半田健人さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。高層ビル好きの半田健人さんが、玉袋筋太郎さんと西新宿の高層ビル群について語り合っていました。
半田健人 高層ビルマニアの筋
(小林悠)じゃあそういう、ご自分の趣味の話にもなってきましたから。いっちゃいますか。玉さん。高層ビルマニアの筋。ぜひ、お聞かせください。
(玉袋筋太郎)はい。やっぱ高層ビルだよね?
(半田健人)高層ビルですね。西新宿ですね。僕、玉さんが生まれ育ったご実家の場所、あの土地、ほしいですもん。
(玉袋・小林)(笑)
(玉袋筋太郎)高いよ。
(半田健人)高いですよね。
(玉袋筋太郎)高え。俺もね、買い直してえんだけど、高い。
(半田健人)『太陽にほえろ!』の中で通称矢追町ね。
(玉袋筋太郎)うん。そうなんだよ。通称、そう。だから仮想の住所だから。西新宿一丁目だから。
(半田健人)だからいまで言うところの、ヨドバシカメラとかですかね?あのあたりですよ。
(玉袋筋太郎)あそこなんだよ。だから、京王プラザとかあそこらへんとかね。
(半田健人)玉さんは京王プラザが建設中の風景をご覧になっていたわけですからね。
(玉袋筋太郎)だって、京王プラザの前の幼稚園に行ってたから。俺。○○幼稚園っていう。もうなくなっちゃったけど。そうなんだよ。京王プラザが好きなんだよね。半田くんはね。
(半田健人)そうですね。やはりこう、西新宿の、いまはたくさんありますけど。昭和46年に、いちばん最初に建ったね、当時日本でいちばん高い高層ビルだったんですよね。
(小林悠)あ、そうなんですか?
(玉袋筋太郎)そうですよ。
(半田健人)ホテルというカテゴリーで言えば、世界一だったんですよ。当時。
(玉袋筋太郎)当時、そうなの。47階。
(半田健人)170メートル。
(玉袋筋太郎)メートル出てきたよ(笑)。うん。そう。だから幼稚園の帰りにお母さんと・・・うちのお母さん、コーヒー好きだから。その京王プラザの1階の喫茶店とかでお茶を飲んだりとかしたわけですよ。だって、京王プラザ建つ前は、俺んちの赤江ビルが結構高層ビル。3階で高層ビルだったから。見渡せたんだから。
(半田健人)はいはい。わかります。あと、太平ビルね。
(玉袋筋太郎)太平ビル!太平ビル、来たね!
(小林悠)それはなんのビルですか?
(半田健人)太平ビルはまあ、玉さんのご実家からね、ちょっと、数十メートルですけど。
(玉袋筋太郎)そう。離れたところに。太平って。
(半田健人)当時13階建てだったかな?なんか、まだそんなにいまで言えば高層ビルじゃないんですけど。もうそれだけボコーン!とデカくてね。時計がついてたんですよね。
(玉袋筋太郎)時計、ついてんだよ。
(半田健人)時間がわかるという。
(玉袋筋太郎)デジタルとは言わないんだけどね、電光掲示板みたいな時計がついて。
(半田健人)まだ淀橋浄水場の名残があって。
(小林悠)その赤江ビルと太平ビルは本物はご覧になってないですよね?
(半田健人)だって玉さん、まだ建物は・・・
(玉袋筋太郎)建物は残ってんだよ。いま、居酒屋になっちゃってるけど。土台はまだ残ってる。あのまんま、あるんだよ。
(半田健人)太平ビルはもう、取り壊されてないんですよ。
(玉袋筋太郎)だから新宿の高層ビルでやっぱりね、京王プラザってところがいいよ。でももう築年数で言ったらそろそろ・・・っていう感じなのかな?
(半田健人)高層ビルっていうのはね、元来、取り壊しっていう概念がなかったんですけど。赤プリの解体があったでしょ?
(玉袋筋太郎)赤プリの解体!
