アンガールズ田中さんが2021年6月16日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の出演。「ジャンガジャンガ」と「キモかわいい」でブレイクした後、それを捨てて「気持ち悪い」ことを認めた瞬間を話していました。
アンガールズ田中くん、最高でした!
お聞き頂きありがとうございました!いやー田中、凄いなー!
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— 佐久間宣行 (@nobrock) June 16, 2021
(佐久間宣行)俺、田中と初めて仕事をしたのっていつだったっけ?
(田中卓志)いや、俺も覚えてないんですけど。俺、『ゴッドタン』に最初に出たのはなんとなく覚えていて。「おっぱい見せてください」って土下座しながら言ったのだけ覚えている。
(佐久間宣行)天王洲スタジオのロビーで。もう日村さんとかが「おっぱい見せて」から引退して。「おっぱい見せて」の新しい戦力として田中が入って。たぶんグラビアアイドルとかに「おっぱい見せてください!」って土下座をきれいにしてたのは俺も覚えてる。
(田中卓志)それだけ。だいたいそのぐらいやって帰りのエレベーターに乗ったっていう記憶があったんですけども。なんかそれぐらい……その前ってあるんですかね?
(佐久間宣行)調べてみたら『キンコンヒルズ』っていう番組で2006年かなんかにキングコングとやってた時に来てもらってるんだよ。たぶん相撲を取ったりしてるんだよ。山根と。
(田中卓志)ああ、山根とね! で、空中に浮いてるみたいな?
(佐久間宣行)そうそう。空中に浮いてるみたいな、アンガールズのガリガリ紙相撲みたいな(笑)。
(田中卓志)互いにまわしを上げすぎて、空中でやるみたいな(笑)。
(佐久間宣行)2人とも空中に浮くっていう奇跡(笑)。2人とも軽いから空中に浮くっていう相撲を。
(田中卓志)今、言われて思い出した!
(佐久間宣行)そう。あと、たぶんジャニーズの番組。『Ya-Ya-yah』っていう番組だと思うんだけども。
(田中卓志)ああ、『Ya-Ya-yah』。出てました。
(佐久間宣行)『Ya-Ya-yah』は俺もやっていたから。
(田中卓志)そうなんすか?
(佐久間宣行)そうそう。あれ、『Ya-Ya-yah』っていう番組が土曜にあって。今のHey! Say! JUMPのメンバー、八乙女くんとか薮くんがやっていた番組がリニューアルした時の1年間だけ演出をやっていた時期があって。手越くんとか小山くんとかも出ていた時期があって。その時にたぶん一緒にロケをやっていると思う。
(田中卓志)そうですね。何回かあれはお世話になって。
(佐久間宣行)ただ、あの時はお互い、やっぱりジャニーズの人と一緒にいる時の顔をしてるから(笑)。
(田中卓志)そう。佐久間さんっていう人間を認識してはないですよね。その時ね。『ゴッドタン』の1回目とかもまだ認識してないですもん。
(佐久間宣行)そうだよね。俺、フロアでカンペ出してるじゃない? だからだいたい、新しく来た芸人さんが全部、ADだと思ってるんだよね。最初。ADとか……だからいまだにグラビアアイドルの事務所の社長さんとか、ラジオをやるようになってから顔を分かってもらったりするようになったけど。1回もあいさつされたことないもん。ド真ん前でカンペ出してるんだからさ(笑)。
(田中卓志)(スタジオの)上にいるはずなのに。
(佐久間宣行)「こいつがプロデューサーなわけがない」って。俺、最後にあいさつで無視されたりするから(笑)。
(田中卓志)そうですよね。だから何回か出てるうちに認識したなっていう。
(佐久間宣行)で、田中はだってさ、俺の記憶だとその「おっぱい見せて」っていうのがもう10年以上前でしょう? で、「マジギライ1/5」っていう企画を思いついて、最初に撮った時がたぶん小木さんと田中なんだよね。
(田中卓志)ああ、ありました。ありました!
(佐久間宣行)うん。「マジギライ1/5」が「1/5」で小木さんが出て。その時、キャバクラ嬢のあいなっていうのがいて。あいながお笑いのこと、めちゃくちゃ詳しくて。結局、芸人さんの孫だったんだけど。浅草の芸人さんの孫だったらしいんだけども(笑)。なんだけど、あいながあまりにも面白くて。「あいなを2本目にも入れよう」ってなって。でも、5人用意していたから田中の時だけあれ、「マジギライ1/6」なんだよね。
(田中卓志)ああ、そうか!
