ジェーン・スーが感動した 北川悦吏子の言葉『世間を変えるのは憧れ』

ジェーン・スーが感動した 北川悦吏子の言葉『世間を変えるのは憧れ』 ジェーン・スー 相談は踊る

ジェーン・スーさんがTBSラジオ『ジェーン・スー相談は踊る』で、脚本家の北川悦吏子さんと対談し、北川さんの言葉に非常に感銘を受けたという話をしていました。

(ジェーン・スー)でね、この連休、結構私バタバタしていて。連休とは名ばかりっていう感じで。1日に相談は踊る、通常放送やって。2日、翌日にですね、武蔵大学。なんと私、学祭デビューですよ。杉本彩ですよ。学祭の女王を目指しますよ。1個ですけどね。今年ね。武蔵大学の文化祭にお呼ばれしましてですね。学長の山崎先生と社会学の田中先生とですね、私がこんなことを話していいのか?と思ったんですけど。『変わる社会、変わらない恋愛観』っていうことで。まあ、いろいろとトークイベントをやってきたんですけど。そこでね、山崎学長っていうのがテレビドラマにすごい造詣が深いんですよ。で、深くてらっしゃって。ここ30年ぐらいのテレビドラマ、主に恋愛ものっていうのはこういうのがあって、こういう時にこういうのが出てきましたよって。

こういう男女格差みたいなのがテーマになったのがだいたい○年ぐらいですよって。やっぱり世相をかなり反映してるところもあったりして。なるほど!なるほど!なんていう学長の話を基調講演っていうか、そういうのを聞いてね。『ああ、なるほど。勉強になるな』なんつった後に、ぜんぜん関係のない話を私がするっていうですね、のをやってきたんですけど。そん時に、恋愛ドラマの遍歴っていうのを見ていると、懐かしいわけですよ。ここ30年っていうと、見てるじゃないですか。アラフォーの私としては。ね。95年に『愛してると言ってくれ』っていうドラマがありました。みなさん、アラフォー以上の人なら覚えているかと思うんですけど。

豊川悦司さんと常盤貴子さんの恋愛もので。豊川さんが聴覚にハンディキャップのある画家で、常盤貴子さんが女優の卵。で、この2人の恋愛ものっていうのをやっていて。で、学長先生が、『ハンディキャップのある人とない人の恋愛っていうのを一般的なラブストーリーとして描いた作品。そしてお茶の間ですごく人気を得た作品として非常にエポックなものだったんですよ』みたいなことを言ってて。あ、そっか!私ぜんぜんハンディキャップものとしては見てなかったな、そういえ』って。普通の・・・普通のって言い方悪いけど、恋愛ものとして見てたし。あ、たしかにそうだ、なるほどなるほどって。そん時、私22才ぐらいかな?

で、その後基調講演の中で、恋愛ドラマでここ30年ぐらい、最も視聴率が高いのがこちらTBSの番組でございます。2000年くらいか?の、『ビューティフルライフ』っていう。これ、キムタクと常盤貴子さんのやっぱり、もので。最終回が41.2%と。民放としてはすごいですよね。41.3%を記録したって言われて。いまだにその記録は恋愛ものとしては塗り替えられてないらしいんですよ。で、これも難病におかされて車いすで生活している図書館司書の常盤貴子と美容師のキムタクっていうドラマで・・・って言われて。まあ、この時は私、結構もう大人だったんで、チラッチラッとしか見てないですけど。あ、これも別になんかハンディキャップものっていう風には見てなかったな、ふーんって。まあ、人それぞれだと思うんですけど。見方は。

