伊集院光『Oh!デカナイト』と内海ゆたおを語る

伊集院光 次にやりたいラジオを語る ザ・ラジオショー

伊集院光さんが2022年7月14日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。ニッポン放送でかつて担当していた番組『Oh!デカナイト』と、その番組の前任者だった内海ゆたおさんについて、話していました。

(塙宣之)僕が中学生の時に一番最初に……うち、親が「夜9時以降はテレビ見ちゃいけない」って言うような家だったんですよ。そうすると、やっぱりラジオを聞くってことになったんですね。それで『Oh!デカナイト』を中学生の時に聞いて。もう本当にネットもないから、この伊集院光さんという人がまず、どういう人なのか?って……。

(伊集院光)わかんないんだよね! 謎の人だもんね。

(塙宣之)謎の人で。それでずっと聞いてて。で、なんかすっごく覚えてるのが金子信雄の楽しい夕食のコーナーで。なんか金子信雄さんのことをそこで知ったりとか。そういうのとか……。

(伊集院光)すげえ偶然でちょっと震えるのは、金子信雄の楽しい夕食コーナーという、金子信雄さんが若い頃の東ちづるさんと組んで、料理番組をやっていたんだけども。途中でお酒を飲み始めちゃうし。何本撮りかで途中でベロベロになっちゃうんだよね。金子信雄さんって元々、『仁義なき戦い』とか出てる人だから変な感じなんだけど。その人をいじったんだけど。それが「面白い」って言い出したのは、笑組の内海ゆたおくんっていう。だから、君の苦手な直属の先輩なんですよ。

(塙宣之)「苦手」って言わないでくださいよ!

(伊集院光)今日、絶対聞いてるよ?

(塙宣之)速攻、LINE来ますからね。そうですか。

(伊集院光)そうなんですよ。マセキ芸能社の、僕とほぼ同い年の。あいつ、1個下かな? しかも僕よりも彼の方が先にラジオを始めたっていう。それが「金子信雄って面白いんだよ」って言っていて、それを取り上げて、結構評判になって。

(塙宣之)要するに『内海ゆたおの夜はドッカーン!』がいろいろ、プレッシャーがあって……。

(伊集院光)俺ね、だからね、ゆたが聞いてるかどうか……まあ、聞いてないこととしてしゃべりますけども。ええと、どこから説明すればいいかな? 『三宅裕司のヤングパラダイス』っていうお化け番組があって。もうニッポン放送を支えている番組があったの。で、いよいよ三宅裕司さんがそれをやめます。舞台の活動をもっとしたいですってことになって、その後釜のオーディションがあった時に俺、正直「絶対に俺だ」って思っていたの。その局内の評判も、僕はオールナイトニッポンの2部。今はなんていうんだろう? 3時からの枠。そこで名を上げていたから。「絶対に伊集院だ」ってみんな言ってたの。そしたら、これも面白くて。今、その名前が出ているゆたおくんっていうのは漫才師ないけど。内海桂子師匠のお弟子さん?

(土屋伸之)桂子・好江の。

(伊集院光)桂子・好江のお弟子さんで。僕は三遊亭円楽……当時は楽太郎の弟子で。演芸場で会っては「兄さん、兄さん」って言われてて。で、俺は地元の後輩でもあるの。お姉ちゃんと同じ高校だし。唯一仲が良かった芸人なの。

(土屋伸之)先にお弟子さん同士で、寄席で会っていたんだ。

当時唯一、仲が良かった芸人だった

(伊集院光)で、ゆたおくんは実はあの当時珍しくて。「メディアにはそんなに出たくなくて。板の上でやる芸人になりたいんだ」っていつも言ってて。で、俺のことを褒めてくれるわけ。「このラジオ、面白いから。兄さんはどんどん売れるよ」って言われてるのに、オーディションをやったら向こうが勝つのよ。それで俺の一番ほしかった番組をゆたおがやるわけ。で、ゆたおはもう毎日のように「僕はラジオに出たかったわけじゃない」って。まあ「あたしは」って言うんだけども。「あたしはね、もうラジオとか、ああいう派手やかなところに行きたかったわけじゃないですから。どうやったらいいか、わかんない」って相談に来るんだけども。俺、素直にその相談に乗れないのよ。

(土屋伸之)うわー、なるほど……。

(伊集院光)だって俺、負けてるから。「お前、俺に勝ってるのになんで俺に聞くんだよ?」ってなっちゃうのよ。で、そのうちにゆたおがそのプレッシャーで……また、そのニッポン放送の看板番組をいきなり背負うから、その重圧でキツくて。びっくり。「人間ってこうなるんだ」と思ったのが、たまたま何かの日で、平日だけども。ゆたおのその『夜はドッカーン!』っていう番組がお休みっていう日。夜10時から始まる番組なんだけども、9時50分ぐらいにゆたおと一緒にいて。「見てて」って言うわけ。

そしたら10時の時報とともに、じんましんが出るのよ。人間の体ってそんな風になっているんだって。そのプレッシャーがもう頂点を超えたら、そうなるんだって。そのゆたおが本当に……俺、思うんだけど。あそこでああいう出方をしなかったら、ゆたおの夢の方ではもっともっと。今よりももっともっと有名だった気がするんだけど。「こんなもんなんだな、人生って」って思って。で、ゆたおがうまくいかなかったその1年かな? そのおかげで正直、僕はノープレッシャーでできたの。

(土屋伸之)ああ、なるほど。

(伊集院光)「三宅裕司の後だ」ではないの。「伊集院が立て直しに満を持して来ました」みたいなことにしてもらったから、すごい楽になって。そんな思い出。あの番組は。

(土屋伸之)すごいいい話っすね。

(伊集院光)これ、映画化したい。

(塙宣之)まあ、要するに目線としてはね、そういうゆたさんの目線でも。なんかすごい映画にもなりそうな……。

(土屋伸之)それって、ゆたさんに直接、話したことってあるんですか?

