みうらじゅんと爆笑問題 マイブーム遍歴を振り返る

爆笑問題・太田光 みうらじゅんのすごさを語る 爆笑問題の日曜サンデー

みうらじゅんさんがTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演。爆笑問題のお二人とこれまでの様々なマイブーム遍歴を振り返っていました。

(田中裕二)ということでね、みうらさんのいわゆるいままでの趣味。マイブームの……

(江藤愛)一覧をね。

(田中裕二)一覧がここにあるんですよ。

(みうらじゅん)忘れていますね。全然。

(田中裕二)いちばん最初が1982から、「Since 1982」ということですけども(笑)。

みうらじゅんと爆笑問題 シンス(Since)概念崩壊問題を語る
みうらじゅんさんがTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演。爆笑問題のお二人とシンス(Since)についてあれこれと話し合っていました。 (江藤愛)では、太田さん、お願いします。 (太田光)「趣味の名は。」! (みうらじゅん)「シ...

(みうらじゅん)ええ。シンス。

(田中裕二)埴輪ブーム!

(みうらじゅん)埴輪ブーム、あった!

(田中裕二)高円寺インドブーム。

高円寺インドブーム

(みうらじゅん)ああ、日本のインドは高円寺っていうブーム、あった。

(田中裕二)高円寺に曼荼羅みたいな店、なかったですか?

(みうらじゅん)ありました。ありました。

(田中裕二)むげん堂か。

(みうらじゅん)仲屋むげん堂。あそこでインドのお香の匂いをかいで、南口かな? 大将っていう焼き鳥屋の前に昔、噴水があって。そこを俺、「ガンジス川」って呼んで。そこに夏、入水して。商店街のシルクロードを通って帰るっていうのが流行ったんですよ。

(太田光)それ、中村雅俊でしょ?(笑)。

(みうらじゅん)中村雅俊。

(田中裕二)『俺たちの旅』。

(みうらじゅん)新宿とあそこのところ、ザバーン! と入ってたでしょ? 高円寺の場合はあれ、一応「ガンジス」って呼んでいたんで。僕、住んでたんですよ。

(太田光)(笑)

(田中裕二)僕もほぼ地元なんで。そうすると、むげん堂のね、新聞みたいなのが……

(みうらじゅん)ああ、フリーペーパー。まだありますよ。

(田中裕二)まだあります? あれが家に届くの。その頃は、「なに、これ?」っていう。

(みうらじゅん)むげん堂通信ね。

(田中裕二)そう。「うん? 今日、ちょっと怖いわ。なんだろう、これ?」っていうね。

(みうらじゅん)買い付けに行ってるんだよね。インドに買い付けの旅の話を書いているんですね。

(田中裕二)そういうのが家に来てた。

(みうらじゅん)あったあった。

(田中裕二)埴輪ブームね。

(みうらじゅん)『おーい! はに丸』っていうのも割と同時期なんですよ。俺、「ハニー」って呼んでいて。埴輪が流行るんじゃないかな? と思って、『ハニーに首ったけ』っていう漫画を書いていたんですよ。

『ハニーに首ったけ』

(太田光)これは仏像につながっていくんですか?

(みうらじゅん)仏像はもう小4でブームが来ていたんで。

(田中裕二)じゃあもう、最初からだったんですね。

(みうらじゅん)だからもう長いんですよ。ブームは。

(田中裕二)フンコロガシブームっていうのが1985年に。

(みうらじゅん)フンコロガシブーム、ありましたね。それはそのまんま東さんよりも前でしたね。全然前にフンコロガシブームがありました。

(太田光)それ、どういうブームなんですか?

(みうらじゅん)フンコロガシのグッズをやっぱり探すっていうところから始まるじゃないですか。出てないんですよ。出てないと、やっぱり俄然ハッスルっていうか、「これは俺がやるべきだ!」っていうのを強く思ったのは覚えていますけども。

(太田光)ヘビのゴムのあれに通じる……

(みうらじゅん)ゴムヘビに通じるやつですね。絶滅種ってやつですよね。

(田中裕二)これね、1987年にピーポくんブームが来るんだけど、これがゆるキャラの?

