西寺郷太『ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い』を語る

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NONA REEVES西寺郷太さんがTBSラジオ『Session22』に出演。名曲『We Are The World』の制作された時代背景や、その後の音楽業界の変化について話していました。

(南部広美)今夜はNONA REEVESの西寺郷太さんをお迎えしています。よろしくお願いいたします。

(西寺郷太)よろしくお願いします。

(南部広美)今夜は郷太さんをお迎えして、このテーマでお送りします。『西寺郷太が語る ウィー・アー・ザ・ワールドとは?』。

(荻上チキ)ああ、流れてきましたね。

(南部広美)リッチーが歌い出すのよ。

(西寺郷太)リッチー、歌いますね。

(南部広美)ライオネルが。

(荻上チキ)プロモーションビデオの交互にね、出てくるところが浮かびますよね。

(西寺郷太)ライオネル・リッチー。マイケル・ジャクソンと一緒にこの曲を作った方ですけども。作詞・作曲を2人でしたんですけども。僕、『SPA!』という雑誌で連載させてもらっている中で、ライオネル・リッチーに直接インタビューしたことがあって。

(荻上チキ)へー!

(西寺郷太)あれ、何年前かな?マイケルが亡くなってしばらくした後だったんですけど。いちばんびっくりしたのが、ライオネル・リッチーってめっちゃ顔長いと思ってたんですよ。僕。顔が長い人だと思ってたんです。

(南部広美)私も思ってました。

(西寺郷太)思ってます?でも、ただめっちゃ顔が細い人だってことがわかったんです。

(荻上チキ)ほー。比率。

(西寺郷太)そんなに大きくなかった。顔がギューッと縦に長いと思っていたら、横がすごくない人だったっていう。

(南部広美)そうなんですか!?

(荻上チキ)シュッとしてたんだね。

(西寺郷太)だから僕、よくペットボトルを人に見せて。『こんな感じなんや』っていうのを。

(荻上チキ)そこまでじゃないでしょ?

(西寺郷太)いやいや(笑)。すっごい顔が細い人だったっていう。いや、ちょっと言い過ぎましたけど。いや、そんなに顔は大きくなかった。

(荻上チキ)まあ、そういう感じの。

(西寺郷太)長いと思ったんです。それだけはね、みなさんにお伝えしたいなと今日、思ったんですけど。

(荻上チキ)それが、メインですか?今日の(笑)。

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80年代のライオネル・リッチー人気

(西寺郷太)今日のメイン。今日のメイン(笑)。いや、そもそもライオネル・リッチーと・・・本当、80年代ライオネル・リッチーってすっごい人気者だったんです。

(南部広美)大好きだった。

(西寺郷太)大好きでした?

(南部広美)初めて買ったアルバムが、ライオネル・リッチーの『ライオネル・リッチー』でした。

(西寺郷太)本当ですか!?

(南部広美)『You Are』にやられて。

(西寺郷太)すごいですね。これまた。ライオネルは80年代初頭のアメリカの顔で。どんだけすごいか?っていうと、ロスアンゼルスオリンピックの閉会式で『All Night Long』っていう歌を歌うっていう。もう、代表ですよ。アメリカ代表っていうことで。

(荻上チキ)ですよね。

(西寺郷太)だからなんかね、マイケル・ジャクソンってそういうスーパースターってみんな思っていると思うんですよ。洋楽ファンって。だけど、当時はやっぱりライオネルは司会もできるし、陽気でユーモラスな人なので。アメリカン・ミュージック・アワードっていう、そういう日本で言うと紅白みたいな、有名人が集まるみたいなので司会もして。賞も6部門取っちゃうみたいな。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)マイケル・ジャクソンってなんて言うのかな?カリスマ性はありますけど、なんかトークの司会とかしないじゃないですか。

(荻上チキ)まあ、代表とかでもないですよね。

(西寺郷太)どちらかと言うと、サッカーで言うと中田ヒデ選手みたいな。

(荻上チキ)孤高の、みたいな。ヒデは司令塔でしたけどね。

(西寺郷太)そう。司令塔でしたけど(笑)。そんなになんて言うか、ゴン中山さんみたいな感じのキャラじゃないじゃないですか。ヒデさんって。クールでしょ?マイケルはどっちかって言うと、そっちなんですけど。ライオネルはそうやってみんなに、ちょっと先輩っていうのもあったんですけど。年齢的に。