(伊集院光)いやー、ないかも。ないかもしれないな。だって。たぶんそれでほぼあの時期のオーディションに僕が負けて……っていう、あのぐちゃぐちゃってした関係の中で、ほぼ関係性がなくなっちゃったからな。で、当時のニッポン放送って、こんなにポップな感じじゃなくて。建物はポップ。フジサンケイグループだから。だけど、なんかそのディレクター同士が自分の見つけてきたパーソナリティーで代理戦争をするっていう感じだったの。今、松島さんって戻ったんだよね? で、松島さん、安岡さんっていう二大ディレクターがいて。俺は安岡さんが俺を育ててくれて。松島さんはゆたおを育てるっていう形になって。だからもうなんかそこで代理戦争の者同士がしゃべれる感じでもないし。あれからほぼゆたおに会ってないんですね。

(土屋伸之)でも30年越しで今、ちょっとゆたさんが聞いてたら、マジで泣いてるかもしれないですね。

(伊集院光)あいつがもし聞いてたら「そんな小さいことで?」って思うかもしれないけど。当時、スーパーファミコンが発売されていて。今で言うと、ラジオのあのヤングタイムのパーソナリティーはインフルエンサーみたいなものだから。任天堂とかも、もちろんニッポン放送も強い局だから。いち早く、そのスーパーファミコンをパーソナリティーに渡して。「これでコーナーをやりますよ」っていう。で、ゆたはほとんどゲームとか、興味がない。でも俺はゲームが大好きなの。で、ゆたはやっぱり俺がそれが好きなのを知ってるから。「今、ニッポン放送の番組でスーパーファミコンを早く手に入ったから、うちにやりに来なよ」って言うのね。

それに対して素直に「やりに行く」って言えないんだよね。素直に「うわー、すげえなー!」って……なんかわかんないけど。「なんであいつにスーパーファミコンが!」って、もう小学生かよっていう(笑)。もう20歳も超えてるのに。「あいつにスーパーファミコンがなんで行くんだよ! 俺の家に来るべきスーパーファミコンじゃねえかよ!」って思っていて。で、たしかちゃんと、最終的にはゆたのお母さんもいい人で。行ったと思うんだけども。なんか、その時にやっているスーパーファミコンが俺の中では少し屈辱にまみれてたんだよね。

(塙宣之)なるほどね。

(伊集院光)だから今となっては……もう優しさの塊みたいな人なんだよ。すごい繊細で。まあ後輩の教育なんかは結構厳しいけど。でも、それも優しいからこそでしょう?

(土屋伸之)はい。本当ですよ。

(伊集院光)それがね、なんか青春の話だね。

(塙宣之)いや、青春の話ですよ。だから本当にはじめ、ゆたさんに会った時に、もう見た目も違うじゃないですか。昔の写真と。だから、本当に申し訳ないけど、存じ上げなくて。で、いろいろと「あの人、すごかったんだよ」みたいな。で、漫才のアドバイスはすごいしてくれるし。ネタも書いてくれたりして。で、ゆたさんの家で稽古したこともあったから。後々に調べると「えっ、俺が聞いてた『Oh!デカナイト』の前はゆたさんがやっていたんだ!」みたいな。

(伊集院光)オーディションで勝ったのはあいつなんだよ。体調不良がなければ、あいつの番組なんだよ。

(塙宣之)不思議な縁だなって思って。でも『Oh!デカナイト』ってやっていたの、22ぐらいですよね?

(伊集院光)そうかな? そうだな。20歳からオールナイトをやって。まず最初にたけしさんが辞めるのね。ビートたけしさんがオールナイトを辞める時に、白羽の矢が立つの。それでいて、そのオールナイトの二部ではすごい評判が良かったから「行くぞ!」ってなるんだけど。これ、古田新太さんにオーディションで負けるの。

(塙宣之)古田新太さんがいたんですね。

オールナイトニッポンオーディションで古田新太に負ける

(伊集院光)いたの。それで、負けて。これも運命的で。古田さんに負けたの。それでいて、俺はその時は子供だから全然わかんないんだけど。この時もその安岡・松島戦争で。古田新太さんは松島さんが推していて。で、俺は安岡さんが推すんだけど。チーフディレクタークラスが推すんだけど。結局、古田さんに負けちゃうのね。でも後々でわかったことは、松島さんに言われたんだけど。「下町出身の芸人からっていうピンのしゃべりのコースで。それでたけしさんの後に君が起用されて期待に応えられたと思う?」って聞かれて。

(塙宣之)要するに、同じ足立区とかで。荒川区で……って。

(伊集院光)「だから『関西から劇団畑の新しい人が来たんだ』っていう方が絶対にニッポン放送にとっても君にとってもよかったはずだ」って言われて。で、その後、三宅さんが辞めるっていうから。「俺はこのためにあのオーディションに落ちたんだ」と思うよね。

(塙宣之)またその話に戻ってきて(笑)。

(伊集院光)で、落ちるのよ。落ちた時にゆたがある意味、犠牲になって。体調不良になったっていう時。中途半端な時期にラジオの経験があって、なんとかできる人で……っていうことで。もう人がいないから、この時はオーディションがないのよ。「もうとりあえず、お前が繋いでくれ」っていうことになるの。だから人生、すげえなって今でも思いますね。

<書き起こしおわり>

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