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カルロス矢吹とピエール瀧 気仙沼バッティングセンターの親子の絆を語る

カルロス矢吹とピエール瀧 気仙沼バッティングセンターの親子の絆を語る たまむすび
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(カルロス矢吹)もう(瑛太くんの)チームも自然消滅しちゃって。瑛太くんも学校を転校したらしいんですね。で、転校した先でなんとか、野球らしきことはやっていたらしいんですけど、そんな状態だった時に、瑛太くんと一緒に行った出張の帰りに、奥州市の前沢バッティングセンターっていうところがあるんですけど、それを見つけて。「ああ、バッティングセンターがあるね。ちょっと久しぶりに打っていこうか」って。で、行ったらもう瑛太くんが一心不乱に1時間ぐらい、延々に汗だくになりながらバットを打っていて。その姿を見た時に、「ああ、これだな」と思ったらしいんです。何もかも忘れて野球に打ち込む子供の姿というのを見て、グッと来たらしいんですね。

(ピエール瀧)うん。

(カルロス矢吹)で、その前沢バッティングセンターから気仙沼のご自宅まではだいたい片道で1時間半ぐらいかかったんですけど。もう帰りの90分はずっと野球の話。その時に、はじめて家族が亡くなったこととか地震のこととかを2人とも忘れられたらしいんですよ。その野球の話をしている時に。それから、往復で3時間はかかるんですが、毎月1回ぐらいはバッティングセンターに……そこがいちばん近いところだったんで、行こうっていう話をしていたんですけど、で、そういうのを繰り返していた時に、ある時いきなり瑛太くんが「僕はこうやってお父さんに連れて行ってもらえるから野球ができるけど、友達はみんなできない。野球なんかできる環境じゃない人もいるんだ。ねえ、お父さん。気仙沼にバッティングセンターを作ってよ。そしたら、僕の友達もみんなできるから」って。

(ピエール瀧)うん。

「お父さん。気仙沼にバッティングセンターを作ってよ」

(カルロス矢吹)それでいちばん最初、軽い気持ちで「ああ、いいよ。作ろう、作ろう」って言ったらしいんですよ。ただ、イメージとしてはそんなちゃんとしたバッティングセンターじゃなくて、裏庭にピッチングマシン1台とちょっとしたネットみたいなので……。

(ピエール瀧)中古のマシンを買ってきて、ネットを張ってっていうね。

(カルロス矢吹)それで子供たちが代わりばんこに打つぐらいのイメージだったらしいんですよ。それで本当にやるつもりだったんですけど、やっぱり会社のこともあるので。忙しくて2ヶ月、3ヶ月、なにもせずにたっていたら、ある日瑛太くんが「お父さん、本当にバッティングセンター作るの? 本当にやる気、あるの?」って聞いてきたそうなんですね。その瑛太くんを見た時に、「この約束を守らなかったら、こいつは壊れてしまう」って思ったらしいんですよ。「家族が1人亡くなるだけでも、かなり大変なこと。それが一気に7人も亡くなってしまった。それで最後に1人残った親に約束を守ってもらえなかったら、こいつはどうにかなってしまう。それ以上に、自分自身も後悔してしまう。死ぬ瞬間に、『なんであの時にバッティングセンターを作らなかったんだろう?』って自分自身が後悔してしまう」って思って。「わかった、俺はバッティングセンターを作るよ!」と言って、もうすぐに動き出したんです。

(ピエール瀧)うん。

(カルロス矢吹)でも、まだ会社の牛乳配送所だって再建途中。そこで千葉さんは一石二鳥の手段を考えるんです。「希望ののむヨーグルト」っていうチャリティーのヨーグルト、オリジナルドリンクを作りまして。それを1本500円で販売しようと思ったんです。その500円の10%の50円はバッティングセンターの建設費用に回しますという文言をちゃんと書いてやったんですけど……でも、さっき言ったように最低でも1億はかかるんです。

(ピエール瀧)そうだよね。50円ずつじゃあ、途方もないよね。

(カルロス矢吹)200万食売らなきゃいけないっていうことになるじゃないですか。200万食って、アパホテルが出している「アパ社長カレー」っていうのがあるんですよ。これが6年かかってやっと200万食を売ったんです。

