ライムスター宇多丸さんがMXテレビ 5時に夢中!サタデーでスパイク・リー監督作『ドゥ・ザ・ライト・シング』について語っていました。『たまうたゼミナール』というコーナーで、4月6日に起きた出来事について話しています。
(宇多丸)私、4月6日、ここに注目してみました。映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』日本公開初日が1990年4月6日。私、ヒップホップグループ ライムスター結成2年目。メンバーぜんぜん当時とは違ったりするんですけど、(当時の)メンバー全員で駆けつけたりなんかしてね。『ドゥ・ザ・ライト・シング』、こんな映画であります。
(宇多丸)スパイク・リー。みなさんも御存知ですね、スパイク・リーの出世作。その前も注目されてましたけど、これで一気にカンヌ映画祭なんかで注目されたりとか。惜しくもカンヌ取れなかった。『セックスと嘘とビデオテープ』がね・・・
(玉袋筋太郎)ああ、あったあった!
(宇多丸)あとアカデミー賞。1989年公開の映画ですから、1989年度のアカデミー賞でキム・ベイシンガー、ナインハーフで・・・
(玉袋筋太郎)ナインハーフで!ヴァーナルのCMに出ていたキム・ベイシンガー!
(宇多丸)ヴァーナルのコマーシャル、出てたんですか?キム・ベイシンガーがわざわざ作品賞のプレゼンターで(舞台に)上がったのに、「作品賞に本来ノミネートされているべき作品がされていない!」と怒りのコメントを。『ドゥ・ザ・ライト・シング』だ!って上げたというような話題になった・・・
(玉袋筋太郎)キムさんが。
『人種差別問題』『人種緊張』を扱った作品
(宇多丸)キムさんが。で、なぜそこまで熱狂を巻き起こしたか。やっぱりこれね、いわゆる『人種問題』『人種差別問題』『人種緊張』を扱った作品。ちょっと映像を交えながらお話したいと思いますよ。話はある夏のニューヨーク、ブルックリン。アフリカ系アメリカ人が住んでいるような地域ですよ。そこでイタリア系のピザ屋をやっている家族がいるわけです。地域とは上手くやっているように一見、見える。上手くやってるんです。イタリア系のおじさんとかも理解がある、アフリカ系の人々と仲良くやっていた・・・つもりなんだけど、その日常の中にあるちょっとした差別意識とか、ちょっとした人種的なすれ違いみたいなのが、やっぱり少しずつエネルギーとして溜められていって、暑いしお互いイライラしてるし。そしてそこにね、流れる曲がPUBLIC ENEMYの『FIGHT THE POWER』。
(宇多丸)これをガンガン・・・ラジオ・ラヒームというキャラクターがガンガンガンガン流しながらね。すると「うるせー!俺んちの店でラップなんか流すんじゃねー!」って。「テメー、黒人の住んでいる地域でラップ流すなとはどういう了見だコノヤロー!だいたいお前んち、イタリア人の有名人の写真しか貼ってねぇとはどういうことだ!黒人コミュニティーに還元しろよ!」とお互いまあ、そういうイライラが募っていって、それがやがてちょっとね・・・最初はコメディータッチ、すごい軽い感じ、下町人情喜劇みたいな感じでやるんだけど、最後ちょっと悲しい感じに・・・
(玉袋筋太郎)へぇー。
(宇多丸)でね、ポイントはですね、差別意識・・・人種差別はいけない、そんなことはみんな分かっていると思うんですけど、そういうものが我々の無意識の中にも溜まってる。で、緊張が高まっていく。で、PUBLIC ENEMYのこの曲、ヒップホップ史上に残る名曲『FIGHT THE POWER』ですよ、これがすごい曲としては『権力と戦え!』ってすごい勇ましい大好きな曲なんですけど、決してポジティブな使われ方というよりは、ちょっと暴動を煽っているような・・・要するにだから白黒ちゃんとつかないように考えされるような。(当時のライムスターの)メンバーとかと観に行って、お互いラストをどう思うか?議論した。それによって、要するに日本でヒップホップをやっている我々も人種問題とか人種差別問題に対して意識が高まっていったということなんです。なので是非、なぜ私このタイミングで紹介したかというと、最近日本でも何て言うんですかね、排外主義の台頭と言うんですかね、ちょっとそういうものがある中で、人種間の緊張、人種差別という問題、そんなものを考えてみる・・・4月6日をアンチ・レイシズムの日として私は提案したいと思います!
<書き起こしおわり>