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石橋貴明 野茂英雄との思い出を語る

石橋貴明 野茂英雄との思い出を語る 石橋貴明のGATE7
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石橋貴明さんが2021年6月27日放送のTBSラジオ『日本生命 presents 石橋貴明のGATE7』の中で1990年代の野球界を振り返り。野茂英雄さんとの思い出について話していました。

(石橋貴明)今回は90年代の前半の5年間なんですけども。この90年代の前半で一体、野球界で何があったのか?っていうことで。皆さんとちょっと振り返ってみようと思うんですけども。まあ90年代は一気にここで……80年代もそうでしたけども。この10年のちょうど切り替わる時っていうのは節目なんですね。やっぱり10年が。その90年にまず、近鉄に野茂英雄が入団。驚きましたね。だからその前年、ドラフト会議でたしか8球団が行って。「野茂英雄、野茂英雄、野茂英雄、野茂英雄……」って8球団あって。その数年前ですよね。2年か3年ぐらい前に僕が生まれて初めて野茂英雄と会うんですけども。

プロ入り前に野茂英雄と出会う

(石橋貴明)88年のソウル・オリンピックの前の年だから87年ぐらいですかね? 当時、『オールナイトニッポン』をやっていて。『オールナイトニッポン』に野茂英雄が遊びに来たんですよ。で、僕はその頃、アマチュア球界のピッチャーなんて今みたいにすぐ映像を見れないので。でも新聞で「野茂英雄というピッチャーが村山実ばりのザトペック投法で投げる」ってあって。「えっ、どんな投げ方をするんだろう?」って。映像がないから、なにも分からないわけですよ。

でも、そのことは知っていたので、紹介してもらって。「すごい投げ方をするんでしょう?」「いや、普通ですよ」「でも、あれでしょう? 将来的にはやっぱりプロ、行くんでしょう?」「いや、あんまり興味はないんですけどね」って言っていて。でも、次の日から中南米の方にオールジャパンで遠征に行くっていうから。「じゃあ、今日は東京でゆっくりしてたんだ?」「はい」「今日、何してたの?」「原宿に行って、ねるとんショップでトレーナーを買ってました」って(笑)。

東京に来るんで、その新日鉄堺の野球部の仲間とかが「東京に行ったら原宿でねるとんショップに行ってトレーナーを買ってきてくれ」っつって(笑)。「そんなもん、言ってくれればあげたのに」って。その時に一緒に写真を撮っているんですけども。その時はまだね、俺の方がデカいぐらいですよ。まだ若くて体もまだ華奢で。だからその後にデカくなったなって思って。で、トルネード投法で1年目からバッタバッタと三振を取り。でも、面白いですよね。初めてプロに入ってバッタバッタと三振を取るって。280ぐらい取るんですよね? 287ぐらい取るんですよね?

それで、287の三振を取って、これからずっと奪三振王としてミスターKと言われて。その野茂英雄がプロ野球に入って一番最初に三振を奪ったのがキヨさん(清原和博)ですからね。やっぱこう、なんだろうね? 噛み合っていくんだな。こういう風に。お相撲で言えばさ、かならず大横綱が敗れる時は、その最後に戦った相手が後に相撲界を引っ張っていくみたいな。大鵬を貴ノ花が破り、貴ノ花を千代の富士が破り、その千代の富士を息子の貴乃花にやられて引退するみたいな。あるじゃないですか。

それと一緒で、野茂英雄は最初にキヨさんから三振を取るんですけども。西武戦に先発していきなり、ノーアウト満塁でキヨさんを迎えるんですよ。それで、三振を取るんです。それもまっすぐで。ここがね、なんかこの、名勝負のパ・リーグの巡りあわせのいいところですよね。そしてイチローがプロに入って初めてホームランを打ったのは野茂からですよ。当時、鈴木っていう名前で。でも、言ってた。後にイチローがイチローになってバーン!って世に出てきた時に、初めてホームランを打ったのか野茂英雄投手からであるということで、俺はその時に野茂に聞いたことがあるんだけども。

「イチローと、どうだった?」「ああ、いいバッターでしたよ」って。すごい覚えていた。打たれたの、やっぱり覚えているんだね。いいピッチャーは「ああ、やっぱりこのバッター、出てくるな」っていうのを打たれた瞬間に覚えてるんだね。まあ、そんな中で90年にいきなり野茂英雄が現れ、その後の大活躍は皆さん、ご存知の通りだと思うんですけども。

(中略)

