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麒麟・川島 芸人になろうと思ったきっかけを語る

麒麟・川島 苦手なトークテーマを語る ザ・ラジオショー
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麒麟・川島さんが2020年12月15日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』の中で芸人になろうとしたきっかけやラジオのハガキ職人だった頃の話をしていました。

(山崎ケイ)塙さんに聞いたと思うんですけども。元々ラジオとかに投稿をしていて。短歌かなんか、すごい狭いところにも応募してたみたいな話を……。

(塙宣之)なんかで見たんですよ。川島さんが……。

(川島明)元々、芸人になりたいというのは結構学生の頃からの夢で。でも、芸人って就職活動しようがないじゃないですか。だからそのラジオに対してハガキをめっちゃ出して。読まれたらなんか「おもろい」と認められた、みたいな。それでその時、KBS京都っていう京都のラジオ局でやってたのが雨上がり決死隊さんとバッファロー吾郎さんのこの4人で、すごいゴリゴリのお笑い番組をやられていて。

ここに対してめっちゃネタハガキ、大喜利なんかを送っていたんですけども。全然読まれなかったんですよ。レベルが高くて。それでホンマに俺としては自信満々で出してるじゃないですか。で、読まれない。それで俺、京都の田舎に住んでたんですけども。「これ、ホンマにハガキを回収してるのかな? 届いていたら読まれないわけない」って思って。それでずっと郵便屋を待ち伏せして。それで回収してくれてるのを見て。

「でも、届いてるのに読まれへんことはないな?」と思って。それで他の番組にいろいろハガキを出しだして。その中の1個になんか早朝にお爺ちゃんが1人でやってる俳句の番組にハガキを……本当に41円ハガキですよ。それにめっちゃ書いて送って。それで読まれるようになったんですよ。

(塙宣之)ああ、届いているかどうかの確認で?

(川島明)「届いているかな?」っていう実験みたいな。でもそこで読まれる喜びっていうのをすごく得たので。そっちにばっかりハガキを出して。なんかわからないんですけども、毎週知らんお爺ちゃんのテレホンカードが家に届いて。ノベルティで。

(山崎ケイ)アハハハハハハハハッ!

(塙宣之)その人は有名な人なんでしょうね。

(川島明)俳句界ではね。でも俺は知らんから。毎週、知らんお爺ちゃんの笑顔の50度数のテレカが送られてきて(笑)。

(塙宣之)その時はまだハタチぐらいですか?

(川島明)僕ですか? 15、6ですね。

(塙宣之)「15、6の子がこんなに送ってくれる!」みたいな?

早朝の俳句番組で投稿を読まれまくる

(川島明)そうそう! 平均で70、80の人が読まれるところで15、6っていうだけで読んでくれるのよ。で、読まれた方には全員テレホンカードっていうやつやったんで。お母さんが「不気味やからやめてくれ!」って(笑)。毎週、知らんお爺ちゃんのテレカ(笑)。「あんた、なにしてんの?」って言われて。そこはやめましたね。

(塙宣之)それは普通の、ボケない俳句?

(川島明)ボケない俳句。

(塙宣之)どんなやつなんですか?

(川島明)ええとね、「雪だるま 春を待たずに 溶けてゆく」とか。そういうのです。これ、一番最初に読まれたやつ(笑)。絶賛していましたから。15歳っていうだけで、たぶん嬉しかったんでしょうね。まあまあ、ライバルが少なかったという。だからラジオが大好きなんですよ。

(山崎ケイ)へー!

(塙宣之)でもそのうち、普通のお笑いのやつも読まれるようになって?

(川島明)はい。出しました。で、ちょっとこの世界……NSCというところ。養成所に入りながらも大喜利のコーナーがあったらTKOさんのラジオとかに出して。なんかそこでやってましたね。

(塙宣之)14、5ぐらいで……もっと前ですか? お笑い芸人になろうと思ったのは?

(川島明)ホンマのことを言うたら、マジで5歳ぐらいです。

(塙宣之)それは何を見てですか?

(川島明)これは関西……僕は京都なんですけど。お母さん、お父さんがめちゃくちゃお笑いが好きで。まあ、関西に住んでる人なら分かるんですけど。テレビをつけたら絶対に芸人が出ている。それで漫才師がちょっとかっこええ感じで映っている。おもろいし、キャーキャー言われている時代ですよ。それで、うちはお母さんが8人兄弟で。親戚が20何人とかで。子供もいる。それでみんなで旅行に行くとなると、1台バスを借り切った方が早いんですよ。みんなでお金を割ったらね。

で、バスに乗って和歌山の白浜とか行くんですけど、その白浜とかに行く途中にバスの中でなんかビデオが……誰が持ってきたかわからんのですけど、流れていて。それがホンマに上方漫才で。今いくよくるよベストとか、そんなんを流してたんですよ。だから普通に芸人というのはなりたい憧れの職業の選択肢にあったんで。「なんでみんな、やらへんのやろ?」ぐらいの感じで。ぼんやり5歳ぐらいからやりたかったです。

(塙宣之)じゃあ親とかはもう全然賛成だったんですか?

5歳ぐらいから芸人になりたかった

(川島明)でもね、いざやるってなると……ホンマに中学とか入ってから、全然人としゃべることがあんまりできなくなって。何か1人で考えることが好きやったんで。それでなんか高校とかもあんまり友達もいなかって。なんか暗い少年だったので。もう全然しゃべらへんから親としては「芸人になりたい」って言うとかなりびっくりして。

(塙宣之)「えっ、本当に?」みたいな。

(川島明)ほんで勝手にバイトしてお金を溜めて吉本の養成所の面接を受けて。受験して。それの合格通知が家にきたんで親にばれたという。

(塙宣之)それは高校を卒業して?

(川島明)卒業した半年後。

(土屋伸之)田村さんとはNSCで知り合ったんですか?

(川島明)そう。

(塙宣之)じゃあ、大学にも行こうとも思わず?

(川島明)全く。ホンマは中学に出てからすぐ行きたかったですけど。親が嫌やろうなって思って。だから一応高校に……でも、高校3年間はやることがないんですよ。進学する気もないし。だから、今考えたらめちゃくちゃ勉強しておけばよかったんですけど。「勉強なんて芸人の役には立たへんやろ」って思ってたから。その時にめちゃくちゃ競馬もハマったし、アニメもハマったし。漫画も、それこそ『パワプロ』とかゲームも全般ハマったので。その3年間で全部、今を支えてるという。

(土屋伸之)その3年間で全部詰め込んだんですね(笑)。

(川島明)それを『アメトーーク!』で全部しゃべってますよ。『スター・ウォーズ』とかもそうですし。えらい時代ですよ。助かりました。

<書き起こしおわり>

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