ピーター・バラカンと高橋芳朗 ラジオの現在と未来を語る

ピーター・バラカンと高橋芳朗 ラジオの現在と未来を語る ザ・トップ5

ピーター・バラカンさんがTBSラジオ『ザ・トップ5』にゲスト出演。高橋芳朗さんからの質問に答える形で、ラジオの現在と未来について話していました。

(熊崎風斗)さっそく今夜のゲスト、ラジオDJのピーター・バラカンさんにちなんだ、こちらのランキングを発表します。音楽ジャーナリスト・ラジオDJの高橋芳朗さんが大先輩ピーター・バラカンさんに聞きたいことランキングトップ5。

第五位:ラジオ原体験
第四位:忘れられないラジオ体験
第三位:AMとFMの違い
第二位:選曲の際に心がけていること
第一位:音楽メディアとしてのラジオの可能性

以上、音楽ジャーナリスト・ラジオDJの高橋芳朗さんが大先輩、ピーター・バラカンさんに聞きたいことランキングトップ5でした。

(中略)

(高橋芳朗)あの、今日バラカンさんに2曲ほど選曲もしていただいているので。そちらもぜひみなさん、ご期待ください。じゃあさっそく、お聞きしたいことがいっぱいありますので。

(ピーター・バラカン)どうぞどうぞ。

ピーター・バラカンのラジオ原体験

(高橋芳朗)さっそく始めさせていただきたいと思います。まず、第五位。ラジオ原体験なんですけども。バラカンさん、著書の『ラジオのこちら側で』でですね、『私にとって10代の頃のほとんどの音楽経験がラジオからのものでした』と書かれていて。

(ピーター・バラカン)そうですね。もう小学生の時からですね。

(高橋芳朗)ましたけれども。当時のラジオ体験について、お話を聞かせていただきたい。よく聞いていた番組でしたり、思い出深い番組。どんなものがありましたか?

(ピーター・バラカン)まあ、小学生の頃はBBCしかないんですね。その頃は。で、土曜日の朝に子供に向けたリクエスト番組があったんですよ。大人が子供のためにリクエストするというものだったけれど。たぶん、全国の子供たちがほとんど聞いていた番組だったと思います。『Children’s Favourites』という。

(高橋芳朗)どういう音楽がかかっていたんでしょうか?

(ピーター・バラカン)いろんな。ポップソングもあるんですけど、割と物語風のものだとかね。子供が喜ぶような、ちょっと仕掛けのある曲だったり。そういうものが、割と定番の曲がね、よくリクエストされてね。1年聞いていればまあ、5回、10回聞く曲もあるような。まあ、そういう時代だったんですね。で、その後、1962年。僕が多分小学校5、6年生の時に、日曜日の夕方にトップ20のカウントダウン番組があったんで。

(高橋芳朗)はい。

(ピーター・バラカン)それを毎週確実に聞いてたんですね。その頃。10才、11才ぐらいの時。で、その直後ぐらいの時にビートルズが出てくるんですよ。

(高橋芳朗)ああ、はいはいはい。僕、ビートルズのドキュメンタリーですごい印象的なシーンがありまして。初めて全米に上陸した時ですかね、ポール・マッカートニーがアメリカのラジオ局に面白がって電話をかけて、いっぱいリクエストをしてるというシーンがあったんですけども。それはやっぱり、イギリスではなかなかそういう体験ができなかったということなんでしょうか?

(ピーター・バラカン)ああいう生のリクエストっていうのはアメリカが得意だったような気がしますね。

(高橋芳朗)ああ、そうですか

(ピーター・バラカン)少なくとも僕は、そういうことをやっているっていう記憶はなかったです。生放送はもちろん、たくさんありましたけど。生でリクエストを受けているという印象はなかったです。それはたぶんね、BBCという公共放送と、アメリカは全部基本的に民放ですから。その違いが大きいと思います。

(高橋芳朗)なるほど。はい。さっき、7時台でまさに公共放送の制約があったという話をしていたんですけども。それで、映画の『パイレーツ・ロック』で描かれた海賊ラジオが発達したという。船の上から海に出て、24時間ロックをかけていたということなんですけども。バラカンさんもそれをお聞きになられていたんでしょうか?

(ピーター・バラカン)もう、まさに僕の世代がその洗礼を受けた・・・

(高橋芳朗)まさにスウィンギング・ロンドンっていう感じの頃の?

