杉作J太郎 リッキー・フジとショーン・マイケルズを語る

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杉作J太郎さんが南海放送『MOTTO!! 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト』の中でリッキー・フジさんについてトーク。FMWでレフェリーとして招聘したショーン・マイケルズとのエピソードなどを話していました。

(杉作J太郎)そうです。先週、このリッキー・フジさんの話題をしそこねたというか。「リッキー・フジさんの話題は来週やりますよ」という話だったんですけども。このリッキー・フジさん、いまかかっております『セクシーストーム』。2週続けて(ラジオで)『セクシーストーム』がかかったのは史上初だと思いますけども。おそらく。

この『セクシーストーム』、実はリッキー・フジさんの入場曲なんですよね。リッキー・フジさんはプロレスラーです。資料がありますので、ちょっとご紹介しましょう。リッキー・フジさんは実は新日本プロレスの練習生だったんですけど、新日本プロレスからデビュー前に退団して、カルガリーに渡りまして。カナダで修行をして、そしてその後日本に帰国をして1990年にFMWに参加したんです。で、僕はそのFMWという団体がもう大好きで。当時。大仁田厚さんがやっていた団体でね。大仁田厚、サンボ浅子……いろんな人がいた団体ですけども。

まあ、FMWが大好きでね、よく見に行っていた。で、(宮崎県)日南の油津まで見に行ったことがありますよ。日南……カープのキャンプ地ですかね? 日南の油津という港で、そこで洋上プロレスというのをFMWがやりまして。海の上にリングを浮かべてプロレスをやるっていうんで、僕とアカタくんっていう友達と2人で見に行きました。そしたら、日南の街についたら、道の向こうから上半身裸の人が商店街を歩いてくるんですよ。それがリッキー・フジでした。それでリッキー・フジが上半身裸で歩いてきてね、「あっ、リッキーさん! 今日、プロレス見に来ました!」なんて言ったらね、「おう! 楽しんでって!」なんて言ってね。「『楽しんでって!』って、リッキーさんが楽しみすぎだろ……」みたいなね。全然プロレスと関係ないんですよ。街中を上半身裸で歩いていたのがリングをだった。

で、その後僕はそのFMWのテレビの解説者をやるようになりまして。で、(衛星放送)ディレクTVで中継が始まった時に解説者をはじめまして、その後、解説者から社内の人とか業界の人は知っていたんですけど、僕はゼネラルプロデューサーという職につきましてですね。団体の中の仕事をするようになりまして、いろいろなことを僕は選手の人たちと話し合いながら決めたりしていたんですね。で、実はそのFMWにアメリカの超スーパースターのショーン・マイケルズっていう、もうこれは全世界のプロレス史的にも超重要人物。HBK(ハートブレイクキッド)、ショーン・マイケルズっていう本当にハンサムな二枚目の超人気選手がいるんですが。

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HBK ショーン・マイケルズ

そのショーン・マイケルズをレフェリーでFMWが呼んだんですね。で、本当に僕らは心臓が止まりそうだったのが、リッキー・フジさんが実はショーン・マイケルズが大好きなんですよ。で、ショーン・マイケルズの入場曲をパクっているのが実はこの曲(『セクシーストーム』)なんですよ。ショーン・マイケルズの入場曲をまんまパクってね。ほとんどそっくりなんですよ。ショーン・マイケルズの曲に。で、リッキー・フジの出番がその日もあるんですよ。で、リッキー・フジの出番がある時に、ショーン・マイケルズをいかに現場から引き離すかということに……ショーン・マイケルズが聞いたら国際問題になる!っていうんで。リッキー・フジの試合と入場の時にショーン・マイケルズと打ち合わせを設けまして。ショーン・マイケルズを控室に連れていきまして、音楽を聞かれないようにした思い出がある、そんなリッキー・フジさんの曲だったんですが。

