TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で構成作家の古川耕さんが映画『バーニング 劇場版』の監督、イ・チャンドンさんにインタビュー。その模様の書き起こしです。
(日比麻音子)今夜は2月1日に新作『バーニング 劇場版』が公開されるイ・チャンドン監督のインタビューをお送りします。
(宇多丸)はい。ということでスタジオには今回、イ・チャンドン監督にインタビューしてきた番組構成作家の古川耕さんがいらっしゃいます。
(古川耕)よろしくお願いします。古川ですー。
(宇多丸)「いらっしゃいます」っていうか、まあ番組スタッフですからね。
(古川耕)一応、形だけでも礼儀はね。
(宇多丸)古川さん、よろしくお願いします。
(古川耕)よろしくお願いします、宇多丸さん。
(宇多丸)ということで、イ・チャンドンですよねー。
(古川耕)イ・チャンドンですよねー。思い出し緊張してきました(笑)。
(宇多丸)振り返ってね。ということで、イ・チャンドン監督がどれだけ素晴らしい偉大な監督なのかというあたり、日比さんの方からあらためてご紹介、お願いします。
(日比麻音子)はい。ご紹介します。イ・チャンドン監督は1954年生まれ。韓国出身の映画監督、脚本家、そして映画プロデューサーです。1997年の『グリーンフィッシュ』で長編監督デビュー。1999年の『ペパーミント・キャンディー』で世界的な評価を集め、2002年『オアシス』では第59回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。2007年に製作された『シークレット・サンシャイン』はライムスター宇多丸のシネマランキング2008で堂々の1位に輝きました。そして今週の金曜日、2月1日『ポエトリー アグネスの詩』以来8年ぶりの新作『バーニング 劇場版』が公開されます。
(宇多丸)ということでイ・チャンドンさん。非常に、『バーニング』でようやく6作目っていう、非常に寡作ですよね。
(古川耕)97年に監督デビューしてからですからね。
(宇多丸)で、寡作でありながらも一作一作、ドスンドスンと腹に来る……ステップアップもすごく作品ごとにすさまじいですし。あと、その間に公の役職に就かれていたりもしますよね。
(古川耕)そうですね。政府の中で芸術に関わる仕事されたりとか、大学で映画の授業を教えたりとかしていて。実は、ちょっと話は逸れますけども、イ・ランさんっていう日本でも人気のあるシンガーソングライターで文筆家の方。そのイ・ランさんもイ・チャンドンさんの『ペパーミント・キャンディー』を見て、1日中部屋で泣いて。で、「自分も映画を撮ってみたい」っていうことでイ・チャンドン監督が教える学校に行って。で、5年後にようやく話しかけて。「サインをください」って言ったらイ・チャンドン監督から「先生と生徒という関係でこういうのはやめようよ」って言いながら、「がんばれ」っていうサインを書いてくれたっていう、そういうエピソードが最近のエッセイ集『悲しくてかっこいい人』の中にも出てきますけども。
(宇多丸)へー。まあでも『ペパーミント・キャンディー』を見て、1日泣いてるっていうのはわかりますよ。人の心に取れない傷を残すのはやめてくれてっていう。本当にね。まあ、どれも素晴らしい作品なんですけども。なんと、そのイ・チャンドン監督の8年ぶりの新作が来ると。しかもそれがなんと、村上春樹の映画化っていうね、ちょっとびっくりしちゃいましたけども。
(古川耕)簡単に概要を説明してもらっていいですか?
(日比麻音子)はい。紹介します。村上春樹さんの短編小説『納屋を焼く』が原作となっています。あらすじをご紹介しましょう。アルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンスは幼馴染の女性ヘミと偶然再会します。そして彼女が旅行先で知り合ったという謎めいた金持ちの男ベンをジョンスに紹介します。ある日、ジョンスはベンから「時々、ビニールハウスを燃やしている」という秘密を打ち明けられる。そしてその日を境にヘミが忽然と姿を消してしまう。この劇場版の公開に先駆けて、去年12月にNHK BS 4KとNHK総合で劇場版より53分短い、95分の吹き替えバージョンがこれ、日本で放映されたってことですよね?
