ライムスター宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の冒頭で、亡くなったD.L(Dev Large)さんんへの追悼メッセージを話していました。
(宇多丸)まあちょっとね、そういう晴れ舞台の前日にというかですね、その週に、またこういう話をしなきゃいけないのは本当に辛いんですけど。えー、まあ、訃報でございまして。もうね、ネットとかでは結構伝わっていると思うんですけれども。ええと、5月4日の早朝にですね、この番組にも以前、出ていただきました、日本のヒップホップ史の中でね、最重要グループのひとつでしょう。BUDDHA BRANDというヒップホップグループのラッパーであり、プロデューサー、DJ。Dev Largeさん。2005年以降はD.Lという名義で活動していましたが。D.Lさんがですね、僕と同い年なんですけど、亡くなってしまったと。
そうなですね。この番組には2010年12月11日の『申し訳ないとフロム赤坂』。DISCO954の前身のコーナー。もう4年ぐらいたっちゃってたんだ。ああ、そう。そっか。たっちゃってたか。DJとして出てもらって。なんかね、エグい和物。彼のすごい得意とするエグい和物グルーヴをDJしてもらって。で、その時もね、いろいろ話をして。それこそ、この番組でね、面白いものを本当に持っている人で。
本当に僕も古い知り合いで。会うたびに、なんか面白いことをやろうよ!と。せっかく僕、こういう番組をやっているわけだから。僕は『コンちゃん』と呼んでましたけど。コンちゃんが持っている変なことをやろうよって。たしかね、番組出てもらった時も、『じゃあ今度はエロい曲特集をやろうよ』とかなんとかいろいろ言って。まあ、そんなことを言ってましたよね。
DEV LARGE 和物MIX
とかね。あの、いろいろこう、思い起こすといろいろ。たとえばね、会うたびに言ってくれていたのは、ちょうどあれかな?2012年に出たTOJIN BATTLE ROYAL。この番組でも特集しましたTOJIN BATTLE ROYALのアルバムで、僕は『フィジカル要らん兵』という曲でフィーチャリング宇多丸で参加して。で、Dev LargeがずっとTOJIN BATTLE ROYAL、面倒を見てたグループなんですね。
もう、それこそ10年以上。で、そのレコーディングの時に、コンちゃん、Dev Largeが来てて。で、僕がこうラップを録っているところをずっと見ていて。で、『おう、士郎、いいよ!』って。すごい、ディレクションとかしてくれて。『ここはこう発声した方がかっこいいんじゃない?』みたいな。『ああ、そうだね』っつって、こうやったりとか。
で、よく考えたらコンちゃんとこうやって曲を作ったの、初めてかも・・・みたいな。まあ、『前から一緒にやろう、一緒にやろう』とは言ったりとか。ずいぶん前になりますけど、それこそ、なぜか僕とDev LargeとSOUL SCREAMのE.G.G.MANさんとですね、DJ YASという。まあ要するに、別々のグループから来た、要はコンちゃんが別々のグループにいる俺の好きな人みたいなのを集めて、地方。九州に行ったりとかですね。そんなのがあったりしたんですけど。
で、そういうたびにいつも、コンちゃんがね、『士郎のソロアルバム、俺がプロデュースしたいからさ』みたいな。その時も、TOJINの曲を録っている時も、要はそのサンプリングの荒っぽい音っていうんですかね?『そういう方が士郎は合っているよ。そういう方が士郎はかっこいいからさ、そういうので1枚、やれよ』なんて前から言ってもらっていて。『そうなんだよね』なんつって。で、『ソロもやりたいんだけどね』なんて言いながら、グズグズしているとこういうことになってしまうというね。つくづくちょっと思う次第でございます。
あの、そうですね。まあ、そういう細かい思い出をいろいろ言っていると本当、キリがないんで。あれですけど。取りあえずご存知ない方にというかね、BUDDHA BRANDおよびDev Largeが日本のシーンに果たした役割をざっくりと言っておくと・・・まあ95年に、ずっとニューヨークで出会ったグループメンバーが日本に95年に帰国して。で、それ以降、BUDDHA BRANDとして一気にシーンを席巻するんだけど。なにがそんなにね・・・で、まあやっぱりそのね、彼らの作品にもありますけど、『黒船』的な衝撃を与えたわけですよ。
