吉田豪ともふくちゃん ハロプロオタク人脈を語る

吉田豪ともふくちゃん トイズ・ファクトリー稲葉社長を語る SHOWROOM

もふくちゃん(福嶋麻衣子)が『猫舌SHOWROOM 豪の部屋』に出演。吉田豪さんとハロプロオタク時代からの人脈について話していました。

(吉田豪)あの……スタートからコアな話すぎるんですよ。なんでこんな(ハロプロ)有名オタの話をずっとしてるんすか?(笑)。

(もふくちゃん)ハロプロの当時の有名オタク、みんな大好き。本当に面白いもん。

(吉田豪)濃かったですからね。うん。

(もふくちゃん)なんか、いいよね。ああいう文化、やっぱり大好きだから。

(吉田豪)モーオタ文化。

(もふくちゃん)そうそう。

(吉田豪)あれからね、業界内に入る人も山ほどいたし。

(もふくちゃん)いっぱいいたよ。だっていまもハロオタつながりで結局仕事しているみたいなの、いっぱいあるもんね。

(吉田豪)杉作さんの映画のスタッフがみんなハロオタみたいな。結局あの時に出会った人たちがJさんが弱っている時に助けてくれて、とか。それもあるし、たとえばこの家に一時期、火事の時に掟ポルシェが住んでいたんですよ。で、僕は全然知らないオタクに突然声をかけられたことが何度かあって。それが、その掟さんの引っ越しの時に引っ越しの人手としてモーオタが集められて。だから知らない人間が勝手に僕の家に入っているんですよ(笑)。

(もふくちゃん)ヤバい!(笑)。

(吉田豪)「すげーやだな」って思って。で、そのうちの1人が現在、でんぱのマネージャーですよ。

(もふくちゃん)えっ? 誰?

(吉田豪)BOZOさん。

(もふくちゃん)あ、出た! BOZOくん、そんなことしてたの?(笑)。BOZOくんとかまさにハロオタの友達つながりで。ディアステージのスタッフなんですけど。当時はキッズたちもちょっと大人になってきて、なんかみんな次の居場所を探しているみたいな時、ももクロが出てきて。石丸電気でももクロがライブをやっていたんですよ。

(吉田豪)だいぶ初期ですね。

(もふくちゃん)で、石丸電気ですごいいま、子供でアツいアイドルがいるんだ!っていう噂を聞いていて。でもその時は私、ディアステをやっていたから忙しくて。「なにが子供だ?」って思ってやっていたら、歩いていたら「おおっ、もふくちゃーん!」とかって声をかけられたのが当時のハロオタチームで。いろいろといて。で、すごい列に並んでいたの。で、「すごい列だけど、それなんの列に並んでるの?」って言ったら、「いまからももクロ見るんすよ」みたいな。で、ももクロは名前を知っていたから、「ももクロ、今日石丸やるんだ。じゃあちょっと私もついでに行くわ」って言って、その時に一緒に並んでいたのがBOZOくん。

(吉田豪)なるほど。

(もふくちゃん)で、それではじめてその時に石丸電気でももクロを見て。そしたらさ、はじめて有安杏果ちゃんが入った日。

(吉田豪)ああ、オタが反発した日だ。

(もふくちゃん)そう! そこにでも、「同窓会か?」っていうぐらいハロオタの友達がみんないたの。で、「えっ! ○○さん、来てる。△△さんも来てる! えっ、あの人、シャバに出てきたんだ!」とか(笑)。

(吉田豪)ダハハハハハハハッ! いろんな人がいましたよね(笑)。

(もふくちゃん)そうそう(笑)。いろんな人がいたじゃない?

(吉田豪)まあちょっと犯罪傾向がありましたからね(笑)。

(もふくちゃん)犯罪傾向があったから。「あの人、捕まったのに戻ってきてももクロに来てるんだ」みたいな。で、いっぱいみんなこうやって見ていたわけですよ。で、その時に杏果が「あの……今日から、新メンバーになります、もも……ももっ……」とかって。言えなくて途中で泣いちゃうの。で、「ワーッ!」とかって泣いて。「杏果です!」とかって言っているのに、みんなシラーッみたいな。もともといたハロプロのやつらは「ああ、もうももクロに新メンバーが入るんだったら、なしなし! はい、帰る、帰るー!」ってなって。

(吉田豪)めんどくせー(笑)。

(もふくちゃん)で、みーんなサーッて冷めちゃったの。そこで。だからなんか、オタクってめんどくせーな!って思ったけど、でもそこからブワーッて行くじゃないですか。だからなんか、濃いオタクがある程度いなくなった時に(笑)。

