宇多丸 日本ヒップホップ史 完全即興フリースタイル登場前夜を語る

K.I.Nと宇多丸 日本のフリースタイルラップバトル誕生の瞬間を語る 宇多丸のウィークエンド・シャッフル

宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の中で日本のヒップホップ史についてトーク。日本語ラップ界でK.I.Nさんが1993年に「完全即興フリースタイル」を始める前夜の状況について話していました。

(宇多丸)さあ、ということで、先ほども申しましたが今夜11時台のサタデーナイトラボ、特集の前振り。予習ということをちょっと軽くさせていただきたいと思います。現在、テレビ朝日系で放送されております『フリースタイルダンジョン』。ZEEBRAさん……みなさん、ご存知。この番組にも何度も来ていただいておりますね。まあ、日本でいちばん有名なラッパーの1人ZEEBRAから「そういう企画をいま、地上波でやろうと思っている」って。その前にね、『高校生ラップ選手権』というのは大変盛り上がっておりまして。これはBSスカパー! で。『高校生ラップ選手権』もこの番組で特集をさせていただきましたけども。

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ついに、地上波でそういう感じのをやろうと思うんだと。『高校生ラップ選手権』と差別化するためにゲーム形式というか、テレビゲーム的な、モンスターがいて……みたいな。ちなみに『フリースタイルダンジョン』っていう言葉自体もZEEBRAさんの曲から取っていますからね。それで、いろいろ危惧する部分はなくもなかったけど、「でも、いいんじゃない?」みたいな話をして。で、フタを開けてみたらもう大ブームですね。いまや、これまで日本語ラップとかに全く興味がなかった、もしくはそんなに好きじゃなかったというような層まで含めて、もう本当に一大ブームですね。どんだけブームか?っていうのを具体的に言うならば、僕はAbema TVというサイバーエージェントさんの――『フリースタイルダンジョン』のスポンサーにもなっているわけですけど――サイバーエージェントさんがやっているAbema TVというインターネットテレビ局があって。そこでサイプレス上野くんとバニラビーンズのお二方と一緒に番組を毎週水曜日にやっているわけですね。

で、そんな関係でそのAbema TVでこの間、『フリースタイルダンジョン』のスペシャル版で『MONSTERS WAR』という……モンスターというのはもともと名前が知れていて、フリースタイルが上手いということで。要するに出場者を迎え撃つ側の、いちばん大変な人たちですよ(笑)。正直俺、上野に「お前、よくこんな仕事を受けるね」って言ったぐらいの本当に大変な……実際にこれだけ注目されて、もちろんそれで恩恵も当然受けているんだけど、神経はすり減らしてやっているモンスターたちの団体戦というか。非常に盛り上がるにきまっている。要するに、アベンジャーズですよ。スーパーヒーロー大戦みたいな番組をやったんだって。

で、Abema TVはいままで数字がすごくいい回っていうのは、たとえば市川海老蔵さんの○○とかいろいろあるんだけど、とにかく20万ビュー……どんなカウントかわからないんだけど、瞬間風速かな? 瞬間風速でいちばん多いところを測って壁に張り出されていて。20万ビューとかそんなところがいままでの最高記録だったのね。『フリースタイルダンジョン』のその特番は149万ビューですよ。いきなり。だから、もう7倍以上みたいな感じになっちゃって、Abema TV的にも「この記録はもう破れないんじゃないの?」っていうことになっているぐらいの話らしいんですよ。

ちなみにAbema TVは水曜の『水曜THE NIGHT』という番組でも繰り返しチクチク言っているんだけど、とにかく基本的にお色気とギャンブル(笑)。お色気とギャンブルが異常に多いという、そういう局になりつつあったのに、お色気ゼロ。ギャンブルはまあ、わかりませんけどもね。ギャンブルは各地で個人的にされている方はいるかわかんないけど、とにかくお色気ゼロにもかかわらず7倍以上。これはもう本格的にすごい人気なんだなということがわかる。ねえ。その149万ビューのうち、せめて100分の1でも作品を買ってくれたりすれば、シーンに対する還元が本当にあるのにね……なんて話をちょいちょいしてますけども。