で、本当に彼らがボンッ!と来た。あるいは、やっぱりちょっと似たような感じですけどね。留学経験とかあったりした、非常にアメリカの本場のシーンに非常に通じたキングギドラが、やはりこう日本にボンッ!と活動を始めたことで。その、だいたい90年代半ばに、それまで活動していた僕とか、YOU THE ROCK☆とかMUROくんであるとかっていうのはいて。それも全く同じようなスタンスで活動するんだけど、なんか一気にこう、なんて言うんですか?カンフル剤というか。ガッ!っとこう、シーンが新しいフェイズを迎えて。90年代半ばから2000年代初頭の日本のヒップホップシーンの最初の黄金期みたいなのを迎えるんだけど。
DEV LARGE、BUDDHA BRANDの衝撃
なにがそんなにね、衝撃だったのか。まあ、人によってね、違うと思うんだけど。うんとね、僕的に、一ラッパーとしてやっぱりBUDDHA BRANDの表現には、『あっ、ラップってこんなに自由なんだ!』っていうか。そこにいちばん僕は衝撃を受けましたね。あの、当時としてはたとえば非常に英語混じり表現であったりとかってのが斬新に見えたんだけど。まあいまのね、それこそバイリンガルラッパー的なスタンスの人と比べたら、ぜんぜん英語の比率は多い方ではないし。
まして、そのどっちかって言うとニューヨーク帰りなんだけど、たとえばニューヨークの当時のヒップホップのトレンドみたいなものは踏まえつつ、でも直訳スタイルじゃないんですよね。むしろ、歌っている内容であったりとか、表現のスタンスみたいなのは、たとえばDev Largeがすごい好きだった昭和のディープな、アンダーグラウンドな和物と言われる音もそうですし。よく、彼と2人ですごい話し合っていたのは、昭和のすごい古い漫画だとか映画の話ですごく盛り上がっていて。そういうものをDIGして。掘り出してきて。それを、なんて言うのかな?ヒップホップ的な我の押し出しの強さみたいなものに乗せてみせるというか。
直訳表現でもなければ、もともと日本にあったものに縛られているわけでもなくて。なんて言うんですかね?まあ、一言で言えばすごくオリジナルなものになっていてですね。で、言っている内容も、もうとにかく自由というか。『ああ、こういう表現、こんなこと言っちゃっていいのか!』とか。
エクストリームな表現もそうだし、不謹慎きわまりない内容もそうだし。そこで、それこそ僕自身もラッパーとして1個開放されたというか。『そうかそうか。俺、むしろ縛られていたわ』みたいな。で、それこそね、『じゃあ俺ももっと面白くなんなきゃな』ってことで、宇多丸キャラじゃないですけど、もう1個ちょっと一皮剥けようかな?と思ったところもあるし。
だからそういう意味では、BUDDHA BRANDとか、コンちゃんの交友から得たもの、本当に大きいかなと思いますし。あと、やっぱりその、これからかけますけど。まあ、あちこちでかかっているんでしょう。BUDDHA BRANDと言えばこの一曲。そして、日本のヒップホップを代表する一曲と言えば、まあ、もういいよ!悔しいかな、これでしょう。日本のヒップホップを代表する一曲ですよ。で、これから聞いてもらう曲とかも、これは本当にコンちゃんのセンスなんだけど。やっぱりサンプリングのセンスとかがすごくソウルフルで。音楽的にすごく、なんて言うのかな?まあ、豊かなんですよ。すごく。豊か。
で、だからパッと聞いて、『ああ、素敵!』と思う。音楽的に素敵と思うものがある。で、歌詞をよく聞くとヒドい!っていう(笑)。なんかそういう、なんて言うのかな?独自のバランスなんじゃないんですかね。はい。といったあたりで、まあ彼らの代表曲。Dev Largeの代表作でもあり、日本のヒップホップでこの一曲と言えば。あの、これもね、訃報の時に言いましたけど。MAKI THE MAGICというDJの亡くなった時のお別れイベントで、そうですよ!これもなー、話し出すと・・・