(半田健人)あれを見た時に僕は背筋がゾッとしましたよね。これ、出来るんだ!みたいなね。
(玉袋筋太郎)いや、でもまあお見事だったけどね。赤プリの解体は。
(小林悠)少しずつ抜いていく感じで。
(半田健人)まあ、厳密に言えば京王プラザとは若干工法は違うんですけど。でも、ああやってね、高層ビルっていうのは建ったら一生ね、立ち続けてるもんだっていう常識を覆しましたから。
(玉袋筋太郎)(笑)
(半田健人)これはね、怖いっすよ。
(小林悠)いつか別れの時も迎えなくてはいけないわけですよね。
(玉袋筋太郎)高層ビルはやっぱり新宿がニョキニョキ、ビルディング畑で建ってったんだけどさ。やっぱそん時に、サンシャイン60が出て、負けた!っていう時の悔しさね。俺たちの。『うわっ!出てきた、60階!』っつって。
(半田健人)でもね、新宿センタービルと実は大して変わらないんですよね。
(玉袋筋太郎)変わってないんだよ。センタービルと。
(半田健人)ねえ。池袋、他になかったんで。ちょっと目立ってますけどね。
(玉袋筋太郎)そうですよ。
(小林悠)ポコーンと。でも、半田さんの話を聞いていると、特にあの、すごく背が高いっていうか、ものすごい高さがあるものが好きっていうわけじゃなくて、高層ビルっていう概念が好きっていうことなんですかね?
(半田健人)あとね、建った時代が結構ポイントで。いまはだって、日本一はハルカスだったりするわけじゃないですか。西のね。で、じゃあ日本一のものが好きか?というと、そうじゃなくて。僕ね、そもそも高層ビル、なんで好きか?っていうと、高層ビルって意外とね、昭和の産物なんですよ。
(玉袋筋太郎)ああー、昭和か。
(半田健人)近代建築という類なんですけど。でも、高層ビルがもてはやされたのは間違いなく昭和なんですね。
(小林悠)ええ。
(半田健人)昔、だって新聞の一面に載りますからね。日本一のビルが建ったってね。いまはもう、高いのにみなさん慣れちゃっているんで。あんまり珍しいとも思わないわけですよ。
(小林悠)まあ、高さを競い合うぐらいの感じですよね。
(半田健人)まあ、せいぜいね。これが。ただまあ、当時は本当に京王が建ったら、みんなそこでロケしたじゃないですか。太陽にほえろ!のオープニングですよ。
(玉袋筋太郎)オープニング!ボスが歩くぜー!おい!
(半田健人)そう。前を歩くんですよ。ポケットに手を突っ込みながらね。
(玉袋筋太郎)あれがね、やっぱ誇りだったんだよ。俺たち。高層ビル、出てるよ。太陽にほえろ!だよ!
(小林悠)すぐそこのビルでやってるよ!ッて言う。
(玉袋筋太郎)すぐそこだっつって。撮影中も見たりするんだから。現場とかロケの時とか。
(半田健人)それがうらやましいっすよね。
(玉袋筋太郎)これが大変だよ!まあ、もちろん京王プラザもいいし、まあ三角ビル。住友ビルも好きだし。
(半田健人)はいはいはい。
(玉袋筋太郎)三井ビルが好きだっていうのがね。
(半田健人)三井、いいですね。ガラス窓でこう、ハーフミラーになっている。
(玉袋筋太郎)そうそう。キラキラしてるビルね。
(半田健人)あと、謎の、窓の少ないKDDビル。いま、KDDIですけど。
(玉袋筋太郎)KDDIビル。うん。あそこは入れなかった。
(半田健人)あそこはいまでも入れないですよ。通りぬけ禁止なんですよ。入館証がないと。
(小林悠)あ、やっぱり一般の人は入っちゃいけない?
(半田健人)まあ、電気通信系なんで。
(玉袋筋太郎)そう。
(半田健人)ちょっとそういった、セキュリティーの問題と思うんですけど。
(玉袋筋太郎)だから地元のガキは一通り全部上るのがさ、夢だったわけだ。
(小林悠)すごい小学生ですよね。そう考えたら。
(玉袋筋太郎)それも、全部非常階段でね。上っていくっていうのが。うん。だけどやっぱ安田生命ビルとKDD。
(半田健人)そう!安田も入れないんですよね。
(玉袋筋太郎)安田、入れなかったんだよ。
(半田健人)いま、損保ジャパンビルね。
(玉袋筋太郎)損保ジャパンビル。
(小林悠)ああ、美術館の入っている。
(玉袋筋太郎)そうそう!