ピーポくんブーム

(みうらじゅん)そうなんですよ。ピーポくんが堂々と警視庁の前で、「ぼく、ピーポくん」って書いてあって、「誰も知らねえよ!」って思った。いきなり出てきたから。なんかアンテナみたいなのを頭につけて、ネズミなのかなんなのかわからないやつが。で、「これは警視庁に行かなきゃ!」と思って。警視庁まで、子供が小さかったけど無理やり「好きだ」って言わせて連れて行ったら、人形をもらえるから。で、人形をもらって。「これ、ここはどうなっているんですか?」っていろいろあっちに聞いたんだけど……

(太田光)(笑)

(みうらじゅん)「ここの頭のところは情報をキャッチするレーダーです」って言うのよ。真顔で。その人は真顔で言うんですよ。で、「ピーポくんってそもそも何なんですか?」って言ったら、「ピープル&ポリスですよ」って意外な答えだったんですよ。

(田中・太田)(爆笑)

(江藤愛)「ピーポー、ピーポー♪」じゃないんだ!

(みうらじゅん)ないんです。「ピープル&ポリス」なんです! 「知らねえよ、そんなこと!」って思って、ガーン! とブームが来た。そこで、ゆるキャラブームですよ。ゆるいなーって。

(田中裕二)じゃあもう、ピーポくんがいなかったらくまモンだなんだ、もしかしたら生まれていなかったかもしれない。

(みうらじゅん)そうなんです。ピーポくん。

(田中裕二)ふなっしーもいない。

(みうらじゅん)いないと思います。

(太田光)でも、その次。ちょっと物騒ですよ。帝銀事件ブーム。

(田中裕二)これはブームって言っちゃうとあれだけど……

(みうらじゅん)松本清張から来る流れだったんですけどね。清張さんが好きで。

(太田光)『日本の黒い霧』……

松本清張が来る

(みうらじゅん)そうですね。『日本の黒い霧』シリーズから。ちょうどその頃に俺、不倫を始めたんで。

(太田光)(笑)

(江藤愛)えっ? 不倫? 始めた?

(みうらじゅん)うん。不倫をね、始めていたんで。清張が来るんですよ。俺に。

(太田光)(笑)

(田中裕二)来るのね。

(みうらじゅん)うん。後ろを振り向くといっつもね、ベローンって唇が出たやつが覗いているんじゃないか?っていうような、怖いブーム。清張ブームがそこで来たの。高校の時から読んでいたけど、やっぱり不倫をしないと来ないんですよ。清張は。

(田中裕二)本当の意味での清張ブーム。

(みうらじゅん)そんな、妻帯者じゃないと、無理。これは。ようやく来た清張地獄のブーム。

(田中裕二)「俺、その頃に不倫してた」ってなかなか言わないから。

(みうらじゅん)いや、まあそこを説明しないとわからないから。

(田中裕二)桂米朝ブームっていうのは?

(みうらじゅん)ああい、米朝ブーム。好きだった。米朝さんは好きで。僕、声的に「笑福亭だな」って思っていたけども。

(太田光)たしかにガラガラだ(笑)。

(みうらじゅん)やっぱり関西で笑福亭の道を行くか、桂の道を行くかって分かれて。やっぱり進学指導でも聞かれるぐらいだったんですよ。

(田中裕二)聞かれないですよ!

(みうらじゅん)「笑福亭ですか? 桂ですか?」って。「あなたは声がガラガラだから笑福亭でしょ?」って。

(田中裕二)声で判断する(笑)。

(みうらじゅん)でも、米朝さんはすごく良くて。いちばん寝られる人のカセットがほしかったんですよ。ちょっと不眠症だったんで。

(田中裕二)寝るために落語を聞いていたんですか?

(みうらじゅん)うん。ドーパミンっていうのが出るんですよ。声の、なんか気持ちいいやつが。で、米朝さんに後に1回だけお会いしたことがあるんですけど。米朝さんに「すいません。もう本当に、ものすごい寝やすいんですよ」って言ったら、「司馬遼太郎くんも同じことを言うとったわ」って。

(田中裕二)すごいじゃないですか!

