松尾潔と松浦弥太郎 メロウな音楽対談

松尾潔と松浦弥太郎 メロウな音楽対談 松尾潔のメロウな夜

松浦弥太郎さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』にゲスト出演。松浦さんがお気に入りの曲を5曲選曲し、松尾潔さんとメロウな音楽対談を繰り広げていました。

(松尾潔)さて、5月2回目の『松尾潔 メロウな夜』。今日は僕、楽しみにしていました。ゲストにエッセイストの松浦弥太郎さんをお迎えしております。弥太郎さん、こんばんは。

(松浦弥太郎)こんばんは。

(松尾潔)弥太郎さんとはね、NHK第一でおやりになっている『かれんスタイル』という番組で僕は初めて対面することができたんですけども。まあ、以前から弥太郎さんのお書きになるものの僕、ファンで。

(松浦弥太郎)ありがとうございます。

(松尾潔)まあ弥太郎さん、たくさん本を出してらっしゃる方なんで。その全てを読んだなんてことで話を盛るつもりもないんですけども(笑)。けど、数えてみたら僕ね、15冊ぐらいは持っていましたね。

(松浦弥太郎)おおっ、すごいですね! ありがとうございます。感激です。

(松尾潔)いや、自分でもね、周りに熱心なファンの方、たくさんいらっしゃるから。なんかファンって言うのもおこがましいかなと思ったんですけど……15冊持っていれば、ファンって言ってもいいかなと思って(笑)。

(松浦弥太郎)(笑)。僕も松尾さんのファンですよ。

(松尾潔)本当ですか?

(松浦弥太郎)ライナーノーツをもう、どれだけ読んだかですよ。

(松尾潔)ありがとうございます(笑)。実は、共通の知人も少なくない弥太郎さんなんですけども。本当に、「やっと会えたね」っていう感じの2月でしたよね(笑)。

(松浦弥太郎)僕もそうですよ。僕も本当に、そうですね。

(松尾潔)弥太郎さんのプロフィールを簡単にご紹介したいと思います。松浦弥太郎さん。1965年、東京生まれ。『暮しの手帖』の前編集長でいらっしゃいます。いまやNHKの朝ドラ(『とと姉ちゃん』)でね、『暮しの手帖』というものが日本文化に果たした役割っていうのがずっと詳らかになっていくと思うんですが。まあ、その編集長でいらっしゃいました。そして、特に東京にお住まいの古書好きの方にはお馴染みですね。COW BOOKSの代表であり、もちろんエッセイストでいらっしゃいます。で、現在は日本最大の料理検索サイトcookpadの『くらしのきほん』の代表でもいらっしゃいます。

(松浦弥太郎)うん。

川勝正幸さんから松浦さんを教えられる

(松尾潔)もう本当に、多岐に渡るご活躍をされている弥太郎さんなんですが。僕が知ったきっかけっていうのは90年代ね。もう20年ぐらい前ですけども。いまは亡くなりましたけども、エディターの川勝正幸さんという方がいて。この人と僕、同じ事務所に一時、いまして。で、一時、「とにかくいまは中目黒だ! 中目黒に松浦っていう人と小林っていう人がいて。この2人がいま、文化を発信してるんだよ。松尾くん、わかんないかな?」みたいなことをずっと言われていて(笑)。

(松浦弥太郎)もう、10年以上前ですかね。

(松尾潔)本当、そうですね。20年近く前になるかな?

(松浦弥太郎)正確に言うとね、15年ぐらい前ですね。

(松尾潔)ああ、そうですか。お店を出されたのは。

(松浦弥太郎)そのぐらいです。その前に、実はその小林節正さんが……

(松尾潔)デザイナーとして大変高名な方ですが。

(松浦弥太郎)まず、「メッセージを売る店」というギャラリーのようなスペースを持っていまして。で、そこではいつもTシャツにメッセージをのせたりとか。なにかグッズにメッセージをのせたり。要するに、物を買うんじゃなくて、メッセージを買うというコンセプトの店をやっていて。で、そこである日、小林さんから声をかけられて。「松浦さん、本屋、やってくんない?」って言われたんですよ、そこで。メッセージを売る店で、本を売るっていう……

(松尾潔)唐突な投げかけですね。結構ね。うん。

(松浦弥太郎)だけど僕はその時に考えたメッセージっていうのは、「This is not book store.(ここは本屋ではありません)」っていうメッセージで、自分の好きな本だけをズラーッと並べて。それを1ヶ月、やったんですよ。

(松尾潔)ふーん! それがいろんな人たちに。で、弥太郎さんがおやりになっていること、それなんていうのは本当に象徴的なことだと思うんですけど。見た人、体験した人が、誰かに伝えたくなるんですよね。

(松浦弥太郎)ほう、はい。

(松尾潔)で、しかも発信性の高い人たちが、非常に熱っぽく語るから。もう本当に、弥太郎さんの名前は僕にとっては刺激的でしたし。世代が近いっていうことにも当時、衝撃を受けましたね。

