ピエール瀧と日出郎 『たまむすび』ラジオトーク書き起こし

ピエール瀧と日出郎 『たまむすび』ラジオトーク書き起こし たまむすび

日出郎さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。長年の付き合いであるピエール瀧さんと思い出話やバカ話を披露していました。

(外山惠理)今日のゲストはタレントの日出郎さんです。よろしくお願いいたします。

(日出郎)こんにちわ~♪

(ピエール瀧)(日出郎のモノマネで)はい、こんにちわ♪

(日出郎)あら、ちょっと! 来ちゃったわよ~!

(ピエール瀧)(モノマネで)なに来てんのよ~!

(外山惠理)アハハハハハッ!

(日出郎)昼間よ、いま。昼間。瀧。ヤバいよ。

(ピエール瀧)(モノマネで)昼間はキツいわ~!

(日出郎)うちら、夜中しか会ってないからね。

(ピエール瀧)(モノマネで)そうよ。昼間はキツいのよ~!

(外山惠理)アハハハハハッ!

(日出郎)もう、ちょっと! なんでモノマネするんですか?(笑)。

(ピエール瀧)(モノマネで)面白いからに決まってるじゃなーい!

(日出郎)こういう声じゃなかったの、昔は。

(外山惠理)そうなんですか?

(日出郎)そうですよー。

(外山惠理)昔は違ったんですか?

(日出郎)いや、かわいらしい子だったよ。

(ピエール瀧)あらららら。聞きました? 本当に。

(日出郎)なんに対しても怯え。なにも知らないから。いろんなところに連れていきましたけどね。

(ピエール瀧)まあ、ねえ。日出郎さんはだから、90年代にテレビとか出ていましたけども。

(日出郎)あの時はあなた、いくつぐらい? デビュー時でしょう?

(ピエール瀧)デビュー直後だから、23、4才ぐらい?

(日出郎)私、26、7ぐらい。ちょっと上だから。まだ30になっていないからね。お互いに。

(外山惠理)日出郎さんのおかげで、瀧さんはこうなっちゃったんですか?

(日出郎)違うわよ!

(外山・瀧)フハハハハハッ!

(日出郎)もともと生意気だったの!

(ピエール瀧)まあまあ、それはそうですね。

(日出郎)卓球もね、瀧も。もともとこういう子だったけど、一応……この前、面白かったのが、ライブに出たじゃない? で、楽屋でお話をしていたら、瀧は私のことを「日出郎さん」って呼ぶの。で、卓球はいつの間にか「日出郎」なの。もう、いまや石野Pだから。

(ピエール瀧)石野P。そうね。P(プロデューサー)っすからね。『燃える!バルセロナ』でね。

(日出郎)「あれ? 瀧ってさ、日出郎さんのこと『日出郎さん』って呼ぶんだ」って言っていて。「ああ、そうだね」って思って。

(ピエール瀧)うん。あいつがずっと、「お前、さん付けなの? ええーっ?」っつってるから、「いや、ずっとさん付けだよ」って言って。

(日出郎)一応、先輩っていうんですか? 元野球部だからね、やっぱり。立ててくださるわけですよ。卓球はそういうところはね、もうグチャグチャですよ。いきなり。

(外山・瀧)フハハハハハッ!

(日出郎)Pになった途端。

(ピエール瀧)「分け隔てがない」とも言えるけどね。さあ、そんな日出郎さん、プロフィールを紹介していただきましょう。

(外山惠理)プロフィールをね。

(日出郎)紹介して~ん! 紹介してみて~ん!

日出郎・プロフィール紹介

(外山惠理)フフフ(笑)。日出郎さんは京都府舞鶴市出身でいらっしゃいます。1982年、ショーパブ「ギャルソンパブ」でダンサーとしてデビュー。1985年『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でオネエタレントとしてテレビに初出演を話します。現在のオネエバラエティータレントのパイオニアに。1992年、スペイン人アーティスト、チモ・バヨのヒット曲『俺はチモ・バヨ 燃えろバルセロナ』をカバーした『燃えろバルセロナ』で歌手デビューされます。現在は芸能活動の傍ら、新宿二丁目でバーを経営していらっしゃいます。

