町山智浩 映画『ROMA/ローマ』を語る

町山智浩 映画『ROMA/ローマ』を語る たまむすび

町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でアルフォンソ・キュアロン監督の映画『ROMA/ローマ』を紹介していました。

(町山智浩)今日はアカデミー賞……もうそろそろアカデミー賞の季節なんですけども。外国語映画賞で、今回は日本から是枝裕和監督の『万引き家族』が絶対にノミネートされると思うんですけども。それのいちばんの敵になりそうな、アカデミー外国語映画賞の現在最有力候補と言われている映画『ROMA/ローマ』についてお話します。もちろんね、是枝監督を応援するんですが、ちょっと『ROMA/ローマ』は手強いというね(笑)。

(赤江珠緒)いや、よかったですか? 『ROMA/ローマ』。

(町山智浩)よかったですよ。この映画ね、監督はアルフォンソ・キュアロンという人でメキシコ人ですね。で、この映画はメキシコの映画なんですけども。この人はね、『ゼロ・グラビティ』っていう映画で日本でもすごく人気のある人です。

(赤江珠緒)あの、宇宙にね、漂っちゃう。

町山智浩映画解説 『ゼロ・グラビティ』
アメリカ在住の映画評論家 町山智浩さんがTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』で、無重力の世界を描いた映画『ゼロ・グラビティ』について語っていました。 (町山智浩)まあそういったことが背景にあるんですが、今回の映画の方の話に行くとですね、いま...

(町山智浩)そう。宇宙ステーションが事故で吹っ飛んじゃって、女性の宇宙飛行士が宇宙空間で宇宙服だけでサバイバルしなきゃならないっていう1人パニック映画でしたけども。あれとかね、あとは『トゥモロー・ワールド』という映画を撮っていまして。これは子供が突然生まれなくなっちゃうっていう世界なんですよ。

(赤江珠緒)ああ、じゃあ全体にSFっぽいものを撮られている監督ですね。

(町山智浩)そうなんです。だからいままではサイエンス・フィクション系の映画2本で世界的ヒットを飛ばしたキュアロン監督が、今度は自分が育った1970年のメキシコに戻って、子供の頃の思い出を映画化したんですね。それが『ROMA/ローマ』なんですけども。これね、「ローマ」ってイタリアのローマとは関係がないんですね。

(赤江珠緒)あ、違うんですか?

(町山智浩)全然関係ないです、これ。これはメキシコの大都会・メキシコシティの中心部にあるコロニアローマっていう地区があるんですよ。そこで彼が子供の頃に……この人は1961年生まれで僕よりもひとつ上なんですけども。ちょうど9歳から10歳ぐらいの1970年から71年にかけて住んでいて。その時の話なんですよ。で、コロニアローマっていうのはいまね、僕はここに行ったことがあると思うんですけども。メキシコシティに行った時に。おしゃれなカフェとかレストランとかが結構あるようなところで。

(赤江珠緒)へー。

(町山智浩)まあ、いまはすごくおしゃれな街なんですけども。だからこれ、タイトルは『ROMA/ローマ』ってなっているんですけど、日本で言えば『青山』みたいな感じですよ。

(赤江珠緒)ふーん、うんうん。

(町山智浩)で、子供の頃、70年代の青山の思い出みたいなことを映画にしたみたいな話なんですけど。ただ、主人公が彼じゃないんですね。子供の頃の彼は脇役でしか出てこないんですよ。

(赤江珠緒)へー。

(町山智浩)彼の家で彼を育ててくれたお手伝いさんのクレオさんっていう人が主人公なんですよ。で、この映画はいちばん最初に……まあ、結構いいお屋敷で、自動車が入ってくる駐車スペースが敷地内にあるんですけど。そこの床がタイル張りなんですけど、それをそのお手伝いのクレオさんが一生懸命掃除して。飼い犬がそこらじゅうにフンを散らかしているんでその犬のフンを掃除しているところからこの映画は始まるんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)それでですね、ずっとこのクレオさんが掃除をしたり洗濯をしたりご飯を作ったり。で、子供の寝かしつけをして夜、いちばん遅くに寝るまでを……あ、この人は住み込みなんですね。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)そのお手伝いさんの一生懸命働いているのを白黒、モノクロの映像でじっくり見せるっていう映画なんですよ。

(赤江珠緒)じゃあ、古き良き時代の思い出みたいな感じですか?