(松浦弥太郎)そうですか。それはね、僕も一緒。

(松尾潔)そうですか(笑)。

(松浦弥太郎)こんな文章を書く人が自分と同じ世代にいるんだっていう。びっくりですよ。で、僕は松尾さんのライナーノーツのすごくファンで。いくつも読んでいるんですけど、その時に思ったのが、僕の好きなライターで、ご存知だと思いますけども、ポール・ウィリアムズ(Paul Williams)っていう、もう亡くなられましたけども、伝説の音楽ライターがいましてね。で、彼が若い頃に『Crawdaddy!』っていう雑誌を作ってましてね。で、その『Crawdaddy!』で世界ではじめて、ドアーズ(The Doors)のジム・モリソン(Jim Morrison)を取り上げたんですよ。

(松尾潔)評価した。

(松浦弥太郎)そういう伝説の人なんですけども。そのポール・ウィリアムズがまず、頭に浮かび。それからその……

(松尾潔)恐縮だな(笑)。

(松浦弥太郎)ビートニクの、ビート・ジェネレーションの中で、黒人のリロイ・ジョーンズ(LeRoi Jones)っていう人がいて。この人は詩人でもありながらジャズの評論家であって、すごいジャズを、いわゆる音楽っていう視点じゃなくて、ハートの部分でのね、解明をしていた人。このリロイ・ジョーンズとポール・ウィルアムズ。この2人がね、思い浮かんだの。

(松尾潔)本当、うれしいですね。リロイ・ジョーンズに関しては僕も大変な影響を受けていますし。自分の本の中でも、彼の名前を引用したりもしてるんですけども。実際にこういう風に言われることって、あまりないんですよ(笑)。「どっかに届いているといいな」と思っているのがこうやって、いま目の前で言われると本当にうれしいですね。

(松浦弥太郎)これはね、松尾さんが本で書いている以前に、僕はポール・ウィルアムズとリロイ・ジョーンズを松尾さんの文章を読んで、「よし、来た!」って。この僕と同じ世代でいたっていうことでね、もう羨望しましたよ。

(松尾潔)ありがとうございます(笑)。

(松浦弥太郎)だってその頃、僕が読んだのは松尾さんが大学生の頃に書いていたものだと思うんですよ。

(松尾潔)そうですね。そういう時代にもう、書き散らしたものがたくさんあります(笑)。

(松浦弥太郎)ありでしょう? だから、その勢いですよね。その勢いに僕はものすごい嫉妬したし。「誰だ、この人は!?」みたいな。

(松尾潔)聞かせてあげたいな。当時の自分に(笑)。

(松浦弥太郎)「これを書いてるの、また松尾潔か!」みたいな。

(松尾潔)そうだったんですか。

(松浦弥太郎)そういう感じですね。

(松尾潔)へー! けど、出会うのに時間がかかりましたね。2人ともね(笑)。

(松浦弥太郎)20年ぐらいたってますよ(笑)。

(松尾潔)いまがベストタイミングなんだと思います。大変音楽好きでもいらっしゃる弥太郎さん。僕も弥太郎さんの本を通して、もうミュージック・ラバーとしての弥太郎さんを勝手に知ったつもりになっているんですが。今日、もうわくわくするような5曲のセレクトをいただいております。まず1曲、ここでご紹介したいんですが。これ、1曲目。ジョン・レジェンド(John Legend)の比較的最近、2010年にリリースされた……これはオバマの動きに啓発されて出したアルバムですよね。『Wake Up!』っていうアルバムがありましたけども。

(松浦弥太郎)はい。

(松尾潔)そこでルーツ(The Roots)とコモン(Common)、メラニー・フィオナ(Melanie Fiona)たちと共演した『Wake Up Everybody』。まあ、アルバムの表題曲と言ってもいいですけども。往年のハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ(Harold Melvin & the Blue Notes)のカバーですが。まずはこれから聞いて、その後にちょっとお話を聞かせてください。

(松浦弥太郎)はい。

(松尾潔)『Wake Up Everybody』。

John Legend, The Roots『Wake Up Everybody ft. Melanie Fiona, Common』

(松尾潔)いやー、これを番組ゲストの方のリクエストで聞くことになろうとは。本当にうれしいな。

(松浦弥太郎)もう大好きですからね。

(松尾潔)ジョン・レジェンドとザ・ルーツの共演ですね。コモン、メラニー・フィオナをフィーチャーした『Wake Up Everybody』でした。

(松浦弥太郎)僕はね、1986年にニューヨークにいまして。で、夏のセントラルパークのフリーコンサートっていうのが毎年、あるんですけど。フリーコンサートに1986年かな? もう少しか? このルーツのバンドの人たちがステージに上がったんですよ。

(松尾潔)あ、もうすでに? あ、そうですか。

(松浦弥太郎)はい。で、その後に僕は、この人たちがルーツだって聞いて。で、とにかくその時の、いわゆるラップでもなく、どちらかと言うとアコースティックな演奏に、それこそポエトリーリーディングみたいなものを乗せていく人たちがいましてね。その時はルーツっていう名前が出ていなかったと思うんですけど。でも、僕はびっくりして。