脚本家・北川悦吏子の作品

で、この2つに共通しているのは、常盤貴子さんが出てるっていうことなんですけど。もう1個、共通点があって。脚本が北川悦吏子さんなんですよ。で、北川悦吏子さんって、私ぐらいの世代の人はもう、恋愛ドラマの女王というか。脚本家として。だって、『ロンバケ』よ?あとさ、『あすなろ白書』とかさ。もうちょっと若い人になると、今度『オレンジデイズ』とかさ。ああいうこう、ね、恋愛ものとしてはキューン!と来るのをいっぱい書いている脚本家さんなんですけど。まあ、その人が95年にそういうドラマをまずスッとお茶の間に届けて。その後、いちばん恋愛ドラマとしても視聴率をとっているものっていうのが北川さんの書いたもので、ハンディキャップのある人とない人の恋愛ものだと。

ああ、なるほどなるほど。で、なんで私そんなことを気にしたかっていうと、実はですね、時を同じくして、『Dress』っていう雑誌でね、北川さんと対談するっていう話がいただいてまして。それをいただいていて。本来だったら10月の末ぐらいにやるはずだったのかな?その対談を。だけど、北川さんが体調を崩されたんで、ちょっと順番が変わって。まずその学長の話を聞く文化祭に行って、ラジフェスやって、その後連休明けぐらいにお会いすることになったんです。で、そもそもなんで私が指名されてるんだ?っていう話で。その北川さんの連載って、基本的に若手のイケメン俳優ばっかり出てるわけ。で、恋愛の話ばっかりしてるの。

マジ私出て行ったら石投げられる!っていうかさ。で、まあイメージとして、さっき言った恋愛ドラマの女王みたいなところあるから。だって、旦那さんがいて、お子さんもいて、仕事もあって、恋愛のことを書いてみんなの大衆の心をつかんで、って。なんだろう?未婚を笑われにでも行くのかな?と・・・(笑)。大変ですね、未婚みたいなことなのかな?と思って行ったんですけど、まあ、なんかいままで働いてきた経験として、1回でも大衆の心をグーッ!っと鷲掴みにした人の話ってぜったいなんか面白いから聞きに行ったほうがいいっていうのが体感としてあったんですよ。過去のいままでの経験から。

だから、なんか面白い話聞けるのかな?と思って、パーッて行きました。先日。その対談に。で、取材日やってきて北川さんにお会いしたら、すごいちっちゃくてですね。150ちょっととか言ってたかな?私が167あって、横も縦も結構ビッグなんで、写真撮る時にですね、なんか本当に無駄な遠近感とか出ちゃって。2人、同じバックで写っているのに、なんかちょっと写っている写真を見たらスタッフもみんな黙っちゃうみたいな。で、私だけちょっと台低いのに乗せて、北川さんちょっと高いのに乗ってもらったりとかして。そんな感じで撮影も和やかに終わって、対談も、まあ恋愛のことですから。そこはファーッとしゃべって終わったんですけど。

でさ、取材終わって、ちょっとこう雑談みたいになってたんです。その時に、『お体もう大丈夫ですか?体調崩されてたって聞いたんですけど』って言ったら、もうすぐケラケラケラケラ北川さんが笑いながら、『いや、私よく体壊すんですよ』って言ってて。で、まあ何にも調べて行かなかった私が悪いんですよ。いろいろ・・・まあ、調べていっちゃうと前情報が多くてさ。インタビュアーみたいになっちゃったりする時があるから、対談の時はそんなにたくさん相手のことを調べて行かないようにしてるんですけど。

取材終わって世間話してたら、その時に『いやー、この間武蔵大学で文化祭の時に、北川さんのドラマっていうのが95年にもうそういうことをやっていて。すごくエポックだったっていう話が出たんですよ』って言ったら、『あー、ありがとうございます。そうなんですよ。私も病気持ちだからね』って言われて。『あ、そうなんですか』って言って。よくよく話を聞いたらですね、北川さん、国から難病指定を受けている病気っていうのをもう10年以上患ってらっしゃって。病気をしながら執筆活動っていうのをされているっていうことだったんですよ。で、まあたしかに後から、家帰って来てから調べたら、そういうのがたくさん出てきて。いろんなところで書いたり、インタビュー受けたりしてらっしゃるんですけど。