(吉田豪)ちょっとずつ、入れ替わっていくんですよね。わかります(笑)。どこもそうですよ。

(もふくちゃん)でもやっぱり私は最初の頃のオタクが大好き。本当に。

(吉田豪)めんどくさい人たちが。

(もふくちゃん)うん。めんどくさい人、本当に見ていてだって面白いじゃん。やっぱり。

(吉田豪)エビ中の校長も言うんですよ。「初期のめんどくさいやつらは本当にめんどくさかったけど、いなくなると寂しい」みたいな(笑)。

クリエイティブな濃いオタクたち

(もふくちゃん)寂しい。本当に面白いんだもん。やっぱりなんか、ねえ。濃い個性っていうか、クリエイティブじゃないですか。あの人たちは。そういう人たちはいいですよね。だからその当時、いっぱいそういうライブイベントに並んでいたから、「ちょっとディアステージ、スタッフ探しているんだけど、誰かいい人いない?」ってハロオタの友達に言ったら、「あ、マジ並びのプロがいるっすよ!」って。

(吉田豪)フフフ、「並びのプロ」?

(もふくちゃん)「えっ、並びのプロ!?」って。その時、私は「ああ、並ばせるのが上手い人だ」って思ったんですよ。

(吉田豪)なるほど。

(もふくちゃん)まあアイドルの列とかを形成してくれたりするのがすごい上手い。イベントのスタッフやっている人かな?って思って。「ああ、並びのプロ。ぜひ紹介して!」って言って来たら、「こいつね、めっちゃアイドルの列に並ぶの、上手いんですよ!」っていう(笑)。

(吉田豪)フハハハハハハハッ! 上手い・下手じゃないですよ、それ。別に(笑)。

(もふくちゃん)フフフ、「そっちかよ!」みたいな(笑)。「並びのプロ、別に求めていないけど。そこじゃないけど、でも……まあいいか」みたいな(笑)。

(吉田豪)そう。夏の魔物で有馬くんに言われたんですけども。

(もふくちゃん)有馬さん(笑)。フハハハハハハハッ!

(吉田豪)有馬くんに「BOZOくんはね、一緒に引っ越しを手伝ったから。だからでんぱのメンバーが猫舌SHOWROOMに出たら引っ越しを手伝った人間がもう1回、家に戻ることになるんですよ!」って言っていて(笑)。

(もふくちゃん)本当、面白いねー。なんですか、それは。有馬さんもいましたよ。当時、ももクロにもね。懐かしい(笑)。

(吉田豪)だからモーニング娘。のあの時のオタのパワーはすごかったと思うんですよ。僕もだからちょっと遠巻きに眺めながらも、面白いからいた感じでしたからね。そこまで熱中はしていないけど。

(もふくちゃん)なんだっけ? あのさ、ハワイのツアーとかがベリーズであって。「それに行くから会社に辞めます」とか、全然ザラにいたからね。なんかね。だから、ちょっとそういう頭のおかしい人たちにたまたま囲まれていたよねー(笑)。

(吉田豪)フフフ、で、それが当たり前で。それがいくつぐらいだったんですか? もふくちゃん、あの時。

(もふくちゃん)20代前半だよね。少なくともね。間違いなく……22とか21とか。大学を卒業するかしないかかな?

(吉田豪)まだネットアイドル的なことをする前ぐらい?

(もふくちゃん)いや、もうその時は全然してましたよ。

(吉田豪)あのサイトをやってぐらいの時期にモーオタ文化に直撃を食らって。

(もふくちゃん)そうそう。懐かしいですね。(コメントを見て)そうそう。並ぶのに上手い・下手はあるよね。

(吉田豪)あるんだ(笑)。

(もふくちゃん)あるある。なんかね、ディアステの初期のオタクの人とか、勝手にもう自分たちで整理券を作り始めるとかね(笑)。

(吉田豪)あの有馬くんがよくやるやつ?(笑)。

(もふくちゃん)そうそう(笑)。有馬スタイル(笑)。

(吉田豪)並ばせたりとかね(笑)。どこの列が正しいのかとかをちゃんと。

(もふくちゃん)そう。仕切るみたいな。あれがね、すごいよね。(コメントを見て)ああ、やっぱり2回辞めている人がいるよ。会社辞めたとか。定期を解約したとか、家を売ったとか(笑)。

(吉田豪)ねえ。BiSとかね、かならずだから定期的に熱狂的にハマれるのが出てくると、会社を辞める人は続出しますよね。

(もふくちゃん)まあね。それが人生にとってプラスになっていればいいですよね。なんかね。

(吉田豪)はいはい。で、それがきっかけでもふくちゃんは人生が変わった感じなんですね。モーニング娘。との出会いとか。

(もふくちゃん)そうね。いま思うと……っていう感じですけどね。で、その当時、やっぱりみんな見ていてスパンコールの衣装がすごい嫌いだったんですよ、なんか(笑)。「スパンコールの衣装、着ないで! もうこれ以上、スパンコールの衣装はハロプロはやめて!」って思っていて。その時のストレスがすごいブワーッてマックスに溜まって(笑)。それで自分が作りたいって思ったっていう。

(吉田豪)もともとはあれですよね。あ、そうだ。NGを聞くの、忘れていた。

(もふくちゃん)なに? NGって。

(吉田豪)だいたい聞いて大丈夫なんですか?