でも、たぶん第二期日本語ラップバブルなんて言い方をしていますけど、規模から言えば最大規模だよね。その149万って、届いている規模からすればね。お金出している人は少ないかもしれないけど。いまのところ、ダータのラインが非常にあれですけども。と、いうことで、すいません。前置きが長くなりすぎた。即興フリースタイルブームの中、本日11時20分ごろから日本で誰よりも早く日本語による完全即興フリースタイルラップを始めた男。これですね、先に言っておきますと、もちろん始めた人ということで諸説はあるんです。たとえば、先ほど言ったZEEBRAさんの弁によれば、ライムヘッド。T.A.K The Rhhhymeという、UBGというクルーに所属していたラッパー。かつては3A BROTHERSというグループでもやっておりました。私も本当にキャリア初期からの知り合いのラッパーですけども。T.A.K The Rhhhymeはかなり早い段階から即興フリースタイルをやっていたよということを言っている。ただしこれは本人に誰もこの件を確認した記事を読んだことないですし、僕も確認したことないです。だし、時期なども不明なんですが、一応そういう説がある。

つまり、たぶん内輪の中で散発的な実験としてやっていたということであれば、各地で同種の試みが……それこそK.I.Nちゃんが始める、これ具体的には93年の夏なんですが。93年の夏より前、K.I.Nちゃんより前からそういう散発的な実験としてはされていたことは当然可能性としてはあるでしょう。ただ、いちばん重要なのはK.I.Nちゃんはフリースタイルを人前、ステージ上でやり、なおかつそれをラッパーと、バトルも含めたコミュニケーションの手段として使いだしたという。いまとなっては当たり前のことなんですが、これを始めた人という意味でのフリースタイルのパイオニアという私の定義でございます。このK.I.Nちゃんの話をしたいと思っているんですね。

完全即興フリースタイルラップ前夜

で、前提としてまず知っていただきたいことがひとつございまして。それをいま、この時間帯でやりますね。日本語による完全即興フリースタイルラップが広まっていく以前はどうだったか? ということですね。80年代末から90年代初頭、日本語ラップのシーンと呼べるほどじゃないんですが、日本語ラップというのがポツポツポツポツ出だして、イベントとかも各地で開かれるようになったというような時。88年ぐらいですかね? それより以前はいとう(せいこう)さんとかタイニーパンクスとか限られた人しかいなかったんだけど、ECDの登場以降、いろんな人がラップコンテストとかもいっぱいやって。私も含めてですけど、88年以降参加するようになって。そこから92年まではどういうものだったか? というと、日本のラップのイベントでフリースタイルっていうコーナーはあったんです。

イベントの終わり、ラストに曲をかけて、「おい、みんな! 上がってこいよ!」って。ただ、当時のヒップホップのイベントって一応客がいる風に……パラパラいるなと思っているじゃないですか。で、最後に「テレレレッ、テレレレッ、テレレレッ、デデッ!」って(Cheryl Lynnの)『GOT TO BE REAL』とかを流して。二枚使いで。で、「おい、みんな! 上がってこいよ!」なんて主催者のラッパーとかが言うじゃないですか。ガッて上がると、客が誰もいなかったことが判明するというね。見ている人は全員やっている人だったということがある。で、上がってオープンマイクってあったんだけど。お約束的に設けられていたぐらい。それはなぜか? と言えば映画『ワイルド・スタイル』のエンディングでオープンマイクでみんながやっているから。要するに、こっちも見よう見まね時代なので、ヒップホップのイベントっていうのはそういうものだろうと、お約束的にあったんです。フリースタイル。

ただ、それは基本、全員持ちネタベースで。もともと自分が持っている歌詞をやる。で、その前後に多少アドリブ的にその場のことを読み込んだりっていうのはあったけど、ちゃんとしたラップの部分はやっぱり持ちネタがベースだったわけです。もう、それが完全に基本でした。これは断言できます。なので、「フリースタイルだよ」って言うんだけど、「えっ、でも実際にはフリースタイルってなんだろう?」って僕はずっと疑問ではあったんですね。で、じゃあ本場アメリカではどうか? ヒップホップが生まれた、ラップが生まれた本場アメリカではどうだったか?っていうと、実は同時期、90年代初頭までっていうのはもちろんオールドスクール、始まった時は割と適当に客を煽るというところから始まって。それは即興と言えば即興かもしれないけど、いわゆる”バース”という概念ですね。高度に韻を踏んで意味を通すような完全即興ですね。ちゃんとしたラップとしてテイをなしているような完全即興は実は同時期の本場アメリカでも結構それなりに特殊技術だったようなのです。