(石橋貴明)では、90年代のベストナインを発表したいと思います。先発投手から。先発投手、野茂英雄。近鉄バファローズ。やっぱりもう野茂さん、90年からね、すごいですよ。奪三振の数たるや、もうずっとトップですもんね。287、287、228、276って。で、最後の94年の時だけ調子悪くてあれだったんですけども。ダメだったんですけども。90年から93年まで4年間。それも最多勝も4年連続ですよね。ちなみに4年連続最多勝ってこの時、金田さんの記録を抜いてプロ野球新記録だったんですよ。この4年連続最多勝の時の使っていたグローブ、僕が持っています。

「野茂、ちょうだい。4年連続最多勝の時のグローブ、ちょうだい」っつって。その時のオフにいきなりミズノのこういうグローブを入れる袋を持って「タカさん」って。野茂、くれたんだよ。ちゃんと坪田さんが作っているの。この間、言いましたよね? 坪田さん。「Buffalos 野茂」って書いてあるやつ。かっこいいですよ。これ、ちょっとお宝(笑)。

まあ、野茂くんはすごいですよね。なんだろうね? 圧巻だったよね。見たことがないもんね。真っすぐとフォークしか投げないんですよ? 球もすごかったですからね。で、食欲も。よくメシを食ったんですけども、ご飯を食べる量たるや、すごかったですよ? 西武戦で完投して、そのまま東京に来るんですよ。それで、「腹、減ってるから。寿司、ちょっともう握っといてください。あと20分ぐらいで着きます」なんつって。で、20貫ぐらい、握っておくんですよ。で、「いただきまーす」っつって食べるんですけど……100貫、食べましたからね。

食欲もすごい野茂

(石橋貴明)100貫ですよ? 100貫デブって話、ありますけど。そこのお寿司屋さん、そんなにシャリ、ちっちゃくないんですよ。結構な大きさの……それを100貫、食べましたからね。目の前で。「うまいです」っつって。あのね、野茂くんはね、基本いつもああいう感じなんですけど。すごい面白い人なんですよ。「うまいです」っつって。それでおんなじ……マシーンのようにこうやって食べるんですよ。

で、酒も飲むんですよ。酒もガバガバ飲んで。「うまいです」っつって。で、その後に何人か……そうね。早稲田に三澤っていう後輩がいて。旧河田町だったから早稲田って近かったのかな? それで、なんか三澤がね、早稲田の外野とか内野のレギュラーのやつを連れて4人ぐらいで来たことがあるんですよ。同じ寿司屋に。で、「君たちさ、大学生で今、一番食えるだろう?」って。彼らが4年生ぐらいの時に。「はい」「この間、ここで近鉄の野茂さんがね、お寿司を100貫食べたんだけど。100貫、お寿司食べられる?」「ああ、大丈夫だと思います」って。

みんな、それぐらいのガタイをしているから。「大学生だったら100貫、食うだろうな」って思って。「じゃあ、食べて」「いただけまーす!」ってなって。それで一番食ったやつで80貫だったもんね。100貫、食えないんだよ。本当、握っていて追いつかないんだから。2人がかりで握っていたんだから。すごいよ? だって、焼肉も食ったことがあるんだけども。ピッチャーって投げた後って普通はあんまり食わないんだって。それが、こんな大皿のカルビをペロッと食ったからね。「うまいっす」っつって(笑)。

それは当時、河田町で一番うまい焼肉屋。ドンキーっていう焼肉屋さん。そこでペロッと食いましたから。もう、食も酒も……あの当時、酒も飲んでいて。完投した日、近鉄は門限とか全くなくて。朝まで飲むんですよ。ずっと同じペースで。朝まで飲んで、もう俺もヘロヘロで。「じゃあ野茂、俺は帰るよ。野茂はどうするの?」「今から二丁目で一杯飲みます」っつって。「まだ飲むんかい!」っつって。すごかったですよ。

それが、その95年にドジャースに行った瞬間、酒を一滴も飲まなくなるっていう。「えっ、野茂。酒、飲まないの?」「はい、飲まないっす」「えっ、なにを飲んでるの?」「カプチーノ」って(笑)。食事の時に今度、カプチーノを飲んでいるんですよ。すごいですよ。95年、行ったなー。ドジャースの試合。よかったなー。気持ちいいんだよなー。そうですよ。それで港さんとかと一緒に見に行って。港さんは会社で無断で行っていて「港がいない! 港がいない!」ってフジテレビ中が大騒ぎになっていたら、スポニチだか日刊スポーツに俺と一緒に港さんが写っていたっていう(笑)。

「港がいた!」

(石橋貴明)それで「港がいた!」っていう(笑)。いい時代ですよね。なんか。会社に黙ってロサンゼルスで野茂の試合を見に行っていたっていうね。90年代、まずはピッチャー、野茂英雄。近鉄バファローズでした。

<書き起こしおわり>

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