NORIKIYO 刑務所内の受刑者たちと組んだヒップホップグループ「OPSF」を語る

NORIKIYO 仮釈放後、最初に食べた料理を語る INSIDE OUT

NORIKIYOさんが2025年6月23日放送のblock.fm『INSIDE OUT』に出演。大分刑務所の受刑者たちと一緒にラップのリリックを書くようになり、ヒップホップグループ「OPSF」を結成したこと。そしてリリックを書くことで受刑者たちに生じた変化などを話していました。

※この記事は許可をいただいて書き起こししております。

(渡辺志保)中で、1日の過ごし方っていうのはどういう感じだったんですか?

(NORIKIYO)1日の過ごし方……平日は朝6時半に起床なんで。そこから点呼みたいなのがあるんですよ。その点呼が終わったら飯を食って。もう7時50分ぐらいには工場へ、独居房からみんなで出て。7時50分ぐらいの工場について。そこから刑務作業をして。で、工場で昼飯を食って、また4時半ぐらいまで作業をして。まあ、風呂がある日……週3回、入れるんですけど。普通だと。夏はまた別なんですけど。

週3回、風呂に入って。それが終わったらまた独居房が並んでいる舎房って言われている建物に戻って晩飯を食って。晩飯が終わったら、就寝の9時まで余暇時間って言われている時間があって。そこで、なんかみんな普通のやつは手紙を書いたりとか、本を読んだりとか、テレビを見たりとか、ラジオを聴いたりとか。でも僕の場合は獄中記を書いたり、手紙を書いたり、リリックを書いたりとか。まあ、そういう感じですかね。

(渡辺志保)なるほど。そのリリックっていうのは、たとえば、ちょうど刑期を務められるのとほぼ同時に出た前作のアルバム『犯行声明』はNORIKIYOさんがの勾留中に書いたリリックがメインになっていたのかなって思うんですけれども。今っていうか、その刑期を務められている最中に書くリリックっていうのは、どんな感じのリリックになっていんでしょうか?

(NORIKIYO)どうっすかね? 「どんな感じ」っつっても、その時のものだったりもするし。で、最初の刑務所に落ちて半年ぐらいは結構、なんていうんだろう? 難病のために飲まされてた薬が……まあ、それを絶対に飲まなきゃいけなくて。それの副作用が結構あって。なんて言うんだろうな? そういうテンションに結構、なれなかったんですよね。病気を抜かしたとしても、なんて言うんだろう? まあ、その生活に慣れなきゃいけないっていうのもあって。なんでちょっと、結構大変だったなっていうか。それはありましたけど。

なんで、そこからリリックを書くようになったのは、なんでだったっけな? とりあえず、トラックがないじゃないですか。ビートがないから、どうやった書いたらいいかな?って思った時に、自分がガキの頃に影響を受けたUSのヒップホップだったら、そのビートを覚えてるわけじゃないですか。だから勝手にビートジャックみたいな感じで。想像でビートジャックして書いて、なんていうんだろう? 頭の中でこう、DJするみたいな感じで。「この曲の次はこの曲、かけたいな」みたいな感じで頭の中でどんどんつなげていって。DJプレーをしていくみたいな感じで。それで、その自分のDJの曲を流すセットみたいなので、その上でリリックを書くみたいな。

(渡辺志保)めちゃめちゃ極限の制作方法みたいな。

(NORIKIYO)そうですね。そしたら、極限というかだんだん楽しくなってきちゃって。で、筆が乗ってきちゃって。

(渡辺志保)すごすぎる(笑)。

(NORIKIYO)で、そこからは結構、楽しかったなというのもあるんですけど。俺、その工場を1回、移ったんですけど。2個目に行った工場でなんかヒッポップが好きなやつがいて。で、俺は自分がNORIKIYOだとは言わずに過ごしていたわけですよ。なんか面倒なトラブルに巻き込まれるの、嫌だったんで。で、同じ工場の受刑者で懲役30年弱ぐらいの刑のやつがいて。

(渡辺志保)ああ、じゃあ結構ヘビーな感じなんですね。はい。

(NORIKIYO)そいつはもう20歳ぐらいから捕まっていて。すでに現在まで、15年ぐらい務めているやつなんですけど。だから、なんていうんだろう? 工場の顔役みたいな立ち位置のやつだったんですけど。で、後々に聞いたらなんか俺のセカンドアルバムのツアーを見に来てくれたやつらしくて。

(渡辺志保)えっ、『OUTLET BLUES』の時に?

