町山智浩さんが2024年2月20日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『落下の解剖学』について話していました。
(石山蓮華)そして、町山さん。今日は?
(町山智浩)はい。今日ご紹介する映画は『落下の解剖学』という映画です。
(音楽が流れる)
(町山智浩)今、流れているスティールドラムの曲はね、この『落下の解剖学』という映画の頭のところで大音響でかかるんですよ。でね、すごくしつこくて。しかも音がすごくて会話が聞こえないので、ものすごく頭に残っちゃうんですけど。これもね、この映画のひとつの謎解きのヒントになってるんですよ。これ、『落下の解剖学』というのはある男性が、彼の家の3階から落下して死亡するんですね。その時に「もしかしたら妻が突き落として殺したのかもしれない」ということで、裁判にかけられるという法廷ミステリーです。で、これがですね、今のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされてます。
(石山蓮華)すごいですね!
(町山智浩)で、おそらく脚本賞は取ると思います。カンヌ映画祭の方でもパルムドールというグランプリにあたる賞を取ってます。で、アメリカでも大ヒット中ということなんですが。これ、フランスのアルプス地方、フレンチアルプスのところに3階建てのシャレーがあって。そこに2人の作家が住んでいて。それが夫婦なんですね。で、夫も作家で奥さんも作家なんですけれども。そのうち夫の方は、あんまり売れてなくて。で、奥さんの方はベストセラー作家なんです。それは後からわかるんですけど。
この映画、裁判の最初の段階では、この2人の情報がほとんどないんですよ。で、観客はまさに裁判員とか陪審員になったみたいな形で、この2人の夫婦の関係を少しずつ知らされていって。「一体、この事件の真相は何なのか? 夫は事故で落っこちて死んだのか? 自殺して飛び降りたのか? 奥さんに突き落とされて殺されたのか? 真相はどこだ?」っていうことを観客は自分で考えなければならないという映画です。
(石山蓮華)なんか観客がある意味、物語の中に参加させられるような作りになってるんですね。
観客は裁判員や陪審員になったような感覚に
(町山智浩)そうなんです。だから法廷で次々といろんな証拠とか証言が出てきてはじめて、観客はそのことを知る。そのたびに、この奥さん本当に殺人したのか? 違うのか? 等々が揺らいでいくんですよ。観客の中でも。で、ひとつ大きいポイントは、その現場に11歳のこの夫婦の息子さんがいたんですね。で、彼はそのお父さんが落ちたところにいたんですけれども。目撃者なわけですけれども。ただ、視覚に障害があって、ほとんど見えてなかったんです。
(でか美ちゃん)そうか。だからどういう経緯で落ちたのかはわからないのか。
(町山智浩)わからないんですよ。で、だんだん、要するに奥さんに殺す動機があったのかということで、夫婦関係はどうだったかが少しずつ、いろんな証言とかで明らかになっていくんですね。で、この奥さんを演じる俳優さんが今、すごいアカデミー賞で注目されていて。主演女優賞候補になってるんですけど。サンドラ・ヒュラーという女優さんで。この人は日本でもね、そこそこヒットした映画で『ありがとう、トニ・エルドマン』というドイツ映画でも主演をしていた人です。
(町山智浩)で、今回はアカデミー賞で作品賞にノミネートされてるもう1本のドイツ映画『関心領域』という映画で、これはアウシュビッツの収容所で虐殺をやっていた将校の奥さんの役を彼女、演じていて。もうすごい今、注目されてる女優さんですね。この人、ちなみにめちゃくちゃ歌も上手いんですけど。『ありがとう、トニ・エルドマン』ではあのホイットニー・ヒューストンの歌をですね、フルコーラス歌うという、とんでもないシーンがありますよ。で、この映画のもうひとつのポイントこの奥さんはドイツ人で、旦那さんがフランス人で。で、互いの母国語をよく知らないので、夫婦では英語で話してます。で、息子には英語で話しかけていて、息子は英語をしゃべれるというね。それで息子はちょっと障害があるんで、学校にあんまり行ってなくて。地元のフランス語もあんまりうまくないと。すごい国際的な映画になってるんですね。
で、こういう人が、実はアメリカはすごく多くて。だからタイの人とドイツの人が結婚していて、子供は英語で教育していて、夫婦も英語でしゃべってるとか、そういう夫婦がいっぱい近所にいるんで。これがアメリカでヒットしたのは結構、そこの部分もあるかなとは思うんですけど。で、この映画、どういうことがわかっていくかというと、まずこの奥さん、ベストセラー作家なんですけれども。最初は旦那さんの方が大学教授か何かで。奥さんはその教え子みたいな立場で、上下関係があったんですね。
ところが、旦那さんは学校を辞めなきゃならなくなって。どうしてか?っていうと旦那は……この映画が、全てがネタバレになるんで難しいんですが。息子さんが目が見えなくなったのは、事故なんですけど。その責任は旦那さんにあるということで、旦那さんは仕事を辞めて息子の世話をするようになるんですよ。その間、小説が書けなくなるんですけど。その間に奥さんは、自分たちの生活をそのまま小説にしたり。旦那のアイディアとかを小説にして、どんどん売れてっちゃうんですよ。
(でか美ちゃん)ああー。「それって……」っていう感じですもんね。
(石山蓮華)ありそうな話ですね!