(佐久間宣行)そう。あいなを加えたから。唯一、6人でやった「マジギライ」が田中の時で。ということは、その時から「気持ち悪い」って言われてるわけでしょう?(笑)。
(田中卓志)いや、もう気持ち悪いはだいぶ前から認めたというか……意外と芸能界で「自分が気持ち悪い」と認めて仕事するようになった最初の人は俺なんじゃないかっていう感じで。
(佐久間宣行)そうか。否定するもんね。
(田中卓志)それまではもう「気持ち悪い」って言われたら、それを否定するっていうのの一辺倒だったところを俺は新たな面の開拓として。ここで認めた人間が登場したっていう。その歴史、俺が最初だっていう風になんとなく思っているんですよね。
(佐久間宣行)キモ認め芸人(笑)。
はじめて「気持ち悪い」と認める
(田中卓志)そう。もうあまりにも俺、いろんな現場で「気持ち悪い」って、特に関西系の芸人さんが言ってくるんですよ。こっちはキモかわいいでおしゃれに売っているのに「気持ち悪いだけじゃん」って言ってくるから。
(佐久間宣行)剥がそうとしてきてね(笑)。
(田中卓志)そう。剥がそうとしてきて。もう毎回、いろんな現場で悔しくて。「キモかわいいだから。それ、違いますよ」って軽く言って全てのくだりが終わるんですよ。それで「このままじゃ終わらさせる」って……(笑)。
(佐久間宣行)なるほどね。剥がされて、もうそんなにいじらずに、アンガールズという芸人が終わっちゃうと思ったのね?
(田中卓志)そうなんですよ。そのへんで「ヤバい!」って思って。「ここはひとつ、あいつらに一泡吹かせなきゃいけない」って。
(佐久間宣行)吉本キャッチボールが始まっていた頃だね。吉本キャッチボールで「キモかわいい」の「かわいい」が剥がされてたところに、田中はそれで立ち向かったんだ。
(田中卓志)そこで俺は「かわいい」を完全に捨てて(笑)。
(佐久間宣行)かっこいいな!(笑)。
(田中卓志)ある日、突然モンスターとして登場して、吉本芸人が腰を抜かすっていう(笑)。そうなんですよ。もう、そうやるしかなかったっていうか。実力もそんなに……俺ら、やっぱり3年目か4年ぐらいで出てるから。
(佐久間宣行)そうだね。わかる、わかる。
(田中卓志)このままじゃあっという間に……向こうのパス回しでちょっとだけいじられてエサにされて終わるっていうことが続いていたから。
(佐久間宣行)だいたい吉本の芸人さんが7とか8とかで。東京芸人が1組か2組ぐらいの頃でしょう?
(田中卓志)そう。その環境でずっと育ってきたから。
(佐久間宣行)1個戻るとさ、たしかにオードリーとかアンガールズが「かわいい」で出てて、なんかその時のマネジメント的に「キモかわいい」のブランドを崩すためにNG事項がまあまああるっていう時期があったんだよね。これ、今だから話せるけど(笑)。
(田中卓志)そうなんですよ。実際、俺も自分では言ってないんですけど。会社とかマネージャーの方針もあって。「あ、そういうことがあったんですか」っていうのを後から聞いたんで。
(佐久間宣行)今だから話せるんだけど。俺もディレクターになりたてだった頃にアンガールズに出てもらった時に、「アンガールズはこれができないんで」っていうのが、アイドルのそれだったんだよね(笑)。
(田中卓志)実際、そうだと思います。
(佐久間宣行)ワーキャーだったもんね。ボーダーを着てたもんね。
(田中卓志)ボーダーも着てたし、髪の毛ももうハゲも一切見えないようにカッチカチに固めてやっていたんですけども。それがまあ、だんだんきつくなってくるというか。
(佐久間宣行)まあ、このまま行ったら剥がされて。もうそのかわいいがなくなったところで自分の芸人寿命が1回、終わっちゃうと思ったんでしょう?
(田中卓志)そうなんですよ。実力があれば、たぶんそれでもいけたんですけども。そんなのもないから。だから、よく最近は関西の芸人さんが「関西芸人は2回、売れなきゃいけない」っていうのがあるじゃないですか。
(佐久間宣行)あるね。大阪のレギュラーを捨てて、こっちに来なきゃいけないっていう。
(田中卓志)で、俺からしたらね、そっちの方がいいというか。
(佐久間宣行)なるほど、なるほど。1回、自分の実力を作る時間。ベースができてから。
(田中卓志)そうなんですよ。俺の場合、もういきなり東京でバーッとブレークして。今の実力の全てが全国にさらされちゃうから、きつかったんですよ!
いきなりブレークして実力が全国にさらされる
(佐久間宣行)そうか。でもそれって、オリラジとかも言ってたね。だから、やっぱりそうだ。東京でいきなりブレークしちゃうと、実力不足のまま全国ネットにさらされちゃうから。つまんねえやつだと思われちゃうっていうことでしょう?
