杉作J太郎と角田龍平 ラジオの自由さと面白さを語る

杉作J太郎と角田龍平 ラジオの自由さと面白さを語る ラジオ

杉作J太郎さんがKBS京都『蛤御門のヘン』にゲスト出演。角田龍平さんとラジオの自由さや面白さについて話していました。

(角田龍平)リスナーの方からメールをいただいております。「はじめまして。以前、杉作さんがかかわられていたプロレス団体FMWの話をしてほしいです。荒井社長、冬木選手、ハヤブサ選手との思い出話をお聞きしたいです」というメールも届いているんですけども。一時期、FMWというプロレス団体に関わってらっしゃって。

(杉作J太郎)そうですね。一時期、家族ぐらい長く一緒にいましたね。

(角田龍平)表向きは「解説者」という形でありながら……。

(杉作J太郎)あんまり言うとあれですけども。最初は解説者だったんですよ。それで、最初に解説者として入った曰くは割と簡単でね。FMWは好きでよく見に行っていたんですけど、ある日JCTVかなんかに呼ばれましてね。行ったら、荒井さんがいて。「ケガしても大丈夫ですか?」みたいなことをいきなり言って。「なんのことだろう?」って思って。「ケガしたら、やっぱりマズいですか? 軽いケガとかは?」って言うから、「いや、別に軽いケガでなんとかっていうのはないですけど。なんでですか?」って言ったらね、「じゃあ、ぜひよろしくお願いします!」みたいなね。「やっぱり危険な仕事だから……」みたいなことを言っていました。

(角田龍平)ああー。

(杉作J太郎)放送席にほら、選手が入ってきたりとかも。で、実際には来なかったですけどね。荒井さんは丁寧な方でしたから。荒井さんがね……荒井さんってみなさん、ご存知なんですかね? (モノマネで)「あぶない!」って言う人ですよ(笑)。

(角田龍平)なかなかね、モノマネしてもわかりにくいとは思うんですけども。でも、杉作さんのラジオで素晴らしいなと思うのが、そのFMWにもいらっしゃったリッキー・フジ選手の曲を2週続けてかけたりとかされるじゃないですか。画期的やなっていう。

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(杉作J太郎)本当はね、3週続けていきたかったんですけどね。これね、やっぱりラジオってそうだと思うんですけど、毎回毎回違う曲をかけたところで、その同じ局にも他にもパーソナリティーもいればアナウンサーもいるわけで。いろんな曲がまたかかる可能性、あるわけじゃないですか。かといって、かからない可能性もある。たとえば、知らない曲だった場合に1回聞いたぐらいじゃあなかなか頭に入らないでしょう?

(角田龍平)そうですね。リッキー・フジの曲を。はい。

(杉作J太郎)そしたらやっぱりね、3、4週続けてかけるのが親切というものじゃないかなというね。

(角田龍平)ああ、そういう意味でかけてらっしゃったんですか。

(杉作J太郎)そうです、そうです。

オープニング曲を固定しない『どっきりナイトナイトナイト』

(角田龍平)すごいなと思ったのが、それこそ番組のオープニングの曲も固定されていないじゃないですか。僕なんてこの番組が10月から始まる時、「もう10月6日からやな。オープニング、どうしよう?」とかってね、悩んでいた自分がもうね、杉作さんのラジオを聞いた時に「ああ、別にオープニングって決めなくてよかったんだ」っていうね。この番組はザ・クラッシュの『I Fought the Law』。「なんでこの曲を選んでらっしゃるんですか?」っていうメールもいただいているんですけども。

(杉作J太郎)これ、なんでですか? まだ答えたこと、ないの?

(角田龍平)これはね、答えたことないんですけど。僕がそれで悩んでいたんですよ。番組を始めるにあたって。「はよ曲を決めな」って思っていた時に、女性ディレクターの田中さんが「この曲、どうですか?」っていうような形で。

(杉作J太郎)ああ、割と簡単に。サラッとした理由だったんですね。

(角田龍平)僕が考えていた曲は何個かあったんですけど、全然こっちの方がいいかなって。

(杉作J太郎)その考えていたのってなんですか?

(角田龍平)それはね、僕はプロレスが好きなんで。それこそプロレスの曲ばっかりで。

(杉作J太郎)入場テーマみたいなのですか?

