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松尾潔 R&B定番曲解説 Guy『Piece Of My Love』

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松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中でR&Bの定番曲、Guy『Piece Of My Love』を紹介。様々なカバーバージョンを聞き比べながら解説していました。



(松尾潔)続いては、いまなら間に合うスタンダードのコーナーです。2010年3月31日に始まった『松尾潔のメロウな夜』。この番組は、メロウをキーワードにして、僕の大好きなR&Bを中心に大人のための音楽をお届けしています。さて、R&Bの世界でも、ジャズやロックと同じように、スタンダードと呼びうる、時代を越えて歌い継がれてきた名曲は少なくありません。そこでこのコーナーでは、R&Bがソウル・ミュージックと呼ばれていた時代から現在に至るまでのタイムレスな名曲を厳選し、様々なバージョンを聞き比べながら、スタンダードナンバーが形成された過程を僕がわかりやすくご説明します。

第21回目となる今回は、ファンクバンドと言うべきか、R&Bユニットと言うべきか。男性3人組、ガイ(Guy)が1988年に発表した名バラード『Piece Of My Love』について探ってみます。いま、バックで流れておりますこちら2パック(2Pac)の『Run Tha Streets』という曲です。



ここで女性ボーカルが懸命に歌い上げるメロディー。これはミシェレー(Michel’le)っていう人なんですけども。いまではヒップホップシーンのドン、ドクター・ドレ(Dr.Dre)が世に送り出した女性で、ドレの当時の恋人でもございました。そのミシェレ―の歌っているメロディーというのはガイが1988年にリリースしたデビューアルバム、その名も『Guy』に最初はひっそりと収められていた『Piece Of My Love』という曲です。

このガイ、そしてその中心人物テディー・ライリー(Teddy Riley)っていうのはね、正確にいうと87年あたり。実際には88年に大爆発したニュージャックスウィングというファンクミュージックにおけるリズム革命ですね。そのリズム革命でブラックミュージックシーンの地図をガラリと書き換えてしまったんですが。その発信源となったアルバムの中にこんなにメロウなバラードが収められていたのかということで、まあ当時、いろんな人たちをハッとさせた曲です。じゃあまずは聞いていただきましょうか。ガイで『Piece Of My Love』。

そして、この本当に繰り返しリサイクルされてきた『Piece Of My Love』。そのリサイクル例の中から最も新しいヒットのひとつと言ってもいいでしょう。昨年にリリースされましたビッグ・ショーン(Big Sean)のアルバム『Dark Sky Paradise』に収められておりました、クリス・ブラウン(Chris Brown)とタイ・ダラー・サイン(Ty Dolla $ign)をフィーチャーした『Play No Games』。では、2曲続けてどうぞ。
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Guy『Piece Of My Love』


Big Sean『Play No Games ft. Chris Brown, Ty Dolla $ign』



今夜のいまなら間に合うスタンダード。ガイが1988年に発表した名曲『Piece Of My Love』について探っております。まずはそのガイの『Piece Of My Love』。続きましてはこの曲の数ある子供、孫曲たちの中からもっとも新しい1曲。『Dark Sky Paradise』というアルバムの中からビッグ・ショーンで『Play No Games』。フィーチャリングはクリス・ブラウンとタイ・ダラー・サイン。まあ、クリス・ブラウンの歌声っていうのは『メロウな夜』で1年間の2/3ぐらいではクリス・ブラウンの歌声が何らかの形で響いているわけなんですが(笑)。ここにも手を伸ばしていましたね。クリスはね。

さて、この『Piece Of My Love』、そのオリジナルを歌っておりますガイ。まあガイについて、この番組では何度か触れてきたんですが、きちんとしたご紹介を一度やらなきゃなと思いながらも、こんな時期になってしまいました。世に出てきたのが1988年のアルバムっていうことになっていますけども、87年あたりに結成してレコーディングを始めたんですね。で、その時のメンバーはテディー・ライリーという音作りの中心人物。そして、テディーの子供の頃からの盟友でありますティミー・ギャトリング(Timmy Gatling)。そしてアーロン・ホール(Aaron Hall)というシンガーですね。

このテディーとティミーっていうのはニューヨークのハーレム地区出身でございまして、もともと子供たちの、それこそバブルガムグループをやっていました。その名がKids At Work。「勤労少年」っていうか、まあ「勤労児童」ですよね。Kids At Work。これはもう本当にニュー・エディション(New Edition)のフォロワーと言ってもいいグループだったんですが、まあこれはやっぱり3人組で。もう1人、クルーエル・ヘンダーソン(Clurel Henderson)っていう人とやっていたんですけど。これが、まあメジャーデビューはしたんですけども、パッとしませんで。ただ、ユニークだったのはそのKids At Workが出た時にこのテディーもティミーもまた10代半ばだったのに、自分たちで音を作っていたことなんですよね。

と、なると当然その後見人がいまして。後見人は誰か?っていうと、ジーン・グリフィン(Gene Griffin)っていうおじさんでした。このジーン・グリフィンっていうおじさんはかつて、InDeepというディスコユニット。『Last Night A DJ Saved My Life』っていう後にマライア・キャリー(Mariah Carey)もカバーすることになる一発ヒットで知られる人たちなんですけども。



