松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で1997年のR&Bチャートを振り返り。この年にヒットした曲を聞きながら、解説をしていきました。
(松尾潔)続いては、こちらのコーナーです。いまでも聞きたいナンバーワン。2010年3月31日に始まった『松尾潔のメロウな夜』。この番組は、メロウをキーワードにして、僕の大好きなR&Bを中心に大人のための音楽をお届けしています。ですが、リスナーのみなさんの中には『そもそもR&Bって何だろう?』という方も少なくないようです。そこでこのコーナーでは、アメリカのR&Bチャートのナンバーワンヒットを年度別にピックアップ。歴史的名曲の数々を聞きながら、僕がわかりやすくご説明します。
第27回目となってしまいました今回は、もうこれで90年代は全てご紹介したことになるのかな?1997年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介しましょう。1997年。うーん。そんなに遠くない気もするんですが。これは、自分の実年齢を分母にして考えるからであって。単純に97年っていうと、もう20年近く前になるんですよね。もうそのことに、なんかこのコーナーのたびに話しているような気がしますけども。いまさらながらに驚きますね。時の流れに。
1997年。R&Bチャートのトップを獲得した曲は合計17曲ございます。まあ、この年はね、アトランタオリンピックの翌年でございまして。まあ、アトランタを中心とするアメリカ南部のシーンの盛り上がりの余熱がまだ残っておりましたね。燃えるアトランタ。その余熱の97年と位置づけましょうか。もちろん、アトランタだけじゃなくて、シカゴのR.ケリー(R.Kelly)ですとか、ニューヨークのパフ・ダディ(Puff Daddy)。そしてそのファミリーでありますメイス(Mase)ですとかね、ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)。こういった人たちの曲がチャートを賑わせましたし。
まあ、後で話しますけどもね、パフ・ダディの周りで大きな動きがあった1年でもございました。年間を通して最も長い期間トップに居座った曲は、アッシャー(Usher)でした。アッシャーはこの年から本格的なブレイクが始まったと言って差支えがないでしょう。その前にアルバムを1枚出していましたけども。この97年、『My Way』というセカンドアルバムがメガヒット。モンスターヒットになりまして。そこで、もうアッシャーの輝かしきビクトリーロードが始まるわけですね。
その『My Way』の中から最もヒットした曲であり、この97年最大のR&Bヒットとなりましたのが『You Make Me Wanna』。プロデュースはもちろんジャーメイン・デュプリ(Jermaine Dupri)。フロム・アトランタでございました。ではまず、この曲からスタートいたしましょう。アッシャーで『You Make Me Wanna』。
Usher『You Make Me Wanna…』
Erykah Badu『On & On』
1997年のR&Bナンバーワンヒットをお届けしています。いまでも聞きたいナンバーワン。2曲、お聞きいただきました。アッシャーで『You Make Me Wanna』。こちらは9月6日から11月15日まで、なんと11週連続のナンバーワン。文句なしのこの年最大のR&Bヒットになりました。そして、センセーショナルだったという意味においては、この女性。この曲も忘れがたいですね。エリカ・バドゥ『On & ON』。2月8日から15日まで。ちょうどいまぐらいの時期ですね。2週連続でナンバーワン。デビューから幸先のよいスタートとなりましたね。
収録アルバムは『Baduizm』。これはいま考えてみると、不敵なタイトルですよ。エリカ・バドゥという女性が『Baduizm』。かつて、絶大なる人気を誇っておりました女優の藤原紀香さんが『藤原主義』という本を出しましたけどね。このエリカ・バドゥの『Baduizm』っていうのはまさに『バドゥ主義』と訳すことができますね。
さて、1997年のチャートのトップを飾りました17曲。17曲だったら一気にご紹介してみましょうか。前年、96年からの持ち越しでR.ケリー『I Believe I Can Fly』の一位でスタートいたしました。
そして、アン・ヴォーグ(En Vogue)『Don’t Let Go』。
で、またR.ケリーが『I Believe I Can Fly』で一位を奪い返して、R.ケリーを撃ち落としたのがエリカ・バドゥ『On & On』。男性ボーカルグループ、ボルティモアの出身。ドゥルー・ヒル(Dru Hill)で『In My Bed』。
そして、パフ・ダディのアーティストとしてのはじめてのメガヒット。フィーチャリング メイスで『Can’t Nobody Hold Me Down』。これが6週ナンバーワンでしたね。
ドゥルー・ヒルの『In My Bed』を挟みまして、ノトーリアス・B.I.G.がまた『Hypnotize』でトップを飾ります。
チェンジング・フェイシズ(Changing Faces)。二人組のセクシーな女性。R.ケリーの仕掛けで出てきました。『G.H.E.T.T.O.U.T.』。もうダメな男に『出て行って!』っていうね、『G.H.E.T.T.O.U.T.』。
そしてまたパフ・ダディがフェイス・エヴァンス(Faith Evans)と112をフィーチャーした『I’ll Be Missing You』。これがこの夏大ヒットとなります。これが8週連続ナンバーワンだったのかな?
