山本晋也と爆笑問題 日大芸術学部 応援団最強伝説を語る

山本晋也と爆笑問題 日大芸術学部 応援団部最強伝説を語る 爆笑問題の日曜サンデー

山本晋也監督がTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』にゲスト出演。日大芸術学部の後輩にあたる爆笑問題のお二人と、「歴代最強」とも言われた応援団時代の武勇伝などを話していました。

(太田光)いや、緊張しますよね。やっぱり。僕らは。

(田中裕二)まあ、やっぱり日本大学芸術学部の大先輩でございまして。

(太田光)もう伝説ですからね。監督は。

(山本晋也)なにを言ってるんだよ。2人、すごいんですよ。日芸賞っていうのをとっているんですよ。

(太田光)ああ、それをなんか、いただきましたけどね。中退なのに……

(外山惠理)(笑)

(太田光)2人とも。申し訳ない感じで。

(山本晋也)珍しいですよね。僕はね、6年ぐらいかかっているんですよ。

(田中裕二)あ、6年かけて卒業されて。

(山本晋也)だから、その6年がよかったですね。映画人になるために。要するに、ずっとテレビ局とか……

(太田光)でも、ずっとケンカしてたって噂を聞きますけどね。在学中。

(山本晋也)(笑)

(田中裕二)我々ね、大学入ってその頃……まあ、いろんな先輩がいるんですよね。日芸ってやっぱり、有名人がね。

(太田光)意外と体育会系なんですよね。日芸って。

意外と体育会系な日芸

(田中裕二)芸術学部だから、別に文化系の人が多そうなイメージがあるじゃん? ところが、すごく運動部連盟とかは本当に怖いんですよ。なんか。もう体育大学みたいな感じなんですよ。それで、その中でもいちばん怖かったのが、応援団で。しかも、山本晋也監督がいちばん怖いみたいな。そう教えられたんだよ。

(外山惠理)へー!

(山本晋也)(笑)

(太田光)ケンカが強いんだって。とにかく、江古田の街を、他の学生を殴り倒しながら……

(田中裕二)歩いていたって。しかも、小柄じゃないですか。なのに、ものすごいでっかいボディーガードみたいなやつらを子分に引き連れて。それで、もう江古田の街を闊歩していたっていう噂を……

(太田光)闊歩していた。長ランに下駄で。

(外山惠理)ええっ? それは、噂じゃないんですか? 本当なんですか?

(山本晋也)えっ?

(外山惠理)本当のことなんですか?

(山本晋也)うん。まあ、本当は本当。

(田中・太田)(笑)

(太田光)恐ろしい……(笑)。

(山本晋也)あのね、ヤクザにいじめられるんですよね。

(太田光)ええっ?

(山本晋也)要するに、変わった大学で。もう僕が入った1958年ごろでも、なんかカップルが学校で歩いていたり。そういう学校なんですよ。で、そばにね、拓大のコウメイ塾とかっていう寮があったんだよ。で、そこのやつがいっつも門の前を通ると悔しいんだろうね。やっぱりね。外車で来るやつとか、バイクで来るお坊ちゃんがいるから。で、それでね、なんかいじめられたっていうと、すぐに仕返しに行かなくちゃいけなくて……

(太田光)(笑)

(田中裕二)いやいや! いじめられたまんまだったらまだわかるけど、監督はもともとね……

(山本晋也)いや、そのために尊敬されていたわけ。いじめられても、あの人たちがかならず報復してくれるっていう……(笑)。

(太田光)イメージはないけどね。小柄だしね。そんなケンカが強いって……

(田中裕二)ケンカをすごくするような人には思えなかったから。

(山本晋也)いや、チビだからね。ジャンプするだけで。だから、おでこがちょっと骨が出ちゃっているんですよ。

(田中裕二)それは、なんでですか?

(山本晋也)頭突きが得意で。

(太田光)頭突きが得意(笑)。

(田中裕二)それで、背の高い相手を倒していたんですか?

(山本晋也)そうそうそう。

(太田光)恐ろしいなー!

(山本晋也)恐ろしいって、それしかないじゃない(笑)。こんなチビがどうやって……

(太田光)だから、ケンカする必要ないじゃないですか!