(角田龍平)入場テーマ。でも、それはでも、また違うなっていうのもあったんですよ。っていう時に……。

(杉作J太郎)でも、そういうのを聞くと元気が出たりするんじゃないですか? 自分の好きな入場曲とか。

(角田龍平)まあ、だからそこも僕の常識的なところで。「そこまで自分の趣味を……」みたいなことも思ったりするんですけど、杉作さんのラジオを聞くと「ああ、ラジオってこんなに自由でいいんや」っていう。

(杉作J太郎)あれはね、なんでああいう風になっているか?って言うとね、僕が若かったらもっとカッチリした、すごくおしゃれにしたい欲求もあると思うんですけど、歳が歳なんでね。で、そんな歳を意識していることはないですけども。こういう機会ももうそんなにないだろうなって思うんですよ。ラジオのディスクジョッキーを2時間ぐらい生放送でね、毎週毎週やるっていうのもね。もう、もしかしたら最後かもしれないって思った時にね、どうなるかわかっていることはもうしたくないなっていうのはあったんですよ。

(角田龍平)ああ。

(杉作J太郎)たとえば、次の週も行かなくちゃいけないでしょう? すると、来週行ったら再来週も行くわけじゃないですか。「来週行ったら、こうなるだろうな」とかね「再来週行ったら、こうなるだろうな」とか。「2ヶ月たったら、こんなことをしているだろうな」みたいな、自分で想像がつくことは一切しやめようと思ったんですよ。だから、僕は正直ね、今週も週末にラジオがありますけども、全力で決めていないんですよ。

(角田龍平)それは、だから意識的にフリーにしていると?

(杉作J太郎)そうです。全身全霊で決めないようにしたいんですよ。もし、発表をしたとしても、それはその通りにはいかないことを前提の発表なんで。まあ、あくまでもガイドラインはないとね、聞いている方もしんどいかもしれないから、若干はありますけども。僕はね、いま僕は歳のせいにしましたけど、いま僕が世の中を思った時に、僕はあんまりいまの世の中は面白いとは思わないんですよ。

(角田龍平)ああ、そうですか。はい。

(杉作J太郎)それはなぜか?っていうとね、ホリエモン、堀江さんが一時期よく言っていた「想定内」みたいな。それがいけないんですよ。堀江さんがいけないんじゃなくてね。想定できてしまう世の中が。それはやっぱりつまらないよ。だから堀江さんが「これは想定外だった」っていうことだけを僕はやっていきたいんですよ。

(角田龍平)フフフ(笑)。なるほど。

(杉作J太郎)だから想定内のことはもうやりたくないっていうところが。で、それは結果としてつまらなくていいですよ。つまらなくていいから、想定されていることはしたくないっていうね。

(角田龍平)そっちの方が大事なわけですね。

(杉作J太郎)だからこの間のオリンピックを見ていてね、最高に面白かった。それはやっぱりなんでか?っていうと、オリンピックだけは想定できないから。だって、新種目でナントカさんが日本で、いや世界ではじめて王者になった。誰も想定していなかったと思いますよ。あと、カーリングなんかもね、ああいう感じでそこで負けそうだったのが、どこかの国が負けて準決勝に上がれて。準決勝では負けたけど、また3位決定戦で勝ってって。で、あの石がどこで止まるか? なんかは誰も想定ができていないわけですよ。本人たちですら。僕、最後のあの銅メダルが決まった瞬間のね、本橋(麻里)さんがね、モニターを見ていて、いちばんびっくりしていたんだから。本橋さんが「えっ?」みたいな。「あらっ!」みたいな。だからスポーツは面白いんですよ。

(角田龍平)そこなんでしょうかね。普段の実生活、生きている中っていうのは想定内のことが多い中で、想定外のことが起こるもんだからみんな。

(杉作J太郎)だから面白い。で、テレビなんかはなんでいまつまらなくなってきたか?っていうと、「15秒後」とか言うじゃないですか。そうすると、それがわかっていて15秒付き合うわけですよ。こんなつまらない15秒は世界にないわけ。俺はもう、その15秒はいらないっていうね。そういう風に思っていますね。だから、まあ聞いている人は僕のラジオをつまらないと思う人はもう超つまんないと思うんですよ。でもね、その「つまらない」というのを味わってほしいんですよ。

(角田龍平)僕はそんなね、たくさんのラジオを聞いているわけじゃないですけど。いま、もっとも楽しみなラジオですよね。本当に予想ができないというか。「ああ、ラジオはこんなことをしていいんや」っていうようなね、ラジオの幅の広さというか。でも、昔って、僕らが子供の時に聞いていたラジオはこんなむちゃくちゃしていたよなっていうの、あるんですよね。

(杉作J太郎)そうですよね。そうでした、そうでした。だから、そういう意味では角田さんとか僕みたいな人がもっともっとやった方がいいと……「やった方がいい」って自分を弁護していますけどね(笑)。