そしてまたドゥルー・ヒルが『Never Make a Promise』で一位を4週とって・・・
アッシャーの『You Make Me Wanna』。11週。そして、スーパーボーカルユニットLSG。ジェラルド・リヴァート(Gerald Levert)、キース・スウェット(Keith Sweat)、ジョニー・ギル(Johnny Gill)のLSGが5週連続のナンバーワン。『My Body』。ボーイズ・II・メン(Boyz II Men)『A Song for Mama』でこの年は終わるんですけども。
これ、余談ですけども、年が明けて98年にLSG『My Body』がまた一位を奪い返します。もうこのあたりは本当、スターばかり。たまりませんね。お気づきのように、17曲って言いましたけど、アーティストの数で言うと、結構限られているんですよね。ドゥルー・ヒルは新人グループながらこの年、2曲のナンバーワンヒットを記録してますからね。もちろんパフ・ダディもね、大活躍。ノトーリアス・B.I.G.も大活躍なんですが。
ここで話さなければならないのはパフ・ダディがアーティストとして『Can’t Nobody Hold Me Down』で一位をとったほぼその瞬間と言ってもいいでしょう。3月8日付けで初めての一位となったんですが、その翌日。3月9日に彼が社長を務めますバッド・ボーイ・レコードの看板アーティストでしたノトーリアス・B.I.G.が24才の若さで亡くなります。そして、もう6月には、そのノトーリアス・B.I.G.を悼む、追悼する曲『I’ll Be Missing You』がリリースされてナンバーワンになるという。ちょっと目まぐるしい展開ですよね。
アッシャーという人もね、もともと、ジャーメイン・デュプリの弟子でもあるんですが、パフ・ダディの弟分でもあるということを考えますとね、この時期は本当、数えるほどの男たち。数人でシーンをグルグル回していたような気がしますね。R.ケリーでしょ、パフ・ダディでしょ、デュプリでしょ。あとは・・・忘れてはならないのが、エリカ・バドゥの後ろにいました、キダー・マッセンバーグ(Kedar Massenburg)という男ですね。このエリカ・バドゥをやっている音楽。いまではネオ・ソウルって言いますけど。当時は、ニュー・クラシック・ソウルっていう言い方の方が強かったんですよね。
そして、ニュー・クラシック・ソウルというムーブメントを推進というか、引っ張っていたのがキダー・マッセンバーグというエリカ・バドゥやディアンジェロ(D’angelo)のマネージャーを務めていた男です。キダー・マッセンバーグは後にモータウンの社長にまでなるんですけども。やはりね、ひとつのスタイルを作った男っていうね、自覚が強くて。もともと弁護士っていう、そっちの方から入ってきた人なんですけども。
その後、手がけたジョー(Joe)ですとかね。まあ一貫して彼の音の好みっていうのははっきりしてますね。滋味深い歌がとにかく好きな人ですね。本当に、気のいいブラザーでもあるんですけどもね。僕、何度か会いましたけども。こういった人がこのシーンを動かしていたということを、いまになって痛感しますね。で、ネオ・ソウル。ニュー・・クラシック・ソウルのムーブメントは海を越えまして。イギリスでもリンデン・デイヴィッド・ホール(Lynden David Hall)なんていう人を生み出しました。UK版ディアンジェロなんて言われてましたし。
いま、僕がよく一緒にお仕事をしていますJUJUなんかもね、やっぱりエリカ・バドゥがいなければ、デビューすることはなかった人なのかな?っていう気がしますね。イギリスのコリーヌ・ベイビー・レイ(Corinne Bailey Rae)なんかもね、その1人と言えるかもしれないし。エリカ・バドゥはその販売力以上に、影響力で高く評価すべき女性なのかな?という気がしますね。
さて、まあボーカルグループ花盛りでもあったこの97年。新人グループのドゥルー・ヒルがナンバーワンヒットを連発したんですけども。もちろんドゥルー・ヒルも大好きですが、この人たちに本当に当時狂気乱舞したものです。まあ、ドゥルー・ヒルもLSGもね、当時の日本盤のアルバムに僕は熱く解説を書いてますが(笑)。今日はLSGの方をご紹介したいと思います。『My Body』という曲は、もう端的に言いますと、ジェラルド・リヴァートとキース・スウェットとジョニー・ギル。それぞれのいいところを足して3で割らなかった曲。
本当に、ええ。とにかく聞いてください。今日はこれを覚えてお休みになってください。LSGで『My Body』。
LSG『My Body』
1997年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介してまいりました。最後にご紹介したのはLSGで『My Body』。この年の暮れのヒットですね。年が明けて98年もナンバーワンを獲得したという。まあ、LSGというユニットとしてのデビューシングル『My Body』。破格の大ヒットでした。まあこの年、97年の2月。ジェラルド・リヴァートは自己のグループでありますリヴァート(LeVert)としてのアルバム『The Whone Scenario』をリリースしました。これが2月のことなんですけどね。リヴァートっていうのは三人組なんですよ。で、そちらの活動をお休みして、別の三人組をやるっていう。まあちょっと、残りのメンバーに対しては残酷とも言えるようなね。
うん。明らかにだって、バリューが違いますからね。キース・スウェットとジョニー・ギルとやるわけですから。そして実際にそっちの方が売れてしまう。そして、2月に出したリヴァートのアルバムはリヴァートとして最後のアルバムになってしまうっていう。こういうね、音楽ビジネスの非情な面も見せつけてという。うーん。まあこの頃はね、個人的なことをお話させていただくと、僕もライター仕事。いま考えてみると、もうそうなんですよね。フェードアウトする寸前ぐらいで。それからも何かに導かれるように制作の方に軸足を移していくんですけど。まあ、もちろん音の勉強もこの頃やっていたんですが。こういった、何て言うんでしょうね?音の後ろの人の動き。そういうのもいまとなってはこういうところで学びがあったんだなと。その頃はそういうことを意識してないですけど。いまになって思います。いろんなことを教えてくれた1997年のR&Bシーンでした。
<書き起こしおわり>
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