(ピーター・バラカン)ちょうどその頃になりますね。いちばん最初のイギリスの海賊ラジオが開局したのがたぶん63年だと思うんですけど。64年に僕がいちばん聞いていたRadio Londonっていうのができて。64から67年までのだいたい3年ぐらい。まさにそのスウィンギング・ロンドンのその時期に、僕ら子供たちが聞きたいようなヒット曲とか、そういうのをバンバン毎日毎日、ずーっとかかっているわけですよ。

(高橋芳朗)あの、まさに映画で描かれていた通りの状況だったんでしょうか?

(ピーター・バラカン)そうですね。あれはちょっと面白おかしく、ちょっと漫画っぽく描かれてますけど。事実はかなりありますね。ただ、後で実際に海賊ラジオの船の上で暮らしていたDJのことをよく知っている人に聞いたらね、映画で描かれているような、みんなでお酒を飲んだり、女の子と遊んだりとか。そういうことはね、なくてね。

(高橋芳朗)あ、なかったんですね。

(ピーター・バラカン)非常にストイックだったらしいですよ。

(高橋芳朗)あ、そうなんですか!?

(ピーター・バラカン)あの、北海というイギリスとヨーロッパの間の海はかなり荒れるもので。それで、食べ物だとかいろんな生活の必需品を運ぶ小さな船が、テンダーと呼ばれる船があるんですけども。これがなかなかね、たどり着かないことがあったり。あの、下手するとね、2ヶ月ぐらい何もね、物資が届かない状態でやらなきゃいけないこともあるから。決してね、食べまくったり飲みまくったり・・・なんか、1日1本ビールが許されるだけだったっていう話を聞いたことが。

(高橋芳朗)そんなにストイックだったんですか!?そうですか。まあ、いまバラカンさんがラジオで選曲したりトークしたりするにあたって、当時のラジオ体験はどんな影響を及ぼしてますかね?

(ピーター・バラカン)まあその海賊ラジオでは『とにかく楽しく、音楽をたくさんかけることがいいな』って、自分の中学生の体験として思ったんですけど。でも、僕自身はね、海賊ラジオだけ聞いていれば自分がDJになりたいとはたぶん思わなかったんだと思います。

(高橋芳朗)ああー。

(ピーター・バラカン)ああいう、ベラベラこう、いわゆるDJスタイルでしゃべれる人間じゃないですから。で、ちょうど海賊ラジオの終わりの方に出てきたジョン・ピールっていう伝説のDJが。彼がね、もうちょっとゆっくりと、訥々としゃべるような感じのDJで。『ああ、こういう人もいるんだな。面白いな』と思って。とにかく彼はね、自分の好きなものしかかけない。

(高橋芳朗)はい。

(ピーター・バラカン)で、それが売れていても、売れてなくても、とにかく自分の好きなものを。で、聞いている方として、僕はたぶんね、5%ぐらいしか彼と好みが合わない。彼は相当変なものをいっぱいかけてましたけど。でもね、好きなものがそんなになくても、彼の番組を聞くこと自体が面白かったです。

(高橋芳朗)はー。

(ピーター・バラカン)彼のこだわりというかね、信念みたいなものがやっぱり伝わるんですね。で、70年代に入って、逆に僕の好みとほぼ合う、チャーリー・ギレットという人がロンドンのローカル番組でデビューするんですね。で、彼はジョン・ピールよりも、ごくごく普通の人が友達に語りかけるような、そういう雰囲気で番組をやっていて。『ああ、こういうDJもあるんだ。こういうのがDJのひとつのパターンとしてあり得るんだ』っていうことを初めて知って。『これでOKだったら、僕もやりたいな』って初めて思ったんですよ。

(高橋芳朗)僕もたしかに、ラジオってマシンガントークができないとやる資格がないのかな?って思ったことはありますけども。たしかに。

(ピーター・バラカン)昔はほとんどそうでしたよ。

体験したラジオの魔法

(高橋芳朗)ああ、そうでしたか。わかりました。じゃあ、第四位に行ってみたいと思いますね。忘れられないラジオ体験ということなんですけども。バラカンさん、インターFMの執行役員に就任した際に、『ラジオに魔法を取り戻す』というテーマを掲げてらっしゃいましたけども。バラカンさんご自身が味わった、体験したラジオの魔法を聞かせていただきたいっていうか。リスナーとして、パーソナリティー・作り手として、それぞれ教えていただきたいんですけども。

