平成ノブシコブシの吉村さん、徳井さんが2021年2月17日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』に出演。コンビ仲が不仲だった時代や吉村さんの脇鳴らしなどについて話していました。
【佐久間宣行のオールナイトニッポン0】お聴きいただきありがとうございました!
平成ノブシコブシの2人をゲストに、天下を獲る芸人の話をしたりしました!
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— 佐久間宣行のオールナイトニッポン0【公式】 (@SakumaANN0) February 17, 2021
(佐久間宣行)メールが来ています。「ノブコブの2人のコンビ仲が悪かった頃って、何が原因でそうなっちゃったんですか?」っていう。
(徳井健太)まあ、ネタですね。やっぱり。
(吉村崇)ネタと、あと売れてないことへの……飯が食えないことへの苛立ちというか。
(佐久間宣行)ネタで仲悪くなるってどういうこと?
(吉村崇)なんか作っても……うまくいかないんですよね。僕が書いていたりしたんですけども、全部徳井のせいにしたりとか。で、徳井からしたら「いやいや、そんな……このネタだし」みたいなのがたぶんあったと思うんですよね。
(佐久間宣行)だってあのシーツを運ぶネタとかでしょう?
(吉村崇)そうです。シーツ。あれしかないですからね(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(吉村崇)だからM-1にしろ、キングオブコントにしろ、結果が出ないじゃないですか。決勝に行ってないんで。だからそこのストレスみたいなので……。
(佐久間宣行)逆に言うと、ひな壇が重量級ばっかりだから、ネタで結果出すしかないとか、そういう頃もあったっていうこと? でもそこに……逆にそういうタイプじゃないから。
(吉村崇)そういうタイプじゃないけど、そこへの憧れはたぶんあったと思うんですよ。ネタをやる芸人ってやっぱりかっこいいんで。でも、それが上手くできなかったことへの……っていうのはあると思いますね。
(徳井健太)なんか、無限大とかにいた時に、袖から見てくれる人が多ければいずれ売れるっていうような説があったんですけども。だから、俺も吉村も無限大では「面白い」って言われてたんですよ。まあネタっていうよりは、普段とかが。
(佐久間宣行)うんうん。平場も面白いって言われていた。
(徳井健太)だから、そういうことを続けていけばいずれ、芽が出るって俺は思っていたんです。だけど吉村はすぐに芽を出したいから1分ネタとか、レッドカーペットとか、M-1の決勝に行けそうなネタみたいなのを結構作っていて。で、俺は面白い方が結果的には早くなると思っていて。吉村は「いやいや、もっとポップで速い漫才をやりたい」っていうので。それで結構お互いが……。
(佐久間宣行)じゃあ、そのネタが上手くいく、いかないっていうのもあるけど、芸人としてどういう売れ方がいいか?っていうのを考えた上で、その戦略でもぶつかっていたっていうこと?
(吉村崇)そうですね。僕はとにかく、全部流行ったものに手を出しましたね。
(佐久間宣行)ああ、はいはい。まあ、そうだね。それはそれで戦いとしては正しいし、必死だもんね。
(吉村崇)で、そこについてこない相方とかにもたぶんイラついていたと思うし。
(佐久間宣行)それが結果、努力していないように見えるっていうことでしょう?
とにかく20代のうちに売れたかった
(吉村崇)そうです。そうです。というのもあったような気がしますね。でも、とにかく20代のうちに売れたかったですよね。その、大金というものを持ってみたかったんですよね。20代の時に東京を謳歌したいっていう……これがね、できなかったのが悔やまれますよ!
(佐久間宣行)フフフ(笑)。えっ、『ピカル』は何歳で始まったの?