MAKI THE MAGIC追悼イベントでの出来事
あの、たまたま、道端で出会ったK DUB SHINEとDev Largeが、要するに長年のBEEF(抗争)とされていたものを、そこで正式に解消し、Dev Largeが遊びに来たことで実現した生BUDDHA BRANDのあの曲というね。あそこでワーッ!っと盛り上がって。それはもう、その日最高の盛り上がりというか。ここ数年来でいちばん盛り上がっている。『これが!これが生で聞けるのか!』って。で、それを見た俺が、『うわーっ!』って自分でも盛り上がりながら、慌てて楽屋に来て。『おい!JIN!マズいぞ!B-BOYイズムやろう!』っていう。後の祭りっていうね(笑)。
そんぐらいの。とにかく、日本のヒップホップを代表する一曲でございます。ね。日本のヒップホップに対して、いろいろこう、浅薄な・・・もう偏見っていうか、単なる無知なんだけど。やれその、親に感謝してばっかだとか。やれその、黒人の真似でしょ?っていう人は、日本のヒップホップを代表するこの一曲が、あんたらが言っている要素はどこにこの曲にあるの?っていう。そのあたりをね、改めて聞いていただきたいと思います。歌詞とか、ものすごいです。あの、この曲はやっぱりイントロのしゃべりから、ぜひ聞いていただきたい。やっぱりその、最初始まった時の、『な、なんなんだ!?なに、何!?』っていう。
あの、よくDev Largeがいつも言っていたんですよ。『普通じゃダメなんだよ。とにかく、普通じゃつまんないんだ』ってことをいつも強く言っていた人が作った作品でございます。えー、じゃあ聞いていただきましょう。BUDDHA BRANDで、もちろん、『人間発電所』。
BUDDHA BRAND『人間発電所』
はい。このDev Largeのフリーソウル感っていうんですかね?日本人がすごい好きな感じに、なんて言うんですかね?あの、まあこってりした、濃厚な、なおかつエクストリームな表現のラップが乗って・・・という人間発電所でございます。BUDDHA BRAND。あの、先ほど言った表現としての自由さ、すごさ、斬新さっていうのも含まれますけども。
もうひとつ、やっぱり、特にDev Large。すごい功績っていうか、コンちゃんのすごいところは、なんて言うか、アートワークまで含めて、アーティストとしてのセルフコントロール、クオリティーコントロールみたいなのにすごい厳しい人で。そういう意味では、自分にも厳しいけど、人にも厳しい人だったりしたんだけど。
あの、そういうところ。で、なんかその自分でちゃんと一から全部、ビジネスから何からちゃんとやっていこうみたいなところは、それこそいまの若い人のヒップホップとか。あとその、いち早くさ、それこそネット上でのBEEFとかね。ラッパーの自立とかも、すごくこう、いち早く。日本のヒップホップシーン。いまではね、だいぶ若い人の中でもさらに洗練されてね、バトルというかスポーツ的な側面、定着してますけど。それの走りでもあるし、ということで。そういう側面、本当大きかったと思います。
あと、やっぱりその本人のね、会うとめちゃめちゃ、とにかく面白いんですよ。面白い話をいっぱい持っていて。いつ会ってもすごく面白い。かっこいいコンちゃんでした。まああの、身内とかご親族ですごく葬儀は密葬というか。あの、小さくというか。まあ、小さくなかったんだ。結局、すごい人、集まっちゃって。僕らなんかも押し寄せちゃって、申し訳なかったんだけど。最後にちょっと、顔だけ見たいなと思って。ちょっと、すいません・・・っていう感じで、お線香だけあげてきたんですけど。
あの、いい男だったんだよね。改めて、ちゃんとまじまじ顔を見ると、『うわっ、なんて端正な顔をしたいい男なんだ』と思って。はい。ということろも含めて、はい。で、ございました。あの、もう訃報は・・・でも、しょうがないな。えー、ご冥福をお祈りしますという言い方に、するしかないね。はい。ということでございます。えー・・・さよなら、Dev Largeということでございます。
<書き起こしおわり>