まあ、私がある種の偏見っていうかさ、あの・・・(笑)。私だってリア充よ?私だって、私のリアルはすごく充実してる。けれども!なんとなく、世間的に承認されるリア充みたいなさ、ところ、あるじゃん?だからさ、なんかちょっと、全部持っている人なんでしょ?みたいな感じの偏見があったっていうのもあるんですけど。で、実はその『ビューティフルライフ』を書いている時に難病が見つかって。そこから、難病っていう指定を国からされるぐらいですから、なかなか完治っていうわけにはいかず、そっからもうずっと、大きな手術をしたりとか、病院に入院したりとか、体調がなかなか元に戻らなかったと。

障害者手帳を持っていた時期もあったって言ってたかな?だからなかなか大変な時期があったっていうことだったんですけど。で、その話を北川さんとしてたら、『いや、なんかね、元気がいちばんとか元気があったらいろいろできることがあるよねとかっていう人もいるんだけど、元気がなくてもできることってあると思うんだよね。だからそこの意地もあるよね』みたいなことをおっしゃっていて。そうですよね。で、入院している時に鬱病を患ったりしたこともあったらしくって。なかなかそういう風にはぜんぜん見えないというか。

まあ、最近は多作な印象ではないけど、それはゆっくりとした自分のペースでやっているのかな?と思ったら、やっぱり闘病期間っていうのが一定数あるから、なかなかそうたくさんは書けないんだなっていうのもいろいろ話を聞いていて。別にこれその、『北川さんが病気をおして頑張って書いてらっしゃる、素晴らしいですね!』っていう話じゃなくて。なんか、私が結構ジーンときたのはですね、自分が当事者である問題に対して作り手として、そこをこう、高尚な芸術作品として世の中に提案するとか、なにか大きく提言するとかっていうことではなく、大衆が楽しむエンターテイメントとして出していって、すでにもうそれが、世間の人たちがみんな恋愛ドラマとして見てるっていうことで、スッとインストールさせてるっていうのがすごいな、作り手の矜持としてすごいなと思って。

で、まあその話をしながら、その日はお別れしたんですけど。で、その後、LINEでなんか連絡を取っていた時に、『いやー、すいませんでした。私、勘違いしてて・・・』みたいなことを話した時、『まあその世間を変えるために書いているわけではないんだけど、ただ自分としては、世間を変えるのは説教じゃなくて憧れだと思う。そういうところもあると思うから、そういうのもあって恋愛ドラマを書いているところもある』と。あー、そうか!『世間を変えるのは憧れ』っていうのはたしかにそうだなと。

っていうのはこれね、話し方がすごく難しいんだよ。私もいま、ドキドキしながら話してるんですけど。たとえば、私は大きな病気をしたこともないし、なにかしらの障害があるっていう状態にもなったことがないので非常にそういう意味ではこの話を当事者として話せないんですよ。だからやっぱりすごくいま、あるところはビクビクしながら話している。なんて思われるんだろう?とか、どうしたらいいんだろう?って。だけど、そういう気持ちを抱く・・・でさ、かと言って私がさ、『障害とかも個性ですよね』とかって言うのもすごい・・・仲いい友達ならいいよ。めちゃめちゃ仲いい友達ならいいけど、初対面の人にそれ言ったら、『はあ?あんた、なに言ってんの?』っていう話だし・・・っていうぐらい、やっぱりこう、どう距離感をとっていいのかっていうのがやっぱり私なんかは魂のレベルが低いので(笑)。ウロウロしちゃうわけですよ。

だけど、憧れの恋愛物語として、それをスッとドラマで見てインストールさせたら、『あっ、完全にフラットなものとして見てる!障害ものとして見てない。あっ、なんて気持ちのいい足元のすくわれ方だ』と。すげーなって。だからそのエンターテイメントとして、やっぱりそれを落としていると。世間にワッと、なにかを喚起するつもりじゃなくてやっているっていうのがすごいなと思って。まあ、なんですかね?たとえばさ、これね、さっきも言ったように北川さんがさ、病気をしてるのに、それをおして一生懸命書いていて偉いですねっていう話じゃないんだよ。だって、それはすごいおこがましい話で。