(吉村崇)30歳ですね。
(佐久間宣行)そうか。『ピカル』ってある程度仕上がった人たちが集まったイメージ、あったもんね。そうだよね。ピースもノブコブも……なんかそれぞれでそれなりに結果出してきたな、ぐらいの集まりだった気がするよね。
(吉村崇)まあ、ハライチは若かったですけど。基本的にはみんな30歳ぐらいで……20代中盤、前半で売れたらどうなったのかな?っていうのはなんか、考えますよね。
(佐久間宣行)それ、なんか変わってたと思う? 今、だって『はねるのトびら』のメンバーも別にそんな、いろんな紆余曲折をやってるじゃない? そう考えたら。
(吉村崇)でも、楽しそうだったんですよ。僕らが20代前半の時の売れてる人たちを見てたら。「東京してるな!」っていう(笑)。俺、東京できなかったんですよ! そば屋でバイトしてて。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(吉村崇)あれがね……まあ、結果として今はよかったのかもしれないですけど。あっちも経験してみたかったなっていう焦りですよね。「ヤバい、ヤバい。歳を取っちゃう! 30歳になっちゃう!」っていう。それでしたね。
(佐久間宣行)そうか。歳を取ってから売れる人が増えてきたのって、たしかに……逆にこの10年だもんね。あの頃って、若くして結果を出してる人たちの方がたくさんいたもんね。
(吉村崇)多かったです。僕らが1年目の時は、「5年やって売れなかったら辞めた方がいいよ」っていうぐらい。25、6ぐらいでもう辞めている人もいたもんね。
(徳井健太)本当、10年目は辞めていましたね。解散していましたね。
(佐久間宣行)だってそもそも、そうか。よく考えたらキングコングの同期だもんね。だから、まず『はねるのトびら』チームがバコンと行っているのの同期みたいなもんだもんね。それは、焦るか。俺、キングコングと『キンコンヒルズ』とかを始めた頃ってあいつら、20代だもんね。
(吉村崇)そうですよ。それを見ていましたよ。「すげえな」って思って。
(徳井健太)俺もその時、なぜか焦ってないんですよね。だから、そこも吉村はムカついたと思うんですよ。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(吉村崇)焦ってほしいっていうか、もっとスイッチを入れてほしかったですね。で、その後に山ちゃんが行ったりとか。
(佐久間宣行)そうか。それで南海キャンディーズ、同期がまた売れて。
(吉村崇)はい。売れて。NON STYLEが行って。それで今度は下が売れるんですね。オリラジとかはんにゃとか、あのへんが来て。それでもう、ずっとテンパッてましたね。数年は。なにをやっていいかわからないし、なにをやってもハマらないしっていうので。
(佐久間宣行)もう、脇を鳴らすしかない時期でしょう?
(吉村崇)そう。脇を鳴らすしかないんですよ。で、脇を鳴らして半年で飽きられてきて。「どうしよう?」ってなった時はもう……。
(徳井健太)それはそうだって(笑)。
(佐久間宣行)フハハハハハハハハッ!
(徳井健太)だから俺も、その当時は吉村としゃべってないですけど。だから、「遊びでやってる」って思ったんですよ。
(佐久間宣行)脇鳴らしがね。
(徳井健太)そういうにぎやかしでやってるのかなと思っていて。それで何年か後に聞いたら、「本当にあれで家を建てようと思っていた」って。
(吉村崇)もう、あれしかないと思って。
(佐久間宣行)「脇鳴らし俺が一番売れる最短距離だ」って思ったのね?
(吉村崇)最短距離だと思ったんですよ。ブワーッと溺れていて、やっと掴んだ藁が脇鳴らしだったんで。「これで行くぞ!」と思ったら全然、相方も賛同してくれないし。
(佐久間宣行)逆に言うと……いや、あれは別に俺は間違ってたとは思わないけど。脇鳴らしで出てきたことによって、なんて言ったらいいの? そういう芸人さんだと思われたので、ちょっと遅れたところあるよね(笑)。
(吉村崇)フハハハハハハハハッ! 脇のせいですか?(笑)。
(徳井健太)まあまあ、「本格派じゃない」とは思われますよね。
脇鳴らしで本格派じゃないと思われた
(佐久間宣行)「本格派じゃない」って思われて。なんていうの? たとえばパンケーキとか、ひょっこりはんとか。ああいう系統の芸人さんだっていう風に思われてたかもしれない。ネタまで見るような、お笑い大好きなディレクターは違うけど。そうじゃなくて、ピンポイントで出す情報番組のディレクターさんとかはそういう扱いしちゃったかもしれないよ。
(吉村崇)そうか。あれだったんだ!
(佐久間宣行)「あれだった」っていうことはないけども。あれは正しいのかもしれないけど。そういうに思われたかもしれないよね。
(吉村崇)でも、ようやく見つけた活路でしたからね。あの当時の脇は。
(佐久間宣行)うんうん。
<書き起こしおわり>