松尾潔さんと吉岡正晴さんがWOWOWぷらすと『90年代洋楽R&B考』に出演。『プリンス論』を書き上げたばかりの西寺郷太さんと、90年代のプリンスについて語り合っていました。
WOWOWぷらすとをご覧の皆様、長時間の余談?にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
大先輩と大後輩との共演、楽しいもんですね。ちなみに大後輩は渡辺祐パイセンから教わったオコトバ(^_-)
#ぷらすと
#青メロウ pic.twitter.com/rxlnEFFecv
— 松尾潔 (@kiyoshimatsuo) 2015, 6月 29
(西寺郷太)で、もう1個は、僕、せっかく『プリンス論』も書いたんで。その90年代のプリンスに関しては、お二人はどういうスタンス・・・で、いまはどう捉えてるのかな?って。
(吉岡正晴)プリンスは僕は、ずーっとやっていることは一緒っていうか、基本は一緒だと思っているんですよ。で、それが脚光を浴びるか浴びないかだけだと思うの。あと、リリースがどう出るか?たとえばインターネット経由で出てくるのか、ちゃんとした、いわゆるメジャーなレコード会社から出てくるのか。ただそれだけだと思うんだよね。
(西寺郷太)本人はあんま変わってないと?
(吉岡正晴)そう。本人はあんまり変わっていない。で、しいて言えば、彼は最近、よりライブを中心になってるじゃない?そのライブを、たぶんあの、『Purple Rain』ごろからすごくこう、自分のライブバンドっていうのを重要視するようになったから。その、レコードを作るのと同時に、ライブもまあ、フィフティ・フィフティでいい感じでやってきて。その姿勢はもう、80年代から90年代も現在も、ぜんぜん変わってないと思うんだよね。
(西寺郷太)なるほど。
(吉岡正晴)周りが変わっているだけで。
(西寺郷太)周りとか出し方が。松尾さんは・・・ここにも、ミネアポリスに行かれたね・・・
(松尾潔)ミネアポリスの話、書きましたね。珍しくね。うん。
(西寺郷太)やっぱ、ちょっと距離を置いてるんですか?プリンスというアーティストからは?
(松尾潔)いや、そんなことはないよ。まあ、距離を置くもなにも、耳に入ってくるからね。僕、あっ、そうだ。ここに書き忘れちゃったけど、ダイアモンド・アンド・パールズ・ツアー(Diamonds and Pearls Tour)のゲネプロを見てたからね。
(西寺郷太)ドームで?
(松尾潔)いやいや、ペイズリー・パーク・スタジオで。
(西寺郷太)なるほど。なるほど。
(松尾潔)そうそうそう。世界ツアーに出る前のツアーゲネプロを。僕、当時ほら、グラムスラムっていう横浜のクラブのアドバイザーみたいな仕事もやらせてもらっていて。
(西寺郷太)あ、やっていたんですか?グラムスラムのアドバイザー、してたんですか?
(松尾潔)それで、グラムスラムに、本店に行くっていう。
(西寺郷太)あ、そうかそうか。『ああ、もうかったるいディスコだ』って書いてましたもんね。えらいクラブに対してムカつく・・・クラバーみたいなのに、なんか全体的にムカついてますよね?この本。
(松尾潔)そんなことない。そんなことない。
(西寺郷太)なんだよ?みたいなの、出てくるじゃないですか(笑)。
(松尾潔)ないないない。
(西寺郷太)あ、なるほど。まあ、そういった感じで、プリンスとも。
(松尾潔)だからプリンス、やっぱりそうですね。そういう個人的にいちばん近いところで仕事をしたっていうのもあって。あんまり僕はプリンスの関係のところで仕事をしてたっていうことを、あんまり・・・言ってないつもりもないんだけど。そうですね。あんま言ってきてなかったんだろうね。だからこれ書いたら、『なに?ミネアポリスなんか行ってるんですか?』って話になるんだけど。
(西寺郷太)うん。いや、面白かったですよ。この文章。
(吉岡正晴)このね、リッキー・ピーターソン(Ricky Peterson)とかに・・・
(松尾潔)あ、そうそうそう。ベン・シドラン(Ben Sidran)とか。ロージー・ゲインズ(Rosie Gaines)とか。あのあたり、いろいろ会って来ましたし。あの、そういう意味じゃやっぱり『Diamonds and Pearls』っていうアルバムはもう、非常に思い入れ深いですね。あれ、何年?93年ぐらい?
