高田文夫 発注ミスで松本明子が『電波少年』『ビバリー昼ズ』に起用された話

高田文夫 発注ミスで松本明子が『電波少年』『ビバリー昼ズ』に起用された話 ラジオビバリー昼ズ

高田文夫さんが2024年1月8日放送のニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』の中で『電波少年』のT部長、土屋敏男さんと対談した際の模様を紹介。『ラジオビバリー昼ズ』だけではなく『電波少年』でも松本明子さんが発注ミスによって起用されていた件を話していました。

(高田文夫)そうだ。暮れにさ、あれだよ。土屋くん。電波少年のT部長と『昭和50年男』っていうマニアックな雑誌があってさ。結構、面白いんだけどさ。そこで土屋くんがいろんなコーナーをやっていてさ。それで対談したんだよ。土屋くんが「会いましょうか?」なんて言うから「じゃあ、昔のテレビの話とかしようか」っていうので。2人で延々、話をしていたんだよ。

そしたらさ、あいつはYouTubeもやってるからさ。雑誌のスタッフがいて。こっちにはYouTubeのスタッフとか、もういっぱいいるんだよ。「土屋も大変だな。「みんなを食わせなきゃいけないし、大変なんですよ」なんてやっていてさ。で、どうのこうのって話をしてたんだけど。「あれですよね。高田さん。アッコ。あれでしょう? 1989年にビバリーが始まる時。あれ、亀渕さんに発注ミスだったんでしょう?」って。「ああ、そうそう」って。

俺が89年にビバリーを始める時に「そういうことで。やりますよ」「高田ちゃん、頼むね。高田ちゃん、誰かしゃべりやすい相手がいたら、アシスタントでつけるから。女の子、誰がいい?」ってなって。で、俺は当時、一番かわいくて脳みその回転がいい子っていうことで。「松本典子でいいんじゃない?」って亀渕さんに俺、言ったんだよ。で、「本番です」ってなって俺が1人で来たらさ、お前がスタジオに座っていたっていう(笑)。「よろしくお願いしまーす」なんて(笑)。

(松本明子)「よろしくお願いしまーす」って(笑)。

(高田文夫)発注ミス(笑)。

(松本明子)「典子じゃねえじゃねえかよ」って(笑)。

松本典子を発注したら、松本明子がいた

(高田文夫)小声で亀渕さんに「典子じゃないじゃない? これ、明子! もう、しょうがねえからこいつでいいや」って。それで気がついたらもう35年、やっているんだよ。間違えから35年。で、その話をして大笑いしていてさ。そしたら土屋が「そうなんだよ。うちもそうで」って。ビバリーを聞いていて。電波少年を始める時に「松村くん、面白いな。じゃあ、松村くんを仕込んどいて」って土屋くんがプロデューサーに言って。「あと、松本典子も仕込んどいて」って言ったんだって。これ、電波少年も本当の話。「松本典子ね。あの子、頭の回転が早いから。よろしく!」っつって。それで本番でスタジオに行ったら松村とお前がいたっていう(笑)。

(松本明子)アハハハハハハハハッ!

(高田文夫)「もう全部、アッコはミスで座ってるんで。電波もね、私は松本典子がいいっつったんですよ」って。

(松本明子)あれも発注ミス?(笑)。

(高田文夫)「そしたら、本番で松本明子がいるから。『今さら、断れないな』って。アッコ、間違い、間違いで35年、持っちゃった」って(笑)。

(松本明子)「間違い、間違い」で来ちゃったんですか?(笑)。

間違い、間違いで35年、持った松本明子

(高田文夫)そうなんだよ。すごいんだよ。それで向こうのスタッフがゲラゲラ笑っているんだよ。「そうそう」なんて。で、「先生、私、覚えてますか?」なんて。あれの後輩みたいなのがいてさ。「誰なの?」って聞いたら「僕、毎週金曜日になると松村くんを拉致してロケに連れて行く担当で。いつも金曜日の番組終わりで挨拶をしていました」って。「覚えてねえよ、そんなの!」って(笑)。

(松本明子)いつもガラスの向こうで待っていましたから。電波少年のスタッフが。

(高田文夫)で、松っちゃんを捕まえてロケに行くわけだよ。かならず金曜日の1時に捕まえに来るんだよ。電波のスタッフが。「その時、毎週行っていたのが僕です。覚えてないですか、先生? 僕ですよ。懐かしいな」だって。「なにが懐かしいだよ?」って(笑)。それで近土日とどっか、行っちゃうんだよな?

(松本明子)そうです。そうです。連れて行かれちゃって。そうですか。懐かしいですね。

(高田文夫)それで大笑いしていたの。その雑誌で対談しようっつってやってさ。笑った、笑ったよ。

<書き起こしおわり>

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