(町山智浩)そうなんですね。で、日本も昔結構そうだった頃があるんですけど、お手伝いさんでありながら乳母でもある人なんですよね。このクレオさんっていう人は。まだハタチぐらいなんですよ。10代かハタチぐらいなんですね。で、日本だと「ねえや」っていうのがいたんですよ。お金持ちの家には。で、子供をその田舎から奉公に来た貧しい農家の娘さんとかに子育てとかお手伝いを全部任せきりにしていたんですよ。昔、金持ちの人は。あの『赤とんぼ』の歌に出てきますね。

(赤江珠緒)ねえ。「15でねえやは嫁に行き」って。

(町山智浩)だからこのキュアロンさんは子供の頃は自分のお母さんは全然子育てをしなかったので、このクレオさん……本当の名前は全然違う人で、実際の人はリボリアさんっていう人なんですけども。このお手伝いさんを自分のお母さんみたいに思っていて。

(外山惠理)そうかそうか。へー。

(町山智浩)そのお手伝いさんっていうか乳母に捧げた映画なんですよ、これは。で、ちなみにこのキュアロンさんはお父さんがなんと原子物理学者で、原子力委員会で働いていて超エリートなんですよ。

(赤江珠緒)へー! そういう家庭に生まれた方なんだ。

(町山智浩)そうそう。だからほとんど家にいなかったんですね。お父さんは出張で。で、お母さんはいつも機嫌が悪くて、子供にも怒鳴るし、このお手伝いさんにも怒鳴るし、いつも怒っているというね。だからますますお手伝いさんのことばかり好きになっちゃうんですけども。日本も昔、『コメットさん』っていうドラマがあったの、ご存知ないですか?

(赤江珠緒)『コメットさん』。はい。ありましたね。

(外山惠理)聞いたことない。

(町山智浩)あ、知ってる?

(赤江珠緒)私は知っています。

(町山智浩)知ってる? すごいな。僕の子供の頃に流行ったんですよ。そういう話でしたよ。コメットさんってお手伝いさんなんですよ。で、寂しい子たちのお母さんがわりなんですけど、お姉さんのようなお母さんのような人で。で、コメットさんは魔法を使うんですけども。

(赤江珠緒)そうね、コメットさんはね(笑)。

(町山智浩)そういうのがありました。ただ、そういうドラマなんですけど、少しずつ雰囲気がおかしくなってくるんですよ。まず、街を歩いていると街には軍隊とかがいっぱいいて行進したり、武装警察官がウロウロしていたりするんですよ。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)で、学生運動みたいなものがあったりするんですけど。ただ、このドラマ自体はそのキュアロンさんの10歳の頃の記憶から作られているんで、そういう時代背景みたいなものは画面の奥の方にあって、はっきりと画面の前の方には出てこないんですね。

(赤江珠緒)ああ、まだ幼かったんで、そこまではっきりと理解せずにぼんやりと見ていた景色?

(町山智浩)そうそう。だから僕も子供の頃、学生運動がすごくあったんですけども。1968年ぐらいって僕がだから子供だったんですけど。幼稚園ぐらいですよね。でも、街中でしょっちゅう催涙ガスとかが投げられたり、機動隊と激突したり、テレビで安田講堂事件がやっていたりするのは覚えているんですよ。だから背景に引っ込んでいるんですね。そういう時代の政治的な問題が。で、そうやっているうちにそのクレオさんが恋人の子を妊娠をしちゃうんですよ。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)で、その付き合っている彼がなんか「俺はそれどころじゃねえんだ!」みたいな感じなんですよ。恋人が妊娠したのに。でね、竹刀とかを振り回していて。『燃えよドラゴン』っていう映画、見ていますか?

