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吉田豪が語る ジョニー大倉と矢沢永吉

吉田豪 ジョニー大倉と矢沢永吉を語る たまむすび
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吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に緊急電話出演。亡くなったジョニー大倉さんについて、玉袋筋太郎さん、小林悠さんに話していました。

(小林悠)ロックバンド キャロルの元メンバー、ジョニー大倉さんが今月19日、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことがわかりました。62才でした。ジョニー大倉さんは1972年に矢沢永吉さんらとともにロックバンド キャロルを結成。リーゼントスタイルに革ジャンスタイルで、日本のロックミュージック界に大きな影響を与え、解散後は俳優としても活躍しました。訃報を受け、矢沢永吉さんは『非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます』とコメントしています。実は去年9月に肺ガンが見つかって。今年3月に退院されていたんですよね。

(玉袋筋太郎)で、ライブやったんだよね。

(小林悠)そうなんです。復活ライブが4月にあったということなんですが。その後またちょっと具合が悪くなってしまって、8月上旬に再入院と。9月生まれということで、バースデーライブに出演する予定だったそうなんですが、それもできなかったということで。『自分にはまだやりたいことがあります』とビデオメッセージもあったそうなんです。62才っていうのはちょっと・・・

(玉袋筋太郎)若いよ!62才。やっぱりジョニーさんっていうのは強靭なね、肉体を持っているイメージがあるから。ねえ。ガンっつーのは本当に憎たらしいもんですよね。

(小林悠)本当にお若いのに。ここで、そのジョニー大倉さんにもインタビューしたことがあります、プロインタビュアーの吉田豪さんとお電話がつながっているんですね。もしもし?

(吉田豪)はい。どもー。

(玉袋筋太郎)どもども。豪ちゃん、お久しぶり。

(吉田豪)はい。この前会ったばっかりですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)そうなんですか?

(玉袋筋太郎)一昨日会ったんだよ。うん。豪ちゃん、ジョニーさんに何回ぐらいインタビューしたの?

(吉田豪)取材自体は1回なんですけど、ものすごいよく会ってましたね。

(玉袋筋太郎)よく会っていた。ほうほう。

(吉田豪)梶原一騎先生の弟さんの真樹日佐夫先生っていう方がいらっしゃって。真樹先生の空手のお弟子さんで。ジョニーさん。だから僕、毎月真樹先生の取材行ってたんですけど、行くとかならずジョニーさんがいて、練習しててとか。真樹先生絡みのパーティーに行くとかならずジョニーさんがいて歌ってたりとか。真樹先生のパーティーとかも各地で会ってましたね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。真樹先生のパーティーは豪華だもんね。ジョニーさんがいたりさ、ジョー山中さんがいたりとかね。周り・・・あ、みんな亡くなっちゃったな。

(吉田豪)そうなんですよ。

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ジョニー大倉の逸話

(玉袋筋太郎)でもやっぱジョニーさんっていうとね、いろいろ逸話がありますよね。逸話の塊ですよね。

(吉田豪)どこから行った方がいいですか?

(玉袋筋太郎)どこから行きます?

(小林悠)パーティーとかではいつもやっぱり1人だったってことなんですかね?

(吉田豪)パーティーとか好きなんでしょうけど、行ってもなんかそんなに馴染めない感じでいつも1人ポツンとしてる感じで。寂しん坊なんだけれども、なんか不器用っていう感じでしたね。

(玉袋筋太郎)出た。不器用なんだな。うんうん。ちょっとオーラがあるのかな?ちょっと近寄れないような。

(吉田豪)うーん・・・なんか、そうですね。感じましたね。でも1回、なんだっけな?真樹先生の45周年記念パーティーっていうのがあって。作家生活。その時が、前田日明がいて、佐山サトルがいて、パンクラスの尾崎社長がいてっていうものすごい緊張感のある・・・

(玉袋筋太郎)やっばいよ、それ(笑)。

(吉田豪)これ、わかる人だとわかるんですけど、同じ会場に置いちゃいけない人たちなんですよ。

(玉袋筋太郎)そうなんだよ。

(吉田豪)で、一応気を使って真樹先生席と佐山さんと尾崎さんの席をすごい離していたのに、途中で前田日明が立ち上がって、そっち側に向かっていったんですよ。

(玉袋筋太郎)危ねえ、危ねえ!