(もふくちゃん)大丈夫、全然。最初からこの話が出てるぐらいだから(笑)。

(吉田豪)大丈夫ですかね? そうです、だからコイタくん(小板橋英一/永田寛哲)の話をどうしようか?って思ったんですよ。

(もふくちゃん)ああ、小板橋。有名ハロオタの(笑)。

(吉田豪)有名なハロオタと、代表ですよ。1回、ここで寝ていたことあるもん(笑)。

(もふくちゃん)ええーっ! すごいっすね、また。

有名オタク・小板橋英一

(吉田豪)BUBKAの忘年会で二次会、三次会ぐらいで「どこで飲もう」みたいな時に「じゃあ、豪ちゃんの家で飲もうよ」みたいな時、知らないオタが何人かついてきて。「知らないオタが玄関で寝ているな」って思ったうちの1人がコイタくんですよ(笑)。

(もふくちゃん)いやー、当時がいちばん面白かったのにね。コイタくんもね。コイタくんとあと、タブロイドのクボウチさんとかさ。

(吉田豪)はいはい。あのデブ2人と呼ばれた。

(もふくちゃん)デブ2人が相撲を取ったりとかさ。

(吉田豪)取ってましたね。動画、まだ残っていますね!(笑)。

(もふくちゃん)あれがいちばんピークだったね。

(吉田豪)「いいデブ」「悪いデブ」って言われていた(笑)。コイタくんが悪いデブの側だったっていう(笑)。

(もふくちゃん)どう考えても悪いデブ(笑)。いちばん出世したんだけどね。悪いデブがね。

(吉田豪)出世しましたけどね。でも、その流れでだってコイタくんとかがやった編プロに入るんですよね。

(もふくちゃん)そうそう。みりんちゃんと一緒に入った。

(吉田豪)みりんちゃんもだったんだ。

(もふくちゃん)みりんちゃんと私でそこでバイトしてたから(笑)。みりんちゃんと私で2人でそこの編プロで文字起こしとかをやっていた。すっごい速さで2人とも打てるからさ。「余裕っす!」みたいな。ダダダダダッ! みたいな。

(吉田豪)フフフ、パソコンをずーっとやっているやっているだけあって。

(もふくちゃん)そう。桃井はるこさんの文字起こしとか。あとは当時のハルヒ声優さんたちの文字起こしとかを高速でやっていた。

(吉田豪)へー!

(もふくちゃん)で、その隣に座っていたのがいまDMMの社長の片桐(孝憲)さん。

(吉田豪)へー!

(もふくちゃん)だから(デスクの配置が)みりんちゃん、DMMの社長、小板橋、もふくみたいな(笑)。

(吉田豪)フハハハハハハハッ!

(もふくちゃん)そのデスク、超濃いよ(笑)。

(吉田豪)その明暗の分け方も含めて(笑)。すごいな。

(もふくちゃん)フフフ、人生っていろいろとあるよね。本当、面白くないですか? その当時、そういうピクシプ何周年記念とかで私とスーちゃんとかがディアステージを宣伝するためにディアステージの衣装を着て、「ピクシプの何周年記念、おめでとう!」みたいなのをしに行ったりとか。なんかそういうのをやっていて。それでいま思うと当時、家入さんとかいまメルカリの会長になっちゃった山田進太郎さんとか、そういう人たちがそこにワーッていて。だからいまだに、そういう人たちとつながりがあって。だからずっと「もふくはなんでそんなIT業界の長者たちと知り合いなのか?」ってすっごい言われるんですけど。

(吉田豪)うん。

(もふくちゃん)単純にハロプロのオタクだったらそうなったんだっていう。

(吉田豪)フハハハハハハハッ!

(もふくちゃん)なんにも悪いことをしてない。

(吉田豪)ハロオタだっただけ(笑)。

(もふくちゃん)なんにも変な……たとえば西麻布のパーティーに行ったとか。

(吉田豪)ああ、怪しげなね(笑)。

(もふくちゃん)そう。なんか枕がどうとか、そういうのは一切ないんだけど。たまたま、だって隣で一緒に仕事をしていた人たちがいつの間にかね、長者になっていって。まあ栄枯盛衰っていうかさ。若い時に金を持つとさ、みんな20代で金を持つとウワーッて金を使って遊び始めるわけよ。で、その時には「やれやれ……」って思って見ていて、だいたい30代とかになると落ち着いてくるの。それが。で、落ち着いた頃合いにようやく「一緒に仕事しよう」って思って。

(吉田豪)「いまならできる」っていう(笑)。

(もふくちゃん)そう。「いまならできる」(笑)。いまなら触れるみたいな(笑)。だからああいう男の人たちのお金を持った時のそういう感じみたいなのはいっぱい見てきたから、面白いなって思って。

<書き起こしおわり>

タイトルとURLをコピーしました