松尾潔 1995年アメリカR&Bチャートを振り返る

松尾潔 1992年アメリカR&Bチャートを振り返る 松尾潔のメロウな夜

松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で1995年のR&Bチャートを振り返り。この年にヒットした曲を聞きながら、解説をしていきました。

(松尾潔)続いては、こちらのコーナーです。いまでも聞きたいナンバーワン。2010年3月31日に始まった『松尾潔のメロウな夜』。この番組は、メロウをキーワードにして、僕の大好きなR&Bを中心に大人のための音楽をお届けしています。ですが、リスナーのみなさんの中には『そもそもR&Bって何だろう?』という方も少なくないようです。そこでこのコーナーでは、アメリカのR&Bチャートのナンバーワンヒットを年度別にピックアップ。歴史的名曲の数々を聞きながら、僕がわかりやすくご説明します。

第18回目となる今回は、1995年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介しましょう。まあ、早いものでこのコーナーは第18回目となります。90年代はその中でよく取り上げているディケードなんですけども。中でも、94年、96年というのはすでに番組でも取り上げましたけども。まあ、大きな節目となる、そんなタイミングだったということを僕なりにお伝えしてきたつもりです。94年というのは、R.ケリー(R.KELLY)の年って言いましたよね。『試験に出る』とまで言いました。

豊作の1年

そして96年は、言わずと知れたアトランタオリンピックの年ですから。もう、誰々の年というよりも、Year of R&Bだった。そんな96年だったんですが。じゃあその95年。谷間なのか?というと、もちろんそんなことはございません。ちょっと動きが派手な94、96の間でかすみがちですけども、この年も豊かなR&Bがたくさん世に出てまいりました。95年にR&Bチャートで1位を獲得した曲は全部で13曲ございます。94年の終わり、12月から1位を独走したのがTLCの『Creep』でした。

これは都合9週間、ナンバーワンで。95年に入っても、1月から2月の頭にかけてずっと1位を守りました。で、その2桁。10週目にいくか?っていう時に、TLCを撃ち落としたのがブランディ(Brandy)の『Baby』でした。

それから、ソウル・フォー・リアル(Soul for Real)の『Candy Rain』、モンテル・ジョーダン(Montell Jordan)の『This Is How We Do It』、メソッド・マン(Method Man)とメアリー・J.ブライジ(Mary J. Blige)の『I’ll Be There For You / You’re All I Need to Get By』という、本当にそれぞれタイプの違う曲。タイプの違う組み合わせの曲が次々に1位を獲得してまいります。

まあ、そういう感じで95年の上半期がすぎて。そして、メアリー・Jの歌声がモニカ(Monica)に変わって、『Don’t Take It Personal』。これ、天才少女だ!なんて言われて。

で、6月の終わりにこの年最大のヒットが出ます。ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)『One More Chance / Stay with Me』というね。

さっきのメソッドマンの時と同じように、1曲のタイトルなんですけども。タイトルに2つの曲名が含まれています。これ、どういうことか?って言いますと、メソッドマンの場合は、『I’ll Be There For You』という曲に、マービン・ゲイ(Marvin Gaye)とタミー・テレル(Tammi Terrell)でお馴染みのR&Bの古典ですね。『You’re All I Need to Get By』が織り込まれていましたけれども。

ノトーリアス・B.I.G.の場合は『One More Chance』という曲がもともと『Ready to Die』というヒットアルバムに収められていたんですが。リリースされるにあたって、デバージ(DeBarge)の『Stay With Me』という曲がサンプリングされて。

もうちょっと、別曲になったんですね。そして、オリジナルバージョンではトータル(Total)っていう3人組のボーカルグループ。それがこの、シングルカットされてリミックスされる時には、フェイス・エヴァンス(Faith Evans)と、あとクレジットはないんですが、メアリー・J.ブライジが入っておりました。そうですね。このフェイス・エヴァンスとメアリー・J.ブライジの2人を1曲に呼び寄せられる。当時、そんなことができたのは、1人しかいませんね。パフ・ダディ(Puff Daddy)こと、プロデューサーではショーン・パフィ・コムズ(Sean Puffy Combs)と名乗っていた男でございます。