(ピーター・バラカン)おお。魔法・・・いま、ひとつ思い出したのはね、これ、BBCの72年だと思います。BBCの番組をたまたま聞いていて、ミック・ジャガーがゲストに来ていたんですね。たぶん本でも書いたんだと思うんですけども。で、普通にインタビューを受けていて。それで『じゃあ、ミック、おすすめの曲はありますか?』って言って、2曲あったんですね。ひとつがアーマ・フランクリンが歌う『Piece Of My Heart』っていう、ジャニス・ジョップリンで有名な曲のオリジナルなんですね。

(高橋芳朗)はい。

(ピーター・バラカン)アレサ・フランクリンのお姉さん。そしてもうひとつがステイプル・シンガーズの出たばっかりの『I’ll Take You There』だったんですね。まあ、両方ともすごくよかった。『I’ll Take You There』は生まれて初めて聞いた。たぶんステイプル・シンガーズもその前には聞いてなかったグループだと思うんですけど。

(高橋芳朗)はい。

(ピーター・バラカン)もうノックアウトされてね。もう放送が終わった途端にね、家から歩いて3分くらいのところにレコード屋さんがあったんで。そこにすぐに行って、その両方のシングル盤を即買ってきたんです。だからもう、まさにラジオのマジックだと思ったんです。その時。

(高橋芳朗)やっぱり、『ラジオのこちら側で』でもたしか終わりの方にバラカンさん、書かれていたと思うんですけど。やっぱりラジオは不意の音楽の出会いっていうのがいちばん最高ですよね。

(ピーター・バラカン)出会いですよね。はい。

(高橋芳朗)じゃああの、作り手・ラジオDJとしてのラジオの魔法と言えるような体験って何かありましたか?

(ピーター・バラカン)おおー、これは難しいね。あの、魔法を受けるのはやっぱり聞いている方だと思うから。

(高橋芳朗)まあ、そうですね。たとえば、リスナーの方とのやり取りとかで。

(ピーター・バラカン)そうですね。まあ、コンサート会場なんかで声をかけてもらって。それで、『あなたが○○にかけたあの番組のおかげで、このグループが好きになって人生が変わった』とか。時々そういうことを言ってくれる方がいますからね。これはDJの醍醐味ですよ。

(高橋芳朗)やっぱりそれは、うれしいですよね。

(ピーター・バラカン)そりゃうれしいですよ。自分もそういう体験をしているだけにね。

AMとFMの違い

(高橋芳朗)そうですよね。はい。わかりました。じゃあ第三位、行ってみたいと思います。これ、スタッフもぜひ聞きたいっていう声が多かったんですけども。AMとFMの違い。12月7日からワイドFMがスタートいたしましたけども。バラカンさん、FMはもちろんですけども、TBSラジオでも『ストリーム』に出演されていたりとか。『デイ・キャッチ!』にも今年、出られてましたよね。

(ピーター・バラカン)あ、はい。

(高橋芳朗)そんなバラカンさんからご覧になって、AMとFMの違いだったり、それぞれの良さみたいなところはどんなところになるんでしょうか?

(ピーター・バラカン)日本以外では、電波が飛ぶ距離の問題だとか、良し悪しはもちろん違いがあるんですけど。番組内容に関してはね、違いがないんですよ。だから日本は、FMは音楽でAMはトークという棲み分けはあるんですけど。日本独特の事情なんじゃないかな?と、思うんですよ。まあ、いまのFMはでもね、そんなに音楽、かかってないですから。日本のラジオはほとんどトークなんですよ。いま。で、まあトークはトークでいいんですけど、これだけじゃちょっとね。やっぱり音楽を大事にラジオをやっている人間としてね、ちょっと寂しい感じがしますね。ただ、TBSもそうなんですけど、いま、この番組が終わる9時から、平日毎日音楽番組(『Sound Avenue 905』)をやってますよね。