(吉田豪)うわっ、ヤバい!どうなる!?と思ったら、すぐ横にジョニーさんがいて。ジョニーさんに挨拶に行ったんですよ。

(玉袋筋太郎)よかったー。危ねー!

(吉田豪)で、即、行って、2人の2ショット撮って。そしたらジョニーさんが『彼とは因縁があるんだよ』って言ってて。どういうことかっていうと、あのUWFが解散して、前田さんがちょっとかなり落ち込んで酔いつぶれていた頃に、よりによってジョニーさんとのトークショーが組まれていて。前田さん、泥酔して放送禁止用語を連発するっていう事件があったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)あった!あった!

(小林悠)ええっ!?

(吉田豪)『酷い目にあったから。本当に彼には酷い目にあってさ!』っていう話をしてましたね(笑)。

(玉袋筋太郎)へー!いや、でもね、ジョニーさんもほら、小さい頃からやっぱり苦労してるんだもんね。

(吉田豪)そうなんですよね。お父さんが5才で亡くなって、お母さんが水商売始めて。9才の時に遺書を書いて自殺未遂みたいな感じで。

(小林悠)えっ?なにがあったんですか?それは。

(吉田豪)ものすごい早熟なんですよ。太宰治とか大好きな人で。だから文学志向なんですよね。キャロルの『暴力青春』っていう素晴らしい名著があって、メンバー4人がいろいろ人生を語っているんですけど。やっぱり別格ですよ。1人だけものすごい深い人生を送っちゃってるっていう。

(玉袋筋太郎)ほー!すごい。9才で遺書か。

(吉田豪)在日2世なのも早い段階でカミングアウトしていて。まあ、それでイジメられたりだの何だのとか。で、ちょっと鬱々としてた時期もあって。要はキャロルの途中で失踪事件を起こしちゃうんですよね。ちょっとおかしくなっちゃって、気がついたらなんか海岸にいたぐらいの感じで。

(玉袋筋太郎)それ、若人あきらですね。それ。

(吉田豪)そんな感じですよ。で、戻ってきたはいいけど、だから結局矢沢さんの中では『キャロルをダメにしたのはジョニーのせいだ』みたいな思いがどこかにあったんですよ。それがずっと両者の間で溝ができてたんだけど。でも、いい話だなと思ったのが、キャロル。ジョニーさんが戻ってきてすぐに、山本寛斎のショーがパリであって。そこにキャロルで出るっていう企画があったんですよ。

(小林悠)ええっ!?

(吉田豪)その時に、パリでインパクトを与えるために空手着を着てみんなでショーをすると。そのために、キャロルのみんなが極真空手を習うっていうのがあったんですよ。

(玉袋筋太郎)最高じゃん!

(吉田豪)最高なんですよ。で、その時の、矢沢永吉さんの名言があって。ものすごいちっちゃい選手にハイキックで倒されて、永ちゃんが言ったのが、『おい、ジョニー。こんな空手なんかよりもな、カネの方が強えんだ』って言ったっていう(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)矢沢さんだねー!『カネの方が強え』って(笑)。

(吉田豪)で、後に僕、矢沢さんにその話をしたら、『えっ?そんなのね、嘘だよ。矢沢はそうやってね、すぐに変な伝説みたいになっちゃうんだけど、そんなことはなかった』って言ってるんですけど。僕、この話をジョニーさんから聞いてるんですよ(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)いいねー!いい話だねー!

(吉田豪)で、ジョニーさんがそのまま空手をやめちゃったことを後悔してて。それで黒帯を取るためにもう1回やるって言って真樹道場に通い始めるんですよね。

(玉袋筋太郎)それだよね。だから真樹先生、褒めてたもんね。あの齢で空手をもう1回、真面目にやるっていうね。ジョニーさんのね、姿勢を。

(吉田豪)しかもだから、87年にホテルの7階から転落する事故がジョニーさん、あったじゃないですか。

(玉袋筋太郎)あった。出た。

(吉田豪)あれで本当、それこそね、正直障害者手帳もらうレベルの事故を負いながら、それで空手やってましたからね。すごい真面目に。

(玉袋筋太郎)ね。そのビルから飛び降りたっていうのはね、桑田佳祐が『飛び降りジョニー』って歌ってね。それで・・・

(吉田豪)歌ってないですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)あ、『波乗り』か。あれ。『波乗りジョニー』か、あれ。

(小林悠)でも別に飛び降りたわけではないんですもんね?