(NORIKIYO)そうです。で、なんかそいつのお母さんがKREVA信者で、KREVAが大好きで。そいつは『CONCRETE GREEN』を聞いて育ってきたやつだったんですよ。

(渡辺志保)すごい巡り合わせですね!

(NORIKIYO)それである日、話しかけられて。「上野さんに神奈川出身なんですよね?」って言われて。で、「ああ、そうなんですよ」って言ったらそしたらそいつがなんか「俺、ラップ、好きなんですよ。今度、SD JUNKSTAの話、しましょうよ」って言われて。

(渡辺志保)フフフ、ちょっと待って? 不謹慎ってか、笑っちゃいけないかもだけど、めっちゃ笑ってしまった(笑)。

(NORIKIYO)それで「ヤベえ、これ、バレたかな?」って思ったんですけど。それで結局、そいつは15年前ぐらいに俺とライブ会場で撮った写真を独居房の中で写真立てに飾っていたらしくて。それで次の日……その時、刑務所の中でコロナが流行っていて。で、マスクを配られていたのでずっとマスクをしてたんですよ。で、お茶が配られる時間があるんですけど。その時に俺、お茶を飲むんでマスクを取るじゃないですか。で、そいつがずっと俺のことを見ていたらしくて。「あれ? 鼻が曲がってるし、本物のNORIKIYOじゃね?」みたいな(笑)。

(渡辺志保)「メガネだし」みたいな?(笑)。

(NORIKIYO)そうです、そうです。で、だんだん同じ工場のやつらに俺がNORIKIYOだってバレていって。で、「俺もリリック、書いてみたんで聞いてください」みたいなやつらがいっぱい現れて。で、なんかその同囚たちが書いてきたリリックに対して俺が「こうやったらもうちょっと良くなるんじゃない?」とか言い始めたら、だんだん人が増えていっちゃって。

(渡辺志保)何やってるんですか?(笑)。

(NORIKIYO)「じゃあ、ラップグループ作っちゃおうか?」みたいになって。日本で一番極悪な……まあ、ちょっと笑っちゃいけないんですけども(笑)。

(渡辺志保)笑っちゃいけないけどね(笑)。

(NORIKIYO)無期懲役のやつももそのグループに2人ぐらいいたんで測定不能ではあるんですけども。有期刑のやつらだけで合わせても、みんなの刑期を合わせた余裕で100年を超えちゃうっていう感じの。

全員の刑期を合わせると100年以上となるOPSF

(渡辺志保)すごいですね! まあ、お務め中もプレスリリースっていうか、まあNORIKIYOさんそういうお便り的なものが届くわけですけど。その中の一文で「工場の囚人たちと結成したラップグループOPSF」っていうの書いてあって。「NORIKIYOさん、なにをやっているんだろう?」って思っていて。OPSFがそのラップグループ?

(NORIKIYO)そうなんですけど。それでなんか、みんなで盛り上がってきちゃって。我々、「Oita Prison Seventh Factory」だから。第七工場だったから。「じゃあ、OPSFでいいんじゃないか?」みたいな。で、みんな名前も決まったら盛り上がってきちゃって。

(渡辺志保)MCネームとかもつけたんですか?

(NORIKIYO)そうですね。リリックを書いて16小節、書き終わったらとりあえず俺が名前をつけるっていう(笑)。

(渡辺志保)おお、ウータン・クランじゃないですか(笑)。

(NORIKIYO)謎な、そういう掟みたいのがなのができちゃって。それで、「俺も名前、付けてください!」みたいな。で、みんなで「じゃあ、書いてみようか」って書き始めたんですけど。結局、たとえばじゃあ無期懲役のやつってまあ出る見込みがほぼほぼないわけじゃないですか。まだまだ。それで結局、みんなで曲を作ってみても全員出れるっていうか、無期懲役のやつを除いても出れるやつを待っていたら俺、還暦を超えちゃうみたいな感じになっちゃうんで。「これ、どうする?」ってなった時に「じゃあ俺、みんなが書いてきたリリックを俺がシャバに出たらエフェクトとかで声を変えて、それで作品にして発表してみようか」みたいな感じで言ったら、もうみんなガチ上がっちゃって。「ぜひそれ、やりましょう!」みたいになって。

そしたら「NORIKIYOさん、刑務作業はしないでいいんで。自分のリリックを書いたりとか、その隙間時間で俺たちの書いたリリックとかをブラッシュアップしてください!」みたいな感じになって。で、工場に刑務官が刑務作業を見張っている担当台っていうのがあるんですけど。で、その担当台っていうところから一番遠くの作業席にその顔役の受刑者たちが適当な理由をつけて。「上野さんはちょっとこういう理由で、こっちの席の方がいいから席を移動させますね」みたいな感じになって、一番遠くの席に行って。もう超死角の席で。

(渡辺志保)マジっすか! VIPじゃないですか。

(NORIKIYO)そこで班長しか持てないメモ帳とボールペンをこっそり渡されて。で、ひたすらもう、工場へ行ったら作業しないでリリックを書くみたいな(笑)。

(渡辺志保)すごいですね! かなり異例の。

(NORIKIYO)だからかなり恵まれていたと思います。だからヒップホップに助けられたっすね。

(渡辺志保)本当ですね! そうか。じゃあ、大分刑務所の中でも大半の時間をリリックに費やすことができた?