(高橋芳朗)やってますね。

(ピーター・バラカン)ぜひぜひこれを増やしてほしいと思いますね。

(高橋芳朗)たしかに。TBSラジオ、もうちょっと音楽番組ほしいなという気はいたします。

(ピーター・バラカン)特にね、AMとFMの日本での大きな違いのひとつはね、AMラジオは基本的にスポット広告が多いです。で、FMは一社提供っていうのはいまほとんどできないような時代になってきましたけど。変にね、5分コーナーとか10分コーナーとかバラ売りして。で、広告の量がすごく多くなって、1リスナーとしてね、これはいかがなものか?と思っちゃうんですよ。

(高橋芳朗)流れが遮断されてしまうような。

(ピーター・バラカン)そう。だったらAMのね、スポットをバンバン打つ方がラジオらしくていいと思う。

(高橋芳朗)ああ、なるほど。ちょっとみなさん、ね・・・

(熊崎風斗)我々一同、お勉強ということになりましたが。はい。

選曲の際に心がけていること

(高橋芳朗)じゃあ、第二位、行ってみたいと思います。こちらもぜひお聞きしたいところです。選曲の際に心がけていらっしゃることは何でしょうか?ズバリ。

(ピーター・バラカン)あの、さっきのジョン・ピールの話に戻るかもしれませんけど、とにかく僕はね、自分が人に聞いてほしい曲を選んでいるだけなんですよ。これは昔からそうです。で、他のところでいっぱいかかっているであろうヒット曲なんか、自分が本当に好きだったらかけるかもしれませんけども。どこでもかかっているようなものを僕もかけると、あんまり意味がないと思って。

(高橋芳朗)うん。

(ピーター・バラカン)むしろ、どこでもあんまりかかっていない、本当に僕が大好きな曲があれば、それを人に聞いてほしいと思って。あとは、曲順をどう付けるか?とかね。人がぜんぜん知らないようなミュージシャンの曲をかける時は最低限のちょっとバックグラウンドを話したりとか。一言、『こういう内容の曲だ』とか。なんかね、少し身近に感じられるようなことを言ってかける。

(高橋芳朗)はい。

(ピーター・バラカン)ただね、よく『マニアック』って呼ばれるんですけども。本人はね、マニアックなつもりはなくて。で、どんな音楽でもね、知らない人はそれをマニアックって感じるかもしれませんけども。一度聞いて、知っていると『あ、あの曲ね』っていうことになるから。知名度っていうのは結局、知っていると知名度があるっていう、すごく単純な話ですけども(笑)。

(高橋芳朗)じゃあ、音楽番組を作る時に心がけていること、留意していることとかはどんなことがありますか?

(ピーター・バラカン)うーん・・・まあ、音楽のクオリティーを落とさないっていうだけじゃないかな?

(高橋芳朗)クオリティーですね。

(ピーター・バラカン)うん。そんなにね、大それたことをやってませんからね。本当に素朴に、できるだけいい音楽。まあ、僕が思ういい音楽をできるだけ多くの人に聞いていただきたいという。もう、それだけです。

音楽メディアとしてのラジオの可能性

(高橋芳朗)はい。じゃあ、第一位、行ってみたいと思います。音楽メディアとしてのラジオの可能性。まず、『ラジオのこちら側で』を出版した意図。この本を通じて伝えたかったことっていうのをバラカンさんにお聞きしたいんですけども。

(ピーター・バラカン)まさに、その音楽を伝えるメディアとしてのラジオは過去からどうだったか。まあ、主にイギリスの話なんですけども。それと、日本独自のいろんな状況はやっぱり日本だけなんじゃないかな?っていう。そういうことを知ってほしいと思ってたり。あとはね、ラジオ離れがすごく起きているからね、少しでもね、ラジオにまだ可能性があるんだっていうことを思ってほしいという。そういう気持ちなのかな?うん。

(高橋芳朗)あの、音楽メディアとしてのラジオの現状については、どのようにお考えですか?

(ピーター・バラカン)かなり厳しいと思います。さっき言ったね、音楽をかけるラジオがすごくいま、少なくなっていて。で、日本は割とラジオに限らず他の分野でも、割と右ならえ的な社会ですからね。ラジオの、さっきのダイヤルじゃないんだけど。車なんかでもね、ステーションを変えるとね、似たり寄ったりなんですよ。みんな。せっかくだったら、もっとね、それぞれ個性を持った編成をしてほしい。