(赤江珠緒)見ています。

(町山智浩)あれでなんかほら、島にいた柔道着を着た人たちが集まって、「オウ、オウ、オウ!」ってやっているじゃないですか。武道の練習をしているじゃないですか。で、このクレオさんの彼氏もなんかね、100人ぐらい集まって整列して、日本語で「ヨロシクオネガイシマス!」とか「アリガトウゴザイマス!」とか言いながら、なんか武道の訓練をしているんですよ。「ハッ! ハッ! ハッ!」とかって。

(赤江珠緒)ええっ?

(町山智浩)なんじゃ、こりゃ?って思うんですけど。それはね、その頃にメキシコにあった「ファルコネス」っていう……日本語に直すと「ハヤブサ団」っていう人たちなんですよ。これはね、その頃にメキシコでもう50年以上、2000年ごろまで続いた長期政権の政権与党でPRIっていう与党があったんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)その与党が育てた政権支持暴力集団なんですよ。

(赤江珠緒)えっ、政権与党側の人たち?

(町山智浩)なんですよ。で、学生運動が高まったり、反政府的な運動が田舎の農村部で起こっていたので、それに対して対抗をするため、軍隊や警察だけじゃなくて貧しい若者たちを集めてご飯を食べさせて。で、暴力集団として日本の空手とかを教えているんですよ。

(赤江珠緒)結構物騒な時代だったんですね。

物騒な時代背景

(町山智浩)物騒な時代なんですよ。で、そのクレオさんの恋人がそうだったんですね。で、これね、見ていてなにも説明がないんですけど、子供の目から見ているから政治とかわからないんですけど。ただ、見ていてどうしてこんなことになってしまったのか? 政権と農村部と学生の対立ってどうして起こっているのか?っていうと、このアルフォンソ・キュアロン監督のお金持ちの一家は全員ね、白人なんですよ。

(赤江珠緒)ふんふん。

(町山智浩)で、働いているお手伝いさんとかその周りで働いている人たち、農民の人たちはみんな、肌の色が赤いというか浅黒いというか。いわゆる先住民の人たちなんですね。で、メキシコというとみんなのイメージとして肌の浅黒い人たちの国だというイメージがあると思うんですよ。

(赤江珠緒)はい。そうですね。

(町山智浩)実際には47%ぐらいは肌の色は白いんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そんなに?

(町山智浩)そうなんですよ。まあ段階差があるんですけど。混血していますから。ただ、その肌の色が白ければ白いほど、お金があるんですよ。上流階級なんですよ。それはどうしてか?っていうと、スペインの人たちがメキシコを占領して植民地にしたましたよね? で、その後に入植した白人たち、スペイン人たちが大農園を作って。そこで先住民の人たちを小作人として働かせて、搾取し続けていたんでまあ、格差が広がっちゃったんですね。経済格差が。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)で、その農園のことをアシエンダって言うんですけども。このキュアロン一家は途中で「おじさんたちのアシエンダに行く」っていうことで行くんですけど、大農園で豪邸で貴族みたいな生活をしているんですよ。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)で、「ああ、そうなんだ。こんなに差があるんだ」ってことがわかるんですね。貴族とそれ以外の人たちみたいな。で、それって全然、あまり聞いたこともないし。

(赤江珠緒)そうですね。そこまでの階層社会だっていうことは。

(町山智浩)人種的な階層社会だったっていうことが。で、それはキュアロン監督も子供の頃、そのことがよくわからなかったらしいんですよ。当たり前だと思っていて。で、その「大人になってからだんだんわかってきた」っていうことを映画にしたらしいんですよ。

(赤江珠緒)ああーっ! じゃあ、キュアロン監督自身は恵まれている側の人だったんだ。

(町山智浩)そうなんですよ。で、この政権与党PRIっていうのはずっと農地が白人たち大地主に独占されているのを接収して再分配して貧しい人たちに配るんだっていうことを掲げていたんですけど、実際には全然それが行われなかったため、進まなかったために農村部であるとか学生たちの不満がすごく高まっていて。で、政府と対立していたんで1968年に政府は人気集めのためにオリンピックをやるんですよ。メキシコオリンピックを。で、70年にもサッカーのワールドカップをやったりして、なんとか人気集めをしようとするですけども、経済格差がどんどん広がっていることには手をつけないものだから、民衆との対立がどんどんひどくなっていって、最終的には大虐殺事件に発展するんですよ。

(赤江珠緒)うわあ……。えっ、大虐殺事件まで?