(ピエール瀧)というね。当時から、お店で働きつつもという感じでしたもんね。

(日出郎)うん。だから、絶対にこの人気が続くわけがないと思っていたので。当時はショーがあるお店だったんですけど。もう、いつでも潰しがきくように、じゃないけども。怖いじゃない? どうなるかわからないから。だから、お店を辞める気はなかったですね。で、いまだにお店をやりながら……っていうのはそういうところがあるのかもしれないね。意外と、石橋を叩いて叩いて……。

(外山惠理)冷静にね、見てらっしゃったんですね。

(ピエール瀧)いちばん意外なのが、京都府舞鶴市出身。京都の人だったっていう。

(日出郎)そうよ。

(ピエール瀧)全然関西弁の感じ、ないっすけどね。

(日出郎)でも、関西弁得意ですよ。

(ピエール瀧)そりゃあそうだろうけど。出ちゃう時、あるの?

(日出郎)あるよ。関西人がいると、やっぱり出ちゃう。

(外山惠理)ああ、話したりすると?

(日出郎)だから「特技:関西弁」って書こうかなっていうぐらい。

(ピエール瀧)フフフ(笑)。

(外山惠理)じゃあずーっと、東京に出てくるまでは?

(日出郎)18才まで、いわゆる舞鶴弁っていうんですけど。京都弁とはちょっと違うんですけども、でもまあ、似たようなもんかな?

(ピエール瀧)そう。日出郎さんのさ、要は京都にいた高校生だったわけでしょう? もともとは。

(日出郎)そうよ。

(ピエール瀧)それが、東京に出てくるきっかけというか。やっぱりダンサーとかそういうものになりたくて出てきたの? それとも、京都でなんかやらかしていられなくなったの?

(日出郎)違うわよ! 全然違う。そういうことでもなくて、大学受験で出てきたの。

(ピエール瀧)大学受験?

(日出郎)大学で。ただ、自分でもう男の子が好きだっていうのはわかっていたから。京都・大阪だとうちの両親が来ちゃうなと。近いから。だから、学校は東京しか受けなかったの。で、東京の大学が受かったので、東京に出てきて。「さあ、新宿二丁目で遊ぶよ~!」とか思っていたら、いちばん最初のアルバイトをしたところが、やっぱり高いところが好きで。京都にないようなビル……住友ビル49階のギャルソンパブっていうところでバイトをしたの。

(ピエール瀧)「高い」っていうのは値段じゃなくて、位置がっていうことね。

(日出郎)そうそう。夜景が見える。そういうところが京都にはなかったんですよ。当時、7階建ての建物が京都にはなかったから。

(ピエール瀧)まあ、新宿のあそこらへんは当時、田舎から来た子にしてみたら衝撃だよね。

(外山惠理)京都ってしかも景観が……っていうのでね。

(日出郎)条例でダメなんですよ。だからないので。だからなるべく高いところで働こうと思ってアルバイトニュースみたいなの、あるじゃない? あれで高層ビル街で探していたんです。そしたら「ギャルソンパブ」って書いてあって、なんか化粧をした、でも女性か男性かわからない人が「募集」ってなっていたんですね。「これはなんなんだろう? なにを募集しているんだろう?」って言ったら、踊り子さん募集だったの。

(ピエール瀧)ああ、じゃあその時はまだ受験生?

(日出郎)受験は終わって大学生。大学は受かって、入学式の後。面接に行ったの。

(ピエール瀧)面接に行って、「ダンサーだ」って言われて。でも、やったことないわけでしょう?

(日出郎)やったことないのよね。で、ラブちゃんっていう先輩がいて。面接の時に「あなた、さあ。男、好きでしょう?」っていきなり言われて。「ええっ? なんでわかるの? 会ったばっかりなのに」って。いまだったらわかりますよ。ゲイかゲイじゃないかは。もう新宿駅ですれ違ってもすぐに分かるんですけども、その時は「なんでわかるんだろう?」って思って。そしたら「人に嘘はつけても、自分には嘘はつけないのよ! 踊りなさい!」って言われて。

(ピエール瀧)フハハハハハッ! 間、すげーすっ飛ばしてる気がするけどね。

(日出郎)いや、本当に。それで「はー!」って思って、もうその4月から踊りだしたの。大学一年の春から。だから、キャンパスに行く前から「1234……」って踊りのお稽古を。

(ピエール瀧)やっていた。逆に言ったら、京都にいた頃に……京都にもそういう眼力のある人入でしょうけども。なんかパッと一瞬で見抜かれたりする感じとか、なんか隠してかなくていいんだっていうような安心感もあったってことなんですか?