(荻上チキ)面倒見がいいみたいな。

(西寺郷太)面倒見がいいんで。だからそのね、ライオネルとマイケルが組んだっていうので、みんながまずは驚いたんですけど。なにが驚いたか?っていうと、45人ものスーパースターが来て。ここにはレイ・チャールズだったり、スティービー・ワンダー。それからブルース・スプリングスティーン。『Born In The USA』で当時、もうもう本当アメリカを代表するスターになってましたよ。

(荻上チキ)かっこいいですよ。

(西寺郷太)そうなんですよ。あと、ビリー・ジョエルですね。日本でもすごく人気ありますけど。あと、ポール・サイモン。サイモン&ガーファンクルの曲を作っている、アメリカで言うと桑田佳祐さんとかレベルの。アメリカ国民の歌手、ソングライターっていうのがポール・サイモンですけど。意外とポール・サイモンとかも端っこにいたりして、っていうぐらいのレベルでスーパースターが集結していたと。

(荻上チキ)うん。

『ウィー・アー・ザ・ワールド』の最大のポイント

(西寺郷太)で、なにがすごいか?っていうと、白人と黒人がかなり入り乱れた状態で。まあアメリカオールスターという形で、人種と年齢が入り混じった感じの集団だったっていうのがこの『ウィー・アー・ザ・ワールド』の最大のポイントですね。

(荻上チキ)そうですね。男性と女性もいて。

(西寺郷太)男性も女性もいて。その前に、先ほどもちょっと話したんですけど、Band Aidっていうグループがイギリスでありまして。これはアイルランド出身のボブ・ゲルドフさんっていう方がエチオピア飢饉のテレビを見て、これはマズいってことで動いたんですけど。イギリスはどちらかと言うと、20代後半から30代前半の若い白人アーティストばかりだったんです。

(荻上チキ)ああー。

(西寺郷太)あの、デュラン・デュラン、ポール・ヤング、カルチャークラブ、ワム!っていう感じで。で、たまたまアメリカからイギリスに、ちょうどその時にロンドンにキャンペーンとかライブに来ていた元シャラマーのジョディ・ワトリーっていう方と、それからクール・アンド・ザ・ギャングっていうグループは入ってるんですけど。まあ、写真でこう見ても、ほとんど白人なんです。世代も一緒。『ウィー・アー・ザ・ワールド』はそれが入り混じっていたっていうのがひとつのポイントだったっていう曲なんですが。

(荻上チキ)うん。うん。

(西寺郷太)これね、いまもし、たとえば待ち合わせを駅でできなかったとして、男と女の人が会えなかったっていうことがあれば、『電話せえよ!』って思うじゃないですか。

(荻上チキ)はい。『LINE送れよ』みたいな。

(西寺郷太)『LINE送れよ、メールせえよ』って思うじゃないですか。だけど、それって携帯がある時代だから、そういう風に思っちゃうじゃないですか。

(荻上チキ)そういう、もうね、文化で生きてますから。

(西寺郷太)そうなんですよ。昔の『君の名は』っていうドラマは、ちょっと会えなかっただけでもう本当に会えないんですけど。こんなことっていま、ないんですよ。間違いで会えなかったって。

(荻上チキ)すれ違いっていうのはなかなかいまね、テーマにならない。

(西寺郷太)ないでしょう?だからやっぱりね、それってなんでか?っていうと、もういま、当たり前だと思っている視点で見ちゃうと、昔のことがわからないっていうのがあるんですけど。これも同じことが言えまして。この、『ウィー・アー・ザ・ワールド』まで、こんなに白人と黒人が一緒になって何かをやったことが画面上にボコン!と映ったことってなかったんですよ。