(松尾潔)ええ、ええ。

(松浦弥太郎)で、この人たちはいったい何だろう?って。それからフォローしていったら、「ああ、ルーツのメンバーがステージに上がったんだ」って。

(松尾潔)後のルーツだったと。

(松浦弥太郎)後のルーツだったですね。で、その後にたぶん90年代に入ってからも1回、見ています。そのフリーコンサートで。

(松尾潔)その時はもう、彼らはビッグネームになっていたわけですね。

(松浦弥太郎)ビッグネームになっていました。もう伝説的、レジェンド的な感じになっていました。

(松尾潔)まあ、ルーツっていうのはもちろんドラマーのクエストラブ(Questlove)っていうがもう、ヒップホップシーンとかジャズシーンとかっていうのを超えて、アメリカの音楽シーンのいま、ど真ん中にいるような存在になりましたけども。僕の知る限り、80年代に、それもセントラルパークのフリーコンサートでご覧になった人は音楽業界にもいないんじゃないかな?っていう風に思いましたけども(笑)。

(松浦弥太郎)僕ね、今日持ってこようと思っていたんだけど、見つからなかったんですけど。写真を撮ったんですよ。クエストラブの。

(松尾潔)ああー! 弥太郎さんと言えば、写真だからな(笑)。

(松浦弥太郎)クエストラブが写真を撮らせてくれて。僕、結構衝撃的だったんで。当時、僕はニューヨークにいて、写真を撮っていたんで。近寄っていって、「写真を撮らせてくれ」って言ったら、「いいよ」っつって手を自分の目の前にバーン!って。こう、手を開いて、ポーズしてくれたの。

(松尾潔)なるほど。「この手からグルーヴが出ているんだ」っていうことなのかな?

(松浦弥太郎)そう。手を。で、それを撮ったんですよ。今日ね、松尾さんにその写真を見せたかったんだけど、見つからなくって。今度、見せますよ。

(松尾潔)次に会う理由ができました(笑)。

(松浦弥太郎)でも見ると、クエストラブですよ。写真が。

(松尾潔)すでにもう、クエストラブでした? へー!

(松浦弥太郎)クエストラブでした。素晴らしい。この曲はもう、メロディーも好き。

(松尾潔)いや、もう本当に非の打ち所がない曲なんですよね。これね。本当これ、クエストラブという人がいることの頼もしさ、心強さっていうものを僕、久保田利伸さんという人と話をするんですけど。彼も、ブラックミュージックが好きでアメリカに行った時に、やっぱりクエストラブが「ソウルに国境はないよ」ってことで、大変に力を尽くしてくれた仲間でもあるんで。けど本当に、そういった人種もそうですけども。新旧の音楽をクエストラブっていうフィルターが濾過することで、新旧っていう分け方だったものが、単純にごきげんなもの、そうでないものっていう風にね。まあ、彼自身がセレクトショップっていうか、キュレーターっていうのかな? そういう役割が大変強くて。そこもやっぱり現代的だなと思いますし。

(松浦弥太郎)そうですよね。

(松尾潔)それはちょっとね、強引かもしれないけど、松浦さんの仕事にも近いかなと思うんですよね。

(松浦弥太郎)そうなんですよ。だから、どんなものでも、結構自由……分け隔てなく、ちゃんと見て。どんなものでも、なにか素敵なものを見つけるっていう視点っていうのかな? そういうのをすごく感じますよね。

(松尾潔)松浦さんが編まれた、松浦さんのお気に入りのもの。そして実体験に基づく愛用の品を紹介されているものとかを見ると、やっぱり1冊を通して見て、心にズドンと残る、大げさに言うと「鑑識眼」っていうのかな? ある1人の男の目を濾過したもの。それがやっぱり、音楽であろうと本であろうと、もしくは映画であろうと、眼差しを売っているんだというのを僕はすごく励みにしているんです。

(松浦弥太郎)もう単純にね、ものすごい好奇心だと思いますね。

(松尾潔)好奇心?

(松浦弥太郎)うん。僕、子供の頃によく親に、母親に怒られたのは、「そんなにじっと見ないこと」ってよく言われました(笑)。

(松尾潔)(笑)。長時間、凝視すると?

(松浦弥太郎)もうね、見ちゃう。凝視しちゃうんだよね。だから、でもそれはいまでもそうで。ジーッと見て、時間がすぎていくんですけど。だからそれはね、本もそうだし、物もそうだし、人もそうだし、景色もそうだし。それから、もちろん音楽も。

(松尾潔)それは誰に教えられたわけでもないんですか? その凝視癖っていうのは?

(松浦弥太郎)もう生まれた時から。癖ですね。だから音楽も、話は外れますけどね。「ながら」ってあるじゃないですか?

(松尾潔)はい。

(松浦弥太郎)たとえば、ご飯を食べながらとか。本を読みながらとか。歩きながらとか。それができないんですよ。

(松尾潔)はー。なるほど。

(松浦弥太郎)だから、音楽を聞く時は、笑われるかもしれないけど……

(松尾潔)対峙するってことですか?

(松浦弥太郎)そう。「よし。じゃあ、1時間音楽を聞くぞ」っつったら椅子に座って音楽。で、もうそれを聞くんですよ。

(松尾潔)はー! 音楽業界の人間にこそ聞かせたい話だな(笑)。

(松浦弥太郎)そう(笑)。で、なぜそれが僕は自分がすごくスタイルとして好きなのか?っていうと、たとえば何度も何度も聞いている音楽。まあ、本かもしれないし、もしかしたら物かもしれないけど。それと対峙するたびに、いままで自分が気づいていなかった素敵なこととか、なにかかならず見つかるんですよ。発見。

(松尾潔)それはもう、経験として?