(田中裕二)ケンカしないで、なんか上手く立ち回るとかならわかるけど。

(山本晋也)いや、だってカップルの子たちがさ、いじめられたって泣いているわけだよ。「なんで泣いているんだ、あれ?」って。したら、「拓大にいじめられた」って。

(太田光)「拓大にいじめられた」(笑)。

(外山惠理)全然知らない人たちのために、仕返しに?

(山本晋也)そう。要するに日芸っていう学園は実にのどかで、学校らしくないんですよ。それが憧れで僕は入ったんですよ。だから、そこでね、同じ家族みたいなもんだから。

(外山惠理)だから、そういう雰囲気があるんだ。TBSラジオにもね、日大芸術学部の人たち、多いんですよ。で、つながりがなんかすごい密だから。

(山本晋也)変なあんまり先輩・後輩っていうんじゃなくて。なんとなく。そういう校風?

(太田光)たしかにね。その伝統はだから、山本監督からずーっと我々の世代まで、応援団っていうのはだから、まあ怖かったね。

(田中裕二)怖かった。だから、俺はね、普通の都立高校の男女共学の本当に制服もないような自由なところから入ったんですよ。しかも、いかにもそういう学校だと思って入ったわけですよ。

(太田光)チャラチャラしたね。

(田中裕二)なんか高校の続きみたいな感覚でいて。したら、1年生っていうのは5月にすぐ体育祭を。運動会みたいなのをやるから。で、そこで応援団を募るんですね。で、高校の時の応援団っていうのはあんまりバンカラでワーッ!っていうよりも、もっと男女で楽しくダンスをしたりとか、そういう感じの軟弱なやつだったから。たぶん、ここもそういうやつだと思って「やるやるやる!」なんつって気軽に入ったら……とんでもないんですよ。

(太田光)まあ、本格的だったよね。

(田中裕二)「お前、昭和何年だよ?」みたいな世界が、急に! 急になるの。

(太田光)こいつ、こんな襟の高い学ランして、オールバックにして(笑)。「日大節!」って、こうやって(笑)。

(田中裕二)学ランとか着たくないから来たのに、学ランで、下駄履いて、髪の毛オールバックにポマードを塗って。「日大節っ!」とかやるわけよ。「ここーはかんだーかっ!」なんて。「こんな世界なの?」なんて、入ったことを公開するんだけど、もう怖くて辞められないわけ。

(太田光)そうそう(笑)。辞めると鉄拳制裁が。

(田中裕二)先輩とかOBが超怖いわけ。その直前まで楽しく優しかった先輩が、その時期になると人が変わったように、その時だけなんちゃって応援団になっちゃうから。すごい怖いの。その時だけ。そしたら、それこそ空手部の怖い人とか、どんどん出てきて。どこにいたのか知らない、怖い人が出てきて。「コラァ!」とかって始まるから、もうビビッて辞められないわけ。それで、俺、怖いから一生懸命やるじゃない? で、一生懸命やっていたら、ちっちゃいし一生懸命やっているから目立ったんだろうね。「田中はすごい! お前は来年、応援団長をやれ!」って言われて……

(外山惠理)ええーっ?

(田中裕二)「嫌だ!」って断って逃げたんだけど。それは。あの伝統はなんでしょうね?

(太田光)あれは、監督が作ったんだよ。

(田中裕二)そう。だから監督の頃から。

(山本晋也)でも、僕は新しいことをやって、随分ボウズにされたんですよ。まず、女の子を団員にしちゃったっていう。

(田中裕二)あっ、女の子を団員にしたんですか? へー!

(山本晋也)それがきっかけで剣道部も空手部も女の子が入るようになったの。

(田中裕二)ああ、そうですか。

(太田光)空手部、いましたね。女の子。

(山本晋也)そういうことはありましたね。そのたびに、本部に呼ばれてね。

(太田光)そうですか。日大の本部に呼ばれて。怒られたりなんかして? へー。じゃあ、改革者だったんだね。

(山本晋也)そういう意味では、あんまり悪いことはしてないんだよ。

(太田光)いやいや、相当……

(田中裕二)でもあのね、怖い感じはたぶん監督の頃からだと思うよ。

(山本晋也)嘘だ(笑)。

(田中裕二)ただ、その後。要は学生運動の時代も経てね。でも、我々の頃はそのずっと後だから。

(山本晋也)すごかったねえ。

(田中裕二)ちょっと後輩になるんですよね。監督のね。

(山本晋也)僕らは60年安保の頃だから。僕の時代は、よかったんですよ。「単位はどうするんだ?」っつったら、「単位は、答案用紙に校歌を書けばいい」って。

(田中裕二)ええっ?