(みうらじゅん)「僕の声はすごい寝やすいんだって」って。

(田中裕二)それはじゃあ、すごいね。一歩間違えば怒られるかもしれないもんね。

(みうらじゅん)いや、ギリ。ギリでした。

(田中裕二)ねえ。そうですよ。1991年のヤング巨泉ブームってなんですか?

(太田光)(笑)

ヤング巨泉ブーム

(田中裕二)巨泉ブームじゃないですよ。ヤング巨泉ブームって、なに?

(みうらじゅん)いや、俺は大橋巨泉っていう人の番組とかを見て育ってきたから。「そろそろ、継がないとダメなのかな?」って僕は思ったんですよ。巨泉を継ぐためにはちょっと若いから、やっぱり「ヤング巨泉」っていうのを名乗ってから行って……

(田中裕二)あ、自分がヤング巨泉だと。

(みうらじゅん)もちろん。ヤング巨泉が僕だから。

(田中・太田)(笑)

(太田光)なにを、どういう根拠で(笑)。

(田中裕二)若い頃の巨泉さんがこういう番組をやっていたとか、そういうのじゃなくて、自分がヤング巨泉。

(みうらじゅん)自分もテレビをやって。レギュラーを何回かやっていたんですけど。自分が企画しているんですよ。で、まあそこらへんはヤング巨泉ぶりが発揮できているじゃないですか。

(太田光)わかります、わかります。

(みうらじゅん)で、俺、CS専門で回っていたんで。

(田中裕二)(笑)

(太田光)CS巨泉(笑)。

(みうらじゅん)そう。CS巨泉。そこはほら、自分も企画してるぞ!っていう気概がないと言えないんですよ。そこは。

(太田光)じゃあ結構上から行っていたんですか?

(みうらじゅん)巨泉ですから。

(田中裕二)「おい、タモリ!」みたいな?

(みうらじゅん)いやいや……CSですから。

(田中裕二)見栄張ぐらい?

(みうらじゅん)下は、タージンぐらいですよ。

(田中裕二)タージン(笑)。

(みうらじゅん)それこそ、タージンですよ。

(太田光)よく出てくるね、タージン(笑)。

(みうらじゅん)タージンは「タージ・マハル」から付けているの、知ってます?

(田中裕二)タージ・マハル?

(みうらじゅん)そう。タージ・マハルからタージンって。落研で、なんだっけ? 「地獄家但馬春(じごくや・たじまはる)」だったと思いますよ。もともとの名前が。これ、意外と知られてないですけども。

(太田光)すごい(笑)。ピーポくんぐらいの衝撃ですよ。

(みうらじゅん)衝撃でしょう? そう。タージ・マハルなんですよ。あれは。

(田中裕二)くだらないなー(笑)。

(太田光)巨泉ブームはなんで終わったんですか?

(みうらじゅん)巨泉ブームはたぶん、巨泉さんの歳を超えたんじゃないですかね。俺が、途中で。たぶんそうだと思います。

(太田光)「超えた」って、まだ最近だけどな(笑)。

(田中裕二)大木こだま・ひびきブームって書いてありますけど?

(みうらじゅん)ああ、ありました。いや、東京に来たがらない芸人さんを無理やり連れてくるブームがあったんですよ。俺。それこそ、この間お亡くなりになったテントさんとか。あの人、ものすごい好きで。でも、やっぱり輸入ができない遮断がかかっていたから。それで、吉本の人に言っても、「ああ、あれはちょっと輸入できない」って言われていたのを……

(田中裕二)あれは、なんなんですか? ご本人の感じなの? それとも、芸風なんですか?

(みうらじゅん)とりあえず、楽屋に来ても「ちょっとワシ、コーヒー飲んできてもええかな?」って言って、いなくなっちゃうんですよ。それで、出ないから。まあ、いろいろあったんで、「これは輸入ができない」って吉本も言っていたのを俺が密輸をやっていたわけ。いろんなところで。ラフォーレミュージアムとかで、テントさんのやつを。ダウンタウンもそうでしたよ。いちばん最初は。密輸で。

(田中裕二)あ、密輸で。そうなんだ!

