玉袋筋太郎さんが2022年2月11日放送のTBSラジオ『たまむすび』の中で友人である小説家、西村賢太さんの訃報について話していました。
(外山惠理)でも雪の中、えらいですね。ちゃんとウォーキングも続いていてね。本当に。素晴らしい。
(玉袋筋太郎)まあ、えらかないですけどね。
(外山惠理)えらいと思いますよ、私は。
(玉袋筋太郎)やっぱり生きている限りはね、そういったことをしなきゃいけない。そういうことをやろうと思ってもできないっていうこともあるかもしれませんよ。うん。知り合いのお友達がこの間、亡くなっちゃって。西村賢太先生が。
(外山惠理)ああ、そうだ。玉さんね。
(玉袋筋太郎)そうだよ。賢太先生はもうウォーキングできないんだよ?
(外山惠理)そうだ。玉さんの顔があの時、浮かびました。
(玉袋筋太郎)この人、もともとウォーキングしねえからね、不摂生がたたったっていう話もあるけども(笑)。
(外山惠理)ねえ。突然のことで。
よく一緒にお酒を飲んでいた
(玉袋筋太郎)昔、本当によくお酒を飲んでいたんですよ。芥川賞作家の西村賢太先生、まさかの訃報でね。もうちょっと、ガクッと抜けちゃったよ。で、パーッと思い返してみるとね、いろんなことがありましたよ。お酒を飲んで、2人で取っ組み合いの喧嘩をしたりとか、いろいろとあったんですけども。でもまあその後もずっと仲がよくてね、飲んでいたんだけども。よくお酒を飲んでいるとね、彼が言っていたことがあってね。あの時、まだ俺たち40代後半かな? 同い年だから。で、「50代も近づいてくるね」なんて話をしたらさ、酔っ払って。
いつも賢太先生がさ、「俺はもうどうせ、50代で死ぬからね」ってずっと言っているわけよ。それで俺は「嫌だね、そんなの。死んでほしくないよ」って。彼の小説、自分をモデルにした北町貫多っていう。『苦役列車』とか。それがずっと物語であるじゃないですか。「俺は50歳になっている北町貫多も読みたいし、60歳になっている貫多も読みたいし。70になっても読みたいんだ」とか言っちゃってさ。そうしても、賢太は「まあ、そういう風に思ってくれるのが花だ」って。そうしたらね、有限実行。嫌になっちゃうよね。死んじゃうんだから。野垂れ死んちゃうんだからさ。
まあ、自分の師匠と一緒ですよね。藤澤清造先生がやっぱり野垂れ死んだから。その人を没後に自称弟子として名乗ってね、やっていたんだけども。まあ、亡くなっちゃって、非常に残念でございますよ。もうちょっと飲みたかったなって。でも、俺と飲んだから……って、そんなことはないか(笑)。飲みすぎたってことはないと思うけども。
(外山惠理)そんなことはないでしょう。
(玉袋筋太郎)まあ、ご冥福をお祈りしますよ。賢太先生。
<書き起こしおわり>