いまでも、アメリカの黒人社会において屈指の実業家として知られております。権勢を振るっております。まあ、そんなパフ・ダディの活躍が目立った95年だったんですけども。まあ、この年の後半の話は取っておくとしまして。じゃあ、まず前半の中から2曲、ご紹介したいと思います。モンテル・ジョーダンいきましょうか。4月1日から5月13日まで7週連続ナンバーワン。デビューヒットの『This Is How We Do It』。

そして、パフ・ダディの古巣、アップタウンレコードから飛び出した兄弟グループですね。ある種、ジャクソン5のフォロワーと言ってもいいんですけども。やっぱり末の弟がなかなか歌が上手かったという。ソウル・フォー・リアルの『Candy Rain』という曲。これが95年の3月11日から25日まで3週連続のナンバーワンです。じゃあ、2曲続けて聞いて下さい。モンテル・ジョーダンとソウル・フォー・リアル。

Montell Jordan『This Is How We Do It』

Soul for Real『Candy Rain』

いまでも聞きたいナンバーワン、今週は1995年のナンバーワンヒットをご紹介しています。モンテル・ジョーダン『This Is How We Do It』。そして、ソウル・フォー・リアル『Candy Rain』という2曲、続けてご紹介いたしました。いずれもデビューヒットという共通項がありますね。そして、それぞれこの曲がそのままデビューアルバムのタイトルになっている。そして、2曲とも歌ものではあるが、限りなくヒップホップ的であるという。こうやってスペックを取り出してみますと、かなり共通する項目があることに、改めて気づかされます。

モンテル・ジョーダンという人は、もうとにかく大きい。とにかく大きいんですよね。身長が2メートル前後と言われております。僕も1度、会いましたけども。この人は、うーん。かっこよかったですね。いわゆるNBAのバスケットボールプレイヤーのような佇まいなんですよ。で、その人が、しかもこういうノリのいい曲ですから。ラジオヒットでもあったと同時に、クラブヒットにもなったというのは本当に頷ける話です。こういう曲があってね、そこにモンテルが登場して、ちょっと手足を動かしただけで、会場は沸きますよね。で、モンテル・ジョーダン、面白いのは、こういったノリのよい曲。スリック・リック(Slick Rick)というね、ラッパーの曲を踏まえて。それこそ、本歌取りのような形でやっているんですが。

この後、どんどんバラード路線に行くんですよね。で、バラード曲の作り手としても、デボラ・コックス(Deborah Cox)ですとかね、そういった人たちの周辺で活躍します。ただ、結構ね、物申す人で。デフ・ジャムというレーベルにいたんですけど、そこのあり方に文句を言ったりして。最後は毅然と、自分でインディーズでやりたいことをやる!って言って、我が道に行った人ですね。まあ、いまでもいい歌を聞かせています。ゴスペルを歌ったりもしてますけどね。なかなか気骨あるシンガーが誕生した瞬間でした。

そしてソウル・フォー・リアルの『Candy Rail』。これはかっこいいですね。いまは亡きラッパーのヘヴィ・D(Heavy D)がプロデュースしております。このビートっていうのはもうヒップホップの定番ですね。ミニー・リパートン(Minnie Riperton)のね、『Baby, This Love I Have』という曲を下敷きにしているということは、まあちょっとこの世界に詳しい人ならわかりますけども。

やっぱりその、ソウル・フォー・リアルがね、そういった、当時の言い方で言うと、ファットなビートの上に、この甘酸っぱい声が乗っかっているっていう。この勝利でしたね。ただ、この声を売りにしている以上、賞味期限とかどうなんだろう?全てのバブルガムソウルシンガーがマイケル・ジャクソンのように大人になっても歌えるわけじゃない。どうかな?なんて思っていたんですけど。