(みうらじゅん)好きだったんですよ。だから、「チッチキチー」より全然前なんですけどね。やっぱり東京で「チッチキチー」だと一発で当たるんですよ。僕のやってきたことはなんだったんだろう?って思うぐらい、一発なんですよね。

(田中裕二)流行語一発でね。

(太田光)トノ&コミ。殿山泰司・田中小実昌(笑)。

殿山泰司&田中小実昌ブーム

(みうらじゅん)殿山泰司と田中小実昌。これ、トノ&コミはすっごい流行っていた。

(田中裕二)トノ&コミブーム。

(太田光)渋いな、これは!

(田中裕二)これ、なんなんですか?

(みうらじゅん)Tシャツを作ってね。田中小実昌と殿山泰司さんの顔が2つ、バーン! と並んでいる大きいTシャツを作って着ているブームです。ええ。主張していこうっていう。

(田中裕二)結構ブームが多いですけど、去っているっていうことですか?

(みうらじゅん)すごい去ってますね。ええ。ほとんどが去っています。

(太田光)飽きやすいんですよね?

(みうらじゅん)いや、飽きてはいないんですけど、やっぱり振り向かないっていうか。もうひとつなんでしょうね。

(太田光)殿山泰司・田中小実昌(笑)。なかなか振り向かないですよね。振り向くでしょうけどね。そのTシャツに関してはね。

(みうらじゅん)Tシャツはすごい。浅草とかで着ていくと、すっごい外人が振り向いてましたけど。

(田中裕二)まあ、一瞬ですもんね。

(みうらじゅん)一瞬です。

(太田光)このエマニエル(坊やを含む)ブームは?(笑)。

(田中裕二)(笑)

エマニエル(坊やを含む)ブーム

(みうらじゅん)エマニエル夫人に関するグッズを集めていた時代があって。となると、イスですよね。籐家具。あの籐のイスに座っていたじゃないですか。初めはエマニエルから入ってるんだけど、最終的に籐家具の結論になっちゃった。

(田中裕二)ああ、籐家具の方に行っちゃった?

(みうらじゅん)そしたら、松崎しげるさんとか谷村新司さんとかいろんな人があの時代にね、なんか意味もなく籐家具に座っているジャケットとか写真とかが出てくるんですよ。

(田中裕二)それは、エマニエル夫人に影響を受けて?

(みうらじゅん)たぶん、僕はもうエマニエルの影響下にあると思って。

(田中裕二)まあ絶対だって、谷村新司なんか好きに決っているもんね。

(みうらじゅん)だから意味もなく、上半身裸で座ってられる男性の方とかもいらっしゃったんで。「あっ、これはキテる!」って思って。その籐家具を全部含めて。まあ、坊やも一応……

(田中裕二)坊やは関係ないでしょ!

(みうらじゅん)まあ、そうだけど、エマニエルだから。しょうがない。それは。

(太田光)(笑)

(田中裕二)いやいやいや……籐家具とエマニエル坊やは絶対に一緒にいないですよ。

(みうらじゅん)いやいや、そこはやっぱり突かれる場合があるから。「じゃあ、エマニエル坊やは集めてないのか?」「ありますよ!」ってスッと出さないと。シングル盤とか買って、ベルトまで買ってね。エマニエル坊やの。子供のベルトがね、すごい売っていて。

(田中裕二)そうなの? エマニエル坊やってそんなグッズとか出てたの?

(みうらじゅん)坊や、すごかったですね。

(田中裕二)ああ、そうなんだ! もうなんのことやら、全くわからないでしょう?