(荻上チキ)はいはいはい。

(西寺郷太)80年代って、MTVっていうミュージックTVですけど。まあもういまは当たり前のようにありますけど。MTVって、ほとんどっていうか、100個あったら3個以上黒人がないっていう。97個は白人っていうぐらい、ものすごい偏った局だったんです。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)だからラジオでは、白人黒人の音楽っていうのはまあ、ぎりぎりかかってまして。まあ、アメリカはステーション制でラジオによってブラックミュージック、カントリーとかあるんですけど。マイケル・ジャクソンと、たとえばプリンスとかハービー・ハンコックとかっていう人が1983年あたりに『スリラー』だなんだっていうのでいろいろビデオを作ったから映りはじめたんですけど。

(荻上チキ)はい。

(西寺郷太)それまでのMTVって、1年半ぐらいあったんですけど全然黒人は映らない。で、その理由としては、MTVっていうのはケーブルテレビだったんですよ。で、まあ中流以上の家が、テレビにお金を払って、ケーブルを引いて。それで月何千円かを払って見るのがMTVだったんですよね。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)で、だいたいMTVに入りたいな、音楽のテレビを見たいなっていうのはティーン・エイジャーなんですけど。白人のティーン・エイジャーの裕福な人たちが見ているのがMTVだったんで。

(荻上チキ)経済格差がありますからね。

(西寺郷太)そうなんですよ。お金を払っているのは白人の親なんですよ。とか、おじいちゃん、おばあちゃん。だから、MTVの当時の経営者たちは『黒人のビデオを流さないでおこう』って言ってたようなことが、この『ウィー・アー・ザ・ワールド』。1985年1月末にレコーディングされているんですけど、それよりも2年ぐらい前までは、マイケルですらかからなかったんです。

(荻上チキ)そんな感じの状況だった。

(西寺郷太)だから、チキさんとかからすると、それはビヨンセとか。ああいう世代じゃないですか。どっちかって言うと、そういう。

(荻上チキ)そうですよ。いま、『Glee』見て泣いてますよ。

(西寺郷太)(笑)。『Glee』見て泣いてるでしょ?だからファレルとか、ああいう
人たちがスーパースターで。もう当たり前。ヒップホップありきみたいな。だけど、この『ウィー・アー・ザ・ワールド』でこれ、なにがすごかったか?っていうと、こんだけ白人、黒人。だからブルース・スプリングスティーンとスティービー・ワンダーが同じ歌を呼応して歌っているとかっていうのは本当に少ない時代のひとつの象徴。それが、壁が壊れたぞっていう。そういうすごさがあった曲だっていうのをいま、やっぱり言わないと、なかなかわかってもらえないんですよね。いかにすごかったってことが。

(荻上チキ)新しい時代が来たんだ、新しいものに取り組むんだっていう。チェンジされている感じ。たしかに、そうですよね。

(西寺郷太)そうなんです。それも、さっきも言ったようにマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの作詞・作曲で。プロデューサーはクインシー・ジョーンズさん。この方も黒人のすごく有能なプロデューサーで。マイケルと『スリラー』を一緒に作った方ですけど。

(荻上チキ)うんうん。

(西寺郷太)もともとはジャズの時代からずーっと活躍されていて。それで、いろんな映画音楽とかをやりながら、ここに至っているんですけど。いわゆる座組みとしては、黒人アーティストが中心のところに白人が入ってきているっていう座組みでもあったりして。非常にこれ、画期的な歌だったんです。で、だけど画期的だったからこそ、いろいろここで潮目が変わったんじゃないか?っていうのが僕のこの『ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い』のひとつのテーマではあるんですよね。

(荻上チキ)うん。『呪い』ですからね。タイトルはね。

クインシー・ジョーンズの指令

(西寺郷太)はい。そうなんです。ここにもちょこっと書いているんですけど。『ウィー・アー・ザ・ワールド』を作る時にクインシー・ジョーンズさん。プロデューサーはマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーに指令を出すんです。こういう曲を作れっていうのが、さっきもちょっと話に出た、サイモンアンドガーファンクルの『明日に架ける橋(Like A Bridge Over Troubled Water』っていう曲。『Like A Bridge♪』っていう
歌なんですけど。

(荻上チキ)うんうん。

(西寺郷太)もう本当に、アメリカの国家とまでは言わないですけど、誰もが知っている歌なんですけど。後ね、『Let It Be』。ビートルズ。

(南部広美)ふーん!