というのはその証拠に、MCバトルとかは各地で開かれておりましたが、その中で登場した、たとえばスーパーナチュラルというラッパーであるとか。まあ、マッド・スキルズという当時話題になったラッパーたちは、「あいつら、完全に即興で。それでばっちり韻を踏んで意味も通して、すげえぜ!」みたいな記事が載っているわけですよ。当時。っていうことはですよ、普通じゃなかったわけです。アメリカでさえね。というのがあったりする。当時出ていた、96年ぐらいに後ほどいいますけども、KRS ONEという人が『Science Of Rap』というラップの心得的な本を出して、その中でもフリースタイルに関して「即興的に作られるライムだけをフリースタイルと呼ぶわけではない。一般的に思われているのと違って。誰も聞いたことがなければそれはフリースタイルのライムなんだ」と。

だから、紙に書いたものであっても、レコーディングで発表されてなければフリースタイルと認めてもいいのだという。これはKRS ONEが言っているから、このフリースタイルの定義は絶対に正しいのです! ということなんだけども。あるいは、こんな証言もございます。1994年です。もう、だから日本でフリースタイルラップがガンガンに盛んになっている――94年を通じて広がったので――94年にサンフランシスコのラジオ番組『Wake Up Show』という番組で当時非常に人気がありましたハイエログリフィックスというクルー。まあ、FGとかみたいなもんですね。いろんなアーティストの集まりハイエログリフィックスとホーボー・ジャンクションというまた別のクルーが公開でラップバトルを行ったと。

で、その中でホーボー・ジャンクションのラッパー、サーフィアーという方が相手のラッパー、カジュアルという、もうアルバムも出していて非常に人気があったラッパーですけども、カジュアルに向かって「おい、お前! その書いてきた韻を読んでみな?」と言ったことから勝負がついちゃった。要するに、あらかじめ用意した韻、歌詞をフリースタイルで使う。それについての論争がアメリカで94年にですよ、起こったということなんですよ。94……もう日本でフリースタイル大ブームになっている時に、アメリカではフリースタイル=完全即興なのか?って論争が起こっていたっていうんですよ。

という状況だという風なことを事前の知識として知っていただきたいなと思う次第でございます。ねえ。今日は結構実は大変重要な、日本ヒップホップ史における『風雲児たち』的な特集だと思っていますので、ちょっと心して聞いていただきたいと思っています。特に、ヒップホップライター、評論家の方はマジで本当に襟を正せと言いたい。誰もK.I.Nちゃんに取材に行っていない件を私は大変に怒っていますけども。

ということで、本日お招きするK.I.Nちゃん。93年にフリースタイルを始めたことだけが彼の功績ではありませんで。メローイエローという素晴らしいグループでアルバムも何枚も出しておりまして。そして、ソロアルバムも発表しております。2011年にソロアルバム『IVORY TOWER』というアルバムを発売しております。ラッパーとしても素晴らしいです。自称「足立のダ・ヴィンチ」と言っているのはね、ラップもするし、デザインとか絵を描いたりとか。そういう多方面の才能を持つ男で。ただですね、人格的にカジュアルすぎるというね、そういうところが歴史に残りづらい……(笑)。まあ、そんなことも含め、後ほどK.I.Nちゃんをお招きして本当の話を聞いていこうと思います。それではK.I.Nちゃん、『IVORY TOWER』よりこちらをお聞きください。K.I.Nで『B-BOY STANCE』。

K.I.N『B-BOY STANCE』

はい。ファストラップをカマしております。ラッパーとしても本当に素晴らしい。ラッパーとしてのK.I.Nちゃんはメローイエローというグループに所属して、もう明らかに後のたとえばRIP SLYMEとかのラップスタイルとかに濃厚な影響を与えた男でもございます。あと、これは僕は人から指摘されたことですけども。僕のK.I.Nちゃんのかわいがり方は異常っていうことらしいですよ。異常にかわいがっているらしいですよ(笑)。異常に甘やかしたらしいですよ。K.I.Nちゃんのことは(笑)。本人は「そんなことない」って言うと思いますけどもね。ということで、K.I.Nちゃんは後ほど11時台にお招きしてお話をうかがいたいと思います。K.I.Nちゃんのソロアルバム『IVORY TOWER』、こちらも素晴らしいのでお聞きください。

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/41032

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