町山智浩『ワース 命の値段』を語る

町山智浩『ワース 命の値段』を語る たまむすび

町山智浩さんが2023年2月21日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中で映画『ワース 命の値段』を紹介していました。

(町山智浩)で、今日は今週に公開される作品です。

(赤江珠緒)日本だと2月23日、明後日ですね。

(町山智浩)23日に公開される映画で『ワース 命の値段』という映画です。これ、「ワース(Worth)」っていうのは英語で「価値」っていう意味ですね。「I’m not worthy.」とかいうと「私にはそんな価値はございません」みたいな謙虚な言い方になるんですけども。これは911テロというのが2001年にあったんですが。その時に怪我をしたり、死んだりした方々が6000人ぐらいいたわけですが。そうなった人たち全員に賠償金を支払うために、その賠償金の金額を計算した弁護士が主人公の話です。

(赤江珠緒)全員を、その弁護士の人が?

(町山智浩)やったんです。で、6000人というのはその遺族の人たちですね。死傷者はもうちょっと少ないんですけれども。その遺族6000人の計算を全部やらなきゃならなかった。これはこのケン・ファインバーグ、ケネス・ファインバーグという弁護士がやったんですけれども。これ、どうしてかって言うと、アメリカ政府……その当時はブッシュ政権なんですが。彼はそこから頼まれたんですよ。

まず、これがどうしてか?っていうと、遺族が賠償を請求する場合、たぶんそれは飛行機会社に行くだろう。アメリカン航空とユナイテッド航空の飛行機が2機ずつ、ハイジャックされたんですね。それが世界貿易センタービルに激突して。あとはペンタゴンに激突したんですが。その飛行機に乗っていた人たちと、そのビルにいた人たちがみんな亡くなったんですが。

それと、そこに救出に向かった消防士の人、警察官の人も亡くなったわけですよ。で、この場合にそのハイジャックを許した航空会社に対して賠償を請求する可能性がある。そうすると、たぶん航空会社はその賠償金だけで両方とも、倒産するだろうと。

(赤江珠緒)まあ、そうですよね。航空会社が払える額ではない規模になっちゃいますよね。

(町山智浩)はい。それはどうしてかと言うと、世界貿易センタービルというのはビジネスビルだったんですね。で、その中にいて亡くなった人たちの多くが証券マン、金融会社の人、投資家、銀行家、弁護士といった人たちが多かったんですね。で、彼らの年収は1億円とか2億円とか、ザラなんですよ。で、損害賠償請求をする場合っていうのは、これは日本も同じことで計算されてるんですけど。年収とその時の年齢が大体、基本的な数字なんですね。

で、年収2億円の人があと10年働けるとすると……ということなんですよ。で、少しずつ年収も上がっていって……って計算すると、その人の価値は20億円以上になりますよね? もっとですね。実際は、もっと行きますよね。で、また同時にそういうビルで働いてる人たちっていう中には、掃除の人たちもいるわけですよ。そういう人たちはニューヨークだから、他よりは少しはいいんですけれども。300万円とか400万円ぐらいの年収なんですね。

で、ものすごい差があるわけですよ。でも、同じ命ですよね。これ、命に値段をつけるという、大変な事態なんですよ。で、これでまず、賠償請求を年収1億円、2億円とか3億円、4億円とかそういう人たちが普通に計算をして航空会社に賠償請求をすると、航空会社は倒産するんですが。

そのアメリカンとユナイテッドの2つの航空会社が倒産すると、どうなるか? アメリカの航空は完全に滅びるに近い状態になるんですよ。ユナイテッドがね、次々と航空会社を吸収していって。アメリカンも吸収していったりしてたんで。航空会社ってアメリカでは大手はこの当時、三つとか四つぐらいになっているんですよね。だからほとんどアメリカの航空産業が滅びちゃうんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そうか。それはちょっとアメリカとしては由々しきことですよね。

(町山智浩)そしたらもう、アメリカという国は機能しなくなっちゃうんですよ。それと、その航空会社で働いてる人たちは、ものすごい人数なんですよ。その働いてる人たちも、もう大変なことになっちゃう。アメリカという国の経済がガタガタになる。そしたらこれ、テロリストたちの思うつぼですよね。だから、これはアメリカ政府としてはこの賠償金を全額、アメリカ政府が肩代わりするということになるんですよ。で、これに関しては議会で通るんですよ。

(赤江珠緒)まあ、そうでしょうね。これはちょっと皆さん、納得する感じ、しますね。

アメリカ政府が航空会社の賠償金を肩代わりする

(町山智浩)共和党も民主党も通って、アメリカ政府から出せる金額というのが「75億ドル」ぐらいが予算として議会を通るんですよ。で、「この枠の中で賠償してくれ」っていう風にこのファインバーグという弁護士は言われるんですよ。で、これがどうなるかというと、普通に金持ちの、ものすごい収入のある人の分も計算しちゃうと、わずか15%のすごい金を稼ぐ人たちが賠償金のうちのほとんど90%近くを取っていっちゃうことになるんですよ。ものすごい格差があるから。