(西寺郷太)『「Let It Be」とか「明日に架ける橋」みたいな歌を作れ』ってその若い2人に厳命するんです。クインシー・ジョーンズが。で、ミュージシャンを呼んでくるんですけど、もうトップミュージシャンです。ロスアンゼルス、アメリカの。クインシーはそういう人をずっと連れていたんで。トップミュージシャンにも『ファンキーになるな。ドラムも16ビートっていう細かいリズムで叩くな。もう、ペタッとした8ビート。歌の人たちがいろんな表情をつけるから、演奏は凝るな。ペタッとしろ』。つまり、黒人音楽的なファンキーさとかはいらないと。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)もう作るのも『Let It Be』、『明日に架ける橋』。レコーディングもできるだけ中庸なといいますか。普通っぽいバラードに。白人が作るようなバラードにしろよっていうのがひとつの命令だったんですね。

(荻上チキ)はいはい。オーダーとして。

(西寺郷太)なぜならば、国境を超えてこの曲は聞かれるし、いろんな人が聞くし。黒人が作るから、もちろんそこには入るんだろうけど、オーバーグラウンドなものにするために、ひとつそういう・・・まあ、いきなりファンキーなものとかを作って、そこにボブ・ディランとかが入ってきたりすると、歌が乗らないですから。だから、できるだけ気をつけろっていうのがこの時代までのひとつのルールだったんですよ。

(荻上チキ)はいはいはい。

(西寺郷太)それでまあ、成し遂げたんですけど。この後どうなるか?っていうと、85年に『ウィー・アー・ザ・ワールド』、ヒットするんですが。86年以降っていうのも音楽通の中ではいろいろ話が、86年、87年、88年っていうのでいろんな面白い話を僕らはするんですけど。結局、言えば、天下取っちゃったんですよ。マイケル・ジャクソン。レコードもいちばん売れたし。まあ、ライオネル・リッチーもさっき言ったようにものすごいレコード売れて。クインシーも本当に常に、グラミー賞やれば2年に1回はクインシーのものが取っているみたいな。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)で、次の世代っていう黒人が生まれてきて。その人たちが、さっきもちょっと話したかもしれないですけど、ヒップホップっていうものが86年にRUN DMCっていうグループが『Walk This Way』っていう歌をヒットさせるんですけど。ここまでのいわゆる黒人アーティストっていうのは、白人に勝つというか、競争して、白人を凌駕するような音楽を作ろうってことで、白人的なものもエッセンスとしてがんばって取り入れながら、そうやって受け入れられるようになっていたと。マイケル・ジャクソンの『スリラー』でも『Beat It』っていう曲がありますけど。

(荻上チキ)ええ。

(西寺郷太)エディ・ヴァン・ヘイレンっていうヴァン・ヘイレンのギタリストがギターを弾いていたり。そういうプロセスを繰り返して、ここで言わば政権交代を完璧に成し遂げた後、ここにいた人たちっていうのは旧世代の象徴のような形になり。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)本当に勝った後、次の世代の、次世代の黒人たちはもっと自分たちに忠実なと言いますか。自分たちのオリジナリティーというか。もともとあったものを出していこうって形で。反復ビートを中心とするヒップホップというものが世の中に受け入れられてくると。そうなった時に、ここにいた黒人たちだったり、ここにいた人たちは・・・

(荻上チキ)アーティストは。

(西寺郷太)ひとつ、明治維新の後の江戸時代の人みたいな感じに。

(荻上チキ)オールドタイプなんだっていう。

(西寺郷太)で、日本人にとっては実はオールドタイプのポップスっていうのは非常にわかりやすかったんです。なぜならメロディーもすごくわかりやすいし。まあ、カーペンターズとかもそうですし。この85年までのポップスって日本人の僕らみたいな世代はすごく洋楽のヒット曲のベスト10なんかをずーっと追いかけて聞いていた世代なんです。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)だけどやっぱりヒップホップっていうのはすごく素敵な音楽ですし、僕も好きですし。