(山本晋也)それで全部単位をもらって。で、1人だけそれを拒否してくれなかった人がいた。曽根綾子さんの旦那で三浦朱門さんっていう。あの人だけ。それが6年かかったの。

(太田光)はー! そうなんですか。

(山本晋也)6年目に、「もういいか」っつーんで、単位をくれたんだ。

(田中裕二)「もういいか」。結局、校歌以上のことはやらなかったんですね?

(山本晋也)そう。だけど、ありがたかったのは、好きなところにバイトに行けたから。

(田中裕二)そういうことができたんですね。

(山本晋也)だから、大学に入っていながら4年でだいたい終わって。団の活動を終わって。江古田のヤクザをきれいにして……

(田中裕二)ヤクザを(笑)。ドゥテルテ大統領みたいだな(笑)。

(山本晋也)(笑)。それで、好きなことをやっていたわけですね。だから、そういう意味じゃ僕を作ってくれた大学でもあるわけだ。いまの僕を。だから、伸びるのも悪いことじゃないよ。

(中略)

(田中裕二)あの、要は名取りさんとか生徒に当たり前のようにいた。

(山本晋也)いたいた! 踊り上手いやつは普通にいたよ。だから踊りが上手いやつがね、「お前は形がいいから」ってかわいそうに。空手部に強引に入れられちゃったり。かわいそうに……

(田中・太田)(笑)

空手部が幅をきかせる

(太田光)なんであんな空手部は幅をきかせていたんですかね?

(山本晋也)いや、わからないですね。

(外山惠理)空手部ね(笑)。さっきから何度も出てきますけどね。

(太田光)すっごいんですよ。空手部。

(田中裕二)だってみんな「役者になりたい」とか「日本舞踊を習いたい」っていう時に、空手部に入るのよ。「なにしてんだよ?」っていう話なのよ。

(山本晋也)いや、あそこだけね、なんか日大の本部と違うんですよ。芸術学部だけね、なんか剛柔流なんですよ。で、本部は松濤館流だから、空手の大会に日大でも出られないんですよ。芸術学部は。で、あの有名な牛をアレしちゃった……

(太田光)大山倍達さん。

(山本晋也)あのおじさんが時々遊びに来たよ。

(太田光)へー!

(田中裕二)大山倍達さんが?

(山本晋也)そうそう。

(太田光)あ、そうなんだ。もう本物だ。そりゃ。極真ですよね。大山さん。

(山本晋也)「大山さん、本当ですか?」って僕、聞いたとあるんですよ。したら、「本当だ」って。

(田中裕二)本当だって?

(山本晋也)絶対に嘘だって! そんなの、あんな牛をね、素手でさ。嘘だと思うわけですよ。だけど、本人は「本当だ」って。

(外山惠理)じゃあね、きっと。

(田中裕二)あと、キックボクシングの沢村忠さん。

(山本晋也)ああ、沢村はね、沢村の自伝にね、僕のアレが出てくるよ。「よく殴られた」って。

(太田光)ええっ?

(田中裕二)沢村忠を殴っていたの?

キックの鬼を殴っていた

(山本晋也)あいつね、名前が白羽っていうんですよ。いま、道場を開いて子供に空手を教えてますよ。

(田中裕二)沢村忠さんってね、キックボクシングの。

(太田光)「キックの鬼」って言われた人で。

(田中裕二)もう、スーパースターがいたわけですよ。もう、ゴールデンタイムで毎週試合をやるんですよ。

(太田光)漫画にもなって。

(田中裕二)漫画にもなって、歌も。スーパースターで。その、すごいキックボクシングの神様みたいな人に、殴っていたって(笑)。

(太田光)えーっ? どんだけ(笑)。

(外山惠理)「この人はキックボクシングをやっている人だ」っていう認識はあったんですか?

(山本晋也)いや、全然ないですね。

(外山惠理)なくてよかったですね(笑)。

(田中裕二)どういうことなんですか、それ?

(太田光)沢村よりも強かった(笑)。で、いつ映画に行くんですか? 全くケンカしかしてないじゃないですか。

(山本晋也)いや、映画は見ていたんですよね。好きで。だから、そういう意味じゃあ、映画の道へ志すって……

<書き起こしおわり>

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