でも、それだと何のための保障にしたのか、わからないという状態になりますよね? だから上限と下限を付けるんですよ。で、どんなに収入が低い人でも、ここで亡くなった人には1人、大体2000万円ぐらいを出すという風に決めて。その代わり、ものすごくたくさん……どれだけ稼いでいた人でも、最大は13億円ぐらいしか出せないという風な形で、上と下を決めて。その中で何とか払う計算式っていうのを彼らが出すんですね。

で、「これで全部を解決してくれ」っていう風に政府から頼まれて、このファインバーグさんがやるんですけれども……全然うまくいかないんですよ。これね、早くやらないと大変なことになるんですよ。だって、その遺族の人たちは収入がなくなっちゃってるわけですから。特に、その奥さんたちがいるわけですけど。そこで働いていた人たちとか、特に消防士とか警察官の奥さんたちは子供をたくさん抱えてですね。それで働き手がいなくなっちゃったんで。それで、消防署とかからはお金が出るんですけれども、かなり苦しい状態になりますよね?

(赤江珠緒)そうですね。もたもたしていられないですね。

(町山智浩)で、「何とかこれを3年以内に全部、解決しろ」って言われるんですよ。ところがタイムリミットがどんどん迫るのに、みんな、それに応じないんですよ。その示談の申請に。

(赤江珠緒)そうね。これ、難しいな。

(町山智浩)難しいんですよ。で、その応じない理由っていうのは、ひとつは大金持ちの人たち。ものすごく収入がある人たちは、普通に裁判をした方がたくさん取れるから。上限をつけられて……「もっと稼げるはずだから、もっと取るぞ」って言っていて。ものすごい優秀な弁護士をつけて、集団訴訟をしようとしてるんですよ。だから、彼らは応じないんですね。

それとあと、中産階級よりも下の人たちは、「こういう計算で人の命の価値を決められて。で、金持ちたちよりも何百分の1しかもらえない。それでお金を払って『はい、これでおしまいですよ』っていうのは、あまりにもひどすぎる」ということで、拒否するんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。いや、その気持ちもわかるね。

(町山智浩)で、その拒否した人たちっていうのは、たとえばその弁護士とか、その裁判のことかがわからない人たちがかなり多いんですが。「ただムカムカしている」というだけの人も多かったんですけれども。それを組織化する弁護士が出てくるんですよ。この政府の側の基金で賠償金を支払うという案に応じない人たちの集団訴訟をしようという形で、彼らを組織化する弁護士が出てきまして。その人はチャールズ・ウルフっていう人なんですけれども。この人は奥さんが世界貿易センタービルの北タワーの97階にあった弁護士事務所で働いていたんですね。このウルフさんの奥さんは。

で、97階っていうのは、飛行機が突っ込んだまさにその場所なんですよ。で、最初の段階で即死しているんですね。で、もう全く遺体も何も出てきていないです。で、そういうことで非常に衝撃を受けているのに、このファインバーグって弁護士はみんなを集めて公聴会をやるんですけれども。「こんな感じで計算したので、これにサインしてくれれば裁判をしないでお金を払いますよ」みたいな感じなんで。「これはあまりにも人の心がなさすぎる!」と。

(赤江珠緒)そうですよね。こんな理不尽な死に対しての怒りがまず、ものすごく皆さんにあるのに。そこで計算式って言われてもな……。

(町山智浩)ねえ。「人の命をこんなことで、話もろくに聞かないで計算して、おかしいじゃないか!」ってことで、不満を持つ人たちを組織化しちゃうんで。もう全然、この賠償金の申請に応じる人が増えないんですよ。で、タイムリミットを超えて、集団訴訟とかになってしまうと、本当に航空会社も潰れてしまうという、大変な事態になってしまう。でも、タイムリミットがどんどん迫ってくるっていう話なんですけど。

これはこのファインバーグという弁護士を演じた人はマイケル・キートンという俳優で。この人は、初代バットマンの俳優さんですね。映画版の。90年ぐらいに作られた最初の大作『バットマン』でバットマンを演じていた人なんですけれども。本当に素晴らしい俳優さんで。この映画では最初ね、負け知らずの弁護士ってことで頼まれて。「どうせ勝つよ。やるしかないね」みたいな感じで気楽に始めるんですけれども。でも、やってみるとうまくいかない。「本当にお前は人間じゃない!」みたいなことを言われるわけですよ。

それでもね、やっぱりエリート弁護士で。現在75歳で、その時も結構なお年で。超ベテランで、政治的な権力を持ってるから、あんまりその人の文句を聞かないんですね。最初は。で、自分の部下の人たち、アシスタントの人たちに文句を言ってきた人たちに会う仕事は全部振っちゃっているんですよ。だから、彼の部下たち……ものすごい人数がいるわけですけど。彼らは抗議してきた人たち1人1人に会って、その人たちの訴えを聞くんですね。でも大抵は、こんな感じなんですよ。