(町山智浩)はい。反体制の学生たちに対して、さっき言った政権支持の暴力集団ハヤブサ団をぶつけて、120人が死ぬという大惨事に発展していくんですね。で、この映画は最初に静かに日常のホームドラマみたいにして始まっていって、だんだん悲劇に向かって突入していくんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)で、子供たちだから、恐ろしいことに向かっていっているっていうことがわからないわけですよ。ということが、なにもわからないで見ているとすごいショッキングで。そういう点でよくできた映画ですね。これはね、不思議な映画でね。画面がずーっと……先週話した『アリー/スター誕生』っていう映画はカメラが常に主人公たちに非常に近いところにあって。彼らの顔とか表情とかをものすごいクローズアップで映して。彼らの心の中に観客を入れていくような撮り方をしているんですね。

町山智浩 『アリー/スター誕生』を語る
町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で映画『アリー/スター誕生』について話していました。

(赤江珠緒)ねえ。レディ・ガガさんの毛穴まで見えるっていう。

(町山智浩)そうそう。しかもすっぴんなんですけど。それぐらい、主人公たちの心の中に入っていくようなカメラワークをしていたのが『アリー/スター誕生』だったんですけども。この『ROMA/ローマ』っていう映画はね、常に主人公たちから離れてカメラが非常に客観的に、水平に真横にしか動かないんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(外山惠理)一緒に見ているような感じなんですか?

(町山智浩)遠くから見ているような感じ。でね、これは監督のキュアロンさんが言っているのは「過去にタイムスリップした僕が、魂だけなので人に触れなくてただ見ているしかない感じ」っていう風に言っているんですけども。

(赤江珠緒)ああ、為す術なくただただ見つめているというような。

(町山智浩)そうそう。「幽霊みたいになって過去に戻った感じを表現した」っていう風に言っているんですよ。

(赤江珠緒)へー! カメラのカット割りでやっぱり表現する部分って変わってくるんですね。なるほど。

(町山智浩)そう。この映画はカット割りがないんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そうなんだ。

(町山智浩)長回しですごく長くじっくりと主人公たち全員からちょっと離れて、右から左に動き続けるだけなんですよ。カメラは。なんていうか、感情がない感じで。

(赤江珠緒)なるほど。

(町山智浩)ただね、これが大虐殺であるとか大変なクライマックスですごくその客観的な動きが神のような視点になっていくんですよね。これはね、見てみるとわかります。「あっ、このためにこのカメラの動きをやっていたのか!」っていうことがクライマックスともう1ヶ所、エンディングのところでこのカメラの動きを実に上手く使うんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)これは言えないんですけど。いまね、もうNetflixでこれはすでに見れますんで、ぜひ見ていただきたいと思うんですよ。でね、これキュアロン監督は「ハリウッドで超大作映画を作って大ヒットをしているのに、なぜこんな地味な映画を作ったのか?」って言われてインタビューで答えているんですけども。「これは自分のためにやらなければならないことだと思ってやったんだ」って言っているんですよ。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)というのは、「子供の頃、クレオさんのモデルになったお手伝いさんがどれだけ大変なことが実際にあったのか、僕は全然子供だったのでわからなかったんだ。格差もそうだし、差別もそうだし」って。そのお手伝いさんに対して、雇っている側は彼女の名字すら言わないんですね。人だと思っていないからですよ。それで「犬のフンとか片付けといて!」みたいな感じで。「それでどれだけ大変な目にあっていたのか、僕はなにも知らなかった。どれだけ僕たちが白人に生まれてきたことで得をしてきたのか、全然知らなかった。だから本当に申し訳ないという罪の意識で作っているんだ」ってはっきりと言っています。

(赤江珠緒)ええーっ!