まあ、そういった曲を世に送り出したりする、ちょっとミュージシャンっぽいというよりは、まあ企画屋さんですね。発想が面白いというタイプの、ちょっと強面でもある、そういうプロデューサー兼マネージャーだったんですが。ジーン・グリフィンはテディーの才能を買っておりまして、「絶対にこいつはモノになる」と信じていまして。で、Kids At Workが上手くいかなかったんだけれども、テディーに2回目のデビューの道筋を作ります。それが、ガイでしたね。つまりキッズという形で世に出て、多少年齢を増して。まあ、テディーは67年生まれですからね。ハタチになって……まあ、21か。成人して、ガイという名前で出たというそういう面白いストーリーもございます。

で、これを快く思わなかったのが、実はそのパートナーのティミー・ギャトリングなんですね。で、ティミーはアルバム作りには参加してアルバムのジャケットにも写っているんですが、リリースされたタイミングではもう脱退してました。これ、ちょっと僕、いま日本でレコード作りやっていますけども、ちょっと信じられないんですが。アルバムがリリースされた時点では、既にジャケットに写っている3人のうちの1人が脱退していると。で、じゃあ3人のうち2人でデビューしたか?っていうと、もう実は3人目も決まっていて。では3人目は誰か?っていうと、このリードボーカルのアーロン・ホールの弟のダミオン・ホール(Damion Hall)っていうほとんど素人だった弟……当時ヴァージニア州立大学の学生だったらしいですけど。学生を連れてきてメンバーにして。

で、ジャケットの写真撮影には間に合わなかったけれども、アルバムの中のライナーノーツにはダミオン・ホールは「パパとママに感謝する」とかいろいろ書いているんですけど。「お前、レコーディング参加してないじゃん!」っていう突っ込みを……誰もが予想できる突っ込みはあるんですけれども、なんかその形で出ちゃったんですね。で、僕はデビュー間もない頃にインタビューしたんですけどもね、その時に、インタビューの時によくありますよね。作品を目の前に置いて語ってもらうっていう。

で、3人写っているジャケットが目の前にあって、そこに当の3人がいるんですが、明らかに1人違う人なわけですよ。で、そこに参加してないことも知っているんですけども、ずっとニコニコしながらね、「今回のアルバムのポイントは?」とかって語ってくれるんですよね。「これはなんかすごい世界に足を突っ込んじゃったな」って僕が思ってしまったのは、僕がこのガイのメンバーと同世代だからなんです。僕もその頃、まだ初めの10本のうちの1本じゃないかな? と、思いますね。

このテディー・ライリーという自分と同世代のプロデューサーが世に出てきて、「ああ、ついに自分と同世代の人たちがこういう立場で世に出るようになったのか」と。音も作って、演者でもあり、かつ他の人たちにもいろんなヒット曲を提供する。なぜなら、このガイが出てくる背景として、テディー・ライリーがプロデュースしたキース・スウェット(Keith Sweat)とかジョニー・ケンプ(Johnny Kemp)とか、そういった人たちの目覚ましい躍進ぶりがあって。じゃあ当のテディー・ライリーのグループも世に出そうという流れになったというのが無視できない話なんですけども。

まあ、それはともかくニュージャックスウィングというね、ワシントンDCを発祥の地とするゴーゴーミュージックを元にしたような……リズムでシンコペーションっていう不規則な規則性を売りにするリズムがございますが。そういう変拍子のリズムをかっこよく仕上げて、それを「ニュージャックスウィング」と名付けるこのコピーライティングというかブランディング。そういったところはまあ、テディー・ライリーよりもむしろジーン・グリフィンという後見人の手柄とすべきでありましょう。このブランディング、世界的に上手くいきました。そして、ボビー・ブラウン(Bobby Brown)というスターがこのニュージャックスウィングサウンドとケミストリーを起こしまして。で、またたく間に広がってね、日本でもボビ男ブームなんていうのがね。びっくりするような現象が起きるわけなんですが。



まあ、そんなムーブメントのど真ん中にいたテディー・ライリー率いるガイのデビューアルバムも基本的にはもうダンスミュージックアルバムなんですが、その中に2曲だけバラードが収められておりまして、そのうちの1曲がこの『Piece Of My Love』。大変愛された、そんな1曲でございます。もう本当に有形無形を問わず、この『Piece Of My Love』の遺伝子というのはいまもR&Bシーンに息づいております。話は尽きませんけども、決定的な1曲を聞いていただきたいと思います。マライア・キャリーが99年にリリースした賛否両論のアルバム『Rainbow』の中に収められていた、これはクールでした。フィーチャリング スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)で『Cry Baby』。

Mariah Carey『Crybaby ft. Snoop Dogg』



今夜のいまなら間に合うスタンダード。1988年にリリースされましたガイの『Piece Of My Love』にスポットライトを当ててお届けしました。最後にご紹介した曲はマライア・キャリーがスヌープ・ドッグをフィーチャーした『Cry Baby』。「泣き虫さん」っていう曲ですけども。この中で、スヌープ・ドッグがラップしている中で「Baby Don’t Cry」っていうフレーズがありますね。あれはね、本当に憎い仕掛けでございまして。先ほど、ちょっと思わせぶりにこのガイのアルバムの中に2曲、バラードが収められていたと言いました。もう1曲は『Goodbye Love』という曲だったんですが。



その『Goodbye Love』の中のフレーズでございます。「Baby Don’t Go」っていうね。これ、メアリー・J・ブライジ(Mary J.Blige)も好んで引用していましたけども。そこの「Baby Don’t Go」の「Go」の部分を「Cry」に変えて、「Baby Don’t Cry」と。やっぱりスヌープもガイのアルバムを好きだったんだなって、これ一声でわかっちゃうんですね。88年のガイ、『Piece Of My Love』をご紹介いたしました。

<書き起こしおわり>
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