(町山智浩)そう。ありそうっていうか、俺の友達にこういう人がいっぱいで。同業夫婦がいっぱいいるのでね(笑)。漫画家さんとかさ、小説家とか、タレントとか、脚本家とか。同業夫婦がいっぱいいるんで。同業夫婦、やべえ!っていう問題で(笑)。
(でか美ちゃん)あと、お子さんが大きくなってから「あれ、嫌だった」とか。ちょっと見たりしますもんね。作家の方の家庭があるとね。
(町山智浩)で、またさ、物書きで、自分の実生活を切り売りしてる人って、いっぱいいるでしょう?
(石山蓮華)ああーっ! ちょっと耳が痛い……ラジオですぐしゃべっちゃうし(笑)。
(町山智浩)でか美さんが言っていた、そのお子さんが大きくなってから、それが嫌になるって、その話でしょう?
(でか美ちゃん)ああ、そうです。
実生活を切り売りした作品づくり問題
(町山智浩)ねえ。日本でも問題になってますけど。一部の人が。そういう問題でもあるんですよ。だからいろんな問題がここに含まれていて。この監督はね、ジュスティーヌ・トリエという女性なんですけれども。この『落下の解剖学』という映画の脚本は旦那さんが同業で。映画監督で脚本家なんですよ。で、アルチュール・アラリという人で。この旦那と2人で、あと子供たちと、コロナでアパートに閉じ込められていたんですよ。で、だんだんなんか、夫婦仲が険悪になるじゃないですか。なる人もいますね?
(石山蓮華)ありますよね。うん。
(町山智浩)で、その中で、「じゃあこれをネタにしたらいい」っていうことで書いたのが、この脚本なんですよ。
(でか美ちゃん)でも、「これを書いちゃおう」の中で、それを書くことで、何かトラブルになるみたいな部分も書いているの、偉いですね? 全部書くんだっていう。
(町山智浩)すごいなと思いますよ。だから半分、リアルなんですよね。でね、これがまた面白いのはね、この2人とも、変な映画ばっかり撮ってる監督なんですよ。この夫婦が。このアルチュール・アラリという旦那さんの方はね、この前に撮った映画ですね『ONODA』という映画で。これ、フィリピンのルバング島で戦争が終わった後も30年間、兵隊として地元の人を殺したりしていた日本兵の小野田寛郎さんの話なんですよ。
(でか美ちゃん)ああー。
(石山蓮華)有名な人ですよね?
(町山智浩)そうなんですよ。旦那の方はそんなすごい映画を撮ってる人で。で、この奥さんのジュスティーヌ・トリエさんという人が最初に非常に注目された監督デビュー作ありまして。2014年の映画ですが。『ソルフェリーノの戦い』という映画でこの人は注目されたんですが。その映画がですね、主人公がですね、女性のテレビレポーターで。インタビューしたりする人ですね。テレビのために。ニュースでね。ところが、離婚の危機というか、完全に別居していまして。ちっちゃい子供が2人、いるんですけれども。
その夫がその子供の親権を要求してて、揉めてるんですよ。で、いつ、夫が娘たちをさらうか、わからないから。娘たちから目を離せないんですね。ところが、フランスの大統領選挙になっちゃうんですね。で、レポーターとしていかなきゃならない。でも、夫はDVがあるみたいなんですよ。で、娘をさらわれるってことで、しょうがないから娘を連れて取材に出ちゃうんですよ。ところが、その取材っていうのは実際に2012年の大統領選挙そのもので撮影してるんですよ。
(石山蓮華)ええーっ?
(町山智浩)すごいんですよ。で、もう人でごった返してる……フランスの大統領はその頃、サルコジ大統領っていう、まあトランプさんみたいな人なんですね。右翼の。それと、それに対して社会党のオランド候補が立ち向かった選挙だったんですけど。それぞれの選挙事務所の方に取材に行くんですね。それは本当にそうなんですよ。そこに子供を連れて行くんですよ。で、カメラを回してるんですよ。
(でか美ちゃん)すごい撮り方ですね。できるんだっていう。
(町山智浩)で、そこに娘を取り返そうとする夫も入ってるんですよ?
