星野源さんが2021年2月9日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で自身の楽曲『日常』の歌詞「みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ」について話していました。
(星野源)茨城県の方。「私は周りの目を気にしてしまって好きなことが『好き』と言えなかったり、言いたいことが言えなかったりします。でも源さんの『日常』という曲の2番の『みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ』という歌詞を聞いて、源さんって本当に素晴らしい考え方を持った人なんだなと思いました。そんな風に考えられるようになったのはどうしてですか?」。ああ、なるほど。
ええと、これは……何て言えばいいんだろうな? 「みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ」っていうところを「ここが好きです」って言ってくれることがすごく多くて嬉しいですけど。僕はこの曲を書いた時は、周りにそんな曲ばっかりだったんですよ。で、もう自分が音楽をやってる中で、もっと昔に……いろんな人がもう古くからこれって言い伝えられていたことで。「みんなが嫌いでも自分が好きならいい」みたいなことって歌の中で山ほど出てきているんですよね。
「みんなが嫌いでも自分が好きならいい」は多すぎる
で、「これは多すぎる」って俺は思っていたの。すごい多すぎて。なんか、そのことは全然間違ってないんだけど結局、「みんなが嫌うものでも自分が好きなら好きでいい」っていうのは本当なんだけども、そうじゃない社会があって。それが結局、変わっていないからずっとそのことを歌の中で言えているわけで。でも、時代がどんどんと進んでいって、どんどん「別にみんなが好きじゃなくても好きって言っていい」っていう場所なんてどんどん増えていってさ。
インターネットが出てきて、どんどんとブーム的な、全体の時代から個人の時代になっていくようなところで、そんなのがどんどん普通になっていると思っていて。それで、「そこまではみんな言うけど、でも『みんなが好きなものが好きでもいい』とは誰も言ってないな」って思ったの。その、ほとんどの人がというか、たとえば表現をしている人とか。あとはたとえばマニアックなものが好きな人とか。
で、みんなが好きなものを好きになれないとか、そういう人はすごい多いんだけども。でも、それっておかしくない?ってすごい思っていたの。僕にもそういう時期はあったけども。「いやいや、それってよく考えたらおかしいよね? それってすごい自分に嘘をついているじゃん?」って思ったの。
なんか、「みんなが嫌うものを好きでもいい」って言ってそれに対して酔う人も超いるけど、でもそれの裏返しというか。それはみんな「そうだよ」って言っているのに、そういう人なのにみんなが好きなものに対して「これ、好きなんだよね」って言うことに抵抗を感じる人もめちゃくちゃ多いなって思ったの。なんか、「流行り物に乗るのはダサい」みたいな。でも「えっ、それっておかしくない?」って思って。
じゃあ、これは誰も言っていないからっていうことで。それを言うために、その前段で「みんなが嫌うものを好きでもいい」っていうのを先に言わなくちゃっていう。それで、どっちも同じことだから。どっちも同じことだけど、後半の「みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ」って。そういう風に言っている人はいなかったから、俺はこれを言おうっていう風にして、歌にしたという。そういう感じです。はい。
星野源『日常』
<書き起こしおわり>