(日出郎)ただね、私は隠していなかったから。もう、日出郎という魔物は高校の時からできていて。初恋が叶っているのよ。

(ピエール瀧)へー! いい話。なるほど。

(日出郎)初恋で「好きだ、好きだ」って言っていた子が、中2でペロリン!って食っちゃったの。お付き合いもできちゃったの。小学校の時から好きだった子がね。だから、初恋が叶っているので、もう高校の時にはお化粧して学校に行っていたね。

(ピエール瀧)ああ、そうなの?

(日出郎)だからもう、みんなわかっていた。聖子ちゃんカットで、1時間目から体育があるから、髪型が崩れるの嫌じゃないですか。だから髪の毛を押さえながら走っていたら、「お前、真剣に走れ!」って先生に怒られながらやっていましたねー。

(外山惠理)へー。でも、隠さなくちゃいけないっていう状況じゃなかったんですね。

(ピエール瀧)学ランで聖子ちゃんカット?

(日出郎)そう。

(ピエール瀧)フハハハハハッ! 斬新!

(日出郎)写真に残ってます。

(ピエール瀧)ああ、そうなんだ。へー。でもそこで、ギャルソンパブでダンサーに。そこで働いている時に『元気が出るテレビ』とかの人にスカウトされたの?

(日出郎)そうそう。そこのスタッフさんが業界の人が多くて。しゃべっている時に「お前、面白いからちょっと来い」って。で、行ったらいきなりロケバスに乗せられて。で、野球をやらされたんですけど、パーン!って打っちゃったのね。私。で、どっちに走っていいかわからなかったから、左に走ったのよ。で、「アウト!」って言われたから、「なんでよ!」って言ったら、「それ、三塁だから」って言われて。

(外山惠理)アハハハハハッ!

(日出郎)それがちょっとウケたみたいで。それから単独でどんどんどんどん……っていう風になっちゃって。

(ピエール瀧)そうか。

(日出郎)で、別に私が売れたわけじゃないの。この前も楽屋で言っていたけど。売れたわけじゃないのよ。単純に「じゃあ来週は、ワニと戦います。誰か、出ますか?」って言ったら、みんなは別にそのためにニューハーフになったわけじゃないから。「私はショーできれいな役をやっているから嫌です」「嫌です」って。だから手を上げているのが私だけ、みたいな。「ああ、私やります、やります」みたいな。「次は東尋坊から飛び降ります」「やります、やります」みたいな。最終的には人間大砲までやりましたからね。

(ピエール瀧)人間大砲に詰め込まれて、発射されるっていう(笑)。

最終的には人間大砲まで経験

(日出郎)発射されるっていうのがあったんですよ。ウルトラクイズっていうのが。それを最終的にやったんです。

(外山惠理)すごい! 「嫌だな」っていうのはなかったんですか?

(日出郎)楽しかったですね。

(ピエール瀧)だからいま、本当に若手芸人たちが通っていく登竜門みたいなのは一通りは……。

(日出郎)出川くんがやっているようなやつは一通りやっています。

(外山惠理)フハハハハハッ!

(日出郎)出川くんの前にやっている。

(ピエール瀧)フハハハハハッ! ねえ。まあ、それもあるし当時、なんすかね? オネエ系タレントっていうのをカミングアウトっていうか、もうその看板を背負ってやっている人ってあんまりいなかったもんね。

(日出郎)いないし。なによりも、いじっていい雰囲気がなかったじゃん? やっぱり、大御所ばっかりで。

(ピエール瀧)肩書がついていたりするのもあって。

(日出郎)シャンソン歌手とかさ、映画評論家とかさ、みんないろんな肩書がついているから「オネエ」で売っている人がいなかったんですよ。私は別に他に武器がなかったので、オネエでなんでもやりますよ、みたいな。

(外山惠理)へー!

