野末陳平さんがTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演。立川談志さんとの出会いについて、爆笑問題のお二人と話していました。
(太田光)僕が本当に子供の頃、野末陳平って何者だろう?って……晩年の談志師匠といっつも一緒にいらっしゃって。「あ、野末陳平さんだ」っていうのはわかるんだけど、「あれ? この人って何者なんだっけ、最初は?」って思った時に、やっぱり最初に浮かんだのは、参院選に出馬された頃の記憶が頭の中にかすかにあるんですよ。青島幸男さんやなんかと、タレント議員ブームの時。でも、あの時、タレントだったんだけど、どういうタレントだったんだっけな?っていうのがわからなかった。
(野末陳平)これはね、君がわからないのは当たり前なんだよね。僕もわかんないんだから。
(太田・田中)フハハハハッ!
(田中裕二)これがすごいよ(笑)。
(野末陳平)これはね、なぜって、「本職は何だ?」って聞かれた場合にいろんなのがあるんだけど、どれが本職か、いまでも自分がよくわからない。その上、全部まとまっていない。はっきり言えば。
(太田光)そうなんですよ。全部中途半端で(笑)。
(田中裕二)中途半端じゃないよ!
(野末陳平)よく言った! 太田くん、さすがだ。中途半端。
(太田光)(本を)読めばわかる(笑)。
(田中裕二)でも当時は、それこそ放送作家さんがテレビとかまだない頃から、だんだんだんだん世に出てきて。で、出役になったりとかがよくあったんですね?
(野末陳平)たとえば永六輔さんとか青島幸男さん、大橋巨泉さん、みんな似てますよ。
(田中裕二)みんな本業が別にタレントとか出役じゃない。
(太田光)野坂昭如さんもそう。
(田中裕二)そういう人たちがテレビ界とかでどんどん出て売れちゃった時代なのね。
(太田光)驚いたのは陳平さん、最初に軽演劇の作家になりたかったと。本当は。で、早稲田を中退して……。
(野末陳平)僕は中退していない。優秀な成績で(笑)。
(太田光)中退したのは野坂さんか。
(野末陳平)そうそう。野坂さんは。だから漫才をやった時、コンビで彼は早稲田中退。僕が早稲田落第。で、漫才は両方とも落第したと。
(太田光)この話がすごいんだよ!
(野末陳平)本当だからね。
(太田光)これは松竹演芸場ですか?
野坂昭如との漫才
(野末陳平)いま新宿ピカデリーっていう映画館になっていますね。あれの昔の建物で地下に松竹文化演芸場っていうのがあったんですよ。で、石井均一座とかね、いろんな一座がやっていて。シミキンもやりましたよ。で、漫才もやっていて。その中に入れてもらえたわけだ。
(太田光)野坂さんと陳平さんがその日、パッと考えて。「漫才やったらいいんじゃないか?」っつって、雑誌片手に時事ネタをやるんですよ。
(野末陳平)そうそうそう。よく知ってるね。
(太田光)だって本を読んだんですから。
(野末陳平)ああ、本に書いてあったか。
(太田光)送りつけてきたじゃないですか。不幸の手紙みたいに(笑)。
(田中裕二)不幸の手紙じゃないよ!
(野末陳平)フハハハハッ!
(太田光)それで、そこに……全然ウケなかったんですよね?
(野末陳平)ああ、ウケない。はっきり言えば、誰一人クスリともしない。
(太田光)クスリともしない(笑)。で、「芸人というのは甘く見ていた」と。そこに、楽屋にいたのが立川談志なんですよ。
(野末陳平)そう。談志師匠。
(太田光)それが初対面ですよね?
(野末陳平)初対面。談志ではなくて、柳家小ゑん。
(田中裕二)小ゑん時代。
(野末陳平)小ゑんで、その時は漫談をやってました。落語もやり、漫談もやり。そしてその漫談は白い上下のスーツで、赤い蝶ネクタイでもって漫談をやっていて。
(太田光)で、「お前ら、つまんねえな。俺が教えてやる」って言ったのが最初の出会いで。
(野末陳平)そうそう。「うるせえ!」っつったんだよ。僕は。
(太田光)「うるせえ!」っつったんですね。「なんで君に教えてもらわなきゃいけないんだ?」って。
(野末陳平)そう。イライラしてるでしょう? ウケないんだから。
(太田光)フハハハハッ!