(荻上チキ)かっこいいですよ。

ウィー・アー・ザ・ワールド後の音楽業界の変化

(西寺郷太)ヒップホップっていうのがどんどん凌駕していくのはいいんだけど、そこに、日本のヒップホップも当然生まれてくるんですけど。だんだん、言葉の意味わかんないとちょっと伝わらないなっていうのがどんどんどんどん、より増えていくっていうような時代が突入して。それで、アメリカのヒットチャートと日本の音楽っていうのが、それまでほどにはくっついてないような時代がやってくるっていうのが86年以降の話なんだっていうことがこの本のひとつのテーマなんですけどね。

(荻上チキ)はいはい。

(西寺郷太)だからここまで、『ウィー・アー・ザ・ワールド』までが、いわゆる人種も超えた、いわゆるポップス。みんなが鼻歌で歌ったり、なんとなく、全人類がひとつ一緒になって歌えたり、いいねなんて言えてたのの最後だったんじゃないかな?っていうのがこの、僕の割とライフワークというか、テーマなんですよね。

(荻上チキ)うーん。たしかにその後、いろんなローカルさっていうものをどういう風に音楽に活かせるのか?っていうことを、いろんなルーツを探りながらいろんな方が。それこそ、黒人の方だけじゃなくて、それこそアジア系とかも。いろんなところを含めて、出てきましたよね。

(西寺郷太)日本は、これ80年代の後半ってカラオケ文化が爆発するんですよ。

(荻上チキ)むしろポップっていうのは、より重要さを増していくわけですよね。

(西寺郷太)そうなんですよ。日本はもっとドメスティックな、世界各地そうなんですけど、日本はカラオケ文化が80年代後半から流行ることで、どういうことが起こるか?っていうと、カラオケ行って、洋楽を歌っているやつを『寒いな』みたいになるわけですよ。『なんでいきなり英語で歌ってるんだ、あいつ?』みたいな。

(荻上チキ)うんうん。

(西寺郷太)『エルトン・ジョンとか歌うなよ!SMAP歌えよ!』みたいになってくるんですね。だんだん、80年代、90年代。知っている曲を歌うっていうことの、日本語で歌うってことの重要性が増して。その流れで、レコード。たとえば7インチシングルというか、縦型のCDシングルなんかが売れていくっていうので。なんか、いま若手のバンドなんかは、やっぱり日本の音楽がすごく成熟して。日本の音楽から入ったっていう人たちがやっぱり多いので。それはすごくいいことだと僕は思うんですよ。別にアメリカとかイギリスの音楽ばっかり憧れて、追いつけ追いつけの・・・

(荻上チキ)あちらのビルボードに乗ることがね、ナンバーワンじゃないんだという。

(西寺郷太)それだけじゃないんだっていうことで、面白い音楽もたくさんあるんですが。でもなんか、僕も割と古い世代の人間なんで。なくなったものでよかったものもあったんじゃないのかな?というようなことで。逆にこの80年代の音楽の本っていうのは、なかなかないんですよ。『ウィー・アー・ザ・ワールド』の本とか、世界を探してもほとんどなくて。

(荻上チキ)えっ、そうなんですか?

(西寺郷太)一生懸命、僕、書いたんですよ。調べて。だけど、こういう時代の音楽って、今度書くプリンスの本も日本人で書くの、僕が初めてなんですよ。

(荻上チキ)ほう!

(西寺郷太)1冊の本で書かれた事ないんですよ。プリンスレベルでも。

(荻上・南部)ええーっ!?

(西寺郷太)そういう、翻訳で出ているのはあるんですけど。だから、マイケルの本もそういう感じで書いていたので。やっぱり音楽評論家の方とか、たくさんいらっしゃいますけど。雑誌に書かれている方が多いので。1冊でこうやって書くって、『ウィー・アー・ザ・ワールド』もそうなんですよ。だから、結構こういう80年代の音楽のことって、実はいま、思い返してちゃんと形にしていくのは大事なんじゃないのかな?っていうのは。結構この、揺り動かす衝動と言いますか。

(荻上チキ)はいはいはい。

(西寺郷太)だから音楽を作って。さっきの曲みたいに作っていくのも楽しいんですけど。演奏したりとか。なんかそういうルールと言いますか。ひとつのお話っていうのを。

(荻上チキ)前提をね。

(西寺郷太)うん。大事かなって。

(荻上チキ)たしかにそうですよね。たまに深夜番組でなんか、3時ぐらいにやることなくてテレビをパッとつけると、だいたい通販番組がやっていて。で、それこそ80年代特集のCDが出たよみたいな感じで。あれもこれも入ってます!みたいなのがあって。『ああ、このポップスか。たまんないな!』っていうのがあるんですけど。