(日出郎)だから、いまだに忘れないのが電気と一緒にやった川崎チッタ。

(ピエール瀧)ライブでね、ダンサーで出てもらったんですよ。

(日出郎)で、その後にこの人たちは「もう休みなの?」って言ったら「休みです」って言うから。私は「いいな」と思いながら、それが終わって朝方、人間大砲に行くわけですよ。

(ピエール瀧)フハハハハハッ! 大晦日のライブで日出郎さんにバックダンサーをやってもらって。俺たちもいっぱい、もうワチャワチャワチャ!ってライブやって、「じゃあ、おつかれしたー! 日出郎さん、この後どうするんすか?」「私、これからロケに行くのよ」っつって、そのまま車に乗って、海に連れて行かれて正月から大砲で発射されるっていう(笑)。

(日出郎)バーン!って(笑)。それを思い出したの。この前、楽屋で話している時に。

(ピエール瀧)そうね(笑)。「そんなこと、あったわね!」って。

(日出郎)「そういえば、あの日だったわよ!」っていう。

(ピエール瀧)フフフ(笑)。まあでも、その後にバルセロナオリンピックの時にチモ・バヨっていう向こうのアーティストの曲をカバーっていう形で『燃えろバルセロナ』っていう曲でデビュー。

日出郎『燃えろバルセロナ』

(外山惠理)そうか。『燃えろバルセロナ』をさらに今回は卓球さんが『燃える!バルセロナ』でプロデュースしたということですね。

(日出郎)はい。

(ピエール瀧)まさかの平昌オリンピックの年にバルセロナオリンピックの曲をカバーっていうね。

(外山惠理)本当(笑)。

(日出郎)だってTwitterでいきなりさ、「俺、やるよ」って言って。みんな、それをTwitter上で見ていたんですけども。SNS上で。「嘘でしょう? あなた、ちゃんと何を言っているか、わかっている? 大変なことよ、これ」って。でも、本当に早かったですね。2週間で……。

(ピエール瀧)あっという間にできていたっていう。

(日出郎)できていた。ただ私、音楽のことは正直言ってわからないんですよ。だからずーっと正月中、私のスマホが鳴っていて。卓球から毎日音が送られてきて。「どう思う?」って。でも、20本ぐらい来るんですよ。1日に。どう違うかがわからないのよ。わからないの、私は。正直言って。

(ピエール瀧)はいはいはい。

(日出郎)「どう違う?」とも聞けないし。「いいと思う」としか送ってなくて。申し訳なかったなと思って。

(ピエール瀧)いやいや、まあまあでもね、この間外山さんもライブ来てくれて。

(日出郎)あ、来てくれたんだ!

(外山惠理)見させていただきました。

(ピエール瀧)最後のアンコールも見てたんです。外山さん。

(外山惠理)真っ赤で。

(日出郎)ドレスがね。

(外山惠理)素敵でしたよ。

(ピエール瀧)あの後、いろんなSNSやら何やらで「日出郎さん、かわいい!」「妖艶だった!」「きれい!」っていうのを見てうっとりしまくりだったから。

(日出郎)ずーっとリツイート、リツイート。褒められるの大好きだから!

(ピエール瀧)フフフ(笑)。そうなのよ。

(日出郎)趣味「エゴサーチ」だから!

(ピエール瀧)はい(笑)。

(外山惠理)だってきれいだったもん。本当に。

日出郎の趣味「エゴサーチ」

(日出郎)やっぱり遠くから見るときれいに見えるマジックっていうんですか? やっぱり電気グルーヴのライティングはいいね! お客さんに向けてくれているから。

(ピエール瀧)そうそうそう。

(外山惠理)楽しいライブでびっくりしました。はじめて見たんですけども。

(日出郎)はじめてなの?

(外山惠理)そう。はじめてだったんです。感動しちゃったもん。

(日出郎)ピエール瀧は電気グルーヴですからね。音楽家ですから。

(外山惠理)そうなんだなって改めて、途中からなんか思いはじめて。「そうだ、瀧さんってアーティストだったんだ」って思って。「瀧さん、毎週なにやってんだろう?」って思いましたよ、アハハハハハッ!

(ピエール瀧)そうね。毎週毎週ね。

(日出郎)おしゃべりのお上手なおじさんみたいなイメージですけども。

(ピエール瀧)ということでね、今日はね。

(外山惠理)瀧さんとの思い出を。

(ピエール瀧)どれ、いちばんしゃべりたい?

