ジェーン・スー センチメンタル・バス NATSUをアフロヘアーにした話

ジェーン・スー センチメンタル・バス NATSUをアフロヘアーにした話 SHOWROOM

ジェーン・スーさんが2021年3月16日放送のSHOWROOM『豪の部屋』に出演。かつて、レコード会社勤務の際にセンチメンタル・バスを担当し、NATSUさんにアフロヘアーにするよう勧めた話をしていました。

(吉田豪)(コメントを読む)「エピック時代は誰を担当してたんですか?」。

(ジェーン・スー)エピックの時はアーティスト担当を初めてやったのが葛谷葉子っていう。で、その時のプロデューサーが松尾潔さんで。今日、松尾さんが『生活は踊る』のゲストだったんですけども。

(吉田豪)衝撃でしたね。松尾潔さんがゲストであんな話題っていう。

(ジェーン・スー)そう。老眼鏡の話を、ちゃんと自分で持ってきて。「さすが松尾さん!」って思ったんですけども。だから、松尾さんがちょうど音楽ライターから音楽プロデューサーになるところの境目のところで一緒にお仕事をさせてもらって。

(ジェーン・スー)あとは、アーティスト担当っていうところで言うと、クリスタル・ケイとかかな。『almost seventeen』っていうドーン!って売れたアルバムの時にはやっていました。

(吉田豪)センチメンタル・バスとかは?

(ジェーン・スー)センチバは……クレジットには一切載ってないんですけれども。大好きすぎて。センチバ好きすぎて。「やります、やります、やります!」っつってガツガツ制作宣伝チームに入っていって。で、あんまりこれ、話していないんですけども。事務所がアクシヴで。で、当時アクシヴって浜崎さんとかああいうきれい系の女の子が多くて。にもかかわらず、マネジメントの人とかがすごい音楽が好きで。プラダとか着て、すごい黒いジャケットでアクシヴっぽいんだけども、めっちゃ音楽が好きでエピックとなんかノリが合うみたいなチームだったんですよ。

大好きすぎて制作宣伝チームに入っていく

(ジェーン・スー)でも、やっぱり女の子だと「かわいい、ボブ」とか「ロング」とか、そういう感じだったんですけど。「違う! この子は絶対にアフロが合う!」って思って。私、事務所のOKを取らずに当時、『Zipper』で「見た目を変える」みたいな企画があって。で、やっぱり女性アーティストのライフスタイルが注目されるみたいな時期だったらんですよ。CHARAとかYUKIちゃんとかが普段、何をしてるかとか、何を着てるかとか。そういうのがすごい注目されて。サブカル系の雑誌だと『SWITCH』とかもあったし。だから『CUTiE』があって、『Zipper』があって……みたいな時代で。YUKIちゃんもCHARAもエピックだったからそういう現場を見ていて。「あそこの流れに乗せなきゃダメだ!」って思って。

で、エピックもすごい自由な会社だったので。まず最初に私服コーディネートのページっていうのを取ってきて。5、6人、アーティストとかモデルさんとかが私服を着て、それに投票をしてもらうみたいな。で、その私服とかも当時、エピックでバイトしていた超オシャレなバイトの子を連れていって。NATSUを連れていって、「予算ください」って言って2、3万もらって服を買って。コーディネートして出して。それでその投票では1位とかになったんですよ。それで実績を作って。

「だったら次は……」っていう時に「アフロにしたら1ページ、くれるか?」って言ったら「やる」って言うから。「じゃあ、事務所と話してくる!」って言って。「アフロにしたら1ページ、もらえるんですけど。アフロにしませんか?」って話したんですよ。そしたら、すごい乗ってくれて。「やるやる!」ってなって。で、NATSUもアキノリも、あと事務所の人たちも「あんた、なにやってんの?」って言われながら乗ってくれて。で、アフロにして。そのアフロにした時にちょうどあの「39度の♪」のタイアップが決まって……っていう風になったんですよ。

(吉田豪)はいはいはい! 僕らは完全に「アフロの人」っていう印象ですけど、そこにこういう仕掛人がいたわけですね(笑)。

(ジェーン・スー)そうです。なんかもう、あれがたぶん私が音楽業界でやった一番大きい仕事じゃないですかね?

(吉田豪)ああ、なるほど。へー!

『Sunny Day Sunday』

(ジェーン・スー)「アフロにする」っていうことでページを取ってきて。そしたらタイアップがついてドーン!って売れて。で、どんどんアフロが大きくなっていって。そんなに大きくできないから、だんだんウィッグをかぶったりするようになって。だからそれこそ、その時のレコード会社って、私が入ってすぐにCDをバブルですから。globeのアルバムが400万枚とか売れていたんですよ。

(吉田豪)はいはい。一番ピークの時代ですね。

(ジェーン・スー)だから、もう今から考えたら、新人とかだったらめちゃめちゃ売れてるんですけど。当時はやっぱりなんか「もっと売れてもいいよね」みたいなこと言われたりとかしていて。今になると「ああ、すごい時代だったんだな」って思いますよ。

(吉田豪)相当売れてたはずですけどね。センチメンタル・バスなんて。

(ジェーン・スー)そうですね。センチバは売れていますね。でも、それも結局解散することになるじゃないですか。それで、あまりにも解散がつらくて。本当に全身全霊をセンチバに傾けていて、あまりにもつらくて。その時に最後の……「解散」ってまだ発表はしてなかったんですけど。もう解散は決まっていて。クアトロでライブがあったんですよ。
で、それを見た時に、私はスタッフなのにギャーギャー泣いちゃって。で、頭にきちゃって。もう本当に、オタみたいになっちゃって。「こんなんじゃ本人たちに会えない!」ってなって。もう最後のライブだったんですけど、楽屋あいさつに行かないで。スタッフだから本当は絶対に残らなきゃいけないんですけども。もう激怒りのまま涙を流しながら渋谷の街を歩いて。

(吉田豪)「なんでこんな素晴らしいグループが終わらなきゃいけないんだ?」みたいな?(笑)。

(ジェーン・スー)「悔しい!」って思いながらソニーの袋を持って交番の横を通り抜けて帰ってきましたよ。

(吉田豪)へー! いい話でしたね。まさかの……。

(ジェーン・スー)本当に好きでしたね。

(吉田豪)鈴木秋則さんがその後ね、アイドル絡みの曲とかを書くようになってよかったですよね。

(ジェーン・スー)そうなんですよ。アキノリは。

<書き起こしおわり>

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