(角田龍平)僕もなんて言うか、想定内のことはしたくないとは思いつつ、結局どこかで幅を、枠を設定してしまっているんですよ。

(杉作J太郎)でもほら、自分の職業っていうことはないけど、裁判とかって想定できないじゃないですか。結果をね。

(角田龍平)裁判はそうですね。ある程度、見通すことはあっても、予想しないことも起こるし。

(杉作J太郎)そうでしょう。やっぱり、そこが……まあ裁判は娯楽じゃないですけども。そこはやっぱり残っていくと思うんですよ。でも、やっぱり堀江さんの言う「想定内ですね」っていうことは、それは娯楽からは廃れるよ。やっぱり。つまらないですよ、それはね。だから、WWF(WWE)が一時期面白かったのは、それは信じられないことが毎週起きていた時期があるじゃないですか。

(角田龍平)もう事件ばっかり起こっていましたよね。

想定外のことばかり起きたWWE

(杉作J太郎)ストーンコールドが活躍していた頃。アンダーテイカーが死んだとか、生き返ったとか。

(角田龍平)まあ、劇中というか、リングの上で起こるね。ビンスが失禁したりとか。

(杉作J太郎)ええ。あと、選手を火葬したりとか。信じられない、思ってもないことが起きて。

(角田龍平)うん。

(杉作J太郎)やっぱりそれが僕は娯楽は……もちろん思った通りになるのもいいですよ。それは、こうなったらこうなってこうなるだろうなっていう。健さんが出てきて活躍してやっつけるっていう、僕はそういう任侠映画もあっていいと思いますけども。ただ、僕はいま、その娯楽じゃないものがやりたいですね。

(角田龍平)特にテレビとかって視聴者が多いし、クレームもすぐ来るしっていうような状況下で、なかなかそういうのができない中、ラジオってギリギリまだ、その最後の砦というか。杉作さんの番組を聞いていると思いますよね。ラジオはまだ自由があるという。

(杉作J太郎)そうだと思いますよ。ラジオは、やはりしゃべってしまえばそれまでというところがあるしね。それで、頭で考えていたらそれは言わないほうがいいんじゃないか?っていうことがあったととしても、いざしゃべって言語化してしまえば、そうじゃないことってあるじゃないですか。たとえば、これに関しては言わない方がいいかな?って思ったことでも、いざしゃべってしまえば、「ああ、なんか優しい雰囲気だな」っていうか。「ああ、いい話だったな」みたいなことも逆にあったりとかね。

(角田龍平)場合によってはありますよね。

(杉作J太郎)ねえ。やはりね、いろんなみんなが思ってもいないこと、知らなかったこととかをどんどんどんどん発信していくメディアであり続けられたらっていうね。

(角田龍平)そうですよね。ラジオってこの番組、1時間半流れるわけですけど、1時間半自分の個人的な話、杉作さんの個人的な話とかをできる媒体ってないじゃないですか。テレビとかって、たまに出ても本当に「今日は合計30秒もしゃべってないな」みたいなことが2時間番組とかでもよくあるんですよ。コメンテーター的なもので出してもらったりする時って。だから、その一方でこういう……やっぱりね、ゆっくりしゃべらないと意図ってなかなか伝わらないじゃないですか。

(杉作J太郎)そうですね。だからテレビだとどうしてもね、たくさんの方が見ていて。みんながわかることならやっていいけど、みんなが知らないことはやらなくていいぐらいなところ、あるじゃないですか。でも、ラジオはやろうと思えば知らない人の話もできるんですよ。

(角田龍平)そこなんですよね。

(杉作J太郎)あと、テレビはもしかしたらね、知っている人じゃないと見ていてつまらないかもしれないですよ。でも、ラジオはね、極端なことを言いますと、全然知らない人がしゃべっていても面白いんですよ。

(角田龍平)ラジオの理想っていうのは、「どこの誰かわからん人がしゃべっているな」と思って聞いていたら、「どこの誰かはわからんけど、おもろい」っていうのが。

(杉作J太郎)それはラジオだからできるんですよ。昔、寺山修司さんがよく言っていた、「たとえば杉村春子先生がしゃべるのと、そこのパチンコ屋さんの用心棒が自分の人生をしゃべるのとどっちが面白いか?って言ったら、パチンコ屋の用心棒の方が僕は面白いと思うね」みたいな。やっぱりね、ラジオはそれがあるんですよね。

(角田龍平)そうですよね。ホンマに僕ね、この番組の関係でいつも……10月から12月の間に藤井フミヤさんのオールナイトニッポンPREMIUMっていうのがニッポン放送でやっていて、KBS京都でネットされていて。7時から7時半まで藤井フミヤさんの番組やったんですよ。で、7時半からはうちの番組で。いつも番組が始まる時に「藤井フミヤさん、お疲れ様でした」って言って、届くはずのない……(笑)。よく、オールナイトニッポンの一部と二部とかでやるじゃないですか。

(杉作J太郎)はい。

(角田龍平)例のやつ、勝手にやっていたんですよ。

(杉作J太郎)それは、フミヤさんの方は全国ネットなの?

