佐倉綾音さんが2025年5月7日放送のTBSラジオ『佐倉綾音 論理×ロンリー』の中でNHKラジオで放送された『不登校・さて、どうしよう?』という番組に出演したことについてトーク。かつて不登校児だった佐倉さんが自身の経験をメディアで話すようになった理由を紹介していました。
(佐倉綾音)ということで無事、入館証も手に入れましたので私の闇の話でもしていこうかなと思いますね。ということで、先ほどオープニングでも少し触れましたが、『不登校・さて、どうしよう?』というですね、NHKのラジオに出演をさせていただいておりました。昨日、5時起きでですね、朝の8時からいろいろと専門家の方とアナウンサーさんとおしゃべりをしてきたんですけれども。いやー、50分、50分の二部制で。結構、100分って時間あるなと思ってたんですけど、あっという間に過ぎてしまって。
でも、かなりガチガチに実は進行が決められていたんですね。別日に打ち合わせがあって、そこから吸い上げた私の経験談が全部、台本の中に組み込まれていて。それを結構、一問一答形式で答えていくみたいな感じの進行だったので、なんかそういったちょっとね、固めの進行の中でやっぱり聞いている人の耳をどれだけこちら側に傾けさせられるか?っていうところを私、ラジオの中で結構大事なポイントかなと思っていて。
特にね、このゴールデンウィークとはいえ、朝の8時とか9時とかっていう時間って、何かをしながら聞いていたりとかしているんじゃないかなという風に想像したので。そういう方が少し、よく聞く舌触りのいい言葉で通り過ぎていかないように、月並みでありきたりな言葉にならないように誰かの耳にちょっとでも、良くも悪くも引っかかるようにという風に話したつもりでいます。
まあ私のことをきっとね、よく知らないんだよっていう方もいらっしゃるかなと思うので少し触りだけお話をさせていただこうかなと思うんですが。私は小学校5年生から中学校いっぱいまで、ほとんど学校に通っていない、いわゆる登校拒否、不登校児でございました。実は高校もですね、声優の活動を始めていたんですけど。かなり出席日数ギリギリまで休みましたね。
それはお仕事にちょっと時間を割きたいっていう風に自分で判断をして休んだりしたこともあったんですけど。もうシンプルに学校という決められた場所、集団行動っていうのが私にはちょっと肌に合わなくて。できるだけ行きたくないという気持ちで自分で、なんだったっけな? 36時間・2遅刻を1年ですると授業の単位が取れないみたいな、そういう計算をして。
で、ギリギリ36時間・2遅刻、すべての教科を休んで。本当にそれぐらい学校に行かないことへの執着というのが強い子供でした。そうなんです。で、中学3年生の終わりに声優事務所に所属が決まって。そこからかなり自分の中での生きがいだったりとか、頑張る理由っていうのを……そういった、いわゆるサードプレイスですね。を、声優の現場というところに私は見つけることができて、徐々に徐々にそういった不登校、登校拒否という状況から離れてはいったんですけれども。
保健室登校とかもですね、私はほとんどしていませんでした。家から出るのも嫌でしたし。まあ、ただ本屋さんとかには行けたんですよね。だからやっぱり学校が嫌だったのかな? その学校という集団行動のシステムに組み込まれている先生、生徒という人に会うのが嫌だという風に、自分が誰か他人をひとくくりにして見てしまっていた部分がとても大きかったのだと思います。
学校に行けるなら行った方がいい
(佐倉綾音)で、先んじてお伝えしておくと基本的には学校というのは行けるんだったら行った方がいいと思います。やっぱり何にも代えがたい、その時にしか得られないもの、経験っていうものがたくさんあります。私はその時にしか得られないもの、経験というものを代償に不登校児として別の経験を得たというだけの話でございます。「不登校でよかった」なんてことは口が裂けても言えないんですけれども、これを正解にしていくしかない。味方にしていくしかないという気持ちで今、発信をしています。
あれから20年近く経つんですけれども、母親が主に私に向き合ってくれていて。で、父親は結構、海外での仕事が多かったので家にいない時間もとても多くて。ただ、やっぱり帰ってくると登校拒否をしている私のことを、私の人生や本質や性格、人格を否定することなく丸ごと受け止めて。「一緒に映画、見ようか?」とか、そういう風に気持ちを逃がしてくれるのが父の役目でした。
で、そことは対照的に毎日、私と一緒に過ごして苦しませてしまったのが母でした。母をやっぱりいっぱい苦しませてしまったんですけども。昨日、そのラジオを聞いた母から「ラジオの交通情報が流れると『今日も1日が終わるんだ』と毎日、思っていました。時間が取り戻せるならやり直したい」という風に母に言われました。でも、私はさっきも言った通り、「不登校でよかった」なんてことは言えないんですけど。ただ、不登校の経験がなかったら今の声優、そしてエンターテイナー佐倉綾音という存在は存在し得なかったと強く思っています。
私は結構、今の自分の人生がかなり愛おしいです。人よりもちょっと早く、人よりもたくさんの経験、感触、それから人に言えないようなドス黒い感情だったりとか、こう、生死にまつわる、生きる・死ぬにまつわる自分の感情だったりとか。そういったものをたくさん獲得したなと思っています。登校というものを犠牲に。あと、小さな幸せをやっぱりいまだに大きく感じることができるなというのもその時に獲得した感覚であると思ってますし。
当たり前っていうものをずっと大切に抱きしめていられるなっていう感覚もその時、みんなが当たり前にできていることが全くできなかったという負い目から……でも、その負い目が今は財産として、同じような思いをしている人の共感っていうものに変わって。今でも、とても大切な感覚として胸の中に残り続けているなと思っています。
まだまだ大きい「不登校児」というレッテル
(佐倉綾音)まだね、「不登校児」って結構、レッテルが大きいんじゃないかなと思うんですよ。「ああ、あの子、不登校だったんだ」とか。その「だからなんだ」っていう、そういう会話につなげられてしまうっていうのは非常にしんどくて。誰かが前を向こうとしていることの枷になってほしくないなという風な思いが私は今、結構強いんですね。私もやっぱり、最近なんですよ。「不登校でした」っていう風に発信をすることができたのって。それまでは自分の中で整理できていない感覚だったりとか。
あと、当時登校拒否、不登校だった私のことを知っている人がまだ目新しい感覚でなんか私のことをネガティブに改めて見直してきたらどうしようとか、せっかくここまで不登校というレッテルをひた隠しにして佐倉綾音という名前を手に入れて。佐倉綾音としていろんな人の力になれるかもしれないという前向きな感情でいられているのに。「ああ、あの不登校だった子ね」っていう風に思われてしまうのが怖くて。なるべくその人の記憶を引きずり出したくなくて、ひた隠しにしてきました。