(半田健人)下がこう、裾野に広がっている。
(玉袋筋太郎)あそこだけは入れなかったんだよ。それ以外は全部入ってるよ。
(半田健人)だから結構謎なんですよね。
(玉袋筋太郎)あそこ、謎。悔しいよ。
(小林悠)(笑)
(玉袋筋太郎)だけどね、三井ビルディングのそのガラスの反射のところでね、『大都会パート3』のエンディングの時にね、空撮でバーッ!っと撮っている画があるんだけど。そこのかっこよさはないね!何の話をしてんだよ?
(半田健人)(笑)。わかりますよ。
(玉袋筋太郎)わかる!わかるんだよ、これが。
(半田健人)なんであれがハーフミラーになっているか?っていうのはね、三井さんのね、いわゆる社風じゃないんですけど。天気の日、晴れの日はブルー。曇りの日はグレー。その時代、その時に合った会社でありたいっていう願いなんですよね。
(玉袋筋太郎)かぁーっ!
(小林悠)はー!姿を変えますねと。あなた色に染めますよと。
(半田健人)そうです。固定概念にさいなまされないような、順応性のある会社を目指すって。そういう理念がガラス窓に込められている。
(小林悠)ええーっ!?
(玉袋筋太郎)そうだよ。
(小林悠)ビルってそんなことまでできるんですね。
(半田健人)そういう表現のひとつでもあるのね。
(玉袋筋太郎)だから撮影隊も表現として使うわけだ。ビルを。長渕剛が刺されて死んじゃうところが三井ビルの手前だったりとか。
(半田健人)そう。マカロニはね、野村ビル。
(玉袋筋太郎)野村ビル!
(半田健人)萩原健一さんね。
(玉袋筋太郎)建設中の(笑)。
(半田健人)そう。まだビルが建ってないですよ。空き地なんですよ。
(玉袋筋太郎)そうなんだよ。
(小林悠)そういうところで撮影が多いのは、やっぱりそこが最先端の、まあ空間であったからってことなんですか?
(半田健人)あとね、やっぱり当時、空き地ですし。まだ開発途中なんで、車の通りが少なかったんですね。だから撮りやすかったっていうのは理由の1つでしょうけど。
(小林悠)ええ。でも当時の映像を見ると、いま見て、ああ、あそこだなってわかるところが映っているわけですね。
(玉袋筋太郎)そうそう。
(半田健人)もういっぱい映ってますね。
(玉袋筋太郎)懐かしいドラマとか見ると、楽しいもんね。
(半田健人)玉さんちの近くのパチンコ屋、当時からあるんでしょ?
(玉袋筋太郎)アラジンでしょ?
(半田健人)アラジン、そう。
(玉袋筋太郎)アラジン、あるよ。うん。甲州街道沿いのアラジンっていうでっかいパチンコ屋。
(小林悠)いまでもあるんですか?
(半田健人)いまでもあります。
(玉袋筋太郎)だから俺のおばあちゃんがパチンコ好きで。あんまり熱中しすぎて、そこでぶっ倒れて救急車を呼ばえたっていう。
(小林悠)ちょっと(笑)。大丈夫ですか?
(玉袋筋太郎)で、ちっちゃい頃、そこで球を拾って、ジュース入れて飲んでいたとかね。うん。そういった・・・まあ、すいません。ちょっと。変な話になっちゃって。
(半田健人)地元の話。もう風景が浮かびますよ。
(玉袋筋太郎)地元じゃないだろ、あんた!
(半田・小林)(笑)
(半田健人)そう。地元は僕は関西なんです。だからこそ、東京に素直な憧れがあるんですね。
(玉袋筋太郎)ああー。いいですよー。
(小林悠)どうなんでしょう?東京の他の地域出身だと、そうはならなかった可能性もありますか?
(半田健人)変に近いとね、やはり興味って行かないかもしれない。
(玉袋筋太郎)そうかもしれねえな。近すぎてこんな興味ある人もいるしね。しょうがないんだよ。遊び場だったから。うん。
<書き起こしおわり>