まあ、その後、FMWは……僕がFMWを退団しまして、その後いろいろなことがありましてね。僕らが辞めた後、しばらくしていろんな大変なこともあって。そして最終的にはFMWが解散するんですね。ちょうど昨日ですかね? 僕がいた頃に選手をやっていたミスター雁之助選手が故郷の九州の方に帰るというので。ご結婚をされたんでしたっけね? 雁之助さんにはずいぶんお世話になったんですけども。雁之助さん、いまちょっとうる覚えですけども、もしご結婚をされたんだったらおめでとうございます。そしてもし九州の方にね、お戻りになったという情報も……実は昨夜、吉田豪ちゃんがそれを言っていましてね。「ああ、そうなのかな」って。たぶん彼がTwitterかなにかで見たんでしょうけども。

どうなんでしょうか。まあ、雁之助さん。今後、九州は(愛媛県と)近いから。もしよかったらね、こちらの方にも……(番組ディレクターの)不動明王さんとシルエット的にはよく似ている(笑)。体つきはよく似ている……まあ、そんなこんなであったんですけども。ちょうどその、いろんなことがあった時にFMWの冬木弘道さんという方が亡くなったんですね。理不尽大王っていう名前で、一時期いろんなテレビ番組とか。日本テレビの夜のスポーツ番組みたいなのもやったりしていたと思います。掛布さんとかとやっていたんじゃないですかね。

冬木さん。一時期大人気になった冬木さんですけども。その冬木さんが亡くなったんですよね。ガンでね、40いくつで。僕よりも1才年上だったんですけど、お亡くなりになりまして。で、もう僕は冬木さんや荒井(昌一)さん……荒井さんという方も亡くなったんですけども。家族みたいにして暮らしていた時期が。あともう1人、キメさんっていう人とね、あとハヤブサと。一時期はもう家族よりも会っていたというか。週のうちの5日、6日ぐらいは生活を共にしていたんですけども。その冬木さんがお亡くなりになりまして。ガンでね。

理不尽大王・冬木弘道のお通夜

で、お葬式が横浜の戸塚の火葬場であったんです。で、その戸塚の火葬場が山の上にありまして。火葬場まで行くと近所にコンビニもなければ店もない。で、ちょうど僕も当時はヘビースモーカーだったんで、タバコをよく吸っていたんですけども。山の上で、結局お通夜から全部一緒でしたから、ずっといるんですよね。24時間、夜通しいましたんで。そしたら、タバコが切れちゃうんですよ。で、タバコがなくなって、吸うタバコがないなって言っていたらリッキー・フジさんが来ましてね。「おい、リッキーさん、タバコ持っているぞ!」なんて誰かが言って。「いや、でもリッキーさんもバカじゃないから。ここに来たらタバコ屋がないから、くれないよ!」なんて言って。

そしたら、もらいに行ったやつがタバコを吸ってるんですよ。「リッキーさん、タバコくれたよ!」って言うから、「よくリッキーさん、タバコくれたね」って言ったら、「『ど真ん中のタバコ、ください!』って言ったらくれるよ」って言うんですよ。実はその当時、リッキーさんが長州力がやっていた、「ど真ん中」って言っていたWJプロレスに長州さんから呼ばれまして。もう直々のご指名でそのプロレス団体にリッキーさんが呼ばれてね、ゲストで行っていたんですよ。だからリッキーさんにしてみると、長州さんに呼ばれたというのがものすごくうれしかったんだと思いますね。で、「ど真ん中に呼ばれた」っていうのがうれしかったんです。

だから僕もね、本当かな?って思いながらも、「リッキーさん、すいません! あの、ど真ん中の……ど真ん中のタバコ、ください!」なんて言ったら、「ああ、ど真ん中。あげるよ~!」なんて言ってね。もう「ど真ん中」って言ったらなんでもくれるんですよ。リッキーさんが。そういう楽しいリッキー・フジさん。本名・森村さん。僕よりも歳はちょっと下なんですけど、誕生日が1日違うだけなんですよ。だからちょっと似たようなところもあってね。すごく親近感を持って僕はリッキーさんのことは大好きでした。またリッキーさんのお話をすることはあるかと思いますんで。

<書き起こしおわり>

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