オードリー若林 爆笑問題・太田の『だが、情熱はある』トークでショックだったことを語る

東野幸治と山里亮太 ドラマ『だが、情熱はある』を語る オードリーのオールナイトニッポン

オードリー若林さんが2023年5月20日放送のニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で爆笑問題・太田さんがドラマ『だが、情熱はある』について言及していたことを紹介。嬉しかったのと同時に、ショックだったことについて話していました。

(若林正恭)そういえばドラマ『だが、情熱はある』をさ、爆笑問題さんがラジオでさ、すごい太田さんがしゃべってくれて。まあ田中さんは確実に見てなさそうだったけど。

(春日俊彰)フハハハハハハハハッ!

(若林正恭)それは全然……でも、めちゃくちゃありがたくてさ。あれさ、爆笑問題さんと海砂利水魚さん。当時ね。

(春日俊彰)くりぃむしちゅーさんね。

(若林正恭)これ、すごかったよな。2組の人気が、学校で。

(春日俊彰)すごかったよ。ボキャブラのあたりで。

(若林正恭)でも春日は、こんなこと言うのはあれだけど。吉本寄りだったよな?

(春日俊彰)どういうことよ? 「寄り」って?

(若林正恭)ナイナイさんとか、すごい好きだったよな?

(春日俊彰)まあまあ、そうだね。まあ、吉本寄りだったね。

(若林正恭)やっぱりナイナイさん? 高校生の時、一番は。

(春日俊彰)ダウンタウンさんとか、そりゃあね。もう本当にレジェンドというか、あれだけども。まあ、そうだね。ラジオでやっぱりナイナイさんとか、聞いてたからね。

(若林正恭)俺は爆笑問題さんと海砂利水魚のラジオ、聞いてたんだよ。あれ、俺は何歳ぐらいだったんだろう? 夜に家を抜け出して、あの当時さ、吉祥寺とかの古本屋ってさ、朝5時とかまでやってるところ、あったよな。あれ、なんだったんだろうな?

(春日俊彰)あったあった。井ノ頭通り沿いのところとか。

(若林正恭)それで夜、家を抜け出してチャリでさ、吉祥寺の古本屋に行って本を物色するのが俺の高校時代の楽しみだったんだよ。それであれ、高1か高2か高3か、忘れたけど。本を物色していたのよ。で、片っ端から立ち読みしていくわけだけども。そしたらその時、店内に俺しかいなかったと思う。それで爆笑問題のラジオが流れていて。あの時、面白さに電流が走ったね。

(春日俊彰)ああ、それではじめて聞いたの?

古本屋で聞いた爆笑問題のラジオで衝撃を受ける

(若林正恭)「なんだ、これは?」って。あの時、どこの局のラジオだったんだろうな?

(春日俊彰)ああ、TBSじゃなくて?

(若林正恭)TBSじゃなくて。

(春日俊彰)96年とか?

(若林正恭)じゃあ、TBSだったのか。

(春日俊彰)TBSじゃない? 95年、6年ぐらいでしょう?

(若林正恭)海砂利水魚さんはUP’Sっていうのをやっていたんじゃないかな?

(春日俊彰)ああ、文化放送?

(若林正恭)文化放送か。あれ、聞いてたなー。海砂利水魚さんのは、テープに録っていたのよ。それで、何度も爆笑さんにも話してるんだけど。どうしても海砂利さんと爆笑問題の漫才が見たいって、春日に豊島公会堂の『ギャグコレクション』のライブを、アメフト部のね。

(春日俊彰)その部活終わりにね、学校から、日大二高前から関東バスに乗って。中村橋に行って。それで池袋線でね、豊島公会堂。

(若林正恭)びっくりしたよ。もう太田さん、噛みたおしていたら。トリで。俺、太田さんの本とか、すごい読んでて。海砂利杉さんの漫才も見れて。やっぱり正直、そういう話になっちゃうけど。別にエモくするつもりじゃないけど、すごい嬉しかったんだよ。そのドラマで「オードリーの売れる前は知らないからさ」って話をしていて。

(春日俊彰)高校とか、学生時代なんか特にね。

(若林正恭)そしたらなんか、話を聞いてたんだけど。太田さんがもう頻繁に俺の名前を忘れるんだよね。

(春日俊彰)ええっ?