刑務官の目を盗んでリリック作成&添削

(NORIKIYO)そうですね。まあでも、隠れながらなんで。刑務官の人たちが巡回しているんで、まあこっそりなんですけど。で、そのメモは持ち出せもしないんで。だから結局、16小節書いたらその16小節を覚えて独居房の部屋まで帰らなきゃいけないですよ。しかもそれ、人の書いたリリックも覚えなきゃいけないわけですか(笑)。

(渡辺志保)めっちゃ大変じゃないですか(笑)。

(NORIKIYO)全部、俺が帰って便箋に清書するみたいな。

(渡辺志保)そうなんだ! でも、じゃあそれを実際にRECするのが楽しみですね。

(NORIKIYO)そうですね。まだちょっと、だからそこまでは行けてないんですけど。トラックとかも選べてないし。あんまりそういう活動……自分がその、有り物のUSのオケで書いてきたやつとかはレコーディングしたいなと思っているんで。それでクラウドファンディングを今、やってるんですけど。それの返礼品として、そういう作品も入れてあるんで。それをまず、サポートしてくださった方に作らなきゃっていうのがあるんで。それでインストを集めたりとかして。インストをないやつはトラックメイカーに「ちょっとこれ、サンプリングを真似て作ってくれない?」って作ってもらったりとかして。

(渡辺志保)そうか。じゃあ、それを持って今度はNORIKIYOさんがミュージックステーションに出なきゃですね。

(NORIKIYO)ミュージックステーション……そうっすね(笑)。まあ、そういう社会なのかどうなのか、ちょっと俺はムショボケしているんでわからないですけど(笑)。

(渡辺志保)この2、年ぐらいでたぶん結構変わったと思うんですけど(笑)。(刑務所でテレビが見れる)8時50分までに出れる枠で。

(NORIKIYO)そうですね。でもそれ、結構言われましたね。受刑者のやつらに。「ラジオに出てくれ」とか「Mステに出てくれ」とか。俺、「出れるわけ、ねえだろう」って言ったんですけど。でも世の中が……「入れ墨の人とかも出れたりしているよ」っていうのを聞いたりとかしたんで。「ああ、そういう風になんかちょっと変わってきてるんだな」みたいなのは思いましたけど。

(渡辺志保)本当ですね。そうそう。私もだからラジオ、ヒップホップ専門番組とか他にもやらせてもらってますけど。やっぱりそれは夜中なので、なかなか塀の向こうの方たちまで届けることができないっていうのが結構ジレンマっていうか。なんかちょっと力不足を感じるところでもあるので。

(NORIKIYO)でもかなり、なんていうか楽しみにしてるし。で、さらにヒップホップってすげえなって思ったことが、最初にその受刑者やつらもまあ不良なんで、不良の歌詞なんですよ。「俺はこういうことをやってきた」とか。でもだんだん違ってきて。自分の罪と向き合うようになってきて。なんていうか、自分や自分のやったことを顧みて。

「こんなこと、しなければよかったか」とか。そういう風に、しかもさらに前向きな感じになってくるんですよね。みんな本当にだから、ラップなんて聞いたことがなかったっていうようなやつらとかもラップを書き始めて。しかも結構、「こいつは才能あるな」みたいなやつとかもいたりして。しかもみんな、生き生きとしてくるんですよ、みんな。だから「ヒップホップって本当にすげえな!」って思って。

リリックを書くことが一種のセラピーとなった

(渡辺志保)そうか。じゃあ、本当に一種のセラピー的な役割を果たしているということなんですかね?

(NORIKIYO)はい。だから音楽が聴けないとか、日本の刑務所ってそういうレコーディング施設とか、ないじゃないですか。でもそういうのとかあったら、いいんじゃないかなっていう風に思いましたね。

(渡辺志保)そうかもしれないですよね。いや、なかなか貴重な経験だし、ちょっともっとお話を伺っていきたいんですけれども。

block.fm『INSIDE OUT』2025年6月23日放送回

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