ラッシャー板前が語る 芸名の由来とたけしへの弟子入りを語る

ラッシャー板前 たけし・さんまの2人の付き人を務めた思い出を語る たまむすび

ラッシャー板前さんがTBSラジオ『たまむすび』に2014年8月に出演した際のトーク書き起こし。芸名の由来や名付け親、ビートたけしへ弟子入りした際のエピソードなどを玉袋筋太郎さんと話していました。

(玉袋筋太郎)まずちょっと筋を。もうラッシャーさん、51才っすか?

(ラッシャー板前)そうですよ。

(玉袋筋太郎)あらー。

(ラッシャー板前)えっ?玉はいくつ?

(玉袋筋太郎)僕、47です。そりゃそうですよ。高校時代から出入りしてる頃っつーか、弟子志願してる頃から、ラッシャーさん。その頃、付き人だったから。

(小林悠)あ、もうそのいわゆる坊やというか。

(ラッシャー板前)そう。ハタチでウチの師匠のところに出入りしてるので。高校を卒業して2年間、板前やって。んで、ハタチの成人式を迎えた時に、まあ自分のやりたいことをやってみようじゃないかというんで。うん。板前を辞めて、弟子入りした。

(小林悠)へー!

(玉袋筋太郎)それで芸名が『ラッシャー板前』だもんね。

(小林悠)やっぱりその、板前さんだったからってことが。

(玉袋筋太郎)その『ラッシャー』は『ラッシャー木村』から来てるからね。ラッシャー木村っていうのがいたんだけど。

ラッシャー木村が元ネタ

(ラッシャー板前)でもその前は、『力道川』だったんだから。最初。で、板前で入っているから、頭がパンチパーマだったんですよ。で、常に赤と黒のオープンシャツと、ワニの甲羅の模様の入った真っ黒のズボンと、ワニ皮のベルトと、白いエナメルでいたんですよ。それが当時の板前の正装だったから。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)流行っていた。その服装が。はい。

(ラッシャー板前)ほんでその時にその格好を見た時にウチの師匠が、力道山に似てるから、はじめ『力道川』っていう。

(小林悠)(笑)。山じゃなくて川。

(ラッシャー板前)力道山の山を川にして、力道川。

(玉袋筋太郎)うん。力道川もいい芸名ですよね。考えてみりゃ。

(ラッシャー板前)その後、もうひとつあるんだけど、これは放送じゃ言えない。

(玉袋筋太郎)(笑)

(ラッシャー板前)これは言えないの。その芸名にしてたら、テレビ局の人が『すいません。○○さんのこれ、テロップで流せないんで変えてください』っていうんで。

(小林悠)気になる(笑)。

(玉袋筋太郎)で、ラッシャー板前になった。

(ラッシャー板前)でも、その本当の名付け親は知ってる?

(玉袋筋太郎)誰ですか?

(ラッシャー板前)鶴太郎さん。

(玉袋筋太郎)ああ、まだ、蜜月の時代ですもんね。殿と。

(ラッシャー板前)ひょうきん族で、ウチの師匠とさんまさんと鶴太郎と収録していて。休憩時間に、はじめ力道川だったんだけど、名前変えたら放送禁止で使えない。じゃあ、どうしようか?っていうんで悩んでいた時に、『でも、力道川は面白かったっすよね』って。で、鶴太郎さんが『いま、ラッシャー木村じゃないですか?』って話になって。じゃあ、ラッシャー木村さんのラッシャーを取って、じゃあ板前だから『ラッシャー板前』っていう。それで決まったんですよ。

(小林悠)あ、じゃあ鈴木浩さんの本名をぜんぜん、なにも活かされてないってことで。

(ラッシャー板前)活かされてない。ウチのメンバー、ほとんどないよ。

(玉袋筋太郎)そんなこと考えたら、俺の芸名、考えてみろよって!俺だって、もう絶対放送禁止じゃない。それだってこの齢まで、どうにか芸能界にいれるっていう。

(ラッシャー板前)これ、NHK出られない。

(玉袋筋太郎)NHK出れない。『玉ちゃん』だもん。

(小林悠)まあ、そうですね。玉ちゃんの時もありますからね。たまにね。

(玉袋筋太郎)まあね、人の人生をなんだと心得る?っていう。ウチの師匠に言いたいですよ。うん。

(ラッシャー板前)でもそれで、ありがとうございます!って。

(玉袋筋太郎)ありがとうございます!玉袋筋太郎、ありがとうございます!

(ラッシャー板前)ラッシャー板前が普通だもんね。

(小林悠)あ、でもそうかもしれないですね。ちょっと聞いていきましょうか。その3の『たけし軍団だけがもらえた殿からの大切な芸名の筋』。聞いていいですか?ラッシャーさんは力道川。そして放送禁止の名前を経て、いまのラッシャー板前さんになったわけですが。他の方々はどうなんでしょう?