(高橋芳朗)うん。

(ピーター・バラカン)たとえば僕が好きな洋楽。しかも一昔前の洋楽だったり、本当にでも普遍的な良さを持った音楽っていうのはたくさんあって。いまの日本のラジオでかかってないんですよ。だから本当に音楽文化がどんどん衰退していく。もう、危機的な状況だと思っていて。少なくともね、極端な低予算でできるようなインターネットラジオを可能にしてほしいんですよ。

(高橋芳朗)ああー。

(ピーター・バラカン)これ、日本だけなんです。できないのは。世界どこ行ってもね、いろんな多様なラジオがね、インターネットでも聞けるんですけど。日本だけは全くこういうことができなくて。これはね、もう本当にこの国、笑いものになっちゃいますよ。

(高橋芳朗)そうですね(笑)。

(ピーター・バラカン)オリンピックでみんな来たら、『ええっ?そんなことできないの?』ってバカにすると思います。

(高橋芳朗)たしかに、そこがちょっと音楽の発展を妨げているところは確実にあると思いますね。はい。

(ピーター・バラカン)だからどうしてもね、スポンサーの収入を必要とする大きなラジオ局では僕がやりたいと思うようなことはできないかもしれませんけども。でも、インターネットだったら本当にね、少ないスタッフで、低予算で、なんとかできるはずなんですよ。で、それをとにかくやらせてくれる状況だけ作ってほしい。

(熊崎風斗)そっか。その状況ができてないってことですね。

(高橋芳朗)そうですね。うーん・・・そっか。今後の未来の可能性というのは、かなり厳しいというご意見をいただきましたけども。

(熊崎風斗)そういう・・・でも、そういうことなんですね。

(高橋芳朗)ちょっと、またランキングから外れて、僕、聞きたいことがいっぱいあるので。引き続き。大丈夫ですか?OKという指示をいただいたんで。あの、ラジオDJに要求されるものはなんだと思いますか?

(ピーター・バラカン)これは・・・僕が答えてもいいんですけど、他の人が『ぜんぜん違う!』って言うかもしれません(笑)。僕は音楽に対する情熱だと思います。

(高橋芳朗)あの、まさに『ラジオのこちら側で』の帯に『文章が知識だとすると、ラジオは情熱』という風に書かれています。

(ピーター・バラカン)そうですね。ラジオのDJはやっぱりね、まあ、日本では音楽をかけない人もラジオのDJと言うんですね。DJは『Disc Jockey』ですからね。やっぱり音楽をかける人がDJだと思っていて。やっぱり音楽をかける時は、自分が好きなものでなければ、話に説得力が出ない。1リスナーとしてもね、ラジオを聞いていて、『ああ、この人、原稿読んでるな』と思うとね、すごく興ざめしちゃうんですよ。

(高橋芳朗)なるほど(笑)。

(ピーター・バラカン)だから、好きな音楽を選んで、自分の言葉で語るっていうのが。まあ、僕が言っているのは自分が子供の頃のね、50年代、60年代の話かもしれませんね。いま、イギリスやアメリカのラジオでも本当に自分の好きな音楽だけかけているDJってほとんどいないと思います。もう、いまのマーケティングの時代ですからね。どこのラジオ局でも、いわゆるプログラムディレクターというのがいて。それからミュージカルディレクターがいて。たとえばTBSならTBSでかかる音楽を全部1人の人間が決めているっていう、そういう状況なんですね。いま、世界的にそうなりつつあるんです。

(高橋芳朗)うんうんうん。

(ピーター・バラカン)ちょっと、でもそれは残念だと思います。昼間はね、免れないかもしれませんけども。夜とか、特に深夜。また、週末のそういったところでもっとね、ニッチな音楽をいっぱいかけてね。聞きたい!っていう人がね、ぜったいにいますよ。

(高橋芳朗)はい。

(熊崎風斗)では、こんなところでピーター・バラカンさんからおすすめの曲をですね、紹介していただきたいんですけども。よろしいでしょうか?

(ピーター・バラカン)まず、ひとつはね、いま、世の中が下手すると戦争の方向に進んでいる中で、『爆弾はぜったいに平和をもたらさない。暴力はさらなる暴力しかもたらさない』っていうメッセージを持った曲です。ちょうどイラク戦争の時に出たものですけども。マイケル・フランティとスピアヘッドっていう彼のグループで『Bomb The World』。

Michael Franti & Spearhead『Bomb The World』

(ピーター・バラカン)マイケル・フランティの『Bomb The World』を聞いています。今、『Power to the peaceful 』っていういちばん好きな言葉が出てきました。

(高橋芳朗)あの、いまも1ライン、ご紹介いただきましたけども。この曲のメッセージとか、他の印象的なパンチラインとか、教えていただければと思います。

(ピーター・バラカン)まあ、『We can bomb the world to pieces But we can’t bomb it into peace(爆弾で世界をめちゃくちゃに、粉々にすることはできても、平和をもたらすことはできない)』っていう。『Pieces』と『Peace』と対比させてるんですよ。上手いんだ。これが!

