プチ鹿島 元巨人助っ人外人 呂明賜の鮮烈デビューを語る

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プチ鹿島さんがTBSラジオ『東京ポッド許可局』の『鮮烈デビュー論』の中で、元巨人軍の助っ人外人、呂明賜選手について熱く語っていました。

プチ鹿島 元巨人助っ人外人 呂明賜の鮮烈デビューを語る

(プチ鹿島)この間さ、後藤真希さんが結婚されましたよね?で、まあ改めて、彼女の半生を僕、思い起こしたんですけども。

(サンキュータツオ)そんなにゴマキ・・・(笑)。

(マキタスポーツ)思い入れあった?

(プチ鹿島)ゴマキが世の中に登場した時、びっくりしませんでした?

(マキタスポーツ)ああ、まあありましたな。

(サンキュータツオ)ASAYANでね。14才?

(プチ鹿島)14才?5才?まあそれぐらいで。で、金髪で。なんだったらいちばんの美形ですよね。それがセンターに入ってくるっていう。この鮮烈デビューすげーな!っていうのをね。

(サンキュータツオ)たしかに。まだ印象残ってるもん。アイドル興味なかったけど、やっぱり覚えてるもん。

(マキタスポーツ)なるほど。だからいちばんさ、外側にいる人まで届くのが鮮烈ってことだな。

(プチ鹿島)だから鮮烈デビューっていうの、やっぱり。その時点で、もうできる人、できない人、当たり前だけどわかれているじゃないですか。

(サンキュータツオ)持っている人っていうか、選ばれた感あるよね。

(プチ鹿島)で、鮮烈デビューがすごい!を語りたいんだけど。なんか、ある?俺、なかなかあれは度肝を抜かれたっていうかね。

(マキタスポーツ)俺たち、それ考えると鮮烈じゃないねえ・・・

(サンキュータツオ)地味ーにね。じわじわ、しらない間になんか・・・

(プチ鹿島)河原で小石をね、ひとつひとつ積み上げて。1回それを蹴飛ばされて。もう1回こう・・・

(マキタ・タツオ)(笑)

(プチ鹿島)そういうことなんです。だからこそ、鮮烈デビューね。ものを見ている立場としても。子どもの頃から。憧れっていうか。そういう人にね、なんかたぶらかされたいっていうの、あったでしょ?思い当たるの、ありません?鮮烈デビュー。

(マキタスポーツ)あります。いいですか?僕、PK(プチ鹿島)さんの得意分野にあえて行きますけど、ルー・ミンスー(呂明賜)ですね。

後藤真希並の呂明賜の衝撃デビュー

(プチ鹿島)言っちゃった、それ。

(サンキュータツオ)えっ、なにそれ?

(プチ鹿島)言っちゃった!

(マキタスポーツ)呂明賜。

(プチ鹿島)ルー・ミンスーこと呂明賜。

(サンキュータツオ)あ、呂明賜ね!呂明賜はなんか残っているわ。俺も。

(マキタスポーツ)あれ、鮮烈だったでしょ?

(サンキュータツオ)たしかに。

(プチ鹿島)いい?まあ、マキタさんにバトン渡すけど。

(マキタ・タツオ)(笑)

(プチ鹿島)そもそも僕は活字から盛り上がっていくのが好きで。だいたい僕、10代のころは週刊プロレス、週刊ゴング。まあ、それプロレス。あと、週刊ベースボール、あとNumber。これをもう。で、Numberのちょっと小ベタの記事で、海外にストーブリーグ情報じゃないけど、そういう・・・野球ファンってプロレスファンもそうだけど、未知の強豪が大好きなんですよ。で、台湾にどうやらめちゃくちゃすごい強肩のキャッチャーがいると。で、巨人がそれを狙っているっていうのを僕、2年前のNumberのちっちゃい記事で。『ええー!そんなキャッチャー見てみたい!』って来たのがルー・ミンスー。呂明賜ですよ。

(サンキュータツオ)そうなんだ!キャッチャーだったの?

(プチ鹿島)キャッチャーだったんです。

(マキタスポーツ)そうだったね。で、PKが言うのは、最初にもうオヤジジャーナルの人だからちゃんと見てたの。俺、見てないから。見てなくて、あれさ、代打だっけ?違った?

(プチ鹿島)いや、ええとね、元々呂明賜が入ってきた時っていうのは外国人枠っていうのがあって、巨人はクロマティとガリクソンっていうのがもう、鉄壁の2トップがいたんです。で、クロマティがヒットを量産して。呂明賜は2軍スタートですよ。だって上にあがれないんですから。

(サンキュータツオ)あ、2人しか入れられなかったんだ。

(プチ鹿島)ところが、クロマティがケガをしたんです。

(マキタスポーツ)ああー!そうか!そういうことだ。

(プチ鹿島)で、あがってきて。だからもう、ファンっていうのは当時プロ野球って娯楽でしたから、巨人の2軍にとんでもない、台湾から来た呂明賜。キャッチャーだったけど、日本に来て出番を増やすために外野手になったんですよ。で、僕ね、2軍のイースタン・リーグの試合、よく地方に回ってきてて。長野なんか当時、イースタン・リーグの巨人戦しか来なかったんですよ。でも、呂明賜が来るっていうんで、僕、父親にせがんで見に行ったんですよ。

(サンキュータツオ)(笑)

(プチ鹿島)そしたらやっぱりもう好事家たち、いるんですよね。もう呂明賜が出てきた時点で。もう長野なんてただでさえ来たものは全部見に行くっていう。そういう環境じゃない。野球にしろ、プロレスにしろ。もう呂明賜が2軍戦なのに拍手で迎えられて。