(古川耕)はい、そうです。
(宇多丸)ちょっと変わった経緯ですね。
(古川耕)そうですね。なんかもともとこの映画、実はNHKが制作資金を出して作った映画らしいんですね。実はNHKさんってそういうアジアの芸術的な映画にお金を出して作ってもらうっていうのを政策としてやってることがあって。これも実はその一環ということで作られた映画だそうです。で、それと別に村上春樹の原作を選んだっていうことは関係はないそうなんですけども。まあ、そういう事情があってまずはNHKさんで最初に放送して。その後に劇場版という形で日本公開するという。でも、世界的には長いバージョン。『劇場版』と言われて日本で公開されるやつが世界的には普通に上映されているっていう状態らしいですね。
(宇多丸)これ、ねえ。どこまで話していいのか、ちょっとあれですけども。『納屋を焼く』はもちろん僕、読んだことがあって。で、その劇場版の方を一足早く僕も拝見して。「えっ、『納屋を焼く』ってこんな話になっていったっけ?」って思ったら、もうすでにNHKで放映されているテレビの吹き替えバージョン、短縮バージョンは比較的その元の『納屋を焼く』に近いという・・。
(古川耕)展開は比較的近い。
(宇多丸)展開そのものは近いっていう感じなんだけど。ねえ。またそのイ・チャンドン監督独特の解釈というか、そのあたりが劇場版はさらに面白いことになっている。さあ、ということでこの後にインタビュー素材を聞いていただくわけですけど。インタビューをしたのはいつですか?
(古川耕)昨年の12月11日(火)ですね。取材日ということで来日されている時に、ホテルまで行ってお話を伺ってきました。
(宇多丸)どんな方でしたか?
(古川耕)穏やかですごく誠実そうな方でですね、ひとつひとつの質問にすごく丁寧に答えていただいて。とてもね、20分ぐらいの時間だったんですけども、聞ききれなくて。本当にファンの方、ごめんなさい。「全然聞きたいことを聞いてないじゃないか!」っていう文句もあると思います。それぐらい短い時間で僕も引き込まれながら話をしてしまったので。ちょっとお聞き苦しいところもあるかもしれませんが、ご容赦いただければ。
(日比麻音子)緊張してきました(笑)。
(宇多丸)私も緊張してまいりました。では、行きましょうかね。ここからさっそく約12分間、古川耕さんによるイ・チャンドン監督インタビューをお送りします。どうぞ!
イ・チャンドン監督インタビュー音源
<インタビュー音源スタート>
(古川耕)よろしくお願いします。8年前に『ポエトリー』を私、劇場で見まして。立ち上がれないほど僕は感動をしまして。いまだにあの映画のことを本当に思い出すんです。ですから、『バーニング』。新作を見られるというのは僕にとって本当に嬉しいことです。ましてや監督にお会いしてお話がうかがえるなんてことは本当に思ってもみなかったことなので、とても感動していますし、緊張しています(笑)。
(イ・チャンドン)『バーニング』を見て失望したりしませんでしたか?
(古川耕)とっても素晴らしかったです。ただまだ、まだ『バーニング』という作品から受けた余韻の中に私、まだいます。じゃあちょっといくつか、まず順を追って質問したいんですが。この配られたパンフレットの中で監督が「村上春樹のこの原作小説を読んだ時に『ポエトリー』以降に悩んでいた問題とリンクする部分があると感じた」という風におっしゃっているんですけども。この監督が悩んでいた問題というのは、それは具体的ななんだったんでしょうか?
(イ・チャンドン)『ポエトリー アグネスの詩』以降、これからどんな映画を作っていくべきか。そしてどのように観客とコミュニケーションを取っていけばいいのか。そんな映画監督として根本的な問題にぶつかったんです。最近の映画がシンプルになっている一方で、現実世界は非常に複雑になり、とても曖昧模糊なものになっている気がしています。それは人生についても同じことが言えると思います。そんな中で、映画でどのように観客とコミュニケーションを取るべきか悩んでいる時に、村上春樹さんの『納屋を焼く』という小説に出会い、この複雑で曖昧模糊とした世界を映画にできるのではと思ったんです。
(古川耕)数ある村上春樹の中でもこの『納屋を焼く』という作品の中にそういったその世界の複雑さだったり多様性だったりを描きとることができるということを感じたのは、より具体的にどういったところだったんでしょうか?
