ディーン・フジオカさんがblock.fm『Smooth Navigation with EMPORIO ARMANI』に出演。タケル・ジョン・オトグロ(TJO)さんとご自身がチョイスした曲について話す中で、トム・ウェイツや岡村靖幸について言及していました。
(TJO)それで言うと、もうあと2ヶ国。オーストラリアと日本で(曲を)選んでもらったのが、オーストラリアがトム・ウェイツ(Tom Waits)。で、日本が岡村靖幸さん。
(ディーン・フジオカ)そうなんですよ(笑)。
(TJO)っていうところで、もしかしてこういった独自の世界観をすごい持っているアーティストっていうのにもすごく刺激を受けたのかな?って思って。
(ディーン・フジオカ)もちろん、それは。いやー、一人ひとりすごいですよね。
(TJO)そうですね。特に岡村靖幸さんなんて、もう言葉の選び方も含めて、もう強烈じゃないですか(笑)。
(ディーン・フジオカ)(笑)。そうですね。なんかこう、オーストラリアのトム・ウェイツって、オーストラリアに決して長く住んだだけではないんですけども。
(TJO)どのぐらい、いたんですか?
オーストラリアトム・ウェイツ
(ディーン・フジオカ)妻がオーストラリアでずっと学校に行って育ったんで。インドネシアで生まれたんですけど。なんか一時期、パースに長くいたことがあったんですよ。で、1回ビデオの制作で友達を呼んでパースで撮影したりとかもしたことがあって。まとまって、半年とか1年とかはいなかったんですけど。そこで見たその大自然だったりとか、海とか砂漠とか。まあ、トム・ウェイツの枯れた感じと、あとこの曲、『Tom Traubert’s Blues』がたしかオーストラリアの民謡なんですよね。もともと。
(TJO)ああ、そうなんですね。
(ディーン・フジオカ)なんかそれで、たしかにあの時、トム・ウェイツをしょっちゅう聞いていたなって思ったし。オーストラリアってアジアの縦軸の中にいるわけじゃないですか。でも、一応ウェスタンの国のひとつっていうか。なんかすごく、インドネシアの先にオーストラリアがあったっていう感覚だったですよ。自分にとって。どんどん南下していって、GMTの時間軸で言うとGMT+7からGMT+9の2時間の軸を、台湾がGMT+8なんで1時間前後で行ったり来たりしてキャリアだったりライフワークとかしていたんですけど。そん時になんか、「ここにオーストラリアがあったんだ!」みたいな。
(TJO)(笑)
(ディーン・フジオカ)地図を見れば誰でもわかることなんですけど。すごい、大きな発見だったんですよ。で、そこで出会ったミュージシャンだったりフィルムメーカーとか。やっぱりアジアの考えるエンターテイメントとかアートの社会的な……もちろん、人にどう見られようと関係ないんですけど、やっぱり社会の中でどう扱われるか?って、やっぱり仕事のクオリティーにかかわりますよね。
(TJO)そうですね。
(ディーン・フジオカ)で、やっぱり西洋の国がすごいなと思うのは、そこにユニオン(組合)がちゃんとあって。で、パフォーマーでありクリエイターである人たちが、妥協せずに物づくりに向き合えると。で、気力とか無理な状況の中ではやらずに。そういう感覚でクリエイションとかと向き合っている人たちとの出会い、交流っていうのはやっぱりすごく自信につながったんですね。自分の中で。
(TJO)それは大きいですね。
(ディーン・フジオカ)それまで、自分のやっている仕事って職業に上下は無いですけど。あんまり、この仕事って背広を着て……なわけじゃないし、白衣を着て病気の人を治しているわけじゃないし。「いいのか、これで?」みたいなのがあったんですけど(笑)。
(TJO)とらえきれなかったと。環境もいろいろ変わったりして。
(ディーン・フジオカ)そうですね。で、やっぱり本当、国によってベネフィットに対する考え方も違うじゃないですか。良かれと思ったけど、ネガティブだったりとかもあるし。でも、そういう混乱の中で、誇りをもってこの職業というか生き方と向き合っていいんだ、みたいなのを感じたのも、トム・ウェイツの生き方ってやっぱりそうだと思うんですよね。
(TJO)なるほど、なるほど。
(ディーン・フジオカ)そこらへんをいろいろ、ダブルミーニングで掛けあわせて、こういう曲にした感じですね。
(TJO)じゃあ結構あれですね。今日、紹介してもらっている曲なんかは本当にディーンさん自身が救われてきた曲でもある、みたいな?