(田中卓志)そうなんですよ。だから関西芸人の人が「いやー、2回売れなきゃ」って言うんだけど。あれは「こっちの方がきついから。そっちの方が楽だから」って言っているの。
(佐久間宣行)なるほどね。力をたくわえたり、人間関係をある程度作ったりする時があった上で出ていけるから。
(田中卓志)で、テレビというものの世界を知った後で、そこで鍛えられて。一応、必要なものは揃えた上で東京のテレビに来れるっていう感じの方が俺は今は羨ましいなっていう。
(佐久間宣行)そう考えると、だからサバイバーだよね。田中は。だって、オードリーとかバナナマンとかはさ、売れたのが30ぐらいからじゃん? だからライブもやってたし、いろんな試行錯誤をしていたから、その間に話せるネタとかもできていて。だから1回ブワーッとワーキャーになったし、大変だったかもしれないけど、地肩はあったもんね。だからアンガールズとか、なんだったらハライチとかもそうだけども。君らは地肩ができる前にもう戦場に……(笑)。
(田中卓志)もう全てをさらされて。しかもこのジャンガジャンガとか、典型的な一発屋の……(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ! そうだわ。だってブリッジで売れているんだもんね?(笑)。
(田中卓志)俺、ボキャブラを見ていて……お笑いを始めたのもボキャブラを見ていて始めたんですけども。ボキャブラに出ていた人たちがその後、トーク番組とかに出て。やっぱりその後にきつかったみたいな話とかを聞いていたから。「俺は今、まさにそれになってるんじゃん」って思って。それで、なんとか最初、キモかわいいでやっていたけども。
(佐久間宣行)ジャンガジャンガとキモかわいいのその2つだけでしょう? ブリッジとキモかわいいだけ……薄い武器だよね(笑)。
(田中卓志)なにもないのは自分の中でわかるんですよ。やっぱり芸人をやっていて。だから、どうしようと思いながらそれでなんとかごまかしつつ……。
(佐久間宣行)やっていたけども、その刀が全然歯が立たない時期になるんでしょう?
(田中卓志)そうなんですよ。でも、ひとつだけ出ながら思ったのは、俺はテレビっていうのを全く知らなかったから。テレビの世界ってすごいフリートークだけで全てが回っていると思っていたんですよ。でも、実際に出るようになってみたら、事前アンケートみたいなのがあったんですよ。
(佐久間宣行)ああ、あるある。そうね。大抵の番組はあるよね。
(田中卓志)俺、「これがあって助かったな」と思ったんですよ。事前に考えて……テレビに出ていた人ってそんなにすごいわけじゃないだと思って。
(佐久間宣行)みんな、もう当意即妙でね(笑)。
(田中卓志)「これ、ある?」みたいに聞いたらみんなバーッてすごい面白いことを言っていたけども。「これだったら俺でもなんとかなる」って思って。アンケートをちびちびちびちびと。
(佐久間宣行)じゃあ、その薄い武器2つしかないのをとりあえず努力で埋めようと。事前の勉強で。
(田中卓志)そうそう(笑)。それでやるしかないみたいな。
(佐久間宣行)それで戦っていたら、その事前の努力、アンケートで番組のほしいものを考えて当てるっていうのをやってた時に、関西芸人たちに刀を2つとも剥がされそうになったから、服を全部脱いだのね?(笑)。
(田中卓志)そうそう(笑)。全部脱いで「ウワーッ!」ってあいつらに襲いかかって(笑)。
(佐久間宣行)モンスターとして(笑)。
(田中卓志)もうびっくりさせてやりましたよ。「こんな刀、見たことない!」みたいな(笑)。
(佐久間宣行)そうでしょう? でも、それぐらいからでしょう? カニのモノマネを始めたのは。
(田中卓志)カニもやって。カニはうちの事務所の堀内健さんが俺がキモキャラやっているっていうので生放送でぶち込んでくれて。それをやったらウケるみたいなカニキャラをやって、みたいな。
(佐久間宣行)「カニ」というでっかい刀を。
(田中卓志)カニを1本、背中にね。
(佐久間宣行)ガチッと入れて(笑)。
背中にカニの刀
(田中卓志)いつでも抜ける位置に。一番抜きやすい位置に(笑)。
(佐久間宣行)ベルセルクみたいな場所にカニの刀を置いて(笑)。
(田中卓志)そうそう(笑)。
(佐久間宣行)一番、その剥がされそうになった時期が苦しかった? それとも苦しい時期って何度か訪れた?