(江藤愛)うん。もう、全く。全くわからない(笑)。

(みうらじゅん)キープ・オン・坊やしてますからね。あの人はね。

(太田光)ずーっと坊や。

(みうらじゅん)坊やです。坊やです。

(太田光)シンス・坊や。

(みうらじゅん)そう! シンス・坊やです。シンス! もう、そうなってくると坊屋三郎とかもほしいんじゃねえか?ってことになってくるんですよ。

(田中裕二)もう、キリがない(笑)。

(太田光)坊屋三郎(笑)。田中小実昌のところに入っちゃいますね。

(みうらじゅん)入っちゃいますね。

(田中裕二)いやー、すごい。青春ノイローゼブーム。

青春ノイローゼブーム

(みうらじゅん)「青春は病気だ」ってことに気がついて。青春ノイローゼっていう病気で。これ、治ってない人がいるでしょ?

(田中裕二)それはいますよね。

(みうらじゅん)さっき予想していた親父バンドとか。あれ、青春ノイローゼっていうね、病気にかかっているんですよ。青春って過ぎ去るものじゃなくて、かかっているやつはずっとかかっているっていうことがわかった病名ですね。

(田中裕二)そうなんだ。

(太田光)ちょいワルなんかも、割とその気はありますよね。

(みうらじゅん)ありますね。病気ですね。あれもね。

(田中裕二)そっか。じゃああの、福澤(朗)さんがずっと卓球をやってて、40いくつにしてまた卓球を復活したっていうのも……

(みうらじゅん)青春ノイローゼです。

(江藤愛)青春時代の思い出を。その時の自分を……っていうことですね。

(田中裕二)そうそうそう。

(太田光)みうらさんは脱却したんですか? だって、『俺たちの旅』に憧れて……

(みうらじゅん)もちろん、憧れました。

(太田光)噴水に入ったんですよね?

(みうらじゅん)噴水に入って。下駄履いたりしてたんで。

(田中裕二)未だに中村雅俊さんなんでしょ?

(みうらじゅん)っていうか、もう最近……去年ぐらいですかね? なんか、男として上がったんですよね。

(太田光)(笑)

男として上がった

(みうらじゅん)僕、上がった瞬間、わかったんですよ。女の人、「上がった」って言うじゃないですか。俺もね、「上がったな」っていう……なんか、ポーン!って音がしたみたいな。まあ、全般ですよね。で、「なんかおかしいな?」って数年思っていたら、上がっていたんですよね。

(田中裕二)ああ、そうですか?

(みうらじゅん)だからまあ、青春も上がっちゃっているから、ないです。いまはもう、美魔女の方に行こうかな?っていう。

(太田光)(笑)

(みうらじゅん)性別がなくなってきたんですよ。お花の服とかも、昔から好きだったんですけど。最近やっぱりあじさいとかああいう花を見ると、小首をかしげて写真を撮るんですよ。俺、なんか。そういうブームもあって。ひょいと花に小首をかしげてブームがあって。それを自撮り棒で撮るっていうブームが、いますごい来ている。上がったからだと思いますよ。

(田中裕二)それは、上がったんだ。

(みうらじゅん)上がったと思いますね。なんか、ギラギラしてないっすよね。

(江藤愛)へー!

(太田光)地獄ブーム(笑)。

地獄ブーム

(みうらじゅん)ああ、地獄ブーム、ありましたよ。これは早かったですから。地獄ブームは。

(田中裕二)地獄絵図みたいな、そういうことですか?

(みうらじゅん)これね、安齋(肇)さんっていう、『空耳アワー』やっている人なんですけど。俺の4つ上なんですけど。いまから10年ぐらい前かな? 飲み屋で……僕、仏像とか好きなんで。まあ、仏教とかも好きなんですけど。真面目な顔をして、飲み屋で「みうらくん、仏像とか好きだけどちょっと聞いていいかな? 地獄って、あるのかな?」って真顔で言われた時に「バカじゃねえか、この人?」って思ったんだけど……まんざら、ないとは限らないから。

(田中裕二)それは、そうですよね。

(みうらじゅん)これはちょっと俺、調べた方がいいと思って。すごい調べたんですよ。

(田中裕二)どうやって調べるの? 地獄があるかないかって。

(みうらじゅん)地獄に関する本ってずいぶん出てますから。『往生要集』っていうのが基本なんすよ。やっぱりその、奈良時代後期、平安時代の頭ぐらいに『往生要集』っていうのが出て。それは、浄土に行く話がメインだったんだけど、それまでにその反対の、「浄土に行きたくなかったらこんなことになるぞ!」っていうところの描写が激しすぎて。それで逆にベストセラーになったの。当時。すごい話題になったっていうのが地獄ブームのハシリね。

(田中裕二)それが我々のイメージする地獄?