(町山智浩)で、もうひとつはお母さんですね。お母さん、この映画の中ではすごく嫌なお母さんなんですよ。「ウンコ、片付けといてね!」とか「あんた、なにやってんのよ!」とか、そんな感じなんですよ。で、子供たちに対してもすごく厳しくて。ギスギスしているんですよ。ただ、その理由が最後の方でわかるんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そうなんだ。

(町山智浩)で、このキュアロン監督は「僕は子供だったからわからなかったんだけど、お母さんも辛かったんだよ」って。だから「お手伝いさん、ごめんなさい。お母さん、ごめんなさい。いま大人になってやっとわかりました。どれだけメキシコで先住民の人や女性が差別されていて、ないがしろにされていたのか、知りませんでした!」っていう映画なんですよ。

(赤江珠緒)ええーっ!

(町山智浩)「お詫びの映画だ」ってはっきりと言っています。

キュアロン監督のお詫びの映画

(赤江珠緒)そうか。あえてそういう歴史のこととかを説明しないで、子供が見たかのように表現していくという映画ですね。

(町山智浩)はい。ただもちろん、彼は大人だからなにがあったかは全部知っている。社会全体になにがあったのか、わかっている立場で。でも、あくまでもそれを背景の方に押しやって。でも、最後の方にその背景が迫ってくるんでけどね。その時代が。

(赤江珠緒)はー!

(町山智浩)で、やっぱり子供だから、自分を育ててくれた母がわりの人とか実際のお母さんとかが1人の女性なんだっていうことがわからないんですね。そういうのがわかると、すごくがっかりしたりするんですよね。子供って。勝手だから。でしょう? 母は母であって、女性だとは思いたくないじゃないですか。子供って。特に男の子はバカだから。ねえ。生々しいから、嫌いなんですよ。そういうの。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)で、母と父が女と男だっていうことも知りたくないんですよね。で、ましてやそのお手伝いさんっていうのは女神様みたいな人なわけなんで。この中では。で、まったく感情とか悲しみを出さない人なんですよ。子供に迷惑をかけたら、心配をかけたらいけないと思うから。このクレオさんは。だから全然わからなかったんですけど、ものすごい悲しみとかを抱えていたんだなっていうことがやっとわかったよ!っていう話なんですよ。

(赤江珠緒)はー!

(町山智浩)で、これね、監督は現在74歳のリボリアさんに徹底的なインタビューをして、全部根掘り葉掘り聞き出して作った話なんで。「90%は事実だ」って言っていますね。

(赤江珠緒)ああ、そうですか。へー!

(町山智浩)徹底したインタビューで、自分が知らなかったという罪を贖うために作った映画だという。

(赤江珠緒)一見、地味で淡々としたものになっていきそうですけど、監督の信念みたいなものが込められているんで、アカデミー賞でも最有力と言われるような作品になっているということですね。

(町山智浩)本当に個人的な彼の気持ちの映画なんですね。でも最後にね、本当にこのクレオさんに後光がさすという奇跡のようなシーンがあるんですよ。このラストシーンのために……。

(外山惠理)でもご本人もちゃんと答えてくださったんですね。監督にね。

(町山智浩)そうなんですよ。このリボリアさんに見せるために作ったって言っているんですね。で、その最後の後光がさすシーンのために、いままでの地味な映像の撮り方が全部そこに集約されているっていうことがわかるというね。まあ、すごい映画なんで。まあ、みんなそうだと思うんですけど。子供の頃のことって全部自分はわかっていないんで、大人になってからね、お父さんとかお母さんに生きているうちに聞いたりしながら。「一体あれは何だったんだろう?」っていうのを全部調査していくと面白いと思いますよ。

(赤江珠緒)そうですね。いろんなわからなかったことの答え合わせがやっと大人になってできるっていうこと、ありますからね。

(町山智浩)そうなんですよ。だからこれ、宿題みたいな映画ですね。キュアロン監督の。

(赤江珠緒)はい。今日ご紹介いただいた『ROMA/ローマ』はNetflixで公開中です。

(町山智浩)はい。いま見れます。

(赤江珠緒)ということで町山さん、また一押しの映画が生まれましたね。

(町山智浩)だから『万引き家族』とどっちが取るか?っていう感じで、難しいですよ。

(赤江珠緒)『万引き家族』のライバルになりそうな映画だそうです。今日は『ROMA/ローマ』を紹介していただきました。町山さん、ありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

<書き起こしおわり>

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