(角田龍平)全国ネットです。

(杉作J太郎)角田さんの方は?

(角田龍平)京都と滋賀だけです。

(杉作J太郎)じゃあ、フミヤさんが「この後は角田さんです」は言わない?

(角田龍平)言わないです。「KBSをお聞きのみなさんとはここでお別れです」って言われた後に。

(杉作J太郎)ああ、それは言うの?

(角田龍平)それは言うんです。で、「フミヤさん、お疲れ様でした!」って言い続けたら、いまはRadikoの時代じゃないですか。フミヤさんには伝わっていないんですけど、そのスタッフに伝わって。で、ゲストに呼んでもらったんですよ。

(杉作J太郎)ええーっ!

(角田龍平)そしたら、フミヤさんと私なんて全く知名度も違うのに、ラジオのブースの中では一対一の人間としてしゃべれるじゃないですか。それが、やっぱりラジオって素晴らしいなっていう。

(杉作J太郎)ラジオでは、いわゆる大スターというか、トップアイドルだった大スター。そしていまや芸術家。まあ、職業も違うしね。

(角田龍平)まあ、こちらは恐縮してはしゃべっているんですけども。

(杉作J太郎)見た目はどうですか? いまでもかっこいいんですか?

(角田龍平)かっこいいんですよ。

(杉作J太郎)角田さんもかっこいいけど、かっこいい種類が違うもんね(笑)。

(角田龍平)フミヤファンに怒られますよ(笑)。

(杉作J太郎)あ、いまね、俺はゴマするわけじゃあ全然ないんですけどね。改めて角田さんの顔をよーく見るとね、渡瀬(恒彦)さんにちょっと似ているよ。

(角田龍平)それは言われたことはないですけど……。

(杉作J太郎)お義父さんの土橋さんとか言いません? 「渡瀬に似ているな」って。

だんだん渡瀬恒彦さんに似てきた

(角田龍平)それは言われたことはないですけど。うちの妻の父、義理の父が土橋亨っていう東映の映画監督だったんですけど。実は私、渡瀬恒彦さんが昔着ていた革ジャンっていうのを……それを深作欣二さんが渡瀬さんからもらったようで。で、それをうちのお義父さんがもらって。それをいま、僕がもらっているっていう。

(杉作J太郎)怖っ! それで似てきたんだよ!

(角田龍平)アハハハハッ!

(杉作J太郎)うわっ! あのね、鬼太郎のちゃんちゃんこみたいなんだよ! 革ジャンから渡瀬さんがあなたの身体の中に入ってきているよ!

(角田龍平)入ってきてますか?

(杉作J太郎)僕ね、いままで思ったことはなかったんですよ。角田さんが渡瀬さんに似ているっていうのは。

(角田龍平)喧嘩も弱いですからね。

(杉作J太郎)いや、顔が似ている。

(角田龍平)似てきましたか?

(杉作J太郎)似てきている。うわっ! 革ジャンから養分が入ってきてますよ!

(角田龍平)そのね、お義父さんの記憶が正しいかわからないですけど、渡瀬さんが深作さんに革ジャンをあげるということが果たしてあったのか? それがホンマに正確な事実なのか?って……。

(杉作J太郎)それはあるんじゃないですかね。

(角田龍平)ありますかね? そんな、監督に革ジャンをあげるなんてことは。深作欣二監督からお義父さんがもらうというのは……。

(杉作J太郎)よく麻雀とかしていたから。麻雀とかじゃない?

(角田龍平)その時に「お前の革ジャン、くれよ」みたいなことがあったんですか?

(杉作J太郎)麻雀の払いとかの代わりじゃないですか。

(角田龍平)ああ、それを考えたらあるかもしれないですね。ああ、やっぱりそういうことってあるのかもしれないですね。

(杉作J太郎)で、それをいま、着ているんでしょう? 事実。

(角田龍平)たまに着ることがあるんですよ。

(杉作J太郎)絶対に入ってきてますね。

(角田龍平)でもね、僕ら仕事上スーツを着なアカンことが多いので。その上に着るには着れない感じの、結構ピタッとしたものなんで。普段、ごくたまに着ますね。

(杉作J太郎)怖い。顔がね、どんどん似てきている。いま、一刻一秒。

(角田龍平)フハハハハハッ!