(野末陳平)で、イライラしていて最後に、野坂は酒を飲んで出るから……。
(田中裕二)いっつも酒飲んでるよ、結局は!(笑)。
(野末陳平)照明でもっておかしくなっちゃって、ろれつが回らなくなって。
(太田光)フハハハハッ!
(田中裕二)もう、その頃からそうなんですね。
(野末陳平)そう。で、ろれつが回らない相手に漫才をやれって言ったって、無理じゃん? もう僕もめちゃくちゃになる。で、最後に頭に来ちゃってね。12分ぐらいで全くウケない。「こんなにウケない漫才は他にない!」っつったらウワッ!って笑って。
(太田光)ドッカーン!って。
(野末陳平)「ドッカーン」っていうほど客はいないんだけどね。まあ、そういうようなことがありまして。
(太田光)で、そん時に客席にいたのが高田文夫。
(野末陳平)高田文夫もいたと、本人は言っている。見ていないけど。高田くんがまだ小さかったから。
(太田光)だから、まだ素人の時代に。
(田中裕二)あの人は十分、あり得ますよね。その頃ね、新宿でそうやってお笑いとか、末廣亭でもなんでも行っているわけだし。
(太田光)「覚えている」っていうんですよね。
(野末陳平)言っているんだよ。「いかに面白くねえか、俺が知ってるよ!」って。「お前が知らなくても、他にみんな知ってるよ!」っていうね。
(太田光)フフフ(笑)。最高だよね。
(野末陳平)でもね、その時にね、談志さん。つまり小ゑんさんが来て、「おい、つまんねえな。笑い方のコツを教えてやろうじゃねえか」って言ったんだよ。
(太田光)フハハハハッ! それを断ったっていう(笑)。
(田中裕二)だから後の立川談志になるというほどのあれじゃないし。まだ小ゑん時代だから。
(太田光)でも、落語の方はもう出ていた時代ですから。
(野末陳平)まだ『現代落語論』を書く前。
(太田光)でもまあ、生意気だったでしょうし。
(田中裕二)白いタキシードでピンでなんかやっていたわけじゃないですか。
(野末陳平)ウケているという。
(田中裕二)知る人ぞ知るぐらいの?
(野末陳平)そう。
(太田光)陳平さんも野坂さんもある程度、文では名前が知られていてね。そういう時代。
(野末陳平)そう。少しはね。
(太田光)すごいですよ。そっからでも、結構談志師匠とはブランクがあるんですよね?
(野末陳平)ブランクというよりも、付いたり離れたりね。つまり、付かず離れずですよ。さっき言ったみたいに僕があらゆる職業とは言わないけど、いろんなことをやっているから。
(太田光)めちゃくちゃですよね!
参議院議員になって談志師匠と仲良くなる
(野末陳平)くっついたり離れたり。で、くっついたのが参議院議員に当選して、彼が第50位で当選して、僕が第52位で当選して。
(太田光)この話が面白いんだよ。ねえ。本当は当選じゃないんですよね?
(野末陳平)そう。落選。定員50で52位だから。それで僕は、当時の法律はいまと違って、3ヶ月以内に1人亡くなると、繰り上げ。もう1人亡くなったもんで繰り上げって、悪運が強い。
(太田光)で、繰り上げ当選して(笑)。で、談志師匠は50位だからギリギリで。
(野末陳平)ギリギリ。それで談志さんは「馬鹿野郎、真打ちは最後に出るんだよ!」なんて言っていて。それで俺が52位で。それでさ、「陳さん、おめえ藁人形に五寸釘打ったな?」ってこう言うわけ。
(太田光)フハハハハッ! 最高だよね! こんな人生、あります? 面白すぎるでしょう?
<書き起こしおわり>