(石山蓮華)ええっ? じゃあ、本当の政治家というか、選挙事務所にいる人が映画に巻き込まれるって形なんですか?
(町山智浩)出てる人、この人たち以外はほとんど全部、本人です。で、テレビのレポートだと思ってインタビューに答えているんですよ。
(でか美ちゃん)それって、いいんだ?
(町山智浩)そうそう(笑)。で、それで一体何をやろうとしてるか?っていうと、そのDV夫をその当時の非常になんというか、右翼的な政策を進めていたサルコジ大統領に重ねてるんですよ。その社会党の大統領候補との戦いをこの夫婦の戦いと重ねて描いてるんですよ。
(石山蓮華)面白そう!
(町山智浩)そう。すごい変なことをやる人で。この人はその後の映画もですね、たとえば今回の映画に繋がってくる部分なんかだと、『愛欲のセラピー』っていうコメディを作ってまして。これはね、カウンセラーの人がカウンセラーとして聞いた話をどんどん小説に書いちゃうっていう話ですね(笑)。
(石山蓮華)最悪の話ですね!(笑)。
(町山智浩)そう。で、カウンセリングを受けた女優が追いかけてくるっていう(笑)。で、あとは『ヴィクトリア』っていう映画は殺人事件の佐々法廷物で。唯一の目撃者が犬っていう話なんですよ。
(でか美ちゃん)犬映画!
(町山智浩)そう。だからずっと変な部屋ばっかり撮ってる人なんですけども。今まで、ほとんどコメディっぽかったんですけど、今回はシリアスにやってるんですね。で、非常に評価されていて。犬の話だとね、この映画の中でその息子さんが持ってる犬がですね、映画の中で1回、毒を盛られて死にそうになるっていうシーンがあるんですよ。で、「これ、どうやって撮影しているの? 本当に犬に薬か何か、与えて撮ってるの?」って思ったら、完全な犬の演技だそうですよね。
(石山蓮華)演技派の犬ってことですか?
(町山智浩)演技派の犬。だから彼にアカデミー賞をあげた方がいいんじゃないか?っていう。彼か彼女かわかんないけども(笑)。
(でか美ちゃん)このメインビジュアルにもね、サラッと写っているワンちゃんですよね?
(石山蓮華)ボーダーコリー犬ですね。
(町山智浩)このワンちゃんが苦しむシーンで結構みんな、「うわっ、ひどい!」と思うかもしれませんけど。演技ですから。安心してください。履いてます! みたいな世界ですね。
(でか美ちゃん)「大丈夫ですよ」っていうね。でもそれ、結構大事ですね。
(石山蓮華)大事です。
犬が苦しむシーンは犬の演技
(町山智浩)で、この『落下の解剖学』で一番ポイントなのは、結局、本当の事実は誰にもわからないわけですよ。裁判って、そうでしょう? 誰かが犯人だって決めなきゃなんないけれども。実際に事実を知ってる人は、誰もいないんですよ。で、それを決めなきゃなんないんですよ。それを観客がやらされるわけですね。決めるってことを。でも、本当にこの場合に、そのお父さんを選ぶか、お母さんを選ぶかっていう選択に立たされてるのは、息子ですよね。で、このお母さんは本当に悪いお母さんなのか? お父さんが悪かったのか? それを子供が選ばされるわけですよ。この映画の中では。これは、殺人事件の話をしてるけど、実際は親権争いの話ですよ。一種のね。
(石山蓮華)なるほど。
(町山智浩)それで今、問題になっているのは自民党政権が共同親権を認めて。離婚した後も夫が子供に会えるようにしようっていう風なことで、法案を進めようとしてますけれども。それで守ろうとしてるのは夫の権利ですけど、本当に守られなきゃいけない権利っていうのは一体何でしょうか?
(石山蓮華)子供の権利ですよね。
(町山智浩)子供の権利なんですよ。そのことを忘れてないか?っていうことですよね。そういうことまで問いかけている、非常にいっぱいいっぱい、いろんな細かい要素が現実に繋がってくる映画で、よくできたシナリオで。これは脚本賞を取るかなと思ってますね。これが『落下の解剖学』です。
(石山蓮華)見に行きます。ということで、今日は今週23日金曜日から公開になる『落下の解剖学』をご紹介いただきました。町山さん、ありがとうございました。
(町山智浩)はい、どうもでした。
『落下の解剖学』予告
来週は『落下の解剖学』が来ますね。
これも人によって感想がかなり異なる作品なので祭になりそうだ。 pic.twitter.com/yD8gtCBise
— che bunbun?「身体空間から観る映画」kindle発売中 (@routemopsy) February 18, 2024
<書き起こしおわり>