(西寺郷太)はいはい。

(荻上チキ)たしかにおっしゃったように、ヒップホップに変わっていくあたりの曲とかがちょっとそこからこぼれ落ちていたりとか。なんかやっぱり、なんとなく白人ポップスとそこから至るいろんな曲。マイケルとか入るけど、みたいな。そういうような、音楽の選ばれ方みたいなのは、たしかにあるのかもしれないですね。

(西寺郷太)そうですね。だからあの、80年代はやっぱりそういう意味では、ダサいということで90年代にすごい忌み嫌われて。で、さっきヒップホップの話もしましたけど、ニルヴァーナとかね。オルタナティブというので。ああいう、マイケルだったりプリンスだったりも含め、仰々しいものはもうダセー!みたいな。そんなTシャツにジーパンで音楽をやりますみたいな。そういう感じでやっぱ、身の丈にあったっていうと変ですけど。90年代だと割とそういった、仰々しいものを嫌った文化が多かったと思うんですけど。

(荻上チキ)はいはい。割とゆるく・・・

(西寺郷太)そうですね。リアルにと言いますか。

(荻上チキ)それぞれのスタイルを求めるわけですね。

(西寺郷太)で、まあこの『ウィー・アー・ザ・ワールド』時代っていうのはひとつのファンタジックな、作り物の世界の最後だったのかな?というような気がしてね。まあ、研究のしがいがあるなと思って書いた本ですね。

(荻上チキ)リスナーのライフスタイルも、どんどんどんどんいろんなものになっていくじゃないですか。ユースカルチャーともくくれなくなって、それぞれ求めるものが違うから。『じゃあ、自分はライムスター聞くわ』『でも、自分は渋谷系が好きでね』とか。どんどん分化していくし。

(西寺郷太)分化してね。こっちの話とこっちの話はもう、まったく別になって。まあ、インターネットの登場の大きいと思うんですけど。

(荻上チキ)そうですね。それぞれの、たとえば地域を代表した曲みたいなのが日本の国内もいろいろ出てきたりしますけど。アメリカでも、やっぱりヒップホップでもそれぞれルーツがぜんぜん違うから。

(西寺郷太)そうですね。広いですからね。

(荻上チキ)実はくくれないところもあったりしますよね。

(西寺郷太)うーん。そうなんですよ。まあだから、やっぱりそういった意味でも、うん。これ、30年前の1985年って、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』っていう映画が大ヒットした年でもあって。で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って30年前に、お父さんとお母さんがちゃんと結婚するように戻すみたいな。そんで、行くわけじゃないですか。それが、1955年なんですよ。85年の30年前で。

(荻上チキ)うんうん。

(西寺郷太)で、それがそのビルボードのヒットチャートも、ロックンロールが誕生したと言われている年で。あの映画の中で、マーティーがギターを弾いたりして。『ジョニー・B・グッド』を弾くんですけど、速弾きしてみたりしてみんなにびっくりされるみたいなシーンがあって。

(荻上チキ)『未来で流行るよ』っつってね。

(西寺郷太)そうそうそう(笑)。『君たちが大きくなったらわかるよ』みたいな。『君たちの子供は好きだよ』って言ったのかな?あれ、何年か後に『バック・トゥ・ザ・フューチャー2、3』って出て。2で未来に行くじゃないですか。あの未来が、今年なんですよね。

(荻上チキ)30年後。

(西寺郷太)そう。2015年で。なんか、浮いているスケボーみたいなのとか。ホバーボードか。だから、そういった意味でもこの本を書いて、ロックンロール誕生から、ちょうどど真ん中に『ウィー・アー・ザ・ワールド』があって。で、いま、30年たって、あそこで描かれていた未来になった部分もあるし、もっとすげーことになっていることもあれば、なっていないこともあるみたいなね。そういう意味で、ロックというものの60年でもあり、中間地点の『ウィー・アー・ザ・ワールド』であり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って僕にとっては物心ついた時にいちばん流行った映画だったんで。

(荻上チキ)そうですよね。

(西寺郷太)そういう、飛んだ30年、戻った30年っていうのの、ひとつの節目として今年っていうのがひとつ、面白い年かな?と思って書いたんですよね。

(荻上チキ)今年はね、みんなでポケットたらしてペプシを飲もう!みたいな。そういう運動があってもおかしくないですよね。

(西寺郷太)ポケットたらして?そんなの、ありましたっけ?