(杉作J太郎)さっきからね、僕がその話をした時よりもいまの方が似ていますよ! 怖っ!

(角田龍平)それは僕がこれを言うたからでしょう(笑)。

(杉作J太郎)でも、本当に似てきています。うわーっ! いままでは言われたことない?

(角田龍平)いままで言われたこと、ないですね。

(杉作J太郎)今日から、もう絶対ありますよ。

(角田龍平)言われますかね?

(杉作J太郎)もうあと、数年したら、もしかしたら演技の勉強さえすれば、夜明日出夫の役、やっているかもしれない。タクシードライバーやっているかもしれない。

(角田龍平)タクシードライバーの役で(笑)。

(杉作J太郎)似てる!

(角田龍平)本当ですか? ちょっとうれしいです。かっこいいですもん。

(杉作J太郎)タクシードライバーをやっていた時代の渡瀬さんに似ていますよ。

(角田龍平)晩年の。

(杉作J太郎)優しくなった。昔はたしかに凶暴な役が多かったですけども。

(角田龍平)『狂った野獣』とかのアクションを自分でやっていた頃ではなく。

(杉作J太郎)あれはね、渡瀬さんが凶暴な役をやったのは僕、理由があると思うんですよ。もともと絶対に凶暴なわけはないんですよ。俳優になる前にサラリーマンをやっていた方ですから。で、石井輝男さんの家に住み込んでいたそうですよ。演技の練習で。で、石井さんはソフトな人だから、あのソフトな石井さんと一緒に暮らせるんだから、渡瀬さんはそりゃあソフトな方だったはずなんですよ。お兄さん(渡哲也)が割とあったかみで売っていたわけですよ。日活時代にスターで。

(角田龍平)渡哲也さんが。

(杉作J太郎)ちょっとね、シャイであったかみのある不良みたいな感じで。それと、どうしてもやっぱり差別化しなきゃいけない。兄弟だけども。同じところに行くとかぶっちゃうから。

(角田龍平)だからドリー・ファンクとテリー・ファンクが違いましたもんね。

(杉作J太郎)そうそう。それと全く一緒。

(角田龍平)テリーはちょっと荒くれ者みたいな。

(杉作J太郎)そこと一緒だと思います。で、渡瀬さんは「俺はちょっと凶暴にやろう」っていうことでね。それでああいう風にしていた。それで、ある時期から今度は渡さんの方が『西部警察』とかでショットガンで犯人をどんどんどんどん、裁判所も関係なしに撃ち殺すようになったでしょう? だから安心して渡瀬さんが人情味の役の方に入ってこれたんだと思います。それ、だって渡瀬さんも70年代の後半ぐらいからは優しい役が多いですから。もう。

(角田龍平)ああ、そうですよね。いや、ちょっとうれしいですね。渡瀬さんに似てると言われて。これからもっとどんどん、あの革ジャンを着るように。

(杉作J太郎)でも、そういう意味で言うとこれはいま僕も思ったけど、着るものとかは大事だね。

(角田龍平)そうですね。さっきの竹内さんの話でもないですけど。

(杉作J太郎)究極のものですよ。渡瀬さんのジャンパーはそれは究極の例だけど。やっぱり「ボロは着てても心は錦」と言いますけども、やはりいい服とかちゃんとした服装をしていると、それっぽく中身がなってくるかもしれないね。やっぱりいまの僕みたいにこういう……まあでも、これもなかなかのもんだよ(笑)。

(角田龍平)なんて言うんですか? パーカーをTシャツの上に羽織っておられて。

(杉作J太郎)やっぱりこれじゃあいけない。僕も誰かの服、ちょっと借りて……。

(角田龍平)今日、でも朝にね、このKBSに来られた時に、私が下まで迎えに行った時、ちょうど杉作さんが車の中で……汗をかいてらっしゃったんですか? ちょっとTシャツを脱いで。

(杉作J太郎)あれ、昨日から着てたのよ。

(角田龍平)ねえ。着替えてらっしゃって。上半身裸で。

(杉作J太郎)僕もね、はじめて来る放送局の、おまけに大通りに面したところでね。

(角田龍平)烏丸通りっていう大きな通りが京都にあるんです。そこに面したところで、上半身裸の状態でいらっしゃいましたからね。

(杉作J太郎)いやー、いけませんね、これは。

<書き起こしおわり>

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