(西寺郷太)91年ですね。『Diamonds and Pearls』。
(松尾潔)91年か。いちばん歌ものっぽいよね。
(西寺郷太)あのアルバムは、実はあの、僕も本に書いてるんですけど・・・
(松尾潔)大衆歌謡っぽいよね。
80年代と90年代のプリンスの違い
(西寺郷太)書いてるんですけど、僕の考え方としては、実は80年代のプリンスって、ビートルズとか、クインシーとマイケルみたいな感じで、もちろんプリンスの場合はプリンスが引き上げたっていうのはあるんですけど、ウェンディ・アンド・リサ(Wendy & Lisa)だったり、それからシーラ・E(Sheila E.)っていうのは、まあプリンスと匹敵するある種の天才。両方ともその、なんて言うのかな?音楽家系に生まれて。
(松尾潔)エスコベード・ファミリーね。
(西寺郷太)エスコベード・ファミリーとか。だからなんて言うのかな?もちろんその、対等とは言わないけど、6:4とか7:3ぐらいまでは食い込んでいる関係性で。特に『Purple Rain』以降、『Around The World in a Day』、『Parade』。『Parade』に入っている『Mountains』っていうウェンディ・アンド・リサの曲に歌詞だけプリンス乗せてたりとか。そういうことがあったり。それからまあ、『Sign ‘O’ the Times』もあり、『Lovesexy』でも、やっぱりシーラ・Eの力っていうのは、実は彼女、すごい能力的にも・・・
(吉岡正晴)買っているわけ。
(西寺郷太)買ってるし。ちゃんと意見してるっつったら変ですけど。で、まあ映画『バットマン』があったり、『Graffiti Bridge』も映画じゃないですか。で、プリンスが『Diamonds and Pearls』出した時に、『これは僕の音楽なんだ』って言ったんですよ。これはちょっとロックの話になりますけど、ポール・マッカトニー(Paul McCartney)がウィングス(Wings)作ったみたいなものが、僕にとってのプリンス・アンド・ザ・ニューパワージェネレーション(Prince & The New Power Generation)で。あれは、まあよく言うことを聞く有能な連中。若い世代とやろうっていう。
(吉岡正晴)うーん。
(西寺郷太)だからまあ、だんだんプリンスもやっぱり結局ソロ化していって。『Diamonds and Pearls』が出た時に、『なんかプリンスっぽくねえな』とか『保守的になったな』とか言う人、いたけど、実はプリンスって、あの『Diamonds and Pearls』の形がいまに続いているプリンスなのかな?っていう。だから80年代のプリンスを求めすぎている人にとっては、なんていうのか、『あれ、もっとあの頃にプリンスに戻ってよ』って言うけど、あれはビートルズだった。ポールとジョンとジョージとリンゴがいた。
(吉岡正晴)うん。
(西寺郷太)でも、途中からポール・マッカトニーがソロになっているような。で、どっちも好きな人はどっちも好きなのかな?というのがなんかちょっと僕、改めて追いかけて聞いた印象ではあったんですよね。
(吉岡正晴)プリンス・ビートルズで行くと、『Around The World in a Day』がいちばんビートルズっぽい・・・
(西寺郷太)あ、それはビートルズっていうのは言葉のたとえで。同じぐらいの能力を持った人が・・・
(松尾潔)ああ、伯仲する能力の人がいたっていうことね。
(西寺郷太)音楽性がビートルズっていうことじゃなくて、それぐらい力の強いことを・・・
(松尾潔)まあ、ニューパワージェネレーションってウィングスとも言えるし、まあポールで言えば『Ram』みたいな。そういう、後になって・・・
(西寺郷太)まあ、そういうのもありますね。『Ram』が『Come』みたいなね。僕、『Come』めっちゃ好きなんですけど。ああいうなんか、当時失敗作って言われても、いまになったらいいなっていうものあるし。っていうのがまあ、ちょっと思ったんですけど。
(吉岡正晴)なるほどね。
(西寺郷太)うーん。という、まあプリンスの話も、あれで。それこそ釈迦に説法な話で。釈迦に説法、チャカ・カーンの息子は鉄砲で、チャカで捕まったっていうね、話が、よく言う人、いますけど。
(吉岡正晴)(笑)。それ、誰が言うの?
(西寺郷太)いや、僕の友達が言ってました(笑)。
(松尾潔)みんな下、向いちゃったよ。
(西寺・吉岡)(笑)
(西寺郷太)あの、チャカの息子はチャカで人をおシャカにしたっていうね。実際はシャカだった、みたいな話もね、言っている人もいました。僕が考えたことじゃないですけど。
(吉岡正晴)(笑)
<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/27508