(松浦弥太郎)経験で。ありますよね。もう何十年も聞きまくっている音楽でも、ある日、「あっ、なにこれ?」って。ありますよね。

(松尾潔)あります、あります。

(松浦弥太郎)「ここのメロディーに、なんで僕は気がつかなかったんだ!」とか。なんかその時の気持ち、気分にもよるとおもんだけど。「このギターのリフのかっこよさはなんだ?」とか、あるじゃないですか。

(松尾潔)はいはいはい。そうですね。

(松浦弥太郎)「それに、なんでいままで気がつかなかったんんだ?」ってある。でもそれは、いま言ったように対峙する。自分がきちんと向き合う。

(松尾潔)そのことで生まれると。

(松浦弥太郎)それがわかっているので。だからそこに自分は一生懸命っていうか、集中したい。それが僕の楽しみでもありますね。

(松尾潔)うん。いや、僕みたいに音楽を作る仕事をやっていますとね、以前はアルバムが新譜で出た時に、やっぱりそういう時間を持っていましたけども。まさに、「ながら」のツールにされてしまう最たるものって音楽だと思うんですよ。で、たとえば本を読むとか、映画を見るとかっていうのは、まだ拘束力があると思うんですよね。

(松浦弥太郎)そうだね。

(松尾潔)だけど音楽って、変に他のことができちゃうから。で、そういう音楽の素晴らしさもあると思うんですよ。BGMというものの美しさもあるから。

(松浦弥太郎)はい。楽しいよね。

(松尾潔)いやー、けど、自分自身がながらになっている今日このごろっていうのでいま……(笑)。ああ、いろんなものを見落としてきたのかな?って。なんか、近道のつもりがいろんなところで遠回りしていたのかな?っていう気もします。聞くと。

(松浦弥太郎)でもね、今日僕、曲を選ばせてもらって、選んできたものが5曲ほどありますけど。これはね、もう全部、いつでも定期的に対峙して聞いている。

(松尾潔)ああ、そうですか。それがこの説得力のあるラインナップになっているんだなといま、腑に落ちていますが。じゃあ2曲目を。これはもう、弥太郎さんにご紹介いただこうかしら。

(松浦弥太郎)2曲目、はい。これはもうね、聞くたびにイントロから鳥肌が立つんですよ。僕。それから、途中で涙が、なんかこう……

(松尾潔)美しい曲ですもんね。

(松浦弥太郎)マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)で『Inner City Blues』。

Marvin Gaye『Inner City Blues』

(松尾潔)松浦弥太郎さんをゲストにお迎えしてお届けしています『松尾潔のメロウな夜』。弥太郎さんセレクトの2曲目はマーヴィン・ゲイ『Inner City Blues』。

(松浦弥太郎)これはね、僕の解釈ですけどね。この「Inner City」っていうのはいろんな解釈できると思います。僕にとっては「暮らし」なんです。

(松尾潔)暮らし。

(松浦弥太郎)暮らし。

(松尾潔)いま、日々向き合ってらっしゃるものですね。

(松浦弥太郎)そうですね。僕らのやっぱり生活であり、暮らし。暮らしっていうのは……「生活」っていうのはどちらかと言うと僕は、受け身な感じがするのね。で、「暮らし」ってすごく積極的な感じがするんですよ。だから、どちらかと言うと、暮らしっていう言葉を僕は使いたいんですけど。

(松尾潔)へー!

(松浦弥太郎)でも、英語にすると「Lifestyle」とか「Life」とかありますけど。

(松尾潔)なかなか、たしかに国によって、言葉によって訳し難い概念かもしれないですね。

(松浦弥太郎)そう。でもこのマーヴィン・ゲイの「Inner City」っていうのは僕にとっての「暮らし」にすごくヒットする言葉。

(松尾潔)へー! 『くらしのきほん』・『暮しの手帖』の弥太郎さんが言うから、これは本当なんだな(笑)。

(松浦弥太郎)そうなんですよ。だからたとえば『Inner City Magazine』っていう名前をつけたら、これは『暮しの手帖』ですよ。

(松尾潔)ああー。それは面白いですね。

(松浦弥太郎)いいでしょう?