(若林正恭)「あの、山里と、ええと……」っつっていて。田中さんが「若林」「若林が……」って。3回ぐらいあって。

(春日俊彰)嘘でしょう? そんな……ええっ?

3回ぐらい「若林」という名前が出てこなかった

(若林正恭)めっちゃショックだった。で、爆笑さんのラジオって聞いてると、ものとか名前のが出てこない時って、頻繁にあるんだよ。まあ、俺らも増えてきたけど。俺の名前、3回は忘れていたよ。「あの、山里と、あの……」って。で、田中さんが「若林」って言って。「ああ、若林がさ……」っつって。田中さんも優しいから。「忘れるな!」みたいには突っ込まない。

(春日俊彰)はいはい。ちょっと出てこないぐらいの感じの(笑)。

(若林正恭)あれ、すごいショックだった。「若林って、そうだったんだ。ショーパブでさ、アメフトとか着てやっているんだけども。でも、気持ちもわかるじゃん?」ってしゃべってくれて。で、「山里と、あの……」って。フハハハハハハハハッ!

(春日俊彰)まあ、残念だね(笑)。まあまあ、そうだよね。

(若林正恭)でもさ、めちゃくちゃ好きだったよな。高校生の時、好きな芸人さんっていうので。すごい好きだったよな。

(春日俊彰)いや、そうだね。見ていたもん。一番見てたかもしれない。お笑い番組、ネタ番組とかを。

(若林正恭)ああ、そうだね。春日さ、全部の番組見ていたよね? 全部のバラエティ。

(春日俊彰)まあ、そうだね。やっぱり逃したくないと思ってたからね。で、ほら。今みたいに2番組同時録画とか、できないからさ。そのやりくりが……VHSのビデオに録ったりとか。「こっちはビデオに録って、こっちは見て」とか。で、ラジオも聞かなきゃいけないし、みたいな。忙しかったな! アメフトもやってたし。忙しかったな。あの時な。

(若林正恭)で、自分の部屋にテレビがあったんだよね。それが、いいよな。

(春日俊彰)そうなんだよ。「このラジオはカセットに録って」とか。スケジュールを組むのが大変だったな。あの頃ね。

(若林正恭)そうだよね。でもすごい名前を忘れていたな。でも、たまにたまに言われるんだよな。「春日が若林っぽくて、若林が春日っぽいんだよな」って。よくわかんないけど。

(春日俊彰)よくわかんないよね。それね(笑)。

(若林正恭)でもね、ネプチューンさんに会った時に……ネプチューンさんも出ていたじゃん。あの豊島公会堂、コントで。「見に行っていたんですよ」って言ったら「えっ、ギャグコレ? 来てたの?」みたいな。すごい泰造さん、言ってくれたよ? やっぱりそういうライブなんじゃないの? 「あれに来てたの?」みたいな。

(春日俊彰)だからあの時、本当にボキャブラとか……それこそU-turnさんとかさ、Take2さんとかさ。みんな……。

(若林正恭)だから俺と春日がお笑いを始めようとしたのが4月で。だからNSCとかが締め切って、始まる時期だったからケイダッシュとか、受けたけど。それには、やっぱりちょっと爆笑問題さんとかさ、くりぃむさんとかが吉本じゃないっていうのもちょっと、頭にあるんだろうね。俺たちも、子供ながらに。

(春日俊彰)「吉本以外にもあるんだ」みたいな。

(若林正恭)よく目撃するしね。GAHAHAキングで、それを。いや、嬉しかったけど同時にショックだったな。名前が出てこなかったのは。

<書き起こしおわり>

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