(吉田豪)まあ、本人曰く、懸垂していて。ホテルの7階のベランダで。それで落ちたっていう話なんですけどね。

(玉袋筋太郎)懸垂ですよね、絶対。

(吉田豪)で、まあドラッグ説とか流れたりして。本人はそれで『ロックンローラーっていうとそういう風にね、記事書くのがいちばん楽でしょ?それが美味しいでしょ?』みたいな感じの言い方してましたけど。『懸垂なんだよ』っていう話でしたけどね。

(玉袋筋太郎)いや、そういう部分もあったんだよなー。うん。

(小林悠)あと、やっぱり気になるのは、いわゆる永ちゃんとあんまり仲がよくなかったんじゃないか?っていうのはよく言われますけど。これは実際、どうなんですか?

(吉田豪)そのキャロル時代のことがずーっと尾を引いてたのは間違いないんですけど。ただ、永ちゃんなりに『ジョニーすごい』っていう思いは絶対にあって。そもそもキャロルのコンセプト。リーゼントだとか革ジャンとか、オールディーズのロックンロールをやるっていうのも全部ジョニーさんの発案でありっていう感じで。永ちゃん、おかっぱ頭だったのをリーゼントにするように説得したりだとか。で、そもそもあれですよね。当時、ロックって、ロックを日本語で歌うか?英語で歌うか?の論争が起きていたような時代で。

(小林悠)へー!

(吉田豪)内田裕也さんが英語派で、はっぴいえんどが日本語で。どっちが正しい?みたいにやってた頃に、サラッと英語と日本語を混ぜた歌詞でロックをやったのがキャロルだったんですけど。あれがジョニーさんの発案なんですよ。

(玉袋筋太郎)すごいじゃない!ジョニーさん。

(吉田豪)すごいんですよ。ジョニーさんが作った英語の歌詞に対して永ちゃんが『日本語に直してくれ』って言ってきたんだけど、どうしても日本語が乗らないから、やさしい英語でもいいから残しておこうってことでできたのがその歌詞だったんですけど。で、後に永ちゃんがそのことを大絶賛してたんですよね。『ジョニー大倉がすごかったのは、簡単に英語と日本語を混ぜたこと。あれは本当に勲一等もののね、勲章を与えるべきだよ、みんな。いまの作詞家は』とか言ってたっていうのをジョニーさんに伝えたら、『えっ!?それ本当に永ちゃんが言ってんの?』みたいな感じで。『本当に!?嘘だー!』とか。『ええーっ、そうなんだ。うれしいこと言ってくれるじゃない!』みたいな感じで大喜びして。

(玉袋筋太郎)おうおうおう。

(吉田豪)だからジョニーさんとしてはとにかく、永ちゃんに構ってほしかったんですよ。間違いなく。ところが永ちゃんは金持ちケンカせずなタイプで。ジョニーさんがなにをやっても、『ジョニー、しょうがねえな』っていう感じでスルーしちゃうじゃないですか。だからそれで構ってほしくての活動だったと思うんですよ。ジョニーさんが突然焼肉屋をオープンしたらね、店の名前を『キャロル』にしたりとか。永ちゃん的には『お前、なにやってんだ?』っていう話だろうけど。こっちを向いてくれ!っていう感じだったと思うんですよね。

(玉袋筋太郎)これがもう、ビートたけしとビートきよしの関係みたいな(笑)。

(吉田豪)その2人はまだ仲がいいからいいじゃないですか。

(玉袋筋太郎)まだ仲いいんだよ。うちの方は。

(吉田豪)会ってますからね。コンビ組んだりとか。この2人がね、再会できなかったっていうのがいちばんの心残りですよね。

(玉袋筋太郎)それだよね。うん。まあ本人たちもそうだと思うよね。うん。いやいやいや。合掌でございます。

(小林悠)ありがとうございます。貴重なお話を。

(玉袋筋太郎)どうもね!ありがとうございました。

(小林悠)ありがとうございました。

(吉田豪)はい、どもー。

(小林悠)ジョニー大倉さん、62才で亡くなりましたけれども。やっぱり残念でしたね。ちょっと早すぎるような気もしました。

(玉袋筋太郎)足あとは残したんですよ。はい。

(小林悠)貴重なお話でした。

<書き起こしおわり>

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