(サンキュータツオ)ええー!じゃあ結構その時点で噂になってたんだ。

(プチ鹿島)で、その2日後、神宮球場でホームランデビューです。

(マキタスポーツ)神宮!神宮!もう十分ですけど、俺はそういう予備知識が全くなかったから。俺、予備知識ないおじさんだよね。そういうことで言うと。

(プチ鹿島)出会いは突然におじさん。

(サンキュータツオ)鮮烈だよね。余計。

(マキタスポーツ)鮮烈なのよ!ものすごい。だってさ、同じガワは日本人と変わらないのにさ、もうフォームが違うわけ。もうマンガみたいな。アストロ球団みたいな感じの構えでさ。



(プチ鹿島)ガニ股でね、肩いからしてね。

(マキタスポーツ)ガニ股で。こーんないからして。いかにも打つぞ!打つぞ!って構えていたやつが本当に打った。すげーな!とか思って。その後、打球の放物線っていうか、威力みたいなものとかもさ、やっぱり日本人のそれとぜんぜん違うもの見ちゃって。

(プチ鹿島)直線なんだよね。弾丸ライナーなの。

(マキタスポーツ)そう。

(サンキュータツオ)俺、それで言うとホーナーとかの方が・・・

(マキタスポーツ)ボブ・ホーナー!



(プチ鹿島)ホーナーもよかった!

(サンキュータツオ)ホーナーってすごい印象を。

(マキタスポーツ)びっくりしたね、あれ。

(プチ鹿島)ちょっ・・・もう1回呂明賜。あの、ホーナーはまたやるから。

(マキタスポーツ)(笑)

(プチ鹿島)呂明賜のインパクトが本当すごかったのよ。だってそれでホームランを量産して、あの週刊ベースボール、2週連続で表紙取ったのは、当時。呂明賜が初めて。で、夜のヒットスタジオデラックス、あったじゃないですか。あれでとんねるずさんがこう、雨の西麻布かなんかで出て。七夕だったんで、ちょっとしたバラエティーコーナーで『さあ、今日の出演者のみなさん、短冊に願いを』って。で、とんねるずの石橋さんが『呂明賜みたいになりたい』って。

(マキタ・タツオ)おおー!

(プチ鹿島)すべての10代の意見を代弁してくれたんです。それぐらい、まあ、短かったですけど。結局バッティングフォームとかいじらちゃってね。ボブ・サップにちょっと似てるんですよね。もっと率を残すためにバッティングフォームをまともに変えたら、逆にもうおかしくなっちゃって。

(マキタスポーツ)そうか。パ・リーグとかの他の球団とか行ってりゃ、もっとすごいことになってたかもね。

(サンキュータツオ)南海とか行ってればよかったんだよ。

(プチ鹿島)ただ、あのインパクトがやっぱり当時巨人戦、20%だったからこそ、あれだけのことになったっていうのもあるんですけど。

(サンキュータツオ)たしかにそうだ。あれ、巨人だからだわ。

(マキタスポーツ)すごかったよ。とにかく未知の強豪感っていうかさ、たしかにPKの言う通りだったわ。鮮烈だったねー。

(プチ鹿島)だから俺、うれしかったよね。イースタン・リーグで初めて見に行った2日後に。だから当時高校生ぐらいでしたから。勉強しながらラジオですよ、だから。スカパーとかないですからね。

(サンキュータツオ)一昨日見た奴が。

(プチ鹿島)で、呂明賜。わくわくしながら。で、第一打席でホームラン打って。俺、慌てて2階からダダダダダッ!って。『お母さん、お母さん!呂明賜がホームラン打った!』って。

(サンキュータツオ)お母さんに言っちゃった(笑)。思わず。

(プチ鹿島)そういう時、ないですか?もう高校生だからそんなに、親とは話したくないんですけど。もう勢い余って。『お母さん、呂明賜がホームラン打った!』っつって。

(サンキュータツオ)(笑)。鹿島さん、結構いい年だったんですね。お母さんに言っちゃったんだ(笑)。

(プチ鹿島)当時、だからtwitterないから。

(サンキュータツオ)(笑)。そっか。twitterあったら、そうだよね。お母さんに言わないもんね。そうだよね。

(マキタスポーツ)(笑)

(プチ鹿島)だから、ここお母さんっていうのがポイントですよ。初回ですから、まだ6時過ぎなんですよ。お父さんはまだ、帰ってきてない。

(サンキュータツオ)そうか!

(マキタスポーツ)たまらず、つぶやいちゃった。

(プチ鹿島)そう。たまらずつぶやいちゃった。。今でも思い出すもん。2階からドドドドドッ!って走って行って。『お母さん、呂明賜が!一昨日見た呂明賜が!』って。『うん』って言ったね、お母さん。

(サンキュータツオ)『うん』って言ったんだ(笑)。

(プチ鹿島)『よかったじゃん。いいの見たね』って。で、また2階に戻って。

(サンキュータツオ)お母さん、優しい。

(マキタスポーツ)言った後に自分で顔真っ赤になっちゃうみたいな。いいですね。

(プチ鹿島)そういう、言わざるを得ない時ってないですか?なんで俺、この人に話してるんだろう?みたいな。呂明賜、覚えてないですか?タツオ。

(サンキュータツオ)いや、覚えてるよ。呂明賜・ホーナーはすごい覚えているよ。

(プチ鹿島)80年代中盤です。呂明賜は88年か。

(マキタスポーツ)88年?そうか、俺まだギリギリ高校生だったかな?

(サンキュータツオ)88年。

(プチ鹿島)ソウルオリンピックの年です。呂明賜を一夏楽しんで、秋、ソウルオリンピックを楽しんだっていう。だから昭和最後の年。実質。昭和63年とかでしょ?

(サンキュータツオ)でも、わくわくしただろうね。

<書き起こしおわり>