(松尾潔)なんかちょっと企画会議みたいになってきたな(笑)。

(松浦弥太郎)いや、でも本当、この曲は素晴らしいですね。

(松尾潔)あのね、71年の『What’s Going On』っていうアルバムに入っている曲。まあ、このアルバム自体がね、その当時の他のどのアルバムとも違う内容で。これは僕みたいな音楽を作る人間にとって、大変危険なアルバムで。ずっと聞いていると、これに似たものを作りたくなっちゃうっていう、そういう誘惑も待っている……

(松浦弥太郎)これ、アルバムのいちばん最後の曲じゃないですか。で、なんでね、同じ人間として、いろんな境遇とか才能も違うと思うんですけど。このアルバムが、同じ人間が作ったって考えると、もう本当になんかね、感動しちゃってね。

(松尾潔)わかります。

(松浦弥太郎)素晴らしい。

(松尾潔)僕も全くそれでね、A面の1曲目に戻りたくなるっていう意味でもね、本当に大変重要な曲だと思っています。実際にこれに参加したミュージシャンを追いかけて、僕は一時レコーディングをやったりしていたぐらいですから。これ、弥太郎さんが選んでくれたのがうれしいんだよなっていう(笑)。

(松浦弥太郎)本当に、『くらしのきほん』じゃないですけど、この曲は僕にとっての基本。

(松尾潔)そうなんですよね。松浦弥太郎を作っている成分のひとつなんですね。

(松浦弥太郎)そうです、そうです。

(松尾潔)で、僕は弥太郎さんというと、やはり、もちろん本の方ではあるけれども、それと同じかそれ以上に、旅の人でもあり。あと、常にこう、対象がなんであれ、恋とか愛という……「恋心」って言えばいいのかな? そういうのを持ってらっしゃる。なんか何かを好きになる能力に長けてらっしゃるっていうところがあって。そこがすごくうらやましいんですけど。そういうことをちょっと、おうかがいしたいんですけど。

(松浦弥太郎)(笑)

(松尾潔)自分が好きなもの。もちろん、「好きなものに理由なんてないよ」っていうのもひとつの答えかもしれないですけど。あえて、言葉にするならば、自分の好きなものにはどんな共通項があります?

(松浦弥太郎)うーん……あの、いまおっしゃっていただいたように、どんなものでも好きになりたいの。だけど、僕は高校の時に、いろんな意味で挫折して。

(松尾潔)ドロップアウトされたんですよね。

(松浦弥太郎)そうなんですよ。で、高校は半分しか行ってないんですね。で、高校を半分で辞めて、なかなかやっぱり、僕は東京にいましたけども、東京で気持よく暮らせないっていうかね。

(松尾潔)息苦しさを感じたと。

(松浦弥太郎)息苦しさを感じてました。で、その時に、なんか僕は夢と希望をアメリカに向けたんですけれども。まあ、それはそれでその後、絶望するんだけれども。

(松尾潔)そこも、わかるんです。僕。僕もアメリカと向き合っていた時期が長いもんですから。

(松浦弥太郎)どうしたら、自分がいまのこの、ある種ダメなというかね、ルーザー(Loser)というか……

(松尾潔)そういう自覚が強かったんですね。

(松浦弥太郎)すごかったですね。要するに、人とコミュニケーションが取れなかったし。なにをやっても、自分が人より劣っているという気持ちであったりとか。どこにも所属できない。で、「僕はどこに行ったらいいのか?」とか。「僕を好きな人って、誰なんだ?」とか。そういう……いまだと、もう笑っちゃうんですけど。当時はね、もう本当に深刻で。

(松尾潔)大きな問題ですよ。10代の終わりとかにとってはね。

(松浦弥太郎)で、それがわからなくて。どうしたらいいのか、わからない。とにかくね、どうしたらいいのかわからないことの毎日なんですよ。10代の頃。で、ひとつだけ、これに賭けてみようと思ったのが、アメリカに行こうっていうことです。

(松尾潔)行けば、何かがあると?

(松浦弥太郎)あると思った。思いましたね。

(松尾潔)それ以上の根拠はなかった?

(松浦弥太郎)なんにもない。英語もしゃべれなかったし、誰も知り合いがいなかった。もうとにかく、持っていたのは恥ずかしいけど、『地球の歩き方』だけ(笑)。

(松尾潔)(笑)。けど、僕ね、弥太郎さんの本。『本業失格』という、僕にとっての弥太郎さんを最初にはっきりと知るきっかけになった本に始まり、いろんなものに触れてきましたけど。とにかく、街に着いて、くまなくそこを歩いて。で、同じところにも何度も通って、顔を覚えられて、言葉を交わす。自分が声をかけるだけじゃなくて、向こうからも声をかけられるところまで、コミュニケーションを取って。そして、お仕事になる時もあるし、たまには恋もすると。それはね、うらやましい時間にしか見えなかったりもするんですね。本を読んでいると。

(松浦弥太郎)そうですね。

(松尾潔)ですが、松浦さんのお話をこうやって聞いていると、ご本人は相当悲壮な覚悟もあったという。そこが面白いなって。

(松浦弥太郎)悲壮ですよ。いま思い返すと、自分の中の暗黒時代。で、僕はそれで10代の時、高校を辞めた時に、今日持ってきましたけど、ジャック・ケルアック(Jack Kerouac)の『路上』を読むんですよ。で、当時はね、まだ文庫がなかったんですけど。それを読んだ時に、ここにね、「この『路上』だ!」って思ったんですよ。漠然と。僕はアメリカで『路上』をそのまんま経験したいって思ったのね。

(松尾潔)これは、アメリカに行く前に、日本で読みふけったんですか?