「ビルの100階ぐらいのところに夫はいました。携帯で電話をかけてきて。『下が燃えていて、もう下に降りられないと思う。子供たちをよろしく頼む』と。それが最後の電話でした」とかね。そういうのを何千人と聞くんですよ。これね、アシスタントの人たち、みんなメンタルおかしくなってくるんですよ。だんだん。

(赤江珠緒)そうでしょうね。

(町山智浩)「こんなお金の計算なんか、しないでください。お金なんかいりません!」とか言われるわけですよ。それを1人1人、全部聞くんですよ。でもこのファインバーグはそれをなかなか聞かないんですけども。途中でこのチャールズ・ウルフという弁護士とやり合ううちに、「これはやっぱり1人1人、聞くしかないんだ。何千人いようと、全部話を聞くしかないんだ。計算じゃないんだ。1人1人の痛みを知らなければいけないんだ」っていうことで、駆けずり回るようになるっていう話なんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そんなベテラン弁護士の人が?

(町山智浩)そうなんです。

(赤江珠緒)ちょっと今までのやり方も変えて……みたいな。

1人1人の話を聞くため、アメリカ中を駆けずり回る

(町山智浩)変えて、本当に会いに行くんですよ。飛行機に乗って、そこらじゅうにいる遺族の人たちに。という映画なんですよ。これはすごいなと思いますよ。ただ、彼自身は善意から始めてるんですよね。

(赤江珠緒)そうですよね。だってどう考えても、難しい仕事であることは間違いないですもんね。それを受けるだけでも……って思いましたけども。

(町山智浩)彼、このファインバーグ弁護士というはこれ、「プロボノ」でやっているんですよ。

(赤江珠緒)うん?

(町山智浩)プロボノっていうんですが。無料で、やっているんですよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)プロボノっていうのは、公共善のために非常に自分の高度な知識であるとか、スキルを使うことをプロボノっていうんですね。アメリカの弁護士は年間50時間以上をプロボノで働くべきという風に言われてるんですよ。でも、そうしないとほら、貧しい人の裁判をやる人がいないじゃないですか。金にならないからって。でも、アメリカの弁護士は「これをやれ」っていう風に言われてるんですよ。

で、彼はやるんですけれども。これだけの負け知らずの力を使って、アメリカっていう国が経済的に崩壊するのを救うことができれば、それはもう自分が生まれてきた意味だから……ということで、この仕事を引き受けるんですけども。彼はでも、本当は苦しんでる人の気持ちがわからなかったってことを、自分が段々わかっていくっていう話なんですよ。

それぞれの個別の問題への対応

(町山智浩)これはね、すごい話でね。それぞれに個別に問題があるんですよね。たとえば、事実婚の人をどうするか?って話になってくるんですよ。事実婚の相手に補償をするのかどうか。で、その事実婚の中には同性の人がいるわけですよ。ゲイの人で、男同士で一緒に暮らしている人とかね。事実婚状態の人。ただ、この当時はまだ、アメリカは同性婚というのは連邦政府の方では認められてないんですよ。州ごとに違うという状況だったんです。

そうすると、ニューヨークだったら一応、認める方向で行ってるんですね。事実婚状態だったならば、夫婦と同じように賠償金であるとか、遺産とかの相続権利があるっていうことをニューヨークでは認めてるんですけど。でも南部のバージニア州だと認めないとか。南部の方はもう全然認めないとか、あって。ただ、911テロの被害者っていうのはもう、アメリカ全土に広がってるわけですよ。飛行機が飛んだわけですからね。で、その場合はどうするのか、とかね。そういったことが次々と起こってくるんで。やっぱりそれは計算式一発では、決められないんだ。それぞれみんな違うから。家族は違うから。

あと、国籍のない人っていうのもいるんですね。アメリカ国籍がない人。その人たちにも全て、補償をするんですよ。アメリカ政府のお金で。だって、そうじゃないとおかしいじゃないですか。

(赤江珠緒)そりゃそうですよね。

(町山智浩)で、特にその掃除をしていた人とか、アメリカ国籍を持っていない人がかなり多いんですね。で、その人たちも支払うという。でも、「2000万円」っつったらみんな、貧しい人たちはOKするんですけど。金持ちは最後までね、なかなか応じないんで。さあ、どうなるか? タイムリミットは迫ってくるという映画がこの『ワース 命の値段』です。まあ、面白いし、いろいろ考えさせますね。

(赤江珠緒)実際にね、我々も本当に記憶に残っていることですもんね。

(山里亮太)そうね。

(町山智浩)命の値段っていうのをつけなければならないっていうのは、これはどういうことなんだ?って。

(赤江珠緒)ねえ。起きたこと自体も悲劇でしたけど。その後にもまた、こういったことがあったんですね。

(町山智浩)実は誰でも命の値段っていうのはあるってことなんですよね。ただ、それはどういう風に考えるべきかという話ですね。はい。

<書き起こしおわり>

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