だって私だって『未婚で子どももいないし、結婚もしてないのに、かわいそうなのに頑張ってますね』って言われたら、『ふざけんなよ!』って話になるし。でしょ?でもそれ、いるけどね。そういう人ね。ニヤニヤしてるけどさ。そういう時は。で、なんか『憧れで世界を変える』ってすげーな!って思っていた時に、ちょうど私そのLINEをしてる時、28才の女の子と待ち合わせをしてたんですよ。28ってことは、『オレンジデイズ』。柴咲コウさんと妻夫木さんのドラマ。あれも、主人公の柴咲コウさんが4年くらい前に聴覚を失って・・・っていう青春群像劇だったんですけど。

『これ、絶対見てたな、この子』って思って。ポンって椅子に座った瞬間にその子に『オレンジデイズって見てた?』って言ったら、『ああ!もうあれ、大学ドラマとして私、すっごい見てて。ちょうど受験生だったから、ぜったい大学入ったらああいう素敵な青春群像劇みたいなのをやるんだ!と思って、超憧れて一生懸命受験勉強してたんですよ!』って言われて。『すげー!北川悦吏子、すげー!』って思って。『本当に憧れで世界変えてる!この人、受験成功してるし!』って思って。『第一志望の学校、入れてるし!』って思って。で、ジワーンときて、まあそういうことを北川さんに伝えたりして。

まあまあ、とにかく私が偏見があったのが悪いね。どうせ違う世界の人でしょ?みたいなね、感じに思っていたんですけど。そんなことはぜんぜんない。やっぱりあれですね。大衆の心を1回がっしり掴んだ人っていうのの話は聞くとなにかしら感銘を受けることがあるなっていうのを再確認したのと、まああの、いらん偏見を持っていると、やっぱり正しい情報にたどり着けんなっていう自省?自省心と、あとやっぱり作り手としての矜持ね。なにかを押し付けるわけでもなく、自分が当事者であるという問題っていうのを世の中に提示する時に、違うやり方があるんだよっていうことをやっぱり教えてくれる。

いやー、最近映画とかも撮ってらっしゃるんですよ。北川さん。っていうかさ、それがさ、またミポリン主演でさ。私、見てないんで本当申し訳ないんですけど。ミポリン主演でオールパリロケとかって。それ・・・あ、もうまた・・・また、めちゃめちゃあれでしょ?おしゃれな人たちの。『新しい靴を買わなくちゃ』。靴?ニッセンで買ってるけど?みたいなさ、感じの・・・そういう偏見、よくないな!っていう(笑)。そういうのをね、やっぱり見習わなきゃ・・・見習わなきゃいけないっていうのもちょっと違う。

で、なんか北川さんが言ってました。『テレビは最近見る人も少なくなっているとかって言うけど、私はテレビの仕事をできるだけ長く続けていきたい』と。『なんでですか?』って聞いたら、『テレビとラジオは病院に届くメディアだから。私はやっぱり入院している時にテレビとかラジオにものすごく助けられたから。そこに届くものっていうのはね、やっていきたいんだよね』って言っていて。はい!私、自覚が足りませんでした!申し訳ありません・・・あ、ちょっと長くなっちゃったね。今日、ちょっとこの話をどうしてもしたくて。相談、あったんだよ。来週に回したから。ちょっと待ってて。この話がしたかったんですよ。伝わったかな?伝わったかな?大丈夫かな?でも・・・北川さん、来てください。ラジオ。あの、いつか絶対この番組に出て代行MCやっていただきたいんで。聞いてらっしゃったら、よろしくお願いします。あの、北川さん、おみそれしました!っていうことで、この曲から。

<書き起こしおわり>

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