(松浦弥太郎)読みふけりました。で、そこで好きなフレーズがあって。読みますけども。これはもうすぐ冒頭で書いてあるんですけどね。「そちらの方向に行きさえすれば、どこかに女の子も、夢も、あらゆるものもきっと存在するのだ」って書いてあるんですよ。

(松尾潔)夢を与えるフレーズだな。しかも10代の若者にとっては、ちょっと甘美ですね、これ(笑)。

(松浦弥太郎)そう。でね、「その方向のどこかで、真珠が僕の手に入るのだ」って書いてある。これ、ジャック・ケルアックが冒頭に書いてある。これを読んだ時に、「アメリカだ!」って思ったんですね。

(松尾潔)うん、うん。

(松浦弥太郎)それはアメリカを旅すれば。で、アメリカの路上にその真珠があるんだって、当時の僕は『路上』にもう心酔して。これを持ってね。ポケットに入れて行きましたね。

(松尾潔)いいお話ですね。あの、世代的には僕らの世代……まあ、弥太郎さんは僕より、学年で言えば2つ上でいらっしゃるのかな? 僕らの世代でも、ちょっとオールドファッションドなアメリカへの向き合い方とも言えますよね。その、本を携えてっていうのは。というのは、その頃は、ちょっと表現は間違っているのかもしれないけど。もっとこう、軽いノリでアメリカと行き来する若者も増えてきたりしてた時代かと思うんですけども。

(松浦弥太郎)そうですね。

(松尾潔)アメリカに、それこそ経済的な援助とかを親とかそういう人から受けて、軽やかに遊んでいる感じの人たち……

(松浦弥太郎)いましたよ、いっぱい。

(松尾潔)と、すれ違うこともあったと思うんですが。そういう時に、僕、弥太郎さんってどんな気持ちだったのかな?っていうのをよく考えていたんですけど。まあ、そういうことについて、本の中で触れられているところもあって。いまのこの弥太郎さんのスマートな所作とかを見ていると、全く信じられないし。まあ、ご自身もそういうことをおっしゃっているけど、「いまに見ていろ」っていう言葉をね、若い頃から繰り返し……

(松浦弥太郎)そう。いまでもそうかもしれない。

(松尾潔)弥太郎さんって、一緒にいるとこうやって人を明るい気持ちにさせてくれるけど、ご自身の中では「怒り」っていう感情を常にこう、燃料にされているところがあるんだなって思って。

(松浦弥太郎)うん。ありますよね。

(松尾潔)いまでもそうですか?

(松浦弥太郎)いまでも、あります。やっぱり、なんだろう? ボーボー燃えているっていう感じではないんですけど。やっぱりどこかで、まあ、きっとね、僕はその10代の頃にすごく不自由を感じていたんですね。学校でも、外でもね。まあ、友達もできなかったっていうのもあるんだけど。でも、なんかどっかに……僕が言っている「自由」って、まだ僕が知らない自由っていうのがどこかにあるだろうっていう風に。

(松尾潔)なるほど。いま知っている自由とは違う。

(松浦弥太郎)違う。みんなが言っている自由じゃない、本当の自由っていうのが、なんかもっとある。だからさっきのケルアックが言うね、真珠みたいなものが手に入る、みたいなことがあるだろうという気持ちと同時に、なんて言うんでしょう。なんとも言えない世の中の不条理な、いろいろなこと。あるじゃないですか。

(松尾潔)ええ。

(松浦弥太郎)で、こうでなければいけない。当時ね、「いまに見ていろ」っていう言葉と同時にいつも思っていたのは、「普通」っていう言葉をものすごい嫌悪していましたね。

(松尾潔)うんうんうん。それ、僕いまでも嫌悪しています。

(松浦弥太郎)「普通」って言われると、「普通って……なんで僕、普通にならなければいけないの?」とか。「なんで普通に生きなきゃいけないの?」とか。「なんで普通のものを持ってなきゃいけないの?」っていう、すごい嫌悪していて。そういう、いろいろなことがね、メラメラとしているのと同時に、何ひとつ自分が何者でもなくて。人からうらやまれる存在でもない。なにか自慢できるものも持っていない。そういう中で生きていて、本にも書いてますけど。僕はね、10代の頃に嘘ばっかりついていた。

(松尾潔)(笑)

(松浦弥太郎)嘘っていうと、人を騙すとかじゃないけど。でも、自分を良く見せようっていう。自分がダメな人間じゃないっていうことを偽るというかね。そういう少年。

(松尾潔)わかります。僕も嘘とまでは言わないけど、背伸びをして。背を高く見せようっていう気持ちは常にありましたね。

(松浦弥太郎)そう。そういう感じ。

(松尾潔)だけど、この歳になると、嘘がいちばん高くつくっていうのはわかりますよね。

(松浦弥太郎)そうなんですよ(笑)。だからそういう青春時代に僕はアメリカにいたんで。だからアメリカの思い出って、もちろん断片的には素敵なこととか、うれしかったこととか。恋愛もしたしね。友達もできたりしたけども。でも、大きく見るとね、僕にとってはすっごい暗黒。

(松尾潔)うーん。それが、生きているんですね。

(松浦弥太郎)そう。

(松尾潔)さあ、続いてはじゃあ、影を感じさせる音楽を(笑)。強引かな? ロバート・グラスパー・エクスペリメント(Robert Glasper Experiment)って、こんなお洒落かつ、ディープなものを選んでくださいました。