(田中卓志)やっぱりだから、ジャンガジャンガも終わって。キモかわいいも……本当に一番きつい時期って俺、1ヶ月にテレビの収録が4本ぐらいしかなかった時期があるんですよ。ジャンガジャンガ後に。
(佐久間宣行)そんな時期、あるの? ずっと出続けてるイメージがあるけど。
(田中卓志)半年もないと思うんですけども。4、5ヶ月ぐらいの間、そんなのがあって。
(佐久間宣行)「これ、もしかしてブームが終わった?」って。
(田中卓志)「完全に終わったな」みたいな。営業はあるんですけど。営業でなんとか食っているみたいな。でも、テレビは月に正直4、5本しか俺、出てないんだ」みたいな。
(佐久間宣行)「呼ばれなくなってる」って。
(田中卓志)もう完全に呼ばれなくなりました。
(佐久間宣行)その時に、どういう感じだったの? どういう気持ちだったの?
(田中卓志)「終わった」っていうのと、「何か新しいのを見つけなきゃ」っていうのと。だから、なんかちょこちょこ紅茶の話とかしながら持たせたり。で、「趣味で苔をやっています」みたいな。
(佐久間宣行)たしかに。紅茶と苔、走らせ始めていたね。その頃。
(田中卓志)その2本を走らせて。その趣味系を語るみたいなところでちょこちょこ、それ以外の仕事を取ったりとか。でも、それも持たないのは見えているんですよ。紅茶、苔なんて……(笑)。
(佐久間宣行)そうね。手持ちの武器としては弱すぎる(笑)。
(田中卓志)刀……小太刀ですよ。本当に短い。「これじゃあどうにも斬れんな」っていうのが続くというか。でも、一応付け焼き刃にはなるという。
(佐久間宣行)それでもないよりはマシだからやろうっていう。
(田中卓志)そうそう・そうやって、なんとか食い繋いでいくみたいな。
紅茶と苔の小太刀2本で食い繋ぐ
(佐久間宣行)『ゴッドタン』でだけかもしれないけど、「松丸を本気で好き」っていう謎のキャラの時期、あったよね?(笑)。
(田中卓志)ありました(笑)。松丸ちゃんと……小木さんが紹介してくれて。
(佐久間宣行)そうそう。小木さんがね……これ、今だから話せるんだけども。小木さんが、なんかよくわかんないけど、田中と松丸アナウンサーが似合うつってデートをセッティングしたんだよね(笑)。
(田中卓志)そうそう。実際、一緒にデートして……みたいなのも1回、あって。ただ、向こうの親NGが出たっていう(笑)。
(佐久間宣行)史上初のアナウンサーの親NGっていう。「田中だけは絶対、付き合うのは許さない」っていうアナウンサーの親NGが出て頓挫したんだけども(笑)。
(田中卓志)別にしゃべれば合うと思うんだけどね。
(佐久間宣行)そうだね。松丸もお笑い好きだしね。なんだけど、ねえ。恋に恋に発展するとかのその前に親ストップだったもんね。「田中だけは絶対ダメだ」っていう(笑)。
(田中卓志)それでまあ、ちょこちょこやってるうちに気持ち悪いキャラみたいなのが『アメトーーク!』とかで……『アメトーーク!』もだから一番最初に出たのが俺、「アンが付く芸人」っつって。アンジャッシュさんとアンタッチャブルさんと一緒に出たんですよ。でもそこがカッスカスに滑って。
(佐久間宣行)だってアンジャッシュの、要は児嶋さんと渡部さんのまだ喧嘩とか、そういうのがあった上にアンタッチャブルでしょう? そこにアンガールズが入ったんだ。地獄だね!
(田中卓志)地獄で。本当に置くようにやったらボケがすごい空回って滑って……みたいな。もう、「なんでそんなことを言ったの?」みたいなことを宮迫さんから聞かれて。それに返す言葉も滑るし、みたいな。で、そこから2年ぐらい、『アメトーーク!』は出れてないんですよ。で、その間に、だからもうちびちびとキモキャラを……。
(佐久間宣行)キモキャラ。かわいいを脱ぎ捨てたキャラをどんどんと発展させていって。いろんなところで試して。
(田中卓志)で、ちゃんとして持っていったら、なんだっけな? 久々に出たの。企画は覚えてないですけども。まあ、結構宮迫さんも「キモかわいいを抜けて、キモキモキモやん!」みたいに言ってくれて。「ああ、これで行けるな!」みたいな。
(佐久間宣行)正式な刀になった、みたいな(笑)。
(田中卓志)『アメトーーク!』というこの……。
(佐久間宣行)お笑いの大舞台、大戦場で。
(田中卓志)大舞台できっちり受けたっていうのが1回、あって。それでなんとかやっていくみたいな。
<書き起こしおわり>