(荻上チキ)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、未来はほら、ポケットをたらすのが流行っていたっていう(笑)。

(西寺郷太)ああー!ありましたね(笑)。

(荻上チキ)ありましたよね。2でね。ドクがマーティーに対して、『いま、これが流行ってるんだよ』『本当か?』みたいな。

(西寺郷太)でも結構、草野球やるとポケットを出すの、流行ってますけどね(笑)。

(荻上チキ)(笑)

(南部広美)映画を現実にするために、みんなでね。

(荻上チキ)その後、たしかにじゃあ、そういう風にいろんな分化したカルチャーが、再びつながるっていうもの、どんな装置を作ればいいのか?っていうのが、やっぱり模索の最中ですよね。だからインターネットで、それぞれつなげろと。各々編集すればいいじゃんっていう感じにいま、なってますけども。なんか、チャリティーとかで一箇所に集まろうって時に、『ウィー・アー・ザ・ワールド』をやり直したような曲もありましたけど。

音楽定額ストリーミングサービス後の音楽の聞かれ方

(西寺郷太)ありますね。なかなかやっぱり国境を超えられないんで。最近、だからひとつ、僕もいま行ったり来たりしてるんですけど。定額ストリーミング制で。Apple MusicとかAWAとかLINEとか。そういうのでこう、何百円か、月千円弱払えば、いろんな音楽が。レコード会社も許諾した上で聞き放題みたいなサービスが、もともとあったんですけど、より日本で本格的に今年始まったりもしたんで。それもひとつ、ロックは60年ですけど。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)そういった意味でも、いま若い人たちが1個1個CD買ってると、じゃあ『ウィー・アー・ザ・ワールド』にいる45人のを1個ずつCD買えっつったら、どんだけになんねん?って話なんすけど。そういうストリーミングサービスで、『ボブ・ディランってどんなのかな?聞いてみよう』っつって聞いてみて。意外とよかったみたいなのが定額の中でできるっていうのが、ひとつの、いまの10代とかの人にとっては、割と面白い時代が来たのかなと。

(荻上チキ)うん。

(西寺郷太)まあ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にはそういう世界なかったですけど。2には。でもなんか・・・

(荻上チキ)ディストピアでしたね。あれは。

(西寺郷太)だからそういうことが起こり得るんで。もしかしたら、また新しいポップスの聞かれ方。時代を超えたようなロックとか、音楽の聞かれ方っていうのがするんじゃないか?と。そういう時に、僕の本がわかりやすく読めるんじゃないか?

(荻上チキ)ガイドとして。

(西寺郷太)聞けるんじゃないか?ガイドが必要なんじゃないか?ということで書いたら、増版になったよという話です(笑)。

(荻上チキ)素晴らしい!もっとこう、DJを自由にできるようなね、格好に。規制というか、JASRACとかのいろいろな自由度が広がっていくと、それ経由で聞こうかっていう人がもっと増えそうな気がしますね。

(西寺郷太)そうですね。もちろんラジオもすごくいいんですけど。まあなんか、そういった意味ではいまの形もそのままで止まることってないと思うんで。また新しいのが今年以降、生まれてくるんじゃないかな?と思っています。

(荻上チキ)その人のプレイリストを配れるみたいな。西寺郷太プレイリストみたいなものを流して。『今月はこれを聞こう』みたいな感じで、そのプレイリストをちょっと買うみたいな?で、それの編集は割と自由とかみたいな。そういうコミュニティーが作りやすくなってね。

(西寺郷太)たぶん、なってくると思います。

(荻上チキ)楽しみになりますね。

<書き起こしおわり>

西寺郷太と宇多丸 『プリンス論』を語る
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