(日出郎)えっ、やっぱりあれかな?

(ピエール瀧)これだよね?

(日出郎)私もそう思う。あの、瀧がよくうちのお店に飲みに来ていたのよ。で、ある時、すんごい酔いつぶれて。で、我を失って。で、もうママちゃんが「日出郎! あんた、瀧ちゃん連れて帰りなさいね!」って言われて。「嘘でしょう?」って思って。で、うちのお店の若い子に、一緒にこうやって担いで。うちのマンションまで連れて帰ったんですよ。で、しょうがないからベッドに寝せて。私はリビングで寝たわけですよ。そしたら朝、ガバッと起きて「ああーっ!」って言うから、「なに?」って思って急いでベッドルームに入って「おはよう」って言ったら、「なんかしたっ!?」って……。

(外山・瀧)フハハハハハッ!

日出郎の家に一泊したピエール瀧

(日出郎)「な、なんかしたー!?」って言うから、「失礼ね!」って。泊めてやって、新宿二丁目からその時に住んでいた池袋までタクシーで乗せていって。で、この巨体を担いで。もうちょっと、半分ぐらいだったかな? 当時痩せていたけども。「なんかした?」じゃなくて「ありがとうございます」でしょう? いちばん最初は。

(外山惠理)酔っ払っていて、ねえ。

(ピエール瀧)だから日出郎さんのお店ね、行くといろんなキャラクターの人がいっぱいいて、楽しいんで。

(日出郎)オカマちゃんがいっぱいいるし。

(ピエール瀧)ほら、オカマの人ってみんな正直じゃないですか。その正直ぶりがすっごい心地よくて、毎回そこに行って飲んでいたんです。で、本当に酔いつぶれちゃって、記憶がないわけじゃないですか。で、ガバッと目を開けたら知らない天井なわけよ。

(日出郎・外山)フフフ(笑)。

(ピエール瀧)知らない天井で、パッと見たら結構大きめなベッドの真ん中に俺、こうやって寝ているわけ。こうやって布団みたいなのをかけてもらって寝ているわけ。で、「あれ? これ、どこだ……?」ってなっていたら、向こうから「あら、瀧ちゃん、起きた?」って。「えええーっ!?」ってなって。

(日出郎)フハハハハハッ!

(ピエール瀧)「嘘でしょう!?」と。「あら、起きたの?」って言われて「うわっ!」ってなって。で、見たらちょっと、軽く寝やすいように余計なものを脱がせてもらっているわけ。すっぽんぽんじゃないですけど、Tシャツにパンツみたいな感じで寝ていたりするわけ。で、パッと見たから、「……やつはやりやがったな?」と。

(日出郎・外山)フハハハハハッ!

(ピエール瀧)「いよいよ禁断の一線に手を出しやがったな!」というので、パッと起きて「なんかした?」って言ったら、「なに言ってののよ、失礼ね!」って(笑)。

(日出郎)泊めてあげたのに!(笑)。

(ピエール瀧)朝ごはんかなんか作ってくれたと思うんだけど。なんだ、こいつ?っていう。

(日出郎)私から言わせれば「ふざけんな」ですよ。言うたら、その時は後輩さんなわけじゃないですか。いまのような、アカデミー賞をとっているようなピエール瀧じゃありませんからね。もうどうなるかわかんないピエール瀧さん。その青年を、どこの誰だかもわからないような人を泊めて。で、ガバッと起きて「なんかやった?」って言われても、「はあ?」みたいな。「ふざけんな!」っていうのはありましたけどね。

(ピエール瀧)いや、俺がもし逆の立場だったら、なんかやったかはわからないけど、寝た時に「まあ、ちょっとこれぐらい……」ってパンツをツルッとやって、「ああ、このサイズね」って見てパッとしまって布団をかけたりするぐらいは。

(日出郎)そうね。しちゃうかなって。

(ピエール瀧)記念じゃない。なんか。それかピーン!って弾くぐらいは。それぐらいはやるかもしれないっていう。そういう、なんでしょうね? 自分基準にした性悪な感じっていうのをたぶん投影しちゃって。「ってことは、なんかやってんな?」って思って。

