立川志らくさんが2022年12月22日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演。M-1の審査員を務める中で、ランジャタイやヨネダ2000などに高得点をつける理由について、話していました。
(土屋伸之)一方、ヨネダ2000とか今回も高得点。これ、ランジャタイの時もね、やっぱり志らく師匠の99点っていうのも印象的でしたけども。ヨネダ2000も高得点で。
(立川志らく)だから、古典芸能の伝統の世界に私なんか、いるじゃないですか? で、今でこそ、私は自分の力で風穴を開けて、一之輔にしてもね、みんな変わった落語をやってるけども。あれは私と志の輔さん2人で時代を作ったと思ってるんですよ。私が入った時なんか、ちょっとギャグを変えるだけで「誰に教わったんだ?」とかね。オチを変えるだけで怒られたり。
「あの師匠はそんな教え方、しないぞ」とか。「それじゃあ、落研だよ」って言われていたのが、今はもう、それが王道じゃないですか。古典落語を少し変えるっていう。だから、ああいう漫才を思いっきり、違う視点で変えてやるんだ!っていうのを見るとね、なんかすごく気持ちが……若い頃の自分を見ているみたいだなってね。
(土屋伸之)ああ、なるほどね。そういうところがあるんですね。
(立川志らく)それはすごくありますね。
若い頃の自分を見ているような気持ちになる
(塙宣之)じゃあもう相当、40年ぐらい前は全然、古典はあんまりアレンジはせずに?
(立川志らく)そう。ちょっとアレンジをすると……月の家圓鏡、橘家円蔵師匠みたいな、ちょっと外れた邪道になるんですよ。で、邪道でそこで天下を取る人はいるんだけども。でも古典落語家としては認められない、みたいな。で、それを最初にやったのが高田文夫先生ですけどね。古典落語をめちゃくちゃにしてやって。それを私は、高田先生の弟子でもあるから、見ていて。
「ああ、こんな風にプロでやれたらいいな」と思ってやってたんで。それはもう、風当たりはすごい強かった。だからランジャタイなんかを見てると、「あんなの、漫才じゃないよ」って言われているのを「いや、これが漫才になったっていいんだ!」って応援したくなるんですよね。すごく。
(塙宣之)その漫才の定義みたいなのって志らく師匠の中で、なんかあるんですか?
(立川志らく)いや、私はだからダイマル・ラケットだとか、それこそいとし・こいしだとか、ああいった漫才をずっと子供の時から見てるんで。一番好きなのは、いわゆる正当のしゃべくり漫才で。一番好きなのは、そうなんだけれども。でも、やっぱりそれだけだったら絶対に漫才にとってはね。やっぱり、いろんなのが出てこないと。それをM-1で……だから漫才論争で「マヂカルラブリーは漫才じゃない」とか言われるとね、「いや、それは『しゃべくり漫才じゃない』っていうだけだろ?」っていうね。
(土屋伸之)そうですね。元々、いろんなものがあったのが漫才ですもんね。
(立川志らく)そうそう。いろんな……とにかく面白いものがっていうね。
志らく師匠「ヨネダ2000は女版ランジャタイ」
#M1グランプリ pic.twitter.com/esw33BUmbZ— 和 (@ran92110) December 18, 2022
<書き起こしおわり>