(松浦弥太郎)このロバート・グラスパーも、ピアニストとして大好きだからね。

(松尾潔)まあ、ちょっと群を抜いてますよね。

(松浦弥太郎)群を抜いている。もうね、やっぱり他のピアニスト……まあ、ジャズのピアニストの中でもセンスも違うし。ねえ。

(松尾潔)もちろん、スキルもそうですけど、センスも。まあ、大雑把な言い方をすると、我々の時代のハービー・ハンコック(Herbie Hancock)ですよ。

(松浦弥太郎)ですよね。

(松尾潔)そう思いますね。じゃあ、聞いてみましょう。ノラ・ジョーンズ(Norah Jones9をフィーチャーしています、ロバート・グラスパー・エクスペリメントで『Let It Ride』。

Robert Glasper Experiment『Let It Ride feat. Norah Jones』

(松尾潔)ロバート・グラスパー・エクスペリメントで2013年のアルバム『Black Radio 2』の方に収められていました。ノラ・ジョーンズをフィーチャーした『Let It Ride』でした。

(松浦弥太郎)いいね! このロバート・グラスパーのソロのね、ピアノでちゃーんと自分のテクニックを……

(松尾潔)ちゃんと入れてますよね。

(松浦弥太郎)入れているところがかっこいいし。もちろん、ノラ・ジョーンズのボーカルもすごい気持ちいい。

(松尾潔)曲として本当に奇跡的なバランスで成り立っていますよね。今日はまあ、いろんな奇跡的にバランスの良いものが5曲も聞けるという、腑に落ちるし感動してますよ、これ。

(松浦弥太郎)(笑)。でもね、僕、こんな風に音楽を選曲して、どこかで発表することって、そうそうないんですよ。

(松尾潔)ないでしょう?(笑)。だからやってほしかった(笑)。

(松浦弥太郎)(笑)。だから、すっごいうれしくて。どれを自分がね、さっき言ったように常に対峙していて。聞くたびに新しく発見があるのはどれだろう? と思って。で、今日選んできたんですよね。

(松尾潔)弥太郎さんが選ばれたもの、弥太郎さんが推奨される日々の過ごし方。『100の基本』っていうベストセラーもありますし。あとは、弥太郎さんがたどってきた軌跡っていうんですかね? そういうのは僕、いろいろわかったようなつもりになっていたんですけど。まとめて、音として紹介される場がね……

(松浦弥太郎)ないよね。

(松尾潔)『かれんスタイル』ですら、ないので(笑)。

(松浦弥太郎)ないですね(笑)。

(松尾潔)今日はいい機会だなと思って。役得です。

(松浦弥太郎)ありがとうございます。

(松尾潔)で、僕は弥太郎さんがいい意味で世の中にあるジャンルを代表するものとして世に出てきたものであっても、そのジャンルに対しての尊敬の眼差しは持ちつつも、ご自身で1回、カテゴリーを作りなおされると。そのことを本当に僕、学びたいなと思っていて。というのは、僕もやっぱりいろんな音楽を聞く中で、「ああ、あのアルバムの中であなた、あの曲を推すんだ?」みたいなことを言われると、自分でも、「でしょ?」って言いたくなるようなへそ曲がりのところもあるんですが(笑)。

(松浦弥太郎)うんうん(笑)。はい。

(松尾潔)僕はね、今日お話しながら思ったのは、弥太郎さん、好きなものもメッセージとして発信されていますけど、嫌いなもの。あと、自分のタイプではないものっていうものを世に対して明らかにすることに、抵抗はないですか?

(松浦弥太郎)抵抗はないですね。ただ、そこを特に強調するつもりはなくて。ちょっと前に戻りますけど、自分がアメリカにいて、いろいろ悶々として、何も上手くできない頃。で、自分が何ができるか?って考えた時のひとつの方法ね。それは、何かを好きになることだと思ったの。それまでって僕は嫌いなもののリストしか挙げてなかったの。

(松尾潔)(笑)

(松浦弥太郎)頭にくることとか……

(松尾潔)「若い」ってことかな?

(松浦弥太郎)そう。だから嫌いなものとかのリストを自分でいつも、そのことだけ考えていたの。で、それだとやっぱり上手くいかないなと思って、ある日突然、それをやめて。これからは、いろんなことを好きなる努力をしようと思って……

(松尾潔)何才ぐらいの時ですか?

(松浦弥太郎)それはだから、ハタチぐらい。だからハタチぐらいまではもう、とにかくいつもプンプン怒っていた(笑)。

(松尾潔)怒りん坊だった(笑)。

(松浦弥太郎)怒りん坊で。あと、嫌いなもののことしか話さない、みたいな。

(松尾潔)うん。それ、どうですか? 1周して、これは有島武郎が言っていることですけど。「好きの反対は嫌いではない。嫌いもまた好きの一形態である」みたいなね。「愛するの反対は愛さないである」みたいな。そういうロジックってありますけど。いま、考えてみるとその時に「嫌い」とおっしゃっていたものも、実はどこか好きだったんだなっていうことは?