(外山惠理)アハハハハハッ! 重ね合わせちゃって。

(日出郎)なるほどね。私、意外とそういうことしないんですよ。意外としないんですよ。言う割に。

(ピエール瀧)そう。こんな言い方は合っていないかもしれないけど、意外と紳士なんですよ、だから(笑)。

(外山惠理)だって酔っ払っている人をね、泊めてくださったんですもんね。

(日出郎)運ぶのが大変だった。エレベーターのないマンションだったので。

(ピエール瀧)全く記憶がないんだもん。本当に。酔っ払っちゃっていて。

(日出郎)酔っ払っている人って重いじゃない? もう100%体を任されるから。後輩とがんばって運んだのを覚えてますけどね。あれは驚いたなー。

(外山惠理)そういう時があったんですか。へー!

(ピエール瀧)そうそう。よく、それでお店に行ったりしていて。

(日出郎)あとね、この子はビビッてばっかりなの。

(ピエール瀧)フハハハハハッ!

(日出郎)当時ね、よくクラブにも一緒に行っていたのよ。で、私がお店の時なんかは芝浦のあるクラブなんかでゲイナイトが始まったころで。「ちょっと行こうよ」「行く行く行く!」って。

(ピエール瀧)GOLDとかでね。

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(日出郎)GOLD、GOLD。で、「行こうよ」って行ったら、そこが倉庫を改築してあるから、1階、2階、3階、4階とあるんですけど、4階は怪しげなところなんですよ。で、男性同士で仲睦まじく……。

(ピエール瀧)割と薄暗くなっていて、静かめの音楽がかかっていたりして。みんなでチルアウトルームっていうんですけども、そういう感じのところだったりするわけ。

(日出郎)で、そこに連れて行って。そうすると「ここ、なんですか? ここ、なんですか?」みたいな。でも、大きな声も出せないから。「お尻、触られた!」とか言って。すごいビビッてた。

(外山惠理)フフフ(笑)。

(ピエール瀧)ゲイナイトとかは行くと、享楽的だし音もアッパー系だし。僕もゲイディスコみたいな音楽、結構好きなんです。そういう、フロアとかだと楽しいのもあるんだけど、そういうちょっと上の……「ハッテン場」とまでは言わないですけど、そういう感じのところに来ると。

(日出郎)チュッチュチュッチュしていて。

(ピエール瀧)要はさ、僕はノンケなわけじゃないですか。で、いるお客さんたちはみんな、そういうので楽しもうと思って来ている、同じ趣味を持った人たちなわけじゃないですか。そういう人たちの中にノンケが入ることってどうなのかな?っていうのもちょっとあって。「なんだ、お前? 面白がって来やがって!」ってなったりしないのかな?って。ゲイの人たちが怖いっていうよりも、ノンケがそこに、要は面白半分で行っちゃっているわけじゃないですか。ということが、なんかなと思っていて。

(日出郎)でも、そこで理解を深めてくれればいいと私は思ったんで。だから「一緒に行こう」って4階に連れて行って。「こういう部分もありますよ」って。でも、なるほどなって。そんな人が私のプレゼントしたOバックを穿くようになるとはね!

(ピエール瀧)アハハハハハッ! この間ね。

(外山惠理)あ、そうだったんですか!

(日出郎)そう。私が。

(外山惠理)お二人で、赤と黄色の。

(ピエール瀧)これはね、外山さんが来た次の日の最終日はアンコール、あれで出ていったんです。僕と卓球くん。

(外山惠理)写真だけ、見せてもらいました。卓球さんが上げていたやつ。

日出郎がプレゼントしたOバック

(日出郎)あれ、プレゼントしたんです。

(ピエール瀧)日出郎さんが二丁目で、パンツもそっち系の、ゲイのみなさんが穿くようなパンツがあるんだけど。見ていると、かっこいいわけ。こう、シュッとなっていたりするし。で、「いいね、それ」なんて言っていたら、「じゃあ、プレゼントするわよ!」なんて言ってすぐに買ってきてくれて。

(日出郎)おしゃれなんですよ。すごい。

(ピエール瀧)卓球には赤、僕には黄色っていう。で、僕のやつはお尻のところが丸く開いている、お尻のところが丸々……。

(日出郎)でも、お尻きれいだよね、瀧!