(高橋芳朗)(笑)。技ありの1曲ということで。

(熊崎風斗)それではこの後は番組宛てに届いたメッセージを紹介していきます。

(CM明け)

若い世代にもっとラジオを聞いてもらうには・・・

(熊崎風斗)ここからは番組にいただいたメッセージを紹介していきます。(メッセージを読む)『ピーター・バラカンさんへの質問です。私、中年ではありますが、どうすれば今後、若い世代向けのラジオ番組を放送局が作ろうという方向に導いてくれると思いますか?そして、若い世代にもっとラジオ番組を聞こう!と思ってくれる、ラジオに関心を持ってくれるためには、そうすればいいと思いますか?』という質問です。

(ピーター・バラカン)若い世代は・・・そもそもラジオを聞かずに育っている人が多いと聞きます。そうするとね、彼らにラジオを聞いてもらうためには・・・非常に難しいと思いますよ。あの、たぶんね、彼らをターゲットにするということはあまりにも難しすぎて。むしろラジオを聞いてくれそうな人たちをまず、満足させて。それで本当にいい番組を作っているっていうことが浸透すればね、若い人たちも少しは興味を持つんじゃないかな?うーん・・・答えになってないかもしれませんけども。

(高橋芳朗)あの、Radikoの普及で少しちょっと状況が変わるかな?とも思ったんですけども。はい。

(ピーター・バラカン)最近聞く話はね、ラジオをもともと聞いていた世代の、いま割と小さい子供たちはね、親がいまだにラジオを聞いているから、一緒に聞いていると好きになるっていう。その話を聞いています。だから、ラジオ曲が彼らをターゲットにするっていうよりも、親が好きで聞いてれば、子供が一緒に聞いて。特に朝なんかはね。ラジオを聞く習慣はできると思います。

(熊崎風斗)ああー、なるほど。

(高橋芳朗)じゃあちょっと今日のお話の、最後総合するまとめのような感じで、最後にラジオで音楽をかけることの意義みたいなところをお話しいただけたらと思うんですけども。

(ピーター・バラカン)あの、嫌なことがいっぱいあるんですけども、いい音楽を聞くとね、途端にね、それと関係なくいい気分になるんですよ。音楽にどれだけ、僕なんかは救われてきたか知りません。番組を聞いてくれるリスナーなんかも、みんな同じようなことを言いますね。だから、やっぱりそういう、みんな気持よく過ごしていただくために、いい音楽をたくさんかける。もう単純でいいと思います。

(高橋芳朗)シンプルで。わかりました。じゃあ最後、ピーター・バラカンさんが選ぶ今年のベストソングを選んでいただいてるんですよね。どんな曲か?ちょっと紹介していただけますでしょうか?

(ピーター・バラカン)先ほど、ステイプル・シンガーズの話もしたんですけど。その、もう亡くなってしまったお父さんのポップス・ステイプルズの遺作っていうのかな?亡くなる前に半分できていたテープをね、娘のメイヴィスに渡して。『これ、なくさないでね』って言って。『Don’t Lose This』っていう。そのままアルバムタイトルになったんですけど。彼女がいろんな他のミュージシャンにたのんで仕上げてもらったものが出ています。その中から、『Friendship(友情)』というタイトルの曲です。

Pops Staples『Friendship』

(高橋芳朗)ピーター・バラカンさんに選曲していただきました、2015年のベストソングということです。ポップス・ステイプルズで『Friendship』でした。

<書き起こしおわり>

伊集院光とピーター・バラカン 『暴力脱獄』とラジオを語る
ピーター・バラカンさんがTBSラジオ『伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!』に出演。おすすめ映画『暴力脱獄』を紹介しつつ、伊集院光さんとラジオについて語り合っていました。 (伊集院光)さあ、お待たせいたしました。映画には一言も...
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