石橋貴明さんが2021年6月27日放送のTBSラジオ『日本生命 presents 石橋貴明のGATE7』の中で自身の1990年代を振り返り。『生ダラ』でのアイルトン・セナとのカート対決について話していました。
90年代。とんねるずの生ダラにアイルトン・セナが普通に出ていたのは今考えるととても凄いこと。#ビバ90年代 pic.twitter.com/HSzsOIHVRJ
— おっさんホイホイ!ウェブサイト『ミドルエッジ』 (@middleedge) January 27, 2021
(石橋貴明)そして93年には『生ダラ』のカート対決でアイルトン・セナと対決。懐かしいなー。この頃……青春だったな、俺。セナ、かっこよかったなー。もうね、生涯でブラジルのバラエティ番組に1回と、日本で俺らの番組に1回。セナは2回しか出たことないんだって。スポーツ番組以外は。で、そのブラジルの番組っていうのは当時、付き合ってた彼女が出てたらしくて。それで出たらしいんだけども。セナが来てくれて。セナが番組に出てくれたという話をすると、たぶん1時間に入らないんでちょっとお話できないんですけど、すごい奇跡と奇跡と奇跡が重なり合ってセナに交渉できたんですけど。
奇跡的に実現した対決
(石橋貴明)それで当時、フジテレビでF1をやってたので、日本テレビの『生ダラ』にセナが来るなんて言ったら絶対にフジテレビに潰されてしまうと思って。一切、誰にもしゃべっちゃいけないっていう箝口令の中、セナがあの千葉のサーキット場の来た時はもうね、私はなんでしょうね? 震えましたね。「うわっ、本当に来た!」って。オオイシさんとハイヤーに乗って来たんですよ(笑)。「うわっ、オオイシさん、隣にいる!」みたいな(笑)。すごかったですよ。
もうとにかく、すごく紳士で。いつも陽気なんですけど。僕らに気を使わせないように陽気に振る舞ってくれていたんですけども。ただ、カートの調整をするんですよ。ワイヤーでブレーキとかアクセルの調整をするんですけど、その時の目は怖かったですね。「ワイヤーをもうちょっと出してくれ」っていうので。「More, more, more. OK, stop, stop.」とかって。その時のセナの……カートですよ? カートのセッティングの時、怖かったですね!
そのカート屋さんが来てやってくれるんですけど。そのカート屋さんのおじさん、汗びちょになっていましたね。背中。あまりにも繊細にブレーキとアクセルの調整をするから。で、エンジンも自分でブーン!って。その空気の圧とかも自分とか変えるんですけども。「OK、OK。これでOKだ」って。結構ピリピリしながらセッティングした後にビュン!って走った時の音! こんなにエンジンの音って高い音が出るんだっていう。「ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンッ!」って。全然回転数が落ちないんですよ。
ブレーキをパッとやったらバッてなって。「ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンッ!」って。俺たちは回転数が落ちるから「ブーーーーン……」ってなるんですけども、セナは「ヴァーーン……」ってなってから「ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンッ! ウァーン……ヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンヴァンッ! 」って。あれはね、見たものしかわからないですよね。セナのすごさ。本当に。まあ、少年時代に世界のカート大会で準優勝かな? セナ、カートではワールドチャンピオンにはなれなかったんですよね。
でも、その頃から、少年時代からね素晴らしいドライビングテクニックで。後に音速の貴公子になっていくわけですけども。それが93年でしたね。で、次の年に私、『メジャーリーグ2』で。この『メジャーリーグ2』もオープニングの試写会がロサンゼルスのチャイニーズシアターっていうところでやったんですよ。3月かな? その日とブラジルグランプリが重なっちゃって。セナが「もう一戦、次はブラジルでやろう」って言ってたのに、「この『メジャーリーグ2』の試写会があるから行けないんだよ、セナ」っつって。「じゃあ、わかった。タカ。秋にやろう」って。「秋ね。じゃあもう1回、日本でやろうね」って言っていたら、セナが亡くなっちゃうんですよ。
そのブラジルの後、岡山かな? TIかな? 行って。「タカ、どうしている? 元気なのか?」っつって。「映画で来れなかったのか。そうか。じゃあ秋、楽しみにしているから」って俺、メッセージをもらったの。そうですよ。それで、イモラのサンマリノグランプリで亡くなっちゃった。それがだから90年から94年。最も俺も輝いていた時代ですね。
『生ダラ』アイルトン・セナ VS 石橋貴明
<書き起こしおわり>