(イ・チャンドン)映画ではビニールハウスに変更していますが、村上春樹さんの原作小説には1人の謎の男が登場し、「納屋を焼く」と話す場面があります。小説では本当に男が納屋を燃やしたのか、それとも納屋というのはただのメタファーなのか。それを追いかけていく短いミステリー小説ですが、結末ははっきりと明かされていない。その曖昧な結末の部分を映画的に幾重にも解釈し、複雑で曖昧模糊な世界や人生をミステリーとして組み立て、拡大させることができるのではと考えたんです。
(古川耕)この映画のラストはそういった非常に多義的な原作小説に対して、ひとつの解釈を与えているとは思うんですが。でも、この映画はこの映画で、あのラストでさえ様々に解釈できるようになっていると感じます。それがすごく私にとってまた深い余韻を残すことになってるんですけれども。こういったことをやはり監督は意図されていたのでしょうか?
(イ・チャンドン)あのラストの展開はこの映画を作り始めた時から意図していたものでした。この映画は私に確固たる答えがあるのに、それを観客に見せないというタイプの映画ではなく、いろいろな解釈が可能な映画です。いろいろな事件、いろいろな問題が提示されていますが、見る人によってその解釈は違うと思います。結末においても観客によって解釈が違うということでしょう。最後のジョンスの行為の意味を考える人もいるし、現実ではなく小説の一部なんだと考える人もいるかもしれません。そのように幾通りにも解釈できる結末だと思います。
(古川耕)よくわかります。『ポエトリー』という監督の前の作品のラストと比較して考えたのですが、ミジャという『ポエトリー』の主人公はまあ、彼女も最終的には自分自身を罰するという結末を迎えるわけですけれども。その代わり、彼女はいままでずっと書けなかった詩を書き切るということで、観客は何か彼女の魂が救われたような、そういった前向きなものを持って帰ることができたように思うんです。ところが『バーニング』に関して言うと、ジョンスという彼が小説を書いているとは言いながら、書くシーンが最後まで出てきませんよね。そして彼がそれを書き上げたのかどうかも分からないし、ひょっとして小説を本当に書いていたのかどうかさえ怪しいところもあると思うんです。監督のこれは作り手というよりは、監督が観客だったとして、監督の好きな解釈を聞きたいんですけれども。ジュンス、彼は本当に小説を書いていたんでしょうか?
(イ・チャンドン)この映画の中にジョンスが小説を書いているシーンは最後の方にちょっと出てくるのみで、それ以前は「作家志望」と言いながらも、一度もありません。彼がものを書くシーンといえば、父親の嘆願書を微笑みながら満足気に書くシーンがあるだけです。ジョンスが本格的に小説を書くのは、最後にヘミの部屋で書いているシーンが少しあるぐらい。
先ほど、「この映画は幾通りにも解釈が可能な映画」と言いましたが、そのひとつが作家志望のジョンスが世の中を丁寧に観察して、この世界にどんなことを語ればいいのか、そしてその物語の意味を探しているという解釈です。そういう意味では、最終的にジョンスは小説を1本書き終えたのでは? と取れるラストで『ポエトリー』と構造的に似ているところがある気がします。小説であれ、映画であれ、観客が見たい、あるいは読みたいと思う叙事――つまり出来事をありのままに記すことですが――それはなんなのか、問いかけたいと思ったんです。
この映画において、ジョンスは語り部ですが、ベンにとっても人に聞いてもらいたい、聞かせたい物語を持っているし、ヘミにとっても彼女なりに語りたい物語があるはずです。3人とも、何かしらの自分なりの物語を探している。観客であれば、映画の中に叙事を見たいという欲望がある。その観客が見たいと思っている叙事はなんなのか、問いかけたいと思ったんです。
(古川耕)素晴らしい。なるほど。でもおっしゃる通り、その通りですね。ジョンスが書いた小説のラストのようにも思えますね。ジョンスもそうですし、『ポエトリー』のミジャもそうですけど、「書く」という行為が非常に重要な意味がある2作品を撮られていますし。今回は村上春樹のみならず、ウィリアム・フォークナーの話も出てきます。ギャッツビーの話も出てきます。
僕はこれは想像なんですけども、イ・チャンドン監督は同時代、あるいは過去にさかのぼって、もちろん映画を作り続けているわけですけども。映画以外……特に文学であるとか、そういったものからの影響であるとか、そういったものに自分の作品が位置づけられるのではないかという風に考えてらっしゃるのではないかとなんとなく、予想というか勘があるんですけども。こういったことについて、監督はどうお考えでしょうか?