(松浦弥太郎)あります。すっごいたくさんある。で、いま僕がものすごく好きなものって、好きと嫌いが同居している。意外と。で、それをちょっと言葉を変えると、僕の自分の本のタイトルにもしていますし、それはもともと高村光太郎の言葉から来ているんですけど。最低と最高っていうものが同居しているっていうのが非常に人間らしくて信じられるっていうことなんですよ。

(松尾潔)はあはあ。

(松浦弥太郎)最高すぎるって信じられないし、最低も嫌じゃないですか。でも、最低と最高が同じように同居しているものが、僕は信じるし。僕が好きなものって、そういうものなんだっていうことにある日、気がついた。それは大きい。僕にとって人生が変わるぐらいの発見。

(松尾潔)あの、『最低で最高の本屋』っていう本。あれは素晴らしい書名であると同時に、すごくやっぱり、この人はこういう人なんだっていうマニュフェストのようなものでしたよね。

(松浦弥太郎)そうなんです。で、僕はね、最低で最高であるってことが、自由ってそういうことだなって思ったんですよ。

(松尾潔)その最低と最高。どちらもあることがっていうことですか?

(松浦弥太郎)そうです。それがね、自由の表れだと思ったんですよね。

(松尾潔)それは別の言い方をすると、批評性を伴った愛情ということかもしれませんね。

(松浦弥太郎)そうですね。

(松尾潔)最低と言い切れるだけの冷徹な眼差しも持ちながら。透徹って言うのかな? 松浦さんは本当にけど、うん。こういうビターなお話もされるんだけど、人の気持ちを開く笑顔の持ち主であり、女性ファンも多いですよ。もちろん。

(松浦弥太郎)いやいや(笑)。

(松尾潔)なんでこういう人ができたのかな?っていうね(笑)。どういう成分で成り立っているのかって、ずっと僕の興味の対象だったんですよね。楽しいな、今日の話は(笑)。音楽の趣味までいいという、本当に憎い話ですけど、次の曲をご紹介していただきましょうか(笑)。はい。これは74年の、もうジャズファンクの世界では定番と言われる……

(松浦弥太郎)そう。その、僕がもうひとつ心酔したものが、ビート・ジェネレーションのビート文学っていうので。そのビートの流れの中にいる、1人の僕は詩人だと思っているんですけど。だから、まあミュージシャンとしてみなさんは知っていますけどね。非常に文学的なんですよ。この方は。もちろんメッセージ性も強いし。その、ギル・スコット・ヘロン(Gil Scott-Heron)の、これはもう大好きな曲。僕はこの曲は自分の人生の中でもね、ものすごい大きい。『The Bottle』っていう曲ですね。

Gil Scott-Heron『The Bottle』

(松尾潔)ギル・スコット・ヘロンの『The Bottle』を聞きました。ギル・スコット・ヘロンね、もっともっと評価されてもいい人ですよね。

(松浦弥太郎)そうですね。この人なんかは、やっぱりさっき言ったビート・ジェネレーションの流れだし。文学とある種の音楽の融合っていう、この曲なんかはひとつの象徴だと思うし。音楽性、すごい高いですよね。

(松尾潔)後に、ルーツがやろうとしたようなことを、すでにあらかたやっていたとも言えますよね。ギル・スコット・ヘロンとか、ニッキ・ジョバンニ(Nikki Giovanni)とか。あの人たちがいてこそのヒップホップムーブメントだったのだなという、源流をたどるような音楽の旅にもなりましたね。今日の番組は(笑)。

(松浦弥太郎)いや、本当にそうでね。これ、やっぱりポエトリーリーディングとラップの中間っていうかね。そういうものをひとつ、橋をかけたっていうか。そういう曲ですよね。うん。

(中略)

(松尾潔)さて、楽しい時間ほど早くすぎてしまうもの。今週もそろそろお別れの時が迫ってきました。ということで、今週のザ・ナイトキャップ、寝酒ソング。こちらも今日のゲスト、松浦弥太郎さんに選んでいただきました。テリー・キャリアー(Terry Callier)『What Color Is Love』。これ、メロウじゃないですか(笑)。

(松浦弥太郎)この曲はね、もう本当に。このアルバムが素晴らしいですよ。このね、ジャケットがね!

(松尾潔)このね、女性。この時の女性に一度、お会いしてみたかったな(笑)。

(松浦弥太郎)本当にね。この、僕はアルバムを持っていますけど。これをね、部屋に飾って(笑)。

(松尾潔)セクシーな気分になりますね(笑)。

(松浦弥太郎)そうですよ。もう本当にね、この曲、大好き。

(松尾潔)若い時のいしだあゆみさんを僕、いつも思い出すんですけどね。これを見ていますとね。

(松浦弥太郎)まあ、すごいジャジーでありながら、それこそメロウ。メロウってこの曲だなって僕なんか思いますよ。

(松尾潔)なるほど。番組のナイトキャップに相応しいと思います。これからお休みになるあなた。どうか、メロウな夢を見て下さいね。まだまだお仕事が続くという方。この番組が応援しているのは、あなたです。次回は来週、5月16日(月)。夜11時にお会いしましょう。お相手は……

(松浦弥太郎)松浦弥太郎と、

(松尾潔)僕、松尾潔でした。それでは、おやすみなさい。

Terry Callier『What Color Is Love』

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/41766

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