんですよ。そのプロトタイプなんです。この『下町の太陽』は。で、それは山田洋次というお坊ちゃんで東大法学部を出た監督が、貧しい労働者の人たちと一緒に生活しながら映画を撮っていくっていうことを決心する映画でもあったんですよ。『下町の太陽』は。

山田洋次監督は自分の葛藤を映画の中に描いてたんで、寅さんのさくらと結婚する博っていう人は前田吟が演じてるんですけど。彼のお父さんが大学教授でインテリの中流ないしは上流階級の子だったのに、労働者の1人として生活することを選ぶんですけど。それは山田洋次監督自身の投影なんですね。博は山田洋次自身なんですよ。

で、そういうことをやる前にきっかけになった映画が『下町の太陽』なんですよ。で、サラリーマンと結婚して団地住まいすることを諦めて倍賞千恵子さんがずっと下町に居続けることを選ぶんですが。この『TOKYOタクシー』の話に戻ると、この『TOKYOタクシー』における倍賞千恵子さんはサラリーマンと団地に住む方を選ぶんです。蒼井優さんが演じてますけど。これはもう1人のさくらなんですよ。ところが、そのサラリーマンとの団地住まいっていうのは崩壊していくんです。大変なことになっていくんですけど。

その理由というのがこれ、蒼井優さんに連れ子がいたんですね。で、その連れ子に嫉妬して夫がひどいことをするんですけど。その連れ子というのは実は在日朝鮮人の彼氏との間にできた子供なんですね。で、この在日朝鮮人の夫っていうのはどこに行ったのかというと、北朝鮮に行って行方不明になっちゃうんですよ。

これは一体何かというと当時、「帰国事業」というものがあったんですよ。 1959年から1984年にかけてもう何万人もの在日朝鮮人の人が北朝鮮に送られたんですね。っていうか、自ら渡ったんですけど。これは日本政府……自民党とかすべて、左右が一体となって。朝鮮総連とか。もうすべて、日本と北朝鮮が一体となって行った事業だったんですけど。これは要するに在日朝鮮人の人を厄介払いしようとして送り出したんですよ。それは「北朝鮮というのは貧しい人が誰もいない、すべて平等な天国なんだ」っていう嘘の宣伝をしまして。それに騙された人たちがみんな、北朝鮮に渡っていきます。

で、これを「帰国」って言ってますけど、日本にいた在日朝鮮人の人たちで北朝鮮の地域が故郷だった人は1人もいないんですよ。ほとんどみんな、韓国にあたる部分の出身者なんですね。日本にいる人たちは。実は、昔から。だから彼らにとって親戚もいなければ、全く見知らぬ国、異国なんですよ。北朝鮮は。ところが、そこが素晴らしいパラダイスになってるっていう風に騙されて行ったんですけど。実際に行ったら「日本から来た奴らだ」ってことでものすごい弾圧を受けて。収容所にぶち込まれたり、強制労働させられたり。あと、人質にされて日本に残ってる家族からお金を送らせたりと大変な事態になったんですけど。そのことがこの映画の中で描かれるんですよ。

これは何か?っていうと、実は山田洋次監督の映画ではなくて。日活の方でそういう映画を作っていた人がいて。浦山桐郎監督が『キューポラのある街』っていう映画作ってるんですよ。その『下町の太陽』の1年前、1962年に。それは川口市が舞台なんですよ。川口市は当時から労働者の工場町で、在日の人がいっぱいいて働いてたんですけど。その人たちが北朝鮮に送られた時の話なんですよ。それをリアルタイムで描いていて。そこも触れていて。日本の戦後史のなんというか、やらかしちゃったんだけどほったらかしにされている部分とか。そういったことを山田洋次監督はこの映画で掘ってくるんですね。

日本の戦後史を掘り起こす

(町山智浩)これはすごいんで。ちょっと表面的にね、チャッと見ただけではわからないんですけど。僕は老人なんでわかってしまいますが。で、この映画『TOKYOタクシー』の中で一番厳しいシーンというのは、その彼女が生まれ育った押上の辺りに行くと今、タワマンばっかりでね。昔の面影がなくなっちゃっているんですよ。その時の倍賞千恵子さんの落ち込み方っていうのはもうすごいんですけど。まあ本当にもう日本で起こったこと、東京で起こったことが全て……それは山田洋次監督の映画人生も含めてですね、1本に詰め込んだすごい映画になってますんで。ぜひこの『TOKYOタクシー』をご覧になっていただいて、よかったら『下町の太陽』もですね、いろんな配信で見れますんで、ぜひご覧いただくといいと思います。

『TOKYOタクシー』予告

アメリカ流れ者『TOKYOタクシー』

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