(ピエール瀧)なるほど。うん。

(カルロス矢吹)アパホテルなんて全国にある大きな会社じゃないですか。そこで200万食を売るのにそんな時間がかかっているわけなんで、それだけでやるのは大変なんですよ。なんで、全国の販売会みたいなのを回って(ヨーグルトを)売りながら、かついろんな地域のバッティングセンターを同時に見て回ったんですね。それで販売とバッティングセンターの研究の一石二鳥を兼ねてやったんですけど、それだけではとてもじゃないけど足りないから、たとえばネット。これを安く提供してくれるというところがあったら、自分でトラックを運転してどこでも取りに行くと。

気仙沼から(最も遠い場所で)埼玉ぐらいまで行ったらしいんですね。そうやって、なんとかいろいろとコストを下げていって、「これぐらいの値段でできるんだったら、じゃあ銀行も融資しましょう」ということでやっていったらしいんです。それでなんとか建設の目処を立てて……「(瑛太くんが)小学校を卒業するまでに建てる」という約束をしていたので、卒業式は終わってしまっていたんですが、瑛太くんが中学校に上がる直前の2014年3月30日にバッティングセンターがオープンすることになったんですね。

(ピエール瀧)間に合わせた!

(カルロス矢吹)無理やり間に合わせたんですよ。で、そのオープニングセレモニー。気仙沼市長をはじめ、200人ぐらい来たらしいんですね。千葉さんのスピーチの後、最後に長男・小学校6年生の瑛太くんが作文を読み上げたんですけども。外山さん、ちょっと読んでいただいていいですか?

(外山惠理)「3年前の3月11日、気仙沼を大震災が襲いました。その震災で僕は家族を亡くし、家を失い、何もかもがなくなってしまいました。でも、いま思えば何もなくなってしまったわけではないと思います。父が生きてくれていたから、楽しい生活ができているし、希望を持てたし。父が生きていたから、バッティングセンターを作ってもらうことができました。僕の一言で父は寝る間も惜しんで一生懸命働いてくれました。父もやりたいことがたくさんあったと思います。だけど、バッティングセンターの方を優先してくれて、とても感謝しています。バッティングセンター建設という夢があったから、たくさんの方に会うことができて僕は本当に幸せです。支えてくださったみなさん、ありがとうございました。僕は父と母の子で本当によかったです。お父さん、ありがとう。これからもよろしくお願いします。千葉瑛太」。

(ピエール瀧)しっかりした子だな……。

7台のピッチングマシン

(カルロス矢吹)で、この作文の読み上げがあった後、始球式ならぬ始打式。第一打席に瑛太くんが立つんですけども……気仙沼フェニックスバッティングセンターはピッチングマシンが7台、用意してあるんです。この「7台」っていうのは、亡くなった家族と同じ数なんです。これは瑛太くんのリクエストで、「みんなが投げてくれる球を僕はホームランにしたい」という。

(ピエール瀧)うん! そうか……。

(外山惠理)これはね、グッと来ちゃいますね。7台。

(カルロス矢吹)で、気仙沼フェニックスバッティングセンターは200円で23球打てるんですけども、この「23球」というのは飲むヨーグルト、乳酸飲料で建てさせてもらったバッティングセンターだから、「にゅうさん=23」なんですよ。千葉さんはこういう風なダジャレとかユーモアを絶対に忘れない人で。こういう人だから、たぶんみんなが付いてきたんだと思うんですね。真面目一辺倒なんじゃなくて、苦しい中でもこういうユーモアとかちょっとしたダジャレとかを絶対に忘れなかった人なんで。それでみんな、付いてきたんだと思いますね。

(外山惠理)こういう話が読めるんですか?

(カルロス矢吹)そうですね。こういう話を毎回毎回、『野球的』という雑誌で。11月発売になったそうです。

(ピエール瀧)なるほど。矢吹くん、ちゃんとした仕事もやるね! いい話。もう目頭が熱くなった。俺、もう番組冒頭で熟成肉の文句言っていた自分が恥ずかしいよ……。

(矢吹・外山)(笑)

(ピエール瀧)「恥ずかしいぞ、俺」って思いながら(笑)。

(外山惠理)お父さんと、ねえ。

(ピエール瀧)ねえ。立派なお父さんだ。

<書き起こしおわり>

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