ジョイマン高木さんが2024年3月29日放送のニッポン放送『中川家 ザ・ラジオショー』に出演。ブレイク後、仕事がなくなりつつある中で結婚し、主夫状態になって子育てをしていた時期の話をしていました。
(中川剛)いろんなことがあったんですよね。ジョイマンもね。なかなか苦労人ですよ。
(池谷和志)そうなんですね。1回、バーッと行ってすぐ落ちるみたいなのがありましたから。
(中川剛)営業本数が吉本で1位?
(池谷和志)1位です。
(中川剛)うわっ、すごいやん!
(高木晋哉)びっくりしています。本当に……今、あの頃よりも月収も上がってきたりとか。
(中川剛)あの頃よりも!?
(高木晋哉)あの頃の方が、もちろん忙しかったんですよ。
(中川礼二)「あの頃」って、いつ頃やったっけ?
(高木晋哉)2008年です。
(池谷和志)1年間、仕事がピークでしたね。休みもなくて。『レッドカーペット』とか『おもしろ荘』とかで。
(高木晋哉)あの頃の方が忙しくはあったんですけども。
(中川礼二)じゃあ、もう16年、経つの? 怖っ!
(高木晋哉)僕らも怖いです。本当に。そんなに経っているんだっていう。
(中川剛)でも、その苦しい時期はどうしていたの? 苦しい時期はお互い、結婚はしていたの?
(池谷和志)僕は結婚したのは3年前なんですけども、高木は2010年?
(高木晋哉)2010年に結婚したんで。本当に仕事が終わりかけの時に結婚したんですよ。
(中川剛)そんな時にね結婚してくれた奥さん、絶対に大事にせなダメですよね。
(中川礼二)たしかにな。
(中川剛)落ちてる人と結婚をしてくれる人って、なかなかね、いないよね。
仕事がなくなりつつある中での結婚
(高木晋哉)元々、何もない状態の時に付き合っていて。そのまま結婚して……だったんで。何もない時も知っていてっていう感じなんで。
(中川礼二)奥さんからしたら、覚悟はできてたんやね。バーッと行った時もね。
(池谷和志)だから高木は仕事がなくても、バイトもせずに。貯金を切り崩して食べてたんすよ。
(高木晋哉)で、子供も生まれたんで。その時に、だからずっと本当に子供と一緒にいて。僕が主夫みたいな感じになってましたね。家にいて。
(中川礼二)奥さんが働きに出て。
(中川剛)でも今、考えたらええことやね。それ。子供と一緒におれたっていうことはね。
(高木晋哉)ちっちゃい時に一緒に過ごせたのは、すごいよかったなと思います。
(池谷和志)だから今、高木が仕事がある方が娘さん的には寂しいらしいです。すごく。
(中川礼二)なるほど。ずっと遊んでいたわけやしね。
(高木晋哉)でも、ずっと遊んでいて。公園とかで普通に遊ばせていて。で、平日とかってやっぱり他の子供たちはお母さんと一緒に来てたりとかして。お父さんと一緒に来てるって、なかなかないんですけど。やっぱり不思議に思った他の子が「うちのお父さんは今日、仕事をしてるんだけど。あなたは何しているの?」って。それですごいドーン!って来ちゃって(笑)。ちょっと涙しそうになった時はありましたね。
(中川礼二)フハハハハハハハハッ!
(池谷和志)娘の前で?
他の子供に「あなた、なにしてるの?」を言われて泣きそうになる
(高木晋哉)とある公園で、泣きそうになった時はありましたね。子供に「あなた、なにしてるの?」って。
(中川剛)ある意味、残酷ですからね。子供ってね。ズバッと言いますからね。その頃、池谷くんは?
(池谷和志)僕はもうバイトしてバイトして。二つぐらい、やってましたね。焼き鳥屋さんの店員と、バーの1日店長みたいなのを任されてて。バーの1日店長をやっていて、半年ぐらい行ってるとオーナーさんから「ちょっと池谷くん、週7でやってくんないかな?」って言われて。「いや、それはさすがにできません」って断ったんですけども。バーの方は才能があったみたいです(笑)。バイトしながら、なんとか。でもバイトしないのはすごいですよ。
(中川礼二)いや、そうやと思うわ。
<書き起こしおわり>