(ピエール瀧)すごい言うよね、この間からね(笑)。

(日出郎)ツルンツルンしてるの! きれいなの!

(ピエール瀧)俺のケツを褒めてくれるの。

(日出郎)もうクイッ!って上げたりしてね。「これはきれいだわ!」って思って。

(ピエール瀧)フハハハハハッ!

(外山惠理)あ、あれ瀧さんのが開くようになっているパンツだったんだ。

(ピエール瀧)っていう。で、ああいうやつってやっぱり機能的というか。という風に作っていたりするから、穿くと「おっ、かっこいいな!」ってなったりとかして。それをプレゼントしてくれて。

(外山惠理)いや、似合ってましたよ。

(ピエール瀧)ああ、そうですか。ありがとうございます。

(外山惠理)お尻がね、ツルンと出ていて。

(日出郎)まさかそれをね、あの時に怖がっていた青年が、もらって喜んで。まさか自分のライブで穿くと思わないじゃない。びっくりしちゃった。

(ピエール瀧)フフフ(笑)。まあね。

(外山惠理)楽しい!

(ピエール瀧)いや、でもこの間久しぶりに一緒に出ましたけど、面白かったですね。ありがとうございます。

(日出郎)本当に。25年ぶりに同じステージを踏めたっていう。

(ピエール瀧)本当に。

(日出郎)なにが感慨深いかっていうと、瀧の番組で『燃えろバルセロナ』を終わらされたんですよ。

(ピエール瀧)昔ね。僕がやっていたCSの番組で日出郎さんをゲストに呼んで。

(日出郎)埋めたのよね。それで「これで私はもう『燃えろバルセロナ』は封印します」ってなっていたら、まさか卓球でゾンビのように復活するとは思わなかったの。

瀧に葬られたものを卓球が復活させる

(ピエール瀧)「思い出は木の下に埋めてお別れしよう。もう『燃えろバルセロナ』はないでしょう」って。で、日出郎さん、短冊のCDを持っていって木の根元に埋めるっていうやつをその番組でやったんだけど、まさかそれが……。

(日出郎)瀧で終わらされたのに、卓球に復活させられるっていう。

(ピエール瀧)フハハハハハッ! 近いところで回っているな!っていう。

(日出郎)また?っていう。

(外山惠理)いま、絶賛配信中ということで。

(ピエール瀧)『燃える!バルセロナ』でございます。

燃える!バルセロナ
Posted with Amakuri at 2018.3.22
日出郎
Sony Music Labels Inc.

(外山惠理)それから、もうひとつ。浅草の東洋館で落語デビューされるんですって?

(日出郎)落語、やりまーす!

(ピエール瀧)そうね。落語っていう。

(日出郎)5月6日、連休のいちばん最後の日ですね。浅草の東洋館で。

(外山惠理)午後6時半開演です。お問い合わせはキングプロダクションまで。

(外山惠理)『燃える!バルセロナ』は4月18日にアナログでもリリースするということで。

(ピエール瀧)これ、なに? どの感じでやるの?

(日出郎)金原亭世之介師匠っていう噺家さんがいて仲良くしていたんですけど。ずーっと「落語やれ、落語やれ」って言われていたんですけど。舞台とかではお芝居もやっていたんで。シェイクスピア劇の『リア王』をやった時に「こんだけの長ゼリフを言えるんだったら、落語できるかもしれないな」って思って。で、やっと今年になってやってみようかなって。

(外山惠理)すごーい!

(日出郎)瀧もやったらいいよ、落語。楽しいと思うよ。

(外山惠理)見たい、見たい!

(ピエール瀧)そうなの?

(日出郎)究極の一人芝居だから。

(外山惠理)ああ、でも高座に座っていても全然違和感ないと思います。

(ピエール瀧)何ページも覚えるんでしょう? でも。

(日出郎)でもね、ページはないから。落語って口立てだから。

(ピエール瀧)なるほどね。まあ、とりあえず興味のある方は5月6日東洋館で。

(日出郎)お願いいたします。

(ピエール瀧)ありがとうございました!

(外山惠理)ゲストはタレントの日出郎さんでした。ありがとうございました。

(日出郎)ありがとうございました!

<書き起こしおわり>

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