やっぱり、悲しい方に当たっちゃいましたね。ソウル・フォー・リアルはやっぱりこの時に輝いていた、この時だからこそ、輝いていたという感じですね。うん。まあ、それ故に愛おしいですね。この曲が好きすぎて、同じタイトルの曲を作っちゃった人に、久保田利伸さんっていう人がいますけども(笑)。彼の『Candy Rain』っていう曲もなかなかなんだよな。

やっぱり、タイトルにインスパイアされるぐらいの思いがあると、いい曲が作れるっていう本当に美しい例じゃないかと思っております。チャートのご紹介に戻りましょう。6月野終わりに1位になった『One More Chance / Stay with Me』。ノトーリアス・B.I.G.はその後9週間に渡ってナンバーワンを独走しまして。この年、最大のヒットとなりました。プロデューサーのショーン・パフィ・コムズの名前もこれで決定的になりましたね。

そして、8月の終わりに夏の名残りのような形でね、シャギー(Shaggy)の『Boombastic 』というレゲエが1週だけナンバーワンに輝いたかと思いましたら、

R.ケリーが94年から着々と準備していたマイケル・ジャクソンプロジェクト。『You Are Not Alone』。これがまあ、堂々の横綱相撲でございましたね。

そしてマイケル・ジャクソンから1位を奪取したのが、マライア・キャリー(Mariah Carey)『Fantasy』。マライアはこのあたりの時は本当、強かったですからね。

そして、マライアの6週間連続のナンバーワンというので、秋に入りまして。11月の半ばになって、マライアとも大変親しいジャーメイン・デュプリ(Jermaine Dupri)の秘蔵っ子グループが1週限りのナンバーワンをゲットします。それがエクスケイプ(Xscape)の『Who Can I Run To』でした。この『Who Can I Run To』というのはね、79年にリリースされました、ジョーンズ・ガールズ(Jones Girls)というフィラデルフィアの女性グループ。姉妹グループですね。の、デビューアルバムに収められていたバラードです。

割とひっそりと収められていたんですけど、ジャーメイン・デュプリ采配のもと、エクスケイプはこれをシングルとしてカットして。オリジナルでも成し得なかった、このカバー曲がチャートの1位という快挙を成し遂げました。ですが、これは1週限り。すぐにR.ケリーの『You Remind Me of Something』が引きずり下ろしまして。

しかしそのR.ケリーも1週限りの天下で、その後、11月の終わりから翌年1月にかけて、延々と1位を独走したのは、結局はホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の『Exhale (Shoop Shoop)』でした。

終わってみれば、マライア・キャリーとホイットニー・ヒューストンの強さが目立ったという、そんな1年でもあったんですけども。ちゃんとメアリー・J.ブライジとかモニカとか、そういったよりゲトーなR&Bを歌う人たちもちゃんと出ている。なんか、バランスの良い1年だったんじゃないかな?と、いまになって思います。繰り返すようですけども、94年と96年の谷間のように思われがちな95年も、なかなかの1年でございました。

それでは、1曲。最後のご紹介しましょう。締めくくるのはやっぱりこのしっとりとしたバラードが素晴らしいんじゃないでしょうか。11月11日という、日本風に言うとナントカの日ですね。1週限りのナンバーワンを記録しました。エクスケイプ『Who Can I Run To』。

Xscape『Who Can I Run To』

1995年。プロデューサー ショーン・パフィ・コムズ大飛躍の1年と申し上げましたけども。まあ、ニューヨークからパフィが出てきたのと共闘戦線を張るようにして、南の方、アトランタではジャーメイン・デュプリが狼煙を上げようとしておりました。このパフィとJD、ジャーメイン・デュプリっていうのは大変に仲が良くてね。それぞれのバッドボーイレコード、ソー・ソー・デフレコードのアーティストを貸し借りすると言いますか。どちらかで新曲が出ると、どちらかがリミックスをするという。そのリミックスの交換をしていたというのもこの95年、96年ぐらいのR&Bシーンを象徴するような、そんなやり取りでしたね。以上、いまでも聞きたいナンバーワン。1995年編でした。

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/32657

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