田中康夫 ブラジルを語る

菊地成孔と田中康夫 33年後のなんとなく、クリスタルを語り合う 菊地成孔の粋な夜電波

田中康夫さんがTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』にゲスト出演。Ivan Lins『um novo tempo』を選曲し、ブラジルや南米のの音楽・経済などについて話していました。

(田中康夫)先ほどのBrian Elliotが『Tickets To Rio』でしたのでね、続いてかけるのは、ぜひ。Ivan Linsの『um novo tempo』で。

(菊地成孔)出ました!わー、すごい。音楽番組みたいになってきた。

(田中康夫)音楽番組でしょ?違うの?

(菊地成孔)そうです。

(菊地成孔)田中先生は、美容整形なさらないんですか?

(田中康夫)はっ?

(菊地成孔)ボトックスとか。

(田中康夫)私、いろんな病気をしてますのでね。2008年には網膜剥離で。2011年に左足に人工股関節を入れて。あと、2003年に膀胱腫瘍ができたんで、膀胱を全摘して、小腸を70センチくらい切って。で、同じ、いわゆるウロバッグじゃなくて膀胱を・・・

(菊地成孔)はいはい。

(田中康夫)全く機能はOKみたいな。とか、その他いろいろありますよ。蜂窩織炎(ほうかしきえん)とかですね、正中頸嚢胞(せいちゅけいのうほう)・・・とかですね。

(菊地成孔)すごいですね。

(田中康夫)なんだけど、この間も年末に検査をしたら、血液も尿も全部基準値内。こんなにW嬢のメグミとロッタと一緒に、一日ワイン2本飲んでいるのに。全部肝数値も血糖値も基準値の下の方っていう。謎の人なんですよ。

(菊地成孔)そうですね。なんか、ぜんぜん不健康な感じがされないので。そんな大病をされていたとはぜんぜん知りませんでしたけども。

(田中康夫)えっ?田中フリークと言う人が実はなにも知らんかったということがバレてしまいました。

(菊地成孔)網膜剥離ぐらいは知ってましたけど。人工股関節ぐらいまでは、天罰だなと思ってましたけど(笑)。

(田中康夫)で、これIvan Linsなんでございますけども・・・

(菊地成孔)(笑)

(田中康夫)ああ、そうでござるか。まあ、Ivan Linsの『um novo tempo』っていう、いわゆる『新しい時代』。でもまあ、ブラジルですからね。ご存知のようにブラジルというのは1964年。東京オリンピックの年にアメリカが支援してですね、ブランコ将軍という人がクーデターを起こして、軍事独裁政権になってしまった。

(菊地成孔)南米の国はほとんど軍事政権ですね。

(田中康夫)チリもそうですしね。

(菊地成孔)アルゼンチンも。

(田中康夫)私の敬愛していた宇沢弘文さんもですね、まさにチリのアジェンデ政権が壊れた時にですね、まさに新自由主義の竹中平蔵様が尊敬をするですね、とある人物。ミルトン・フリードマンっていう人が『ざまあみろ!』って言ったので宇沢さんは目覚めてですね。成田とか水俣病のことをやるようになるんですね。

(菊地成孔)そうですね。なんか、すごい。もうなんかバック・トゥ・昭和っていう感じですけど(笑)。

(田中康夫)でも、宇沢さんが前の昭和天皇にですね、経済はこうでござるっていう話をした時に、途中で言葉を遮って、『キミキミ、君はね、経済経済というけれども、「経済が人の心と人の顔をもったものでなくてはいけない」ということを君は言いたいんだね』って。で、宇沢さんはそこで、それまで天皇制に懐疑的だった宇沢さんはですね、目からウロコというか目が落ちんばかりになってしまったという。で、このIvan Linsですけどね、まさにそのブラジルもその後、みなさんがご存知のようにですね、カルドーゾというですね、経済学者だったんですけど。彼が非常にその、財政再建と同時に経済を良くしたという。

(菊地成孔)はい。まあ、南米の経済再建する人って、芸術家だったりすることが多いですね。結構。あの、メキシコとかそうですね。

(田中康夫)そして、その後、ルイス・ルーラという、まあ彼はいわゆる労働側じゃないか?と言われたんだけど、非常に良いことをして。まあでも、いまのちょっと女性になってね。いまひとつなんですけど。でも、この歌はやっぱだから、キッドナップまである、そういう国において・・・

(菊地成孔)キッドナップ。子どもの誘拐ですね。

(田中康夫)新しい時代を作ろうという、非常に希望が持てる歌ですね。

(菊地成孔)ブラジルの音楽からそういうメッセージがあるんだっていうのは、なかなかこう、知る人ぞ知るという感じですよね。日本では。カフェでボサノバ聞いて、いい感じっていう。

(田中康夫)私、だって知ってます?私はいわゆる権威とかっていうのは否定してる人なんですけど。唯一、生まれて最初で最後で貰ったのがブラジルの最高区分のですね、南十字星勲章っていうのを貰ったんですよ。

(菊地成孔)なにが・・・

(田中康夫)それはですね、私が迷いこんでいた山国で。そこでいわゆるブラジルからIT企業に働きにくる人がいっぱいいるわけですよ。ところが、そういう人たちはいわゆるいまの格差などと言われるものの前の状況にあるわけね。で、そのお子さんたちが2年か3年で帰るので、日本語が勉強できないし、学校に行っていないわけ。

(菊地成孔)はい。

(田中康夫)で、じゃあその子たちのいわゆる学校・・・

(菊地成孔)『サウダーヂ』の世界。

(田中康夫)っていうのがあって。でもそこに、県がお金を出しませんと。で、ブラジル大使に私はお願いをして、同時にじゃあ日本の学校も、学区を超えて。諏訪とか上田とか伊那とか塩尻とか、そういう多いところは、3つくらいの学校に1つ、ポルトガル語の同時通訳の教室を作ったっていうのをやったんですね。

(菊地成孔)はー。

(田中康夫)でも別にこれは私が偉かったわけでもなんでもなくて。そういうのを理解してくれる人がまあ49%ぐらい、あの県にはいて。51%は『そんな人たちは使えばいい』っていう感じだったですけどね。

(菊地成孔)とはいえ、まあ日本をめぐる問題のひとつですよね。南米からの。

<書き起こしおわり>

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