(ラッシャー板前)いや、みんな変わったよね。

その他のたけし軍団の芸名の変遷

(玉袋筋太郎)そう。だから松尾伴内さん。なんでも鑑定団の。

(ラッシャー板前)はじめは松尾憲造だったの。キャッチフレーズが『お笑い界のおしん』っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)それ、どういうことですか?

(ラッシャー板前)いや、暗くて、常に耐えるのよ。明るくしちゃダメなんだから。松尾さんは。あの人も辛かったと思うよ。お笑い界のおしん。

(玉袋筋太郎)松尾さんは二番弟子ですか?三番弟子ですか?

(ラッシャー板前)三番。

(玉袋筋太郎)一番がそのまんま東さん。で、二番が?

(ラッシャー板前)大森さんがいたでしょ。

(玉袋筋太郎)大森うたえもんさん。で、三番。

(ラッシャー板前)松尾さん。

(玉袋筋太郎)で、松尾さんの三番弟子の時に、ウチの師匠がオールナイトニッポンで『すごい思いつめちゃった奴が来ちゃってよ。俺、刺されるんじゃねーかと思って』っつったら、『土下座して弟子にしてください』っつって、松尾さん、弟子入りしたわけよ。

(ラッシャー板前)うん。

(玉袋筋太郎)それを聞いて、もう日本中のリスナーが、『あ、たけしさんに土下座すれば弟子になれるんだ』ってことで。弟子がブワーッて増えちゃった。

(小林悠)増えちゃって。集まっちゃって。

(ラッシャー板前)僕もそこに行きましたけど、他に3人土下座してたから。

(玉袋筋太郎)うーん。ラッシャーさんはどこで正式に?

(ラッシャー板前)それで僕、その勢いで僕は土下座できなくて。そのうち、ウチの師匠とか軍団、帰っちゃったから、どうしようか?って思った時に、『自宅に行くしかない』と思って。そん時、ウチの師匠が、ある記事が週刊誌に出てたの。北野武が住む四谷の某マンション。それをたよりにタクシーで行って。四谷三丁目に運良く見つけたんですよ。

(小林悠)へー!

(玉袋筋太郎)これはね、俺も一緒で。やっぱ弟子志願をするにはどうしたらいい?って。ニッポン放送の前はたくさん人がいるから、そこに行ったら馬群に揉まれちゃうからってことで、殿がオールナイトニッポンで言っていた焼肉屋の羅生門っていうところを探して。そこで待ち伏せしてたの。

(小林悠)そこでも何人かいたわけですもんね。

(玉袋筋太郎)そこはいないよ。誰もいない。

(小林悠)へー。

(ラッシャー板前)で、意外と昔のファンは、ねえ。出待ちはするけど、ちゃんとその後、家まで。自宅には追っかけなかった。

(玉袋筋太郎)そうなのよ。

(ラッシャー板前)私は追っかけたんだけどね。

(小林悠)まあ、そうですね(笑)。

(玉袋筋太郎)私も追っかけたんですけど。で、そん時に担当だったのがラッシャーさんだから。付き人が。

(ラッシャー板前)あ、そうだっけ?

(玉袋筋太郎)そうですよ。俺、高校生の時に。だから、それで羅生門の前で待っていたら、殿が『おう、メシ食ってけよ、あんちゃん』っつって。言われて。俺たち、ぜったい入らなかったんだよ。で、何回かそういうのがあって。ラッシャーさんが付き人で出てきて。

(ラッシャー板前)そうだ。『表のあんちゃんたち、連れて来い』と。だから結構
玉は毎週来てくれてたんだよん。

(玉袋筋太郎)行ってました。はい。

(ラッシャー板前)で、羅生門の前。だから玉は頭いい。ニッポン放送行ったら人がたくさんいるから、羅生門の焼肉屋さんで、よくご飯食べてたの。そこに現れて。で、毎週来るたびに『お疲れ様でした!』。一言だけ。それが続いたら、ウチの師匠が『じゃあ、あのあんちゃん、毎週来てるから、メシ食わせてやろうぜ。ラッシャー、呼んでこい』っていうんで。

(玉袋筋太郎)そう。で、俺ら、ラッシャーさんが『たのむから入ってくれ』って。『いや、行けません』って断ったんだよ。したら、ラッシャーさんが『君らが入ってくれないと、僕が怒られるから入ってくれ』って言われて。

(小林悠)(笑)

(ラッシャー板前)本当、本当。

(玉袋筋太郎)そう。それも30何年前のお話ですけどね。

<書き起こしおわり>

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