(イ・チャンドン)私は映画監督になる前は小説を書いている作家でした。もちろん村上春樹さんような人気や影響力がある作家ではなかったけれど、小説を書いていました。そのせいか、私には世界や人生とは何か。常に問いかける作家としての基質がある気がします。この映画の中でジョンスは作家を志望しています。彼は世の中になにを伝えたらいいのか、なにを書いたらいいのか、いつも自問しているんです。
常に世界で起きている現象に目を向けて、人生の意味を探している存在としてジョンスはこの映画に登場しています。私もかつて作家だった人間として。そしていまでは歳を取った映画監督として、ジョンスのようにずっと世の中に何かを問いかけているような気がします。でもそのように生きていくことは映画作りにおいては辛いことなんです。楽しかったり感動的だったり意味のあるシナリオで映画を作れればいいのですが。なんだか自分ではそれでは十分でないような気がしてしまうのです。常になにか意味のある質問を投げかけたいと思っているのですが、それはとても難しいことなんです。
(古川耕)わかりました。ありがとうございました!
(イ・チャンドン)ありがとうございます。
<インタビュー音源おわり>
(宇多丸)はい。ということで番組構成作家の古川耕さんによるイ・チャンドンインタビューをお送りしました。(拍手)。いやいや、お疲れ様でした。
(古川耕)こんなに心細い声が流れる放送というのも……(笑)。
(宇多丸)いやいや、僕が緊張して声が抑えめになっている時のトーンと近いですよ。俺、ちょっと「あ、似てるな」って思いながら(笑)。
(古川耕)緊張すると人の声って似ていくんだなって(笑)。
(宇多丸)でもね、ご謙遜されていましたが、素晴らしいですよ。特にこれ、たぶん『バーニング 劇場版』、ぜひみなさんご覧になっていただくと、よりこの対談の意味というか、なんの話をしているのかがより明確にわかるじゃないかとも思いますし。さらに言えば、特にいっぱい出てきた監督の前作の『ポエトリー』であるとか、監督のフィルモグラフィーを並びで見ていただきたい。さらにはあと、やっぱり僕も今回、この機会に『納屋を焼く』をもう1回、読み直して。とか、そうやって多角的にやって読み返すと今日のインタビューの含むところとかがいっぱい出てくるんじゃないかなって思いますね。
(古川耕)イ・チャンドン監督が後半に言われていた、その「意味のある質問を投げかけ続けたい」とかっていうのが、じゃあこの映画の中ではどういうことなんだろうとか。僕は正直まだ、咀嚼しきれていないので。また大きな宿題をもらったような気分ではあるんですけど。まあでも、今回の映画……日比さんもご覧になったんですよね?
(日比麻音子)私もまさに、先にいただいたものを拝見して。昨日、見たばっかりなんですけど。いや本当に監督もおっしゃってた通りに何通でも解釈ができる。で、古川さんも「まだ余韻の中に入ってる」とおっしゃってましたけど、私もやっぱり見た後に眠れなくて。美しくて穏やかなシーンの中に隠れている悲しみとか寂しさとか激しさっていうのがたくさんメッセージをもらうので。ひとつ考えるとまたもうひとつ、もうひとつって連鎖が続いていくような。あれがすごく、どっぷりとはまってしまったなといった感覚がありましたね。
(宇多丸)だし、映画を見ていてこれ、褒め言葉なんですけど。村上春樹さんの小説を読んでる時に感じる、ある種の薄気味悪さというか。世界っていうのを主人公が見た時に、世界の薄気味悪さっていうか、みたいなものをすごくね、平易な表現を使って言うならそういうものがすごく全体に不気味な……「世の中ってなんか気味悪い!」っていう、そういう感じとかがたしかに村上春樹さんの小説を読んでいる時の感じだ!っていう。そういうのがちゃんと刻印されていたりして。
(古川耕)ねえ。不穏だし、緊張感もあるし……っていう。本当にだから、見終わった後にドッと力が抜けるというかね。
(宇多丸)だからこれ、作っている人はましてそうなんですよね。僕らが何年かに一度、イ・チャンドンの最新作を見てドスンと来てげっそりしてるじゃないですか。本人はもっとね、出し切っているんでしょうから。
(日比麻音子)それを投げかけ続けているっていうのもまたすごいエネルギーですよね。
(宇多丸)寡作なのもむべなるかなっていうような方じゃないでしょうか。ということで、イ・チャンドン監督最新作『バーニング 劇場版』は2月1日公開です。ムービーウォッチメン、ガチャにも入ったりするんだと思います。
(古川耕)がんばってください、宇多丸さん!
(宇多丸)大変です! でも古川さん、素晴らしかったです。お疲れ様でした。
(古川耕)ありがとうございました。
(日比麻音子)ありがとうございました。
<書き起こしおわり>