(ディーン・フジオカ)うん。まさにその通りですね。
(TJO)気づきを与えてくれたりとか。本当にそういうことですね。僕ね、オーストラリアはまだ行ったことがないんですけど。もう本当に燦々な太陽で。すっごいもう本当、バケーションが似合うような場所だと思っていて。「トム・ウェイツのこんなしゃがれた声が合うのか?」みたいに思っているんですけど(笑)。ちょっと今度、いつかオーストラリアに行ったら、トム・ウェイツを聞きながら。
(ディーン・フジオカ)そうですね。ランセリンっていう町があるんですけど。そこは真っ白な砂丘があったりとか。あと、ちょっと内陸の方に行ったら、もう湿度ゼロみたいな世界がありますよね。で、西に行けばもちろんインド洋が広がっているんですけど。意外と合いますよ(笑)。
ディーン・フジオカと岡村靖幸
(TJO)(笑)。ちょっと試してみたいと思いますけども。で、日本なんかは岡村靖幸さんを選ばれたのは、すごく……僕、大好きなんですけども。うわーっ!って思って、超うれしかったんですけど。これは、どうしてこの曲を?
(ディーン・フジオカ)実は僕、3曲迷ったんですよ。
(TJO)他は?
(ディーン・フジオカ)『SUPER GIRL』と、『だいすき』と、『イケナイコトカイ』の3つ、どれにしようかな?って思って。
(TJO)いいですね(笑)。
(ディーン・フジオカ)迷ったんですけど、歌がいちばん好きなのはこの曲(『イケナイコトカイ』)なんで。
(TJO)この曲なんですね(笑)。
(ディーン・フジオカ)『SUPER GIRL』のイントロとか、最高じゃないですか。
(TJO)大好きです。なるほど。でも、本当に岡村さんなんかまさにポップ。どんなルールにも縛られずにポップを作っている人だと思っていて。
(ディーン・フジオカ)そうですね。
(TJO)だからすごく、さっきおっしゃっていた「自分はポップを作ろう」っていう感覚とかは、また間接的にもしかしたら影響を受けていたりするのかな? なんて。
(ディーン・フジオカ)そうですね。なんかこう、どうしてもそこに向き合う自分にかっこつけちゃったりする時期があったから。自分は長いこと。なんか、歌詞を書いてメロディーがあって。で、コードプログレッションがガンガン展開していって……みたいなのをずっと、あんまりよく思っていなかったんですけど。
(TJO)なるほど。
(ディーン・フジオカ)岡村さんの音楽を聞くと、自由だな!って思うんですよね。音楽って本当に自由だなって思って。歌い方とか、本当にソウルの込め方とかも。そういう人に、自分のスタイルでなれたらいいなって憧れますね。
(TJO)すごくわかります。結構本当に多種多様なジャンルを選んでいただいたんですけども。たとえばじゃあこの6ヶ国の音楽性、それぞれの違い。もちろん、いろんな曲について語っていただいたんですけど。なにか、特筆すべき点とかあったりします?
(ディーン・フジオカ)おおー、なるほど。と、言いますと?
(TJO)特にやっぱりここはユニークだったなと思うところとか。それで言うと、さっきのお話を聞くと、特にインドネシア・ジャカルタなのかな?っていう。
(ディーン・フジオカ)そうですね。1回死んで蘇った、みたいな感覚がありますね(笑)。
(TJO)(笑)。「死んだ」って、そんな感じなんですね? それぐらいの衝撃だったんですね。
(ディーン・フジオカ)そうですね。復活ってこういうことを言うのかなっていう。
(TJO)そんなの? はー。じゃあもう、アメリカでヒップホップとかブラックミュージック、いろんな音楽に出会い、香港でキャリアをスタートさせ、台湾で新しい次のネクストレベルに進み、インドネシアで1回死んで蘇ったと?
(ディーン・フジオカ)まあ、インドネシアで死んだかどうかはわかんないですけど(笑)。まあ、どこかでもう根無し草みたいになっちゃったんですね。だから、どこに行っても外国人だったし。で、当時日本語も敬語とかあんまりちゃんとしゃべれなかったから。どこのルールを守るのが自分の……まあ、ルールを守るのは大事ですし、あれなんですけど。どこに基準をもっていったらいいのかわからなくなっちゃっていて。すごい、だいぶ弱っていたんですよね。その時。
(TJO)なるほど。
(ディーン・フジオカ)で、インドネシアに行って、その殻を破るエネルギーを、インドネシアのその……ちょっと「スピリチュアルな」って言うとすごくオカルトっぽく感じちゃうかもしれないですけど。本当にインドネシアのあの感じとか、「人間って助けあって生きてるんだな!」みたいな(笑)。
(TJO)ああー。根本的なところからすごく教わったといか。
(ディーン・フジオカ)そうですね。
<書き起こしおわり>