(みうらじゅん)そうです。そうです。いろいろ、針の山とかああいうのが。で、いろいろ地獄の中にも分かれている。部屋が分かれていて。で、よく死ぬ前に「おい、地獄で会おうぜ!」とか軽く言うけど、等活地獄と衆合地獄って何十万由旬っていう(距離の)数なんですよ。それは、1由旬が何億年の倍の倍みたいなやつなんですよ。

(田中裕二)じゃあもう、とんでもないですね。

(みうらじゅん)もうとんでもない距離はなれているから、会えないんだけども……俺が全部、いろんな地獄の本を読んだ結論なんですけども。やっぱりあれ、思想がインドから来ているもんで。で、いちばん悪いことって、「象に酒を飲ますこと」って書いてあるんですよ。

(太田光)(笑)

(田中裕二)それがいちばん悪いの? 人を殺すだ、いろいろある中で?

(みうらじゅん)いろいろ、嘘ついたりとかある中で、いっちばん悪いのは象に酒を飲ますのが、いちばん悪い地獄にハマるんですよ。

(田中裕二)うん。

(太田光)(笑)

(みうらじゅん)と、なると、ギリギリで「もう死ぬな」と思ったら、みんなで象に酒を飲ませに行けば同じところで会えるんですよ。そこがわかったの。俺は。

(田中裕二)だけど、象に酒飲ませられないでしょ? なかなか。無理でしょう?

(みうらじゅん)井の頭公園の象も死んじゃったですし。そうなんですよ。

(太田光)そうだ。

(田中裕二)ちょっと、最近のことも聞きたい。たとえば、ボブ・ディラン。

ボブ・ディラン ノーベル文学賞受賞

(みうらじゅん)ノーベル賞。あの人、電話がかかってきた時、「寝ていた」っていうね。でも、受けないかもしれないでしょ?

(田中裕二)連絡が取れないし。授賞式も来るんだか、来ないんだか。おそらく来ないんじゃないか? みたいな。で、ノーベル学会の方が怒っちゃっているから。「冒涜だ!」っつって。「返事もしないとは、何事だ?」って。

(みうらじゅん)ノーベル賞って、取ったらダンスがあるっつーじゃないですか? 英会話と、ダンスがあるんだって。

(太田光)ああ、社交ダンス。パーティーね。

(みうらじゅん)俺、それ聞いた時、「俺も辞退だな」って……

(田中・太田・江藤)(爆笑)

(みうらじゅん)ダンスは上手く踊れないもん。これは俺も、前から思っていた。踊れない。これ。

(田中裕二)そっかー。なるほどね(笑)。

(みうらじゅん)ボブ・ディランですよ。そんなの……

(田中裕二)たしかに、社交ダンスを踊っているのは……

(太田光)あ、ダンスがイヤで、音信不通なんだ。

(みうらじゅん)うん。ノーベルよりもボブ・ディランの方が有名だもん。いまや、有名じゃないですか。で、あっちは爆弾作った人でしょ? こっちは爆弾を排そうとする方じゃないですか。アンチだったから。

(田中裕二)ピコ太郎はどう思っていますか?

(みうらじゅん)いや、俺、割と好きで。

(田中・太田)(笑)

(みうらじゅん)なんなんすかね、あれ? 「ナポー」でしょ? いや、ああいうの、すごい好きなんですよね。すごい好き。なんか気になってしょうがないですね。あれは。ピコ太郎は。

(田中裕二)昔から、やってるんですよ。あんなことばっかり。

(太田光)あいつはノーベル賞、行くでしょうね。取ったら。

(みうらじゅん)ボブ・ディランが辞退したら、ピコ太郎でいいんじゃないですかね。

(